ずいぶん前のアニメなので今更なんですけれど、
絶対に好きなタイプのアニメって思いながら
なかなか見る機会が訪れず
今になってたまたま旦那氏であるところの
パンダ氏が見始めたので、
つまみ食いするように途中途中見たたんですけれど
偉大なクリエイターが異口同音で述べている
自分のジャンルだけじゃなくさまざまな本や
漫画、芸術等に触れて肥やしを増やせってことで
このアニメも様々なオマージュを残しながら
うまくまとめ上げたなと唸ってしまったsachiakiです。
最後の最後に「ライ麦畑で捕まえて」を
演出するなんて最高なんじゃないかな。
誰かが誰かを捕まえる、崖っぷちのところで。
世の中の欺瞞にほとほと疲れ果てている時ってのは
「ライ麦畑で捕まえて」に影響されるものだし、
自分もそうだけど……
でもそういうことじゃないんですよね。
ベースラインになっているフィリップ・K・ディックの
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を
見事に映像化したブレードランナーで
このPSYCHO-PASSの舞台でも
日本特有の広告だらけのビル群の中で
やけに古びた広告が目立つのも
オマージュとして見事でした。(本編でもそう言ってるし)
私たちの社会は「信用・信頼する」ことで成り立っていて
それは紙切れを通貨として「信用・信頼」することも含めているけれど
”道ゆく人々は自分を攻撃しない”というような「信頼」が
なにより大切で、この「信頼」が揺らぐことっていうのが
とてつもない「不安」を引き起こし
社会不全となってしまうのでしょう。
根底が揺らぐことっていうのは認知の不協和を起こし
大きな不快感を覚えて生きづらくなります。
だからこそ「不安の種」は除いておきたい。
様々な脅威(飢饉や天災、戦争など)が
そこそこ遠くなったことで次に解決したい「不安」は
どうしたって「犯罪そのもの」に向かいがちで
そこそこの人間が「犯罪予備軍」に対して
大きな不審と忌避感を抱えています。
私は「疑わしきは罰せず」が正しいと思っているし
「うちに抱えている」ことと「外に出すこと」は
別物だと思っているんですけれど、
不安をできるだけ排除したいヒステリーな社会では
予備軍を自分達から遠ざける方法を
あの手この手で考え、声高に叫んでいます。
たしかに犯罪は「起こってからでは遅い」のだけれど
だからといって、うちに秘めている間に刑を執行するのは
全然別の話だと思います。
刑を実行はしないけれど、分別するだけだし、
実行しない限りは一般の自由人と同じだ
みたいなことを言う人って多分いるけれど
じゃぁ分別されて誰にでもそれがわかる状態でいる時に
自分が一般の自由人の身分で、そうでない人に対して
どういう態度を取るかってことまでは
考えが及ばないものなのでしょうか。
また、何よりも「うちに秘められている状態」の時に
それがなんであるかを外側から判別できるものでしょうか。
そんなに人間は単純かな?
PSYCHO-PASSの主人公二人が最後の方で交わす会話で
「そんなに法が大事か?」という問いかけに対して
「法を守ろうとすることが大事だ」と答えるのに
かなり胸が熱くなり、思わず泣きそうになってしまいました。
「法は変えられる」し、それに縛られることはないが
「法を守ろうとすること」で人々が安心して暮らせるのだ
というヒューマニズムは素晴らしいなぁと。
現代で使われるヒューマニズムとはまた別な
「人間中心主義」には辟易としますが
人間の可能性に未来を見る思考は大切にしたいですよね。
とはいえ、最近のテクノロジーの進歩と
その進化に追いつけそうにない人間に関する
ニュースを受け取るたびにため息は増えていってるんですけれど。
詐欺をしなければ人よりも多くはもらえない。
ありとあらゆる憂鬱に対して
ここのところ調子が悪いんですけれど、
それはそれとして明日はSUZURIのセールなので
なにか可愛い絵を仕上げてお知らせをしたいな〜と思います。
それではお仕事に戻りますわ〜。
モイモイ!