せっかく大阪まで来たので、昨晩は新大阪に一泊し、今日は休暇をとって京都を散策してみることにした。
思い返せばもう7年ぶりの京都。前回は金閣寺や嵐山と言った超有名どころ(京都はどこも有名な場所ですが)を中心に廻ったので、今回は好きな幕末の風景、そしてここを舞台に走り回った新撰組や、坂本龍馬のにおいが感じられる場所をまわってみた。
まず最初は京都駅で近鉄線に乗り換え、坂本龍馬ゆかりの宿である「寺田屋」まで。
現在も現役の旅館として営業中!。
ビートルズが日本にやってくる100年前の1866年1月、ここを隠れ蓑にしていた龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所の役人に襲撃されたまさに現場。
当時龍馬の彼女(!)であったお龍が、入浴中に襲撃を察知し、裸のまま2階に投宿中の龍馬へ危険を知らせに駆け上がったという有名なエピソードの残る宿。
右の入り口から入って、左の階段を上り龍馬のいた「梅の間」まで。
龍馬が泊まっていた「梅の間」。
床の間には龍馬の肖像画などが・・・。
部屋に残る弾痕。
「弾痕」と聞いて、鶴光のギャグが真っ先に浮かんだ自分がホントに嫌だった。
お龍が入っていたお風呂。
この階段を駆け上って・・・。
寺田屋は最近「再建説」がありますが(後に行った八木邸のガイドさんも「あれは99%、再建したものだと思いますよ・・・」なんて言ってたけど)、ここはやっぱり「龍馬がいたんだ・・・」と思ったほうが、気分ってもんですね。
なんとなく去りがたく、もう一度2階の部屋まで・・・。
龍馬も眺めた、部屋の窓からの景色。
次は一旦京都駅まで戻り七条通り、新撰組の屯所にもなった西本願寺へ。
かなり広い境内。
とはいえ、ここで砲術の訓練などされたら本願寺としては相当迷惑だったろうなあ。
隊士たちが生活していた太鼓楼。
長州よりだった本願寺だけあって、新撰組についての案内はとてもあっさりしたものだった。
隊士たちも見たであろうアングルから太鼓楼を。
続いては初期の新撰組の息吹が強く残る、壬生エリアへ・・・。
最初の屯所となった、旧前川邸。
現在は個人宅ということで中には入れなかったけれど、この長屋門は当時のまんまだそう。この門を近藤勇や土方蔵三をはじめとした隊士たちがくぐって生活してたんですね。
そして隊士が訓練に明け暮れた場所、壬生寺。
活躍が世に知れ渡るにつれ隊士も増加。ここでは手狭になり、西本願寺へ屯所を移っていくんですね。
そして上洛当初の宿舎とされた「八木邸」へ。
ここは芹沢鴨暗殺の舞台となったまさに現場で、当時そのままの姿を今に残しています。
玄関から奥の間をのぞむ。
奥で芹沢と同禽のお梅さんが、土方、沖田総司に一撃を受ける。そして反撃を試みながら芹沢は次の部屋へ・・・。
芹沢が絶命した部屋から、彼が最後に見たであろう中庭をのぞむ。
奥の文机につまづき倒れたところに、とどめを刺されました。
小説や本で読んだまんまの光景を自分の足で確かめる醍醐味というか・・・、なんともこの場所は重々しい空気の残っている場所でした。
でもこの場所、この事件から近藤新撰組はスタートしたんだよなあ・・・。
最後は二条城へ。
さすが国宝だけあって、月曜日だというのに観光客で賑わってました。
広大な広さの二の丸御殿を見学。
菊のご紋が往時を偲ばせます。
歴史の教科書でもお馴染みの「大政奉還」が発表された大広間。
天守閣跡から本丸をのぞむ。
「桜の園」を歩く。
だいぶ緑がまじってたけれど、桜、間に合ってよかった。
歩き疲れて休憩所でコーラを。ここだけなんだか70'sな光景だった・・・。
今回の京都散策はここまで。
寺田屋から京都駅まで戻ってからは、全て歩き通してみた。
かなり距離がある行程だったけれど、当時の新撰組や龍馬たちの足取りを追体験、距離間を実感できたし、道を尋ねた地元の人たちから聞く京都弁も、当時の人たちの息遣いを感じられてよかった。
