最近よく聞く「女は家を守るもの」は違う
「男は仕事で死ぬまで働く」も違う
役割なんてものはない!っていう論調があり、
私もおおむね同意だし、
役割ってものを勝手に割り振ってはいけない
って思うんだけど、
じゃぁ社会というものを維持していくのに
役割は不必要なのか?というと
そうではないだろ、って思ってしまうsachiakiです。
たぶん私がなんだかんだで全体主義的な
そういうところがあるせいだと思うんですけれど、
私は個人は尊重されるべきだし、
個人が個人として生きていくのに
それぞれの能力を活かせば良いと思っているけれど、
じゃぁ能力が小さい人とかは
どうしたらいいの?
強い個人にはたくさんの自由が与えられるけれど
弱い個人には少しの自由しかないで良いの?
ってことをやっぱり感じるんですよね。
強い人はどこででも通用するだろうし、
それが一番良いと思うし、
そういった人だけがこの世にいるのなら
勝手に生きているだけで
社会が成り立つのかもしれないけれど
そうでないのがこの世の中なのだから
どこか役割的なものってあるんじゃないの?
っていうのを感じてしまうんですよね。
だからといって古典的な役割を再認識して
女性や弱い人たちを閉じ込めて
男性や強い人たちだけで社会を営めっていうのは
過ちをなぜ繰り返すのか?って思うので
違うって思うんですけどね。
そうでなくて、小さなところでは
私(性別は関係ない)は家の仕事が向いているから
家のことをしっかりとやるので
あなたは安心して外で働いて来て、とか
高齢な方は小さな子たちと交流を持って
互いの面倒を見るとかね。
大きなところでは、
大きな仕事をして報酬を得ている時は
お金の流れがそこでストップしないように
たくさんの投資で社会の成長を促すとか
なんかそういったものです。
どこまでも自分の権利は誰にも譲りたくない
っていう人だけでいっぱいになっていたら
争いは終わらないと思うし
物理面で有限な生命体はどこかで
譲り合わないと生きていけないって思うんです。
と。
なんだからちょっと頭の中のまとまりがなくなってきたので
今日はこの辺にて。
モイモイ。