あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

自分という棚卸しをしろ

2019-07-08 | from:sachiaki
ってよく聞く話なんだけど、
いわゆる自分の能力ってどんなもんで
人にどういったことを期待されているか
そういったものを認知して価値を高めて売り出そうってやつ。

なんていうか、


すごく面倒臭い。


いや、別に否定するんじゃなくて
ただただ面倒臭い。

そして望まれているものと自分の意識にズレがあることも分かってて
それを認めたくないっていうのも了解してる感じ。

なんでそんなことを書いているかといえば
最近は配信でお金稼げるよね〜っていう流れで
マスなメディアに訴えなくても
その人自身に例えば20人のファンがいれば
定期的に配信をしているだけでお小遣い程度にはなるし、
もっと貪欲にやっていけばマスメディアに出なくても
十分な収入になるということで
そこに目をつけた動画配信サービスたちが
こぞってコンテンツになりそうな人たちを血眼になって探している感じなんですよね。
そしてその白羽の矢が立ったんだけど
(くそ面倒臭いので)遠慮メッセージをしたりしてたのです。

配信したいってだけじゃお金につながらない底辺層がいても
その裾野が広がればその中から強力なコンテンツが生まれて
ガッポガッポですよ。わっはっは
っていう形式が見えるわけですわ。
それはそれでwin-winでいいことだと思うけれど、
当然メディアなわけですから飽きられないようにする工夫というものが必要で、
これが偽りの自分でやっていこうとすると
あっという間に虚像の自分に食われて精神の死ってことになってしまうわけですな。

Vtuberなんかがまさしくそれで
おっさんがバーチャル美少女になりきって演じている間に
自分という人格が表層人格に乗っ取られて
普通の生活をしていても「かわいい!」って褒めてもらえないと
心が死にそうになる…とかいうことも発生しているそうで。

そうでなくても毎度面白いコンテンツを考えるって
それだけでも大変ですよ。
大好きな映画をひたすら紹介し続けるとか
本を紹介し続けるとかならネタが常に溢れているので
それはそれでって話だけど、当然そこは同じことをする人たちがいっぱいいる分
”自分らしさ”というものを作らなくてはならず
これがまた大変そう。

もともとフロントマンじゃないんだから
私に面白い話をしてくれっていうのはおかしいんですわ。
私は面白い人を拾ってきて、その人とおしゃべりするのが好きなだけなんです。
んで、それをコンテンツ化していこうと思ったら
せいぜい月に一度くらいしかできないんです。

私が目指しているものは自分だけが儲かって嬉しい✨
この儲かったお金で(たとえそれを慈善活動費に充てるにしても)なにするか〜。
ってタイプじゃなくて、
一緒にいる人たちと楽しく過ごしたい。
その結果としてほんの少しの上がりがあれば良い。
っていうタイプなので
私がフォローアップできる人数には限界があるわけです。

大人数の中で輝くスター性がある人もいれば
街角の蕎麦屋で看板娘(80歳)という人もいて、
私は後者なんですわ。

そこを絶対に履き違えてはいけないと思っていて、
乗せてこよとうとする人は全てぶった切っていく予定です。
乗りたい波が出てきたらその時は自分で乗りこなすさ。

腰が重たいと言われようとなんだろうと、
無責任な大人たちとは何もしたくないってこと。

なんか書いてたらスッキリしてきたw
というわけで今日はこの辺にて。

望まれているうちが花なんだろうけれど
自分で納得できないうちは無理ですがな。
そんな感じ。

とりあえずもっと勉強がしたいです。
モイモイ
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積読が増えている中でずっと手付かずのものはなんですか?