まだ池田屋騒動跡地や、京都御所など行けてないエリアがあるけれど、それはまた今度、紅葉の季節にでも来てみよう。
思い返せばもう7年ぶりの京都。前回は金閣寺や嵐山と言った超有名どころ(京都はどこも有名な場所ですが)を中心に廻ったので、今回は好きな幕末の風景、そしてここを舞台に走り回った新撰組や、坂本龍馬のにおいが感じられる場所をまわってみた。
まず最初は京都駅で近鉄線に乗り換え、坂本龍馬ゆかりの宿である「寺田屋」まで。
現在も現役の旅館として営業中!。
ビートルズが日本にやってくる100年前の1866年1月、ここを隠れ蓑にしていた龍馬と三吉慎蔵が伏見奉行所の役人に襲撃されたまさに現場。
当時龍馬の彼女(!)であったお龍が、入浴中に襲撃を察知し、裸のまま2階に投宿中の龍馬へ危険を知らせに駆け上がったという有名なエピソードの残る宿。
右の入り口から入って、左の階段を上り龍馬のいた「梅の間」まで。
龍馬が泊まっていた「梅の間」。
床の間には龍馬の肖像画などが・・・。
部屋に残る弾痕。
「弾痕」と聞いて、鶴光のギャグが真っ先に浮かんだ自分がホントに嫌だった。
お龍が入っていたお風呂。
この階段を駆け上って・・・。
寺田屋は最近「再建説」がありますが(後に行った八木邸のガイドさんも「あれは99%、再建したものだと思いますよ・・・」なんて言ってたけど)、ここはやっぱり「龍馬がいたんだ・・・」と思ったほうが、気分ってもんですね。
なんとなく去りがたく、もう一度2階の部屋まで・・・。
龍馬も眺めた、部屋の窓からの景色。
次は一旦京都駅まで戻り七条通り、新撰組の屯所にもなった西本願寺へ。
かなり広い境内。
とはいえ、ここで砲術の訓練などされたら本願寺としては相当迷惑だったろうなあ。
隊士たちが生活していた太鼓楼。
長州よりだった本願寺だけあって、新撰組についての案内はとてもあっさりしたものだった。
隊士たちも見たであろうアングルから太鼓楼を。
続いては初期の新撰組の息吹が強く残る、壬生エリアへ・・・。
最初の屯所となった、旧前川邸。
現在は個人宅ということで中には入れなかったけれど、この長屋門は当時のまんまだそう。この門を近藤勇や土方蔵三をはじめとした隊士たちがくぐって生活してたんですね。
そして隊士が訓練に明け暮れた場所、壬生寺。
活躍が世に知れ渡るにつれ隊士も増加。ここでは手狭になり、西本願寺へ屯所を移っていくんですね。
そして上洛当初の宿舎とされた「八木邸」へ。
ここは芹沢鴨暗殺の舞台となったまさに現場で、当時そのままの姿を今に残しています。
玄関から奥の間をのぞむ。
奥で芹沢と同禽のお梅さんが、土方、沖田総司に一撃を受ける。そして反撃を試みながら芹沢は次の部屋へ・・・。
芹沢が絶命した部屋から、彼が最後に見たであろう中庭をのぞむ。
奥の文机につまづき倒れたところに、とどめを刺されました。
小説や本で読んだまんまの光景を自分の足で確かめる醍醐味というか・・・、なんともこの場所は重々しい空気の残っている場所でした。
でもこの場所、この事件から近藤新撰組はスタートしたんだよなあ・・・。
最後は二条城へ。
さすが国宝だけあって、月曜日だというのに観光客で賑わってました。
広大な広さの二の丸御殿を見学。
菊のご紋が往時を偲ばせます。
歴史の教科書でもお馴染みの「大政奉還」が発表された大広間。
天守閣跡から本丸をのぞむ。
「桜の園」を歩く。
だいぶ緑がまじってたけれど、桜、間に合ってよかった。
歩き疲れて休憩所でコーラを。ここだけなんだか70'sな光景だった・・・。
今回の京都散策はここまで。
寺田屋から京都駅まで戻ってからは、全て歩き通してみた。
かなり距離がある行程だったけれど、当時の新撰組や龍馬たちの足取りを追体験、距離間を実感できたし、道を尋ねた地元の人たちから聞く京都弁も、当時の人たちの息遣いを感じられてよかった。
まだ池田屋騒動跡地や、京都御所など行けてないエリアがあるけれど、それはまた今度、紅葉の季節にでも来てみよう。