私は基本「塞翁が馬」と思っていて、
一番の底が来ている時は良い兆候がある前触れで
調子が良い時というのは突き落とされる前である
って思っているんだけど
2月に入ってから面白そうなお誘いがきたり、
久しぶりの人とやりとりすることが増えて
これは登り始めに転じているのかしら?
なんてことを思っているsachiakiです。
私にとって30歳というのは大きな転換期で
独立したことや、入籍をしたことを始め
アホほど働いて自宅に帰れるのは
シャワーを浴びるだけっていうような時期も経て
年収もまぁまぁよしって程度になっていたものの
そこで次の準備をしなくてはならないことを知らず
結局その後の10年で見事に焦がし、
現在の生きてるのがギリギリっていうような
微々たる収入と、ダンナ氏のパンダ様の貯金と
時折入る謎イベント系な収入で細々とやってきたわけなんですけれど、
44歳というそこそこ人生のたたみ方などを考えないとなぁ
なんて考える年になって、また折り返しがきてるのかな?
なんてことを思ったりするのです。
人生50年って生きていてても
そこでカッチリ終わるようなものでなく残り20〜30年があって、
さらに国の補助などもあてにならないという話を聞き
アーリーリタイアするには貯金が1億あっても微妙というような話も聞くと
これからの人生をどうやって歩んでいこうかと
絶望に近いものも感じなくはないのですけれど
でもそんな絶望したところで食べ物が自然に生えてくるわけでもなければ
通帳にお金がいきなり増えるということもないわけで
5千兆欲しい!とネタとして叫びはするけれど
低キャリアでも生き延びられるキャリアモデルとならなくては……と
変な使命感にも似たものを感じたりもするのです。(適当)
私たちがこれから生きる世界線は
似たような収入で似たような暮らしの人々が
手をつないでのんびりしたものであるよりは
ニューヨークとかみたいな貧富の差が激しいものとなるのは必須っぽいし
振り返ってみればそういった差が広いことが多かった人類史を見て
高い人たちを叩き落とすのでもなく
低い側が暴動を起こすのでもなく
うまく回せていける仕組みさえできれば良いんじゃないかとも思ったり。
当然全員で貧しくなりましょう…なんていうのは論外で。
諸行無常である人生で、高いところと低いところの妙味を
味わうことができるなら、それはそれというものだとも思う。
とりあえず騙されているのかもしれない、
なんていう気持ちも頭の片隅に置きつつ
様々なやりとりをサバイブしていこうと思います。
とにもかくにもこの言葉に尽きます。
「生き延びてこそ」
生きていればまた畑は耕せますからね!
ってことで今日はこれにて。モイモイ。
一番の底が来ている時は良い兆候がある前触れで
調子が良い時というのは突き落とされる前である
って思っているんだけど
2月に入ってから面白そうなお誘いがきたり、
久しぶりの人とやりとりすることが増えて
これは登り始めに転じているのかしら?
なんてことを思っているsachiakiです。
私にとって30歳というのは大きな転換期で
独立したことや、入籍をしたことを始め
アホほど働いて自宅に帰れるのは
シャワーを浴びるだけっていうような時期も経て
年収もまぁまぁよしって程度になっていたものの
そこで次の準備をしなくてはならないことを知らず
結局その後の10年で見事に焦がし、
現在の生きてるのがギリギリっていうような
微々たる収入と、ダンナ氏のパンダ様の貯金と
時折入る謎イベント系な収入で細々とやってきたわけなんですけれど、
44歳というそこそこ人生のたたみ方などを考えないとなぁ
なんて考える年になって、また折り返しがきてるのかな?
なんてことを思ったりするのです。
人生50年って生きていてても
そこでカッチリ終わるようなものでなく残り20〜30年があって、
さらに国の補助などもあてにならないという話を聞き
アーリーリタイアするには貯金が1億あっても微妙というような話も聞くと
これからの人生をどうやって歩んでいこうかと
絶望に近いものも感じなくはないのですけれど
でもそんな絶望したところで食べ物が自然に生えてくるわけでもなければ
通帳にお金がいきなり増えるということもないわけで
5千兆欲しい!とネタとして叫びはするけれど
低キャリアでも生き延びられるキャリアモデルとならなくては……と
変な使命感にも似たものを感じたりもするのです。(適当)
私たちがこれから生きる世界線は
似たような収入で似たような暮らしの人々が
手をつないでのんびりしたものであるよりは
ニューヨークとかみたいな貧富の差が激しいものとなるのは必須っぽいし
振り返ってみればそういった差が広いことが多かった人類史を見て
高い人たちを叩き落とすのでもなく
低い側が暴動を起こすのでもなく
うまく回せていける仕組みさえできれば良いんじゃないかとも思ったり。
当然全員で貧しくなりましょう…なんていうのは論外で。
諸行無常である人生で、高いところと低いところの妙味を
味わうことができるなら、それはそれというものだとも思う。
とりあえず騙されているのかもしれない、
なんていう気持ちも頭の片隅に置きつつ
様々なやりとりをサバイブしていこうと思います。
とにもかくにもこの言葉に尽きます。
「生き延びてこそ」
生きていればまた畑は耕せますからね!
ってことで今日はこれにて。モイモイ。