あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

けったいなことを書いているけれど、ほぼ寝言だから鵜呑みにしないで

2022-02-22 | from:sachiaki
今日は一週間に一度行っているオンライン読書をする日で
先方は引き続き「自分に集中する技術」で
私は買っておきながらずっと積読になっていた
中沢新一著の「南方熊楠の星の時間」を手に取りました。
読むタイミングってのはあるもんだ!と
久しぶりにピャッとなってたsachiakiです。

ここのところ私の中では「天川へ行け」っていうような
そういう気持ちでいるんですけれど、
今日手に取った「南方熊楠の星の時間」も
買った時は南方熊楠って星も研究してたのかな〜
ってぐらいのゆるい気持ちでいたんですけれど、
読み始めてすぐに気づいたのは
「星の時間」とは「ひらめきの時間」というやつで
彼がいかにしてエウレーカ(発見した!)!となったのか
という話だということでした。

南方熊楠といえば菌類の巨人ってイメージですし、
実際彼がエウレーカ!となったきっかけも粘菌の観察の間なのですが
粘菌の生と死は分かち難く連なっており、
西洋の世界でいうロゴスの科学では解けない
レンマの論理で科学を読み解くことができるのではないか!?
と気づいた話なのだそうです。

私もロゴスの科学ってなんだよってなったし、
レンマの世界で科学を読み解くってなんだよってなったけれど、
ロゴスとは言葉を正しく使うっていう科学であり、
集合し並べて整頓し言葉で言うという語源からも、
正しく使った言葉は存在する対象と同一であるというもので
ゆえに一番正しい言葉は数学となっていくのですが、
レンマの語源が手で捕まえる、捉えるといった意味から生じているように
抽象的なものでなく具体的に直感的に理解をしなくてはならず
数学では表せない世界も捉えられるようになるのだそうです。

そんなレンマの論理で読み解く大きなカギとなったのが華厳経であり、
その華厳経が日本に伝わり鎌倉時代に消えかけた時、
守り抜いた明恵上人の創建した高山寺というお寺に
熊楠の友である土宜法龍(どきほうりゅう)が就任したことにより
熊楠に華厳経が伝わったという悠久のロマンも重なり
サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」を読んだ時のような
鳥肌もののワクワクとなりました。

私は天台宗がやりよった大乗仏教の中でも「法華経が一番尊いでぇ」の
派閥から生まれてきた日蓮宗の、
そのまた新教宗教となる宗教を信仰する家で育ったので(sokaではない)
なんとなく仏教は馴染み深く
その中でも「一つは分かちがたいもの」という概念がすごく好きで
とくに有名な「一は全、全は一」なんかもとても唸るものがあります。
あ、これはキリスト教の人でも神と一体化するっていうので
わりと全人類が理解しやすいものなのかな。

先に出したレンマの論理では
「生」と「死」は分かちがたいものだと言われていたことを
粘菌を観察していた熊楠は、抽象としてでなく実態として捉えたと。
そして今まさにロゴスの科学が日本で力を奮い始めた明治の時代に
その科学よりもレンマの論理で見た科学の方がより実態に近いと気づき
そのために奮闘したというのです。

ここまでそれなりに引っかかりのあった部分だけど抜き出して書いてみたけれど
端折りすぎててイミフになっている気もする……。
ともかく、私は「分ける」っていうのは
観察していく時にとても大切な考え方だと思っているけれど
「分けた」結果、全体が掴めないことってたくさんあるなぁって思っていて
そこに対して、いやいや「分かちがたいんですよ」って
熊楠に言われたような気がしてホッとしたような気持ちです。

そういえば先日メッセージでやりとりしている高校生からの話でも
「愛について」があったけれど、
私は彼が思う「すべてが愛」であるはとても正しい感覚だと支持しています。
分かちがたいからこそ、「すべて」なんですよね。
これは業田良家著の「自虐の詩」でもあった
「幸と不幸は同じもの」と似たような話なのだとも思います。

それにしても和歌山&奈良の山々よ……。
あたい、行かなくちゃならんですか?w
「いずれ呼ばれるわよ」とスピなお姉さまに言われたのを
実はほんのり信じていたので
いつなんだろうな〜と思いながらも
まぁいつか気分が乗ったら行くだろってぐらいの気持ちだったけれど、
ここのところ20年以上経って初めて
内田康夫著「天川伝説殺人事件」の舞台であった
「天川」が実在する地名であること(そりゃそうなんだけどさ)
その地名の着く場所には行ってみたかったこと
というよりも、その土地で鈴をもらわないといけないような
そういう感覚がずっとあったことを忘れていたのに
「天川神社」という繋がりで芋づる式で記憶が呼び起こされたことと
たまたま見ていた日本昔話で「弥山」が出てきて
なんか引っかかると調べたらやはり「天川神社」が絡んできたことと
今回たまたま思い出して読み始めた「南方熊楠の星の時間」で
熊野古道がまた意識に上ってきたので、
お金ないなーとか、思い込みでなんかやるのもなーとか
そもそもまだ県をまたぐのは憚れるよなーとか
いろいろ思うところがありますが
これだけ自分の中で引っかかるものがあるんだったら
早いところ行ってみれば良いんじゃないかなぁ
ってお気持ちに。

そもそも「天川神社」は
呼ばれてない人間は行けないようにできてるっていうし
腰を上げてみても行けないのかもしれないんだから
やるだけやってみたら良いって話でもあるよね。

鬼の伝承が多く残っているということなので
すごく楽しみだにゃー。
あ、自分のアバター代わりとなる赤鬼ちゃんも
なんぞフェルトで作っておきますかね。
なんか色々とワクワクしてきたぞ!

今年引いたおみくじでは「タカミムスヒノカミ」が出ていたし
そもそも動かなければ何にもならんっちゅうもんですしな。
ヨシ、あとは予算表作ってパンダを説得するだけだ。
絶対に無駄遣いするなって怒られるけれど、
情熱を込めて説得するぞー。エイエイオーなのだ。

腹が決まったところでお仕事に戻ります。
そんじゃまた明日。モイモイ。
コメント
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