あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

〜せずにはいられない、という切実さはいいよね

2023-04-06 | from:sachiaki
私は表現ってものに対しての憧れで
「描かざるを得ない」
「歌わざるを得ない」
というような内側からくる衝動に逆らえないもの
っていうものに強く憧れているのと
逆に言うと計算じみた表現に対しては
衝動性が低いので面白みに欠けるって思ってしまうのです。
全ての表現の初期衝動が一番熱いけれど
日が経つにつれて衝動は小さくなり
技巧が目立ち、安定するっていうのは
よくある話だし、そういうものなんだと思います。
技巧がないのは見にくかったり汚く聞こえたりするので
上手くなること自体は悪いことじゃないはずなのにね。
けっきょくお茶を濁し続けるつもりのsachiakiです。

ここ一年以上かけて行っている
「本居宣長/小林秀雄 著」のオンライン読書会にて
宣長が尊いとしたものの中に
「〜せざるを得ない」があったので
ふと、上記のようなことを思い出したのですよ。

良いものを見たり感じたりした時、
悪いものを見たり感じたりした時、
「嗚呼」とか「はあ」とか
言葉にならないなにかでも
出さずにはいられない内側からの力が尊くて
言葉が後ろに追いやられるのが本質的なものだ
というような話だったなぁとかなんとか。

今では比較的よく聞かれるようになってきた
楽しいや嬉しいから笑顔になるのではなく、
笑顔になるから楽しいや嬉しいという感情が湧くのだ
と言う話とも少し繋がるのかな。
(とはいえ、映画「JOKER」の中で出てきたように
 無理に笑顔を作って楽しい気持ちにさせようとしても
 「つらい」「悲しい」などの感情が先に大きくある場合
 むしろ抑圧の方へと心が動くのでストレスに拍車がかかるのは
 笑顔で居続けるしかない社会人なら誰でも経験知として
 持っていると思います)

と、話はそれたけれど、
「〜せずにはいられない」で好きな曲がございまして
高野寛さんの「ベステンダンク」って曲なんですけれど、
この歌詞に

 この窓は小さすぎて 君の元までは届かない
 たとえそれを知っていても 叫ばずにはいられない 
 BESTEN DANK

ってサビがあるんですよ。
初めて聴いたのは1997年だから高校時代だけど
春になると聴きたくなる爽やかな曲でございます。
BESTEN DANKはドイツ語で「ありがとう!(最上級)」
なんだけれど、
叫ばずにはいられない「ありがとう!」って
すごくいいイメージが広がりますよね。
これはドイツのベルリンの壁がなくなったことを
ベースにしている曲なのだそうで
歌詞も最初の方に「こんなところにも壁が待っていた」
「交わろうとする」「そして乗り越える」とあり
生きているとありとあらゆるところに壁を感じ
あぁ、と絶望の声が漏れたりしてしまいますが
それでも本来の人間が「交わろうと」して
「乗り越えて」いけるからこそ
心の底からありがとう!!!!って言えるんじゃないかな〜と。
分断を煽るさまざまなことがあるけれど、
届くとは思えないぐらい小さな声でも
「君がいてくれてよかった!ありがとう!」って
叫び続けていたら、もしかしたら壁なんて崩壊して
人々が交わり春や夏を喜べるのかもしれません。

たとえ徒労に終わるとしても
それは別のなにかに繋がっていたりもしますからね。

〜せずにはいられない。

この強い衝動性を忘れずにいられたらって思います。

ちなみに私の持つ衝動性は
どうやら「嘘をつくこと(虚構を組み立てること)」みたいで
物語性の強いものに惹かれるし、
世界観を勝手に作ってしまう、という傾向があるようです。
箱庭もの系のゲームとか大好きだしねぇ。
表現なんて多かれ少なかれ「嘘をつく」ことには相違ないので
それなりにクリエイティブなものに衝動性を持ってて
ちょっとだけ安心したって感じです。

それができるんだったら
自分のことをブランディングすることだってできそうなものなのに
衝動は思考や論理とは相性が悪いので
どうにもそちらには食指が動かないのが
いかんともしがたいところです。

さて、そろそろお仕事に戻りますよ。
衝動、衝動って書いてたらドーナツが食べたくなってきたけれど
近所のドーナツ屋は駆逐されてしまったので
後ほどコンビニのドーナツで我慢しようと思います。

それではまた、モイモイ!
コメント
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