正直言って「生きる」ということが
あまりにクソゲーで、そのハードルの高さには
幻滅することばかりなんだけれども
だからといってビルから飛び降りるとか
あまつさえ、それをライブで流すとか
どうしちゃったの?ってなりますね。
先ほどはパワハラに耐えかねた人が
上司を鈍器で殴ってしまったり……。
窮地に陥った時にまったく想像できない
行動を起こすのが
生き物の面白さだと思うけれども
それでも一体全体どうしてこうなった。
って思うことが増えている(ように感じる)のは
とても悲しいことだと思います。
私も長生きはしてても仕方なさそうなので
人生五十年っつって、あと5年を走り切って
良い人生だった!!って幕を引きたい欲はあるけれど
それでも未来になにがあるか分からないからこそ
もう少し生きてみよっかな
なんて思っているsachiakiです。
ここのところ自分の写真を撮るのに
ちょっと躊躇していたことがあって
それも「もう若くはない」の延長のようなもので
思っていた以上に自分が老いていることに
客観的に気づいてしまうのがシンドイ。
みたいなものがあるのかな?
なんてことを自己分析してみたり。
私の友人の女装が美しい方が
「もう女装は無理」っておっしゃっていたのも
本人の美学には合わなくなってしまった
自分を晒すのが恐ろしいってニュアンスだったので
他人から見て美しいままでも
本人の気が乗らないと難しいこともあるんだなぁと
その時は思っていたのですが
実際に自分が老いてきているのを気づいてからは
あぁちょっと世間に申し訳ない気がする……。
なんてことを考えるようになってきました。
「世間に」とは書いているものの
その「世間」とは「自分の中にある世間」なので
つまるところ自分に対してダメ出しをしている
ってだけなのですよねぇ。
もちろん勇退することが悪いわけないけれど
思ってもいなかったところから
「お写真楽しみにしてます」みたいな声を頂くと
おおお、楽しみにしてくれている人もいるのか!
って驚きを禁じ得なかったりします。
というわけで生きづらさとは
別の話になってしまったけれど、
自分の思っている世間とか世界ってのは
思っている以上に狭いから
その狭いところを破っていく必要が
常にあるんだと思います。
破っていくと知らないことばかりで
また別種の辛いことが待ち受けているんだけど
でもそれはそれで「受け止められる辛さ」とか
このぐらいなら「打ち勝てそう」とか
そういう風にしていくしかないのだろうな〜
なんてことを思ったりします。
自分自身の辛さを自分でどうにかできる
それが自立ってもんで
そしてどうにかできている時ってのは
辛さを感じにくいんじゃないかなって思います。
もちろん世の中が良い方に変わっていくのが
一番良いことだけど、
そんなのなにもしないで手に入るものでもないし、
自分が変わっていくことでその中が変化していく
そういうことを長い目で見ていけたら良いんじゃないかしらん。
ちなみにイジメもパワハラもDVも
どれもこれも被害者は黙ってろ!強くなれ!
って言ってるんじゃなくて
当たり前のようにイジメもパワハラもDVも
増長すれば刑事犯罪ですし、
そうでなくても侮辱罪などがつく
立派な犯罪なことは確かで、
加害者側は罰を受けた方が
心の健全さを修復できるとも思っているので
さっさと罪と罰の重さを味わっておけば良いと思います。
そして被害者の方へのケアは丹念にねとも。
そういう二輪ができてこそ
辛さを受け止めるっていう余裕が生まれると思うので。
自分の生きづらさを他人のせいにしない。
そして自分は自分を大事にして他人も大事にする。
シンプルだけど、そういうことだと思います。
さて、そろそろwebラジオの収録なので
準備をしてきますよ〜。モイモイ