先日ぼんやりとTwitterを眺めていた時
とある漫画原作のアニメの「主人公の独り言が多い」
という旨のツイートが拡散され、
そのあとに「説明してくれてありがとう」というツイートが現れ
さらに「説明不足では届かない、届ける努力を作家はするべきだ」
みたいなツイートまで現れて
あー……となっていたsachiakiです。
なにか表現をした時に、
「伝われ!」みたいなのをねじ込むわけだし
それを届けるように表現するのは
そりゃそうじゃ!って部分だし、
受け取り方によっては不快に感じたり
悲しませたりすることも含めて
表現っていうのは出し方を考えなくちゃならないものだったりもするけれど
だからといって説明すりゃいいのか、といえば
私はNOって思うんですよね。
だから前述した「主人公の独り言が多い」については
私もそう思っていたし、正直うっとうしいと思うところもあったりしてて
そういう言葉にわざわざしなくても良いことを
絵や動きで表現するのが漫画やアニメなんだから
いちいち言葉に出すのは無粋なんだよなぁって思って見ているわけです。
なんですけれども、今はアニメの見方も漫画の読み方もわからない
って人が出てきているそうなので
好きに見ればいいじゃんって思うものの
そうともいえない状況にまで来ているのだろうか?
と首をかしげてしまうのです。
なにせ算数で掛け算の順番や、
国語で意味があっているのにバツを付けられてしまう時代に
教育を受けてしまっては「正解は一つである」という呪いにもかかるし
解釈不一致なんてあってはマズイものなので
そりゃ漫画くらいは考えずに楽しめるものの方がウケるのも
なるほどなぁと感じざるを得ない……のですけれど……。
それでも世の中に一度出てしまえば
正解がある方がマレで、
基本的には「なにか全然わからん」ってのがだいたいのことなわけですよね。
好きな人の考えていること、友人の考えていること
上司の考えていること、親の考えていること、子供の考えていること……。
昨日はAと言っていたのに、今日はBと言っている、なんてこともあるだろうし。
だからこそ「この答えはあなたと見ている答えが同じものか」
っていうものに囚われてしまうのかもしれない。
しかしながら、40年以上生きてきてただただ感じることは
事実は一つしかないけれど、真実はいくらでもあるってこと
なんですよね。
どこかの主人公がしたり顔で放つ「真実は常に一つ!」ってことはないんですよ。
むしろ「真実」よりも「事実」という「経過と結果」がわかったってだけで
「真実」は見た人、行動した人、受け止めた人それぞれに違うんですよね。
だからこそお芝居や音楽などの「正解のないもの」を見たり聞いたりした時に
自分の感性で楽しむ余白があるし、
それぞれ受け止めた違いを語り合うことが豊かな文化を作り上げていくのだと思います。
せっかく仲良くなっても、ちょっとしたことのすれ違いでできた
ほんの1mm程度の隙でさえ怒り出す人たちがいるのかと思うと
解釈不一致なんていうことで仲違いしてしまうのは勿体無いような気もするし、
1mm程度の隙しかないぐらい仲が良くなってしまっては
もはやその小さな違和感の方が大きな違和感より許せないってことはあるかもなぁ
なんてことも思ったり。
色々と考えてしまうけれど、
なんにしても説明過多というのは想像力を切り捨ててしまうし、
説明不足は妄想力を掻き立ててロクなことにならなかったりもする。
たいがいの人間関係は説明不足なことが多いし、
説明をしたところで解釈不一致なことも多い。
言葉という「同じ」だと勘違いしている記号をもとに
あれやこれやを交換しているけれど
私たちはそんな記号を使わなくとも通じあうことも多い。
だからこそ説明は過不足なく。
そんなことができたら良いなって思います。
さて、今日もとくに締めやオチを考えずに書いていたので
どうやって締めようかって思っているけれど、
確定申告の季節にて、領収書の整理とか本当にいや〜ねって感じなので
気合いが入るような素敵なものを自分に用意しようと思うので
お買い物に行ってきます。
2/1からローソンで発売されたという
ゴディバとコラボしたメロンパンが気になったいるんだよ。
2/2から探しているけれど、一度もお目にかかっておらんのです。
今日で三日目。
みつかるといいなってことで、これにて!モイモイ。
とある漫画原作のアニメの「主人公の独り言が多い」
という旨のツイートが拡散され、
そのあとに「説明してくれてありがとう」というツイートが現れ
さらに「説明不足では届かない、届ける努力を作家はするべきだ」
みたいなツイートまで現れて
あー……となっていたsachiakiです。
なにか表現をした時に、
「伝われ!」みたいなのをねじ込むわけだし
それを届けるように表現するのは
そりゃそうじゃ!って部分だし、
受け取り方によっては不快に感じたり
悲しませたりすることも含めて
表現っていうのは出し方を考えなくちゃならないものだったりもするけれど
だからといって説明すりゃいいのか、といえば
私はNOって思うんですよね。
だから前述した「主人公の独り言が多い」については
私もそう思っていたし、正直うっとうしいと思うところもあったりしてて
そういう言葉にわざわざしなくても良いことを
絵や動きで表現するのが漫画やアニメなんだから
いちいち言葉に出すのは無粋なんだよなぁって思って見ているわけです。
なんですけれども、今はアニメの見方も漫画の読み方もわからない
って人が出てきているそうなので
好きに見ればいいじゃんって思うものの
そうともいえない状況にまで来ているのだろうか?
