現在シティポップを筆頭にネオン管の看板や
昭和レトロ、平成レトロと呼ばれるものが
ブームとして返り咲きしていますよね。
まさかあの閉館の危機から復活した
ハトヤに当時のようなサラリーマンスーツに
ピッチリしたヘアスタイルで旅行するなどの
流行りがくるとは夢夢思ってもいなかったsachiakiです。
当然音楽もシティポップだけでなく
古い時代のものが掘り返されていて
ジャパンカルチャーとしてあった歌謡曲なんかが
Youtubeを通して人気を博しているのも意外でありながら、
でも実際いい曲だからなぁと思って
シミジミと聞いているところです。
私も20代ぐらいまでは60年代の曲とかって
テンポも遅いし、なんとなく重だるい雰囲気があって
好きになれなかったのですが
これが今の全てが早くやたらと電子音がするような
そういった音にばかり触れたあとだと
めちゃくちゃ心地よいのね。
そして歌う人たちの成熟した
説得力が桁違いな歌謡力に圧倒されるというか。
池玲子さんのセリフだけの曲とかも
エロすぎだろう!!!!ってなるし
6時間話こんでいた時にも出た話題だけど
昭和ってバイオレンス度もズバ抜けてるんですよね。
バイオレンスを称賛する気にはならないし、
現在の理不尽は焼き尽くさねばならない!
みたいな流れは素晴らしいと思っているので
昭和に戻れ、なんてことは思わないんですけれど、
それでも理不尽を飲み込んで背負い続ける人たちの
あの重苦しい感じが「大人」というやつだったのだろうなぁ
なんてことを思ったりするんです。
いわゆる酸も甘いも云々みたいなやつですね。
もちろん現代だって別の苦しみが生まれていて
人間どこまで時代を進めても
けっきょく苦悩はつきものなのだと思います。
が、
こと、大人とはなんだ?って考えた時
背負っている背景がどれだけ濃厚か
ってことが大いにあるんだろうって思ったり。
同級生と話をしていても
独身で居続けている友人とは学生時代と
ほぼ変わらずな感じでいられるけれど、
お子さんもいる家庭人になった人と話をしていると
自分がどれだけ子供のままなのかと
恥いる気持ちにもなります。
そういう恥ずかしさを感じながら
60年〜70年代の世界を今はもうない
ノスタルジックな何かとして見ているんでしょうね。
サウダージですねぇ。
そして当時は製版やテレビのモニタの限界で
重苦しかった配色も
今見ると落ち着いたトーンでかっこいいなぁと。
ついでに書くと、私は70年代アメリカンPOPが好きだったので
丸で溢れたデザインや補色で構成された
こってりカラーも大好きなので
スペースエイジインテリアなんか
たまらんものがあるんですよね。
そんなわけなので、当時のレコードジャケットなんかを見て
ポルノちっくに作られたものなども併せて
かっこよすぎだろ〜ってなって悶えています。
尊敬しているデザイナーの常盤響さんなんかも
きっとこの辺からインスパイアされているなぁ
なんて思うものがいっぱい出てくるし。
60年代のモッズがバリバリど真ん中な
イギリスのデザインもグゥかわいいしなぁ。
と、話が逸れていったけれど
ジェンダー解放と言いながら”らしさ”を封じようとする動きには
バッカじゃないのって思いながら
”らしさ”を性的消費されることも承知の上で
楽しんでいる野生的な時代の方が
よっぽど解放されとるわいってなってたのでした。
ミニスカートは自分を可愛く見せるためだし、
見せるって書いているように
誰かに見てもらうのも前提なのよ。
自分が可愛いと思うものを身につけて
自分可愛いとテンション爆上げして
その先にある”見られる”も楽しむ欲張りセットなの。
というわけで、紳士的淑女じゃない人に対して
塩対応をしながらも、
それはそれとして楽しんでいきましょうってことです。
整えられて綺麗な味ばかりよりも
ごっつぁんです鍋もけっこう良いものですよってことで。
そんじゃまた。モイモイ