2019-07-07 | from:sachiaki
トキメキで断捨離をしていけば良いのだろうけれど、
どうにもこうにも本は捨てられないsachiakiです。

とはいえ、引っ越しの時に200冊くらいは寄付しましたけどね。
こういった時も貪欲に大したお金にならなくても古本屋などに持っていけばいいものの
私の中で同じ大したお金にならないなら寄付して
誰かの役に立つ方が良いという考え方もどうなんだろう
なんてちょっと思ったりしてました。

思ったけれど、寄付した先から
「あなたの○○○円は○○○に使用いたします。
 ご協力ありがとうございました」
みたいなメールが届くとホッコリするから止められませんな。

と、それはさておいて、
タイトルに書いた通り、積読の中でずっと手付かずの本ということですが、
私はけっこう長くお世話になった会社さんからの送別会で
すっごく意外な人からもらった本がその一つとなっています。
まったく自分の趣味でないものなら
悪いなって思いながらも処分できるのだけど、
これがまた、そんなに話もしたことがない人だったのに
ガッチリと私の心を掴んで離さないようなセレクトだったのであります。
さすがモテモテボーイ……。
おそろしいリサーチ能力よ……。

なんてタイトルの本かといえば
神々の世界/グラハム・ハンコック」というもので
考古学の本みたいなものなのですな。
古代文明の謎を紐解くべく、海底遺跡や古代遺跡を巡るべく
インド沿岸、マルタ島、アレキサンドリアや果ては与那国島から粟島まで。
世界各国を調査し、寺院の類似性など
知識欲盛んな人にはたまらん一冊となっているわけです。

なんだよ、ガチでsachiaki好みじゃん。
なんで読んでいないのよ。
と言われれば、ものすごく単純な話で
一冊が文庫とはいえ680ページもあって
ちょ、軽く鈍器じゃん!
っていう代物なのでございます。
人によっては京極夏彦さんの著作を読む際に
700ページなんて序の口でしょ?というお方もおわすと思いますが
考古学のちょっと硬い文章で680ページ。
講義をとったとしたら2年分かと思える量がギッシリ詰まっているわけです。
しかも上下巻。

これをもらった頃は私も仕事がアホ忙しくなり
仮眠につぐ仮眠で年間を通した日々だったので
とてもじゃないけれど読書なんてする時間もなく
最初に手をつけた、まえがき17ページ目で挫けておりました……orz

かといって手放すにはあまりに好きな分野の本なので
ずっと本棚の手前に鎮座ましましているわけなのです。
かれこれ13年ぐらいになるかな?
ヒューゥたまらんね。

子供の頃は寝ないで夢中になって読書して世を明かしたりしたけれど
今の私の体力では寝ないわけにはいかないし、
いやはや難しいものですね。

実は「日本神話の考古学」という250ページ程度の文庫本も
4〜5年前に買って、何度も数ページ進めては止まりってしているので
こちらも読み終わる気配がありません。

カジュアル感覚で読もうと思ってとっといてある文庫たち
主に森見登美彦さんの本もだいぶ積読しています。
世に速読法というものがあるけれど
そういった技術を身につけていなかったのが惜しいくらいです。

それでも魅力的な本は溢れていて
私が死ぬまでに読みきれるとは思えないので
困ったもんだなぁって気持ちでいたり。

そんなこんな。
それでは今日はそんな積読の中でも
今夜のツイキャスのために読み進めなくてはならない本がありますのでこの辺にて。
みなさんも良い読書タイムを。

グッドサラーック!(さらざんまいの影響がまだあるようです
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お酒は弱いに限る

2019-07-07 | from:sachiaki
というわけで今日は予定を何個もクリアして
珍しく1日を忙しなく動いたなぁなんてことを思っているsachiakiです。

なにせ、あもさんが昔住んでいた東京の東の方まで行き、
そこで衣装を売っているお姉さんのところへお邪魔して
がっつりお洋服やコスチュームジュエリーなどを見せてもらってきました。

洋服はいろんなブランドのサンプル品ということで
既製品じゃないから大幅に安いし、
衣装としてお金をかけたくない人にはうってつけで、
コスチュームジュエリーはガチンコなので高いけれど
レンタルもしてくれるというので
撮影のあかつきにはぜひご協力を願おう
なんて思ってきたりしたわけです。



ほら、めっちゃ素敵でしょ〜!?