と首をかしげてしまうのです。
なにせ算数で掛け算の順番や、
国語で意味があっているのにバツを付けられてしまう時代に
教育を受けてしまっては「正解は一つである」という呪いにもかかるし
解釈不一致なんてあってはマズイものなので
そりゃ漫画くらいは考えずに楽しめるものの方がウケるのも
なるほどなぁと感じざるを得ない……のですけれど……。
それでも世の中に一度出てしまえば
正解がある方がマレで、
基本的には「なにか全然わからん」ってのがだいたいのことなわけですよね。
好きな人の考えていること、友人の考えていること
上司の考えていること、親の考えていること、子供の考えていること……。
昨日はAと言っていたのに、今日はBと言っている、なんてこともあるだろうし。
だからこそ「この答えはあなたと見ている答えが同じものか」
っていうものに囚われてしまうのかもしれない。
しかしながら、40年以上生きてきてただただ感じることは
事実は一つしかないけれど、真実はいくらでもあるってこと
なんですよね。
どこかの主人公がしたり顔で放つ「真実は常に一つ!」ってことはないんですよ。
むしろ「真実」よりも「事実」という「経過と結果」がわかったってだけで
「真実」は見た人、行動した人、受け止めた人それぞれに違うんですよね。
だからこそお芝居や音楽などの「正解のないもの」を見たり聞いたりした時に
自分の感性で楽しむ余白があるし、
それぞれ受け止めた違いを語り合うことが豊かな文化を作り上げていくのだと思います。
せっかく仲良くなっても、ちょっとしたことのすれ違いでできた
ほんの1mm程度の隙でさえ怒り出す人たちがいるのかと思うと
解釈不一致なんていうことで仲違いしてしまうのは勿体無いような気もするし、
1mm程度の隙しかないぐらい仲が良くなってしまっては
もはやその小さな違和感の方が大きな違和感より許せないってことはあるかもなぁ
なんてことも思ったり。
色々と考えてしまうけれど、
なんにしても説明過多というのは想像力を切り捨ててしまうし、
説明不足は妄想力を掻き立ててロクなことにならなかったりもする。
たいがいの人間関係は説明不足なことが多いし、
説明をしたところで解釈不一致なことも多い。
言葉という「同じ」だと勘違いしている記号をもとに
あれやこれやを交換しているけれど
私たちはそんな記号を使わなくとも通じあうことも多い。
だからこそ説明は過不足なく。
そんなことができたら良いなって思います。
さて、今日もとくに締めやオチを考えずに書いていたので
どうやって締めようかって思っているけれど、
確定申告の季節にて、領収書の整理とか本当にいや〜ねって感じなので
気合いが入るような素敵なものを自分に用意しようと思うので
お買い物に行ってきます。
2/1からローソンで発売されたという
ゴディバとコラボしたメロンパンが気になったいるんだよ。
2/2から探しているけれど、一度もお目にかかっておらんのです。
今日で三日目。
みつかるといいなってことで、これにて!モイモイ。