あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

言葉はわかりあう道具であるが

2023-04-11 | from:sachiaki
言葉はわかりあうための道具であるけれど
わかるがゆえに決定的に合わないということを
実感する可視化の道具でもある。
そんなことを最近感じるsachiakiです。

私が好きな小説で打海文三 著作で
「裸者と裸者 孤児部隊の世界永久戦争」
という本があるんですけれど、
この小説の中で日本が内戦になっていく
様子が描かれていくのですが
まさに昨日までの友がある日を境に
だんだんと分かり合えなくなっていく様を
描いているんですよね。
そしてその分かり合えなくなっていくっていうのが
言葉を共有していても、
むしろ考えているスタンスが先鋭化していき
それが可視化されることによって
決定的に「わかり合えない」ことが「わかる」
ようになってしまうんですよね。

最近は割と仲が良い方の友人が
頭が良いゆえに弱い人への発言が
だいぶ厳しいものに偏ってきていることに
気づいていないのか、
もしくは「強くあれ」に軸を置いているがゆえに
そうでない人を捨てていかざるを得ないのか
よく分からない方へといってるなぁとも感じるし、
旦那氏であるところのパンダ氏がいうように
私の方がどんどんと離れていっている可能性もあります。
私が「弱い人でも生きやすいように」と訴えるものは
頭の良い人たちにとって鬱陶しいし
そんな弱い方に足並みを揃えたら
衰退の一途ではないか!っていう憤りが
ますます弱い立場の人を追い詰めていってるのかな?
と思わなくもなかったり。

私も「弱いままでいて良い」とは思わないし
人間は自立をした上でお互いが寄り添い
力を補い合うのが良いと思っているんですけどね……。
なんだろうね。
強い力を持っている人が守りたい人を鼓舞するために
放っている激励ってこともあるのかもしれないけれど
それは頑張り始めた人とかに放つもので
弱っている人に出すものではないかな〜とも思うし、
なんにしても言葉の持つ力っていうのは
思っている以上に人にダメージを与えるものだ
ってことですかね。

そんなことはとっくの昔から言われていることなんだから
みんな知ってるよ!ってこともわかっているんですけれど
改めてそんなことを感じているってことですね。

そんなこんなです。

さて、今日こそイラストをアップしたいと思っているので
ちょっと頑張ってきます!
そんじゃまた。モイモイ。
コメント
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