先ほど14:46を迎えた際には黙祷を捧げてみたsachiakiです。
何度思い返しても、私はその日のその時間、
ちょうど地下鉄から降りたところで
なんとなくめまいのようなフラつきがあって
なんだこれ?と思ったものの
他の人たちもフラフラしてたので
地震?って思いながら地上に出て
交通マヒみたいになっている車たちを見て
えー、これ打ち合わせ間に合うかなぁ
なんて思いながらタクシーを捕まえて乗車したものの
道がボコンボコンと跳ねるようになっていたのを
ほんのりと感じたのが夢だったのか
本当の記憶なのか曖昧なままなんですよね。
地下鉄〜地上までは確実な記憶なんだけど、
地上から取引先まではそんなタクシーに乗るような
そんな距離だったっけ?とか……。
ただ、その後も余震で揺れ続けてて
打ち合わせの最中も何度も揺れるたびに
事務所の人たちと総出で玄関に向かったのを覚えています。
その時に電信柱がぐにゃぐにゃと揺れて
これはスゴイことになってるって思ったんですよね。
なんだかんだで打ち合わせを終えて
自分の事務所に戻るのに電車が使えないことがわかって…
あぁ、そうだここでタクシーに乗ったんだ。
それでタクシーに乗ってたんだけど、
結局道が渋滞気味で料金が嵩んでいくのが嫌だったのと
歩くことには自信があったから
そこで降りて歩いて事務所に戻ったんだ。
その途中で人がとあるビルの窓に群がっていたから
なにかな?って覗いてみたら
まさに津波に飲み込まれていく福島の映像が出てて
最初はよくわかんなくて、
よくできたCGだな〜、新作の映画なのかな?
みんなが見てるってことは注目の作品なのかな?
なんて思ったのよね。
それがニューステロップなどと共に現実なのだと
飲み込んでからウッとなったのよね。
ウッとはなったけれど早く事務所に戻らなくちゃって
ちょっとだけ足早に歩いたものです。
で。その頃、私の事務所とダンナ氏ことパンダ氏の会社は
大きな幹線道路を挟んで斜向かいに位置していたので
事務所に戻る前にパンダ氏の会社前を通過した時に
そこの社員さんたちが駐車場にぞろぞろとたむろっていて
「どうしたんですか〜」って呑気に声をかけた覚えもある。
こいつ悠長だなぁって顔をされて
「避難してるんだよ」って言われたんだっけな。
その後に仲がよかった社員さんをみつけたので
「うちのパンダは?」って聞いたら
「もう会社に戻って片付けしてるんじゃないかな」って
安否の確認をした気がする。
事務所に戻ったら思っていたのとは違って
大したことになっていなくて
在室していたアシスタントさんに状況を聞いてみても
「揺れはすごかったけれど、
積んでいた書類がちょっと荒れたくらい」
とあって、やっぱり大事感がなかったんですよね。
パンダ氏の会社はビルの最上階に近かったぶん
かなり揺れてコピー機が動いたり、
棚の上に置いていたものが崩れたりと
大変だったみたいだけど、
うちの事務所は私が高いところのものが取れないからと
基本的にローシェルフににしていたのと
コピー機の下にも床を傷つけないように
発泡スチロールのような緩衝材が敷いてあったので
どうも滑らなかったよう。
机の上にあったフィギアとかは倒れたりしてたけれど
それも数が多かったわけじゃないから
書類を元の位置に戻したらすぐに仕事に戻れたのよね。
とはいえ、すごく急ぐような仕事もなかったし、
アシスタントさんには帰ってもらって
二、三日落ち着くまでは在宅でいていいと言って
自分も在宅でできるように準備してから
パンダ氏とともに自転車で帰宅したのでした。
当時はチャリ通していたので、帰りもスイスイ帰宅できて
帰宅困難者が出ていると聞いてびっくりしたり。
帰宅できない友人に
「近くにいるなら泊まりに来る?」と連絡したりも。
終始そんな感じで自分には妙な余裕があったので
次の大震災に遭う時にパニくらないか
ちょっと自信がありません。
あの時は色々とラッキーが重なっていたと思うので。
それでも家にはお水を2リットルボトルを
6本で1ケースとしているものを4つ常備してるし
(当時はウォーターサーバーでこれまた余裕があった)
食糧の備蓄は置いておいてあるので
一応ヤバい!ってなった時の在宅避難はできるようにしてある
……つもり。
今日は防災ご飯というか、被災した時でもできる
簡単調理に挑戦してみようかな。
そんな感じです。
あの時被災した人、亡くなられた人、その遺族の人たちと
たくさんの喪失があったけれど、
どうかその魂が安らかであるよう祈っています。
それではまた。モイモイ。