絵を描いたり運動するとかもそうだけど
苦手だった思うからこそ努力をし、
その努力を嫌なことだと思わないことが
長所へと育っていく、
そんな話を聞いたりしますが
コンプレックスそのものもそういった傾向がある
なんて話も聞いたりするsachiakiです。
人よりも劣っているっていうことが
実はそこに努力を重ねることで
人並みになれたとしても
その努力こそが宝となるようなお話です。
私はいわゆるデキの良い子っていうタイプで
幼少期を過ごしてしまったために
なんていうか、努力をすることがあまりなく
そのせいで努力をし続けた人たちと
逆転化し始めた頃には努力の仕方がわからん!
ってなってしまったところがあり、
現代の「個性こそ強さ」=「コンプレックスの多さが強さ」
みたいなところになってきて
あれ?私の知っている世界線とだいぶ違う??
なんて気持ちになることも増えてきました。
いい世界線だと思っているので
個性のある人はどんどんその個性を発揮して
面白い世界にしてくれれば良いと思っているんだけれど
無個性の人間がどうやって生きていけば良いのか?
最近はその辺のことを考えずにはいられなくなってきています。
無個性という当事者性がそうさせるのかもですけれどw
無個性=妥当な一般知識と行動力があり、協調性が高い
ゆえに没個性化しやすい
ずいぶん昔に聞いた海外青年協力隊の人の話で
「日本人は協調性が高いぶん、どこともぶつからず
集団の緩衝材になるので質の高い仕事ができる」
なんてことを聞いたりもしたのですが
今はそういう時代でもなさそうなので、
個性と個性がぶつかりあって
それでも良いものを作り上げていこう!
みたいなことになっているんだろうな〜と
ぼんやり考えていました。
協調性が高く、人と争うことを好まず
自己主張が強くない人はどうしたら良いんでしょうね。
なんて考えていたけれど、
そういった人は集団の中にいてこそ心地よいので
あまり悩んでいることもないかも。
誰かのために力を発揮できることが喜びなので
きっとどこの集団でも重宝されるでしょうしね。
ただ没個性なので、自分が評価されて良いのかどうか
そういったことで悩むってのはありそうかな。
私も「ありがとう」って言われても
なんかしたっけ?って思うことが多いしね。
コンプレックスがない(あるけれど些細なもの)とか
良いことのように見えて、そうでもないよな〜
なんてことを思ったので日記にしてみました。
あんだけ足が太いことをコンプレックスにしていたのに
今頃になってコンプレックスは長所!ってなってもな〜
なんてことも思ったりしたしw
あー、でも今思っているコンプレックスは
人が面白いって思うものとのズレかな。
ズレってのも大きなことでもないんだろうけれど。
外国や他文化の人とかとももっと交流していきたいですな。
時々誘われる異文化なパーティとかにも
もう少し顔を出せるようになりたいです。
そのためにも稼がないとね〜。
とりあえず今日はこれからゲスラジの新年会にて
お出かけしてきます。モイモイ