最近よくテレビで見る人。占い師というが、ふつうの人生アドバイザーという感じだ。その人の仕草や経歴といった情報をたくさん集めて、その方向に才能があるかといった現実的な判断をした上で、「礼儀正しくまっとうな生き方をすれば成功する、不遜な態度をとっていれば失敗する」といった価値観で指南しているようにみえる。私はこれは概ね当たる方向性だと思うが、それは超自然的な理由ではなく各人の心の持ちようによるものであろう。
「世界は公平にできていてほしい」という願望から、上のような価値観で他人を見がちである。例えば、玉の輿に乗った有名人について夫婦仲が良くないといった噂は、それがどんなに根拠がなくても「やっぱりね」と納得されてしまう。そして本人も「もしかしたらうまくいかないのでは」と思っているので実際その通りの結果になってしまうことがある。宝くじに当たった人が不幸な結末に陥る、といった話が好まれるのと同じである。ホリエモンがいつか事業に失敗するのでは、と淡い期待を抱いてる人もいるかもしれない。物事を成し遂げるには独力ではできず、社会から好意的にみられることが大きな要素になっている。しかし、これが全てではないことは現実的にみて明らかである。
そしてもちろん、上のような価値観は真の因果関係を作っているものではなく、完全に無関心な人や強い意志を持った人には通じないことも多い。イスラムのテロリストのような自分の行為に後ろめたさをほとんど感じていない別の信念・論理を抱いている人には通じないだろう。アテネ五輪、谷亮子の大胆な優勝宣言に細木和子は否定的な予言をしたが結局は実力で優勝してしまった。
私はこの人の存在を歓迎もするが羨ましさも感じる。両親が言い聞かせるより、学校で先生が教えるより、政治家が街頭で演説するより、学者が合理的な説明を考えるより、世の女性に倫理的なことを説得的に納得させることができるからだ。
一方で私は彼女の女性観には違和感を持つ。私がいる環境のせいかもしれないが、女性で優秀な方はたくさんいて、産業構造からも今中心になっている知的労働に女性は十分耐えられるし、社会的分業として世の中で活躍すべきことが多い。子育てにしても各分野の技術の発達で瑣末な仕事の量は減ってきており、両立も不可能ではない。結局は各々の家庭で「比較優位」の発想でそれぞれが得意なことをしていくのが理想であると思う。料理が得意であるとか、休日に時間をとりやすいだとか、そういう各人の条件に沿って役割分担を決めていけばよいのだ。
「世界は公平にできていてほしい」という願望から、上のような価値観で他人を見がちである。例えば、玉の輿に乗った有名人について夫婦仲が良くないといった噂は、それがどんなに根拠がなくても「やっぱりね」と納得されてしまう。そして本人も「もしかしたらうまくいかないのでは」と思っているので実際その通りの結果になってしまうことがある。宝くじに当たった人が不幸な結末に陥る、といった話が好まれるのと同じである。ホリエモンがいつか事業に失敗するのでは、と淡い期待を抱いてる人もいるかもしれない。物事を成し遂げるには独力ではできず、社会から好意的にみられることが大きな要素になっている。しかし、これが全てではないことは現実的にみて明らかである。
そしてもちろん、上のような価値観は真の因果関係を作っているものではなく、完全に無関心な人や強い意志を持った人には通じないことも多い。イスラムのテロリストのような自分の行為に後ろめたさをほとんど感じていない別の信念・論理を抱いている人には通じないだろう。アテネ五輪、谷亮子の大胆な優勝宣言に細木和子は否定的な予言をしたが結局は実力で優勝してしまった。
私はこの人の存在を歓迎もするが羨ましさも感じる。両親が言い聞かせるより、学校で先生が教えるより、政治家が街頭で演説するより、学者が合理的な説明を考えるより、世の女性に倫理的なことを説得的に納得させることができるからだ。
一方で私は彼女の女性観には違和感を持つ。私がいる環境のせいかもしれないが、女性で優秀な方はたくさんいて、産業構造からも今中心になっている知的労働に女性は十分耐えられるし、社会的分業として世の中で活躍すべきことが多い。子育てにしても各分野の技術の発達で瑣末な仕事の量は減ってきており、両立も不可能ではない。結局は各々の家庭で「比較優位」の発想でそれぞれが得意なことをしていくのが理想であると思う。料理が得意であるとか、休日に時間をとりやすいだとか、そういう各人の条件に沿って役割分担を決めていけばよいのだ。