まぁ私の撮影ものって微エロだし、
肌に直接とかでも良いんだけど、
最近やや汚れるものが増えてきたので
汚れることを考えるとさてさてどうしようかな!?
なんてことを思ったりなんかしちゃったりして(CV:広川太一郎)

衣装選びに頭を悩ませた後は軽くお茶を頂いて、
その後は森下にある喫茶ランドリーなる
コミュニティも含めたミクスチャーカフェにお出かけしてきました。
ここでは2年ぶりぐらいに会う若者とお茶をして
近況や心の変化などを伺ってきました。

時々言われることだけど、
私と会うとおしゃべりしやすいそうで、
すごくスルスルと話をすることができて
今まで自分だけでは気づけなかったことなど発見できて
すごく嬉しいんだそうな。

私は天の邪鬼気味だけど、
比較的否定せずに人の話を聞くから
そういったところが喋りやすいのかな?
なんてことを思ってみたり。
もう少しスキルを磨けばカウンセラーとかになれるかもね!

なんて思わず浮ついたことを考えてみたものの、
いやいや、それはそれで大変だから
目指すのはとりあえず保留だな。
とかなんとか(ry

その後合流した友人もいるので
じゃぁ場所を移しますか、
なんて久しぶりのゴールデン街にも行ってみたり。

変わらない人が店番をされていて
かなりホッとしたりしました。

そこでお酒を何杯もあおれるような強い人間なら
ここでガバガバ飲んで行きたいところですけれど、
私には次の用がございましてな。
と、いっぱいだけのグレンフィディックをロックであおり、
さっそうとお店を後にしたってわけなのさ。(カワウソイヤァ

ここで思ったのは、
うっかりお酒が強くなくてよかったなってこと。

強くもないから1杯で終わらせ
次の用事へと急ぐことができたってわけなのさ。(懲りずにソイヤァ

と、端々に「さらざんまい」の影響が出ていますね。

鬱陶しいので閑話休題。

最後の用事がラジオコントの台本読み合わせだったので
腹がよじれるほど笑って終わりましたとさ。

最後はさらっと締めますよ。
そんじゃまたね!さらーっと!

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魅惑の美ボディは高嶺の花

2019-07-04 | from:sachiaki
唐突ですけれど、

ダイエット頑張る!


毎年宣言してるなって自分でもツッコミ入れちゃうsachiakiです。

つかねー、
食べても食べなくてもそんなに変わらず、
しかも自転車にも乗らなくなって運動量は激減したにも関わらず
体重の推移や体型の推移が
割と小太りなところで落ち着きまして
努力するのも('A`)マンドクセ ってなってたところ
先々月くらいにメジャーをなくしてしまってね、
測ることもできないなら、まぁいいんじゃない?
はい!解散!!

って感じで自分の中で体型に対するモチベーションがダダ下がりしていたんですけれど
ちょっと思うところあって臍ピアスを開けたいなぁ
なんて思ってたのね、
そんでまぁ毎日一応鏡で体型チェックはしてるんだけど、
改めてチェックしてみたら、これはマズイ!って思うほど
プニッとお腹に肉がいるじゃないですか。
これヤベェぞとメジャーを買いに行きましてん、
さっそく帰宅して測ってみたら……

増えてたぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
分かってたぁああアァアアァアァアァ!!!!!!


とくに尻!!!
90cmを超えた時にヤベェって思ってたのに
91cmですよ。うっかりしたら92cmですよ……。
私の身長153cm。
平均のお尻サイズたしか85cmとかのはず……。
マジやべぇって。

当然人によって体型って個人差があるから
筋肉質な人もいれば瘦せ型もいるしプニッと可愛い系もいる。
その人が一番健康体でいる体型というものがあるので
平均とか理想とかってあんまり意識し過ぎてもよくないのよね。
(てことも大人になって分かったことなんだけど)

というわけで、私は自分のお尻のサイズや太もものサイズなど
一応ここが理想というものがあって
それをキープしておくことにしてるんだよね。
なんだけど……今回測ったサイズは悲鳴が上がるサイズであって

なんじゃこりゃぁああぁあぁ!!!!

ものだったわけです。
あんまりに愕然とする数字だったので
ちょいと頑張らないとアカンなぁと……。

折りよくTVアニメにて「ダンベル何キロ持てる?」が始まったので
ちょいと見てしまったわけですけれど
スクワットの仕方とかめちゃくちゃ真面目にやってたので
NHKさんの筋肉体操とともに参考にさせてもらった
頑張ろうなって気持ちになりました。

毎日数字を乗っけておけばヤル気度が持続してくかな。

とりあえず81-63-91からスタートです。
体脂肪も1〜2%下げたいですな。

そんな感じ。
みなさんも夏の準備はできてますか!?
できてない人はゲットしておきましょうね!!

