あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

鬼鎮神社に行ってきたよ

2022-02-26 | from:sachiaki
東武東上線に揺られて揺られて1時間。
たどり着いた武蔵嵐山駅はスカッと晴れて
「やっと来たのか?」って問われたような気になったsachiakiです。

受験勝利を願ったり、勝負ごとについての祈願で
溢れる神社だってことなんですけれど、
私が勝負事で願うことなどないので
なんのために来たかといえば
「赤鬼ちゃん」を始めてからというもの
「鬼」といえば私だろ?って勝手に思い込んでたのもあり、
鬼に関することに猛烈に興味を持ち始めたので、
関東で珍しいと言われる「鬼は内」の神社を訪ねてみたのです。

快速電車に乗っても1時間かかるってことにも驚いたけれど、
神社にたどり着くまでも住宅があるだけで
とくに大きなお店もなく、本当にこの道であってるのだろうか……と
やや不安になったものの、ちょいっと横道に逸れたところで
突如大きな空間が現れてそこに神社がビシィッと建ってらっしゃいました。


創建は約800年前となる寿永元年の1182年。
畠山重忠の菅谷館の鬼門封じとして建てた神社だとのこと。
こちらの神社、鬼門封じなだけでなく
「鬼鎮様」と親しみを込めて呼んでいるそうで、
その由来を読んでみたら、それはそれで悲しい話が載っていました。

それはこんなお話です。
ある刀鍛冶の元に若者が弟子入りしたそうです。
そしてその若者は大いに働いたのだそうですが、
ある時、親方の娘を嫁に欲しいと言い出したのだそうです。
親方は娘を嫁にやるのが嫌だったのか、
「1日に100本打てたら嫁にやろう」と約束をしました。
すると若者は一心不乱に刀を打ち始め、
その勢いや凄まじくあっという間に刀の山が出来上がっていきました。
通常刀を完成させるのには40日以上かかるため
親方は無理だろうと難題をふっかけたのに
これは人間業ではないに違いないと焦りだしたところ
若者の姿は鬼に変わっていたのでありました。
このままでは鬼に娘をやることになってしまうと
おののいた親方は無理やり鶏を鳴して夜が明けたことにし
作業を中断させました。
そして夜が明けて仕事場に行くと、
最後の一本を作るところで若者は槌を握ったまま死んでいたのでした。
哀れに思った親方は「鬼鎮様」として宮を建てて
祀ったのだという話です。
日本伝承大鑑 より

もう少し資料が欲しいんですけどね。
ネットで見た分ではこのぐらいしか見つかりませんでした。

それにしても「鬼」に由来する神社なだけに
金棒がたうさん奉納されていて
こんなもんで殴られるのは嫌だなぁって
改めて鬼の恐ろしさも感じました。


こちらの神社は勝負ごとに勝てるようにってことで
この「金棒」のミニチュアがお守りでした。
けっこうかわいかったですよ。

そして、こんなのほほんとした日記が書けるぐらいには
日本が平和で本当に良あったなぁって思います。

居間もなお続い得ているウクライナの情勢を考えると
本当に嫌な気持ちになんですけれども
ともかくあまり気持ちに引きずられないように、
寄付などのできることをしておきながら
自分のできることを粛々としていこうと思います。

さて、話を戻して。
鬼を祀っている神社は日本にあと三つあるそうなので、
青森県弘前市の「鬼神社」と
福岡県添田町の「鬼神社」と
大分県天満社の「鬼神社」に
いつか尋ねたいなぁって思っています。
あ、あと大阪枚方市にある「片埜神社」。

もちろん先日日記に上げていた
「天川神社」にも行きたいって企んでいますよ。

他にも「鬼」にまつわる神社があるよ〜という方は
ぜひコメントなどで教えてもらえたら幸いです。

「鬼滅の刃」が流行っていて
「鬼」のことが悪く言われがちな昨今ですが
「鬼」とはまつろわぬ人とも言われたりしているので
そんなね、無碍に迫害しないで欲しいな〜って思います。

そんな感じです。
さて、もう日をまたいでしまいそうなので今日はこの辺にて。
モイモイ。
コメント
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