そんじゃまた今日はスクワットで締め!フンッフンッフンッ
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誰に思いを伝えたいのか

2019-07-03 | from:sachiaki
今日は夜学バーのお昼の部を開けるために湯島へ行った後、
ずっと月一で参加している読書会へ行ってきて
改めて自分の思いを誰に伝える努力をしたら良いのか
そんなことを考えていたsachiakiです。

きっかけはお昼の部に遊びに来てくれたお客様からの言葉だったのだけど、
”この場には誰に来て欲しいのか?”
というのは、潜在的に思ってはいてても
そういえばちゃんとそれを言葉にしたことはなかったかもしれない
なんてハタと思い当たって、
これはさすがに怠慢かもしれない…!
と、固まってしまいました。

もちろん何回も文章として書き起こしたことはあるし、
Facebookページの最初の方のエントリなどには
”どんな人に来て欲しいか”を書いているし、
常に頭の片隅にはあるんだけど、
かといって、その人たちへ響くような言葉を紡いでいるかというと
まったく手探りでなにもしてなかったな……。
と。反省反省。

暗中模索で、その人たちが好むタームとかあるはずなんだけど
それがうまく掴み取ることができないでいる。
だから考えを深くしていなかった。

その間にも考えることは山のようにあって
そちらに向かってお喋りするように言葉を空間に放り続けていたら
私の好む”濃ゆい”人たちのセンサーには触れるようで
私の想像していたところとは違う人から声をかけられたり
リプライをもらえたりと、謎な現象が起きてきて
すごく楽しいコミュニケーション生活をさせてもらっているんですけれど、
あれ?それって私が望んでいたことなの??
って襟を正す気持ちになったのでした。

伝えたい層とかは違うんだけど
吉本隆明さんが言っていた
「中流の中以下の人が、どういうふうになってるかな、どう考えてるかな」
ってことを真に問いたださないと
私がリーチしたい人たちには届かないじゃないか……って。
今の所「そもそも考えることが好きでディスカッションも辞さない人」ばかり
引っかかってくれて仲良くしてくれるのですけれど
そこは違うんだよ、と。
 もちろん、引っかかってくれる愉快な人たちには圧倒的感謝があるし、
 遊んでくれてありがとうという気持ちしかないです。
 これからもよろしくお願いします!

私が声を届けたい人というのは、
それは今暗闇の中にいて、外に出たいけれど外は恐いし、
コミュニケーションを取る場は喋ったりしないと…という強迫観念で動けない人。
そんな人たち。

外はたしかに恐いし、
人々は勝手で残忍で絶望することは多い。
私も知らずに、また分かっていてても人を傷つけたりする。
だから傷つけられてばかりいる心の重傷者には
そう簡単に「大丈夫だよ」なんて言えないし、
うまく連れ出してみたものの
私自身が傷つけてしまうこともあるんだろうし、
なんてことを思うとウカウカしたことも言えない……なんて思ったり。

私は「人として善く生きるためにはどうしたら良いんだろう」って思っているのに
割と独善的でマイルールで動いてることが多いから
外側から見ている人からは「フリーダムでリビドーに素直に生きてる」と思われているそうだし
そういう風に見える人に弱ってる人が近寄ってこれるとも思えない。
(しかも本当に病んでいる人に対しては呪いが強すぎる場合
 「ごめんね」って言ってその人を自分から離したりもする)

私には私の人生があるけれど、
その人生を捧げる先はどこだった?と問わずにいられない。

今日読み終わってきた『代表的日本人』は
自分の信念に基づいて生きてきた日本人が5人ピックアップされている。
現代に蘇らせるには少々厄介な人たちではあるけれど
この人たちだったらどういう風に考え
どういう風に行動をするだろう?
そんなことを初めて考えてみました。

今まではマイルールや己の直感が導く先へと歩んできたけれど
少し先人の知恵を脳内シミュレートしてみて
そこから拝借してみても良いのかもしれない。
自分が思っているものと近接して
使えそうなプランがあるかどうかは分からないけれど
アレンジ次第だろうし、
頭の良い人たちはそうやってステップアップしていったのだから
自分が思う師匠を探してみようと思います。
(心の師匠はここ1年ちょっとカント様なんだけど、
 それとは別に戦略をトレースできそうな師匠を探してみようかと)
私は脳内がお花畑で間抜けなので今頃になってそんなことに気づいたけれど
こういうのもタイミングなのだろうし、
まぁこれも新月のお導きってことで。
これからも見守ってもらえますと幸いですよ!

さて、もう良い時間になってきたのでそろそろ寝ます。(AM2時)
そんじゃまたね!モイモイ
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明るい話というより宣伝じゃい!

2019-07-02 | from:sachiaki
SUZURIにね、自分の作品をアップしてみたの。
ここね
まぁぶっちゃけ取り分は少ないし、
売れたところでドッコイドッコイなんだけど
元手がかからないこととか、
とりあえず出してみることに価値があるだろうな
って思ったから出してみたって感じ。

自分のことを知ってもらわないことにはどうにもならないし、
っていうのは去年末あたりからずっと言い続けているけれど
やっと重たい腰を上げたって感じです。
明日は新月だしね。

他にもやっと重たい腰を上げたことがちょいちょい。
引っ越して半年も経つけれど
名刺を使う機会が激減していたので放置していた名刺を作成したり、
そのために記載する用のメアドを作り直したり
(古いメアドはどうも信用度の低いドメインだったみたいで
 迷惑メールとして引っかかる人がいたり、
 私がフォントを買うときなどに漏れてしまった情報なのか
 迷惑メールが大量に届いて大事なメールを見逃したりするので
 作り直さないと…と常に思っていた感じ)

まぁ面倒くさくてずっと放置していたものを
続々と進めているところです。

生き方が関わってくるところだもんね〜。

今日はなぜかラジオNIKKEIの『ザ・マネー』なんて番組を聞いてました。
今まで1mmも興味のない分野だったけれど
大人たちが興味持つことをちょっと聞きかじってみるか〜
ってくらいの遊びの気持ちです。
他にもFP技能鑑定とか、取るつもりはないけれど
勉強してみようかな?って気持ちになったり。

生きる指針としての哲学と
生活のためのお金のことと
少し現実に足を置いてみようと思いました。

あとあれなー、赤鬼ちゃんグッズも作ってかないとなー。
哲学イベントだけで終わってしまうと勿体無いからね。

そんな感じです。

全然関係ないけれど、うちで育てているミニトマトの苗が超元気で
窓際いっぱいに枝葉を伸ばしているので
ベランダに移そうかどうか悩んでますw
コーヒーの木の苗も気まぐれで買ってみたら
こちらも超元気にスクスクと育ってくれているので
キッチンの窓際がジャングルになりつつあります。
なんてこった。

観賞用として買ったモンステラは割とすぐにやられちゃったんだけどなぁ。
まぁ緑があるのは気持ちがシャンとするのでいいですね。
たぶんまた鉢を買いそうな予感なので
次はハーブを育てるか、シソとか実用的なのにするか悩んでいるとことです。
家庭菜園に興味はあまりなかったんだけどなー。
おばあちゃんが育てていたのを見ていた影響が今頃になって出てきているのか
人は育てるものに興味が出てくるかのどちらかなのでしょうね。

というわけで、この辺にて。
とりあえずSUZURIのページ、見てやってね〜。

sachiakiでした!
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深淵を覗くときとはいうけれど

2019-07-02 | from:sachiaki
自分の中の闇を見かけたとき、あなたはどうやって対処していますか?
私はただただバカな話を聞きながらヽ( ・∀・)ノ○ ウンコーとか言って
童心に戻ることでなんとか自分を保っているsachiakiです。

昨日は銀座にあるヴァニラ画廊にて「シリアルキラー展2019」なる展示がやっていたので
お友達と一緒におでかけしていたんですよ。
実は2017年にもあった展示を見ていてて、
なんていうかまぁ、殺人鬼たちが描いた絵って
別段すごくうまいとか、味があるとかそういうのではなくて
(人に個性があるように、バッカみたいにアーティストな殺人鬼もいる)
はっきり言って見る価値なんてほぼほぼないんだけど、
なんで彼らがこんな絵を描いているのか?
って思いながら見てみるとゾッとするようなものがあり、
まさに怖いもの見たさで見てみるって感じなのですよね。

昨今は通り魔だの暴走車だので多少不穏なことも増えた印象はありつつも
それでも基本的には生き死にがあまりリアルに感じられるものではないくらいに平和で
刺激といえば視覚的なものばかり。
それでもエロもグロもアクションにもそろそろ食傷気味になったのか
刺激への欲求は止まるところがなく
少しでも死に近いものを求めた結果なのかどうか……
ともかく平日の真昼間だというのに
ヴァニラ画廊の室内はギュウギュウになるくらい人でいっぱいになり、
なんなら見る人待ちという行列になるほど盛況でありました。

他の人がどう思ったか分かりませんが
私は絵を見ているうちに不安な気持ちになりました。

繰り返し使われるピエロのモチーフには
同じ角度で同じ顔、そしてまったく遠近感がなくて
ただベッタリと画面の中に収まっている。
ただ単に遠近感を出せない絵の下手さなのではなく
背景の森などはキチッとリアルに描きこまれていて
あきらかにそのピエロだけが異質。
だとか……
色使いに彩色の意思がなく黒と赤だけが使われていて、
やけに細く写実的であったり、
まったくなんの脈略もなく悪魔のようなツノが生えた絵が
普通の日常に紛れ込んでいたり、
切り取られた左手だけが空間に浮いていたり(しかもロケット噴射付き)、
なぜか手話で絵本的なことが描かれていたり……。

その他も病的、というにはまたちょっと違うんだけど、
なにかが大幅に欠けたままの絵たちを見ていると
こちらが間違っているのかなんなのか
だんだんと不安になってくるわけです。

まぁ現代アートなんて見てると、
とても理解できるものではないものが多いし、
それを理解してしまうと病んでしまう…的なものも多いわけで
本当にその辺は紙一重なのだなぁって感じることしきりでありました。

ただ人を殺すかどうか、
それだけが此岸と彼岸を分けている。

モンスターはモンスターなどではなく
ただの人間でした。

なんていうのも今では当たり前すぎる価値観か……。

強いて言うなら彼らは一様に幼少期の「人に愛されるべき」時代に
親から壮絶な(本当に言葉を失うような)虐待を受けていることが多く
そりゃ「人は人を殴ってはいけません」とかそういった言葉なんて虚しいものだなって思うし、
彼らは可哀相な人であることには違いなく、
様々な観点から見ても子供は大切に扱わなくてはならないなと思いました。
人として弱いものに暴力を振るうのは良くないという正論ではなく、
私たちの未来のためにも人を大切に扱わないと
人を大切にできない人が生まれてしまう、
それは社会にとって大きな損失であるように思います。

無論、壮絶な虐待を受けたからといって
誰もかれもが殺人鬼になるわけではないですけれど、
人を大切に扱えるかどうかは、
やはり愛されてこそだと思うので、
虐待されたりした人たちに光が当たることを願ってやみません。

また、それとは別に人間は状況によっては
呆れるほどあっさりと残忍にもなれることを忘れてはいけないとも思います。

先ほど目に通った記事は別の国の話だったけれど
ただ自分たちの信じているものと違うものを信じているというだけで
強制収容をし、女性は犯し男性には激しい暴行を加えることを
まるで「正義」のように扱うのだそうです。
高圧電流を人に流してどうなるかなんて想像に難くないのに
簡単にできてしまう神経。
拒絶したくても人間は権威には逆らい難くできているので
おそらく自分が同じ環境にいたら抵抗して
人に危害を加えずに済ますことができることができるかどうか
甚だ疑問であります。


だからこそチャールズマンソンが言ったように
「Anything you see in me is in you.」
という言葉を心に刻みつけ、
その残忍なモンスターも自分の中にいることを忘れずに
常に人として振る舞えるように努力しなくてはと思いました。

さて、話が暗すぎるのですぐに別日記を書き上げようと思います。
そんじゃーね。モイモイ
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