元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「39/刑法第三十九条」

2006-03-15 06:52:44 | 映画の感想(英数)
 猟奇的な夫婦殺害事件の容疑者として逮捕されたのは若い舞台俳優(堤真一)であった。多重人格と見られる精神障害の発作を見せる彼は刑法39条により“心神喪失者”として無罪になる公算が強くなるが、その症状に疑問を持った精神カウンセラー(鈴木京香)は再鑑定を提案する。98年の森田芳光監督作。

 まず、「銀残し」と呼ばれるモノクロに近い色調とか極端に不安定な画面の構図などの映像ギミックに目を奪われる。そしてキャスト陣の過剰な頑張り。根暗を絵に描いたような鈴木の役作りや、鑑定官に扮する杉浦直樹の神経症的な演技、岸部一徳の変質的な刑事、樹木希林の食えない弁護人や過食症のヒロインの母を演じる吉田日出子など、まさに笑いさえ起こりそうな演技バトルロワイアルだ。そして何よりこのシビアな題材。その意味では観る価値はあろう。

 しかし、それだけ観客の側に真に迫ってくるかというと、必ずしもそうじゃないのだから映画作りは難しい。一番感心しないのが、これが“法廷ミステリー”でも“サイコ・サスペンス”でもなく、“プロパガンダ映画”だってことだ。作者は「刑法第39条なんて道理に合わない。いくらキ○ガイだろうと、重大な犯罪を犯した者は極刑に決まっている」と思っているらしい。実は私もそう思う。しかし、今回ひとつの法解釈に過ぎないこの主張だけをメインにして映画の娯楽性と両立し得たのか。残念ながら無理だったようだ。

 事件の真相は映画の中盤にして岸部刑事によって早々に明かされてしまうが、それはやっぱりヤバイ。ここは伏線を巧妙に張りまくって“実はこうなんだ!”とラストにぶちあげる方がインパクトが強いし、娯楽映画としての図式にのっとっていると思う。

 作者の見解ばかりが前面に出る終盤を見ると、ひょっとして一時よく作られた松本清張原作の社会派ミステリの復活を狙ったのかとも思われる。当然、あのスタンスが現在でそのまま通用するはずもなく、もっと練りに練った作劇が必要なのは言うまでもないが。ここは刑法よりも少年法をメインにした方がアピール度は高かったかもしれない。
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財政再建至上主義には愉快になれない

2006-03-15 06:46:43 | 時事ネタ
 “もういいよ!”と言われるかもしれないが(爆)、再び財政赤字について述べてみたい。去年の選挙の前にテレビのニュース番組でキャスターの古館某が“あふれる財政赤字! まさにニッポン崖っぷち!”と煽っていたが、そう言ってる本人はたぶん財政赤字と財政危機と財政破綻との違いも分かっていなかったんだろう。

 国家財政が赤字・・・・確かに褒められたことではない・・・・ように思える。だが“赤字が膨大だ。このままでは破綻だ。ああ大変だ大変だ”と嘆いている奴に対し、こう言ってみればどうだろう。

 “財政赤字が700兆だか800兆だか、財政赤字額の対GDP比はかなりのもので、この数字だけ見たら確かに大変だね。でも、今のところ国債のデフォルトも大恐慌も起こる気配はないんだよね。そもそもアナタは「このままじゃ破綻だ」と言うけど、いったい財政赤字がどのぐらいになれば、国家財政は「破綻」するのかな?”

 かなりの確率で、相手は黙ってしまうはずだ。ほとんどの一般ピープル及びマスコミの認識も、たぶん「その程度」である。つまりは莫大な財政赤字の額だけを提示されて、単純にビビって浮き足立ち右往左往してしまうのだ。少しでも冷静に“そんなに財政赤字額が大きいのに、現時点でどうして国家財政は破綻しないんだろうか・・・・”と考えればいいのだが、一般ピープルにとって、この“冷静な考察”ってやつが最も苦手らしい。

 財政赤字額に驚く前に、これだけの赤字がありながら今でも国債を出し続けていられる日本の“国力”ってものに少しは想いを馳せたらどうなのか。ハッキリ言って、財政赤字ばかり気にするのは“自国を貶めている”という意味で、所謂“自虐史観”と根が一緒である。山のような対外債権と政府所有資産があり、財政破綻とは縁のないはずの我が国の状況には目もくれず、ひたすら“赤字を出す日本の財政構造は問題だァ!”と勝手に自虐している連中が何と多いことか。そういう本人達に限ってロクな額の税金を払っていなかったりするのだから、お笑いぐさだ。

 どこぞの学者が“自虐史観というのは、正確には「自虐したふり史観」だ”と喝破したように、自虐史観論者は“日本はヒドい国でした”と嘆く一方で“日本の過去を断罪しているオレってエラい!”ってな感じで自己満足に浸るという歪な精神構造を持っている。それと同様、財政赤字を憂えている連中は“国家のことを考えている我々は素晴らしい!”とでも言いたいのだろう。だが“自虐したふり”だろうが“憂国したふり”だろうが、テメエらの精神世界で自己完結している点は同じだ。私はこの“実社会を無視した精神論”ってやつが大嫌いである。

 時事ネタに言及する上で“精神論”なんて百害あって一利無しだ。そんなことより大事なのは冷徹な“損得勘定”であり“現実論”である。財政赤字に関して国民サイドからの“損得勘定”で言わせてもらうと、我が国の財政が簡単に財政破綻するほどヤワな構造でない以上、一般ピープルが“国家の借金が増えているのは大変だ!”と狼狽えるのは禁物である。そういう“実社会を無視した精神論”に囚われると、小狡い官僚や政治家やマスコミにつけ込まれ、あとは増税か緊縮財政かの“憂鬱な二者択一”を押しつけられるだけ。国民にとっては“損”である。

 もっと国民は“損得勘定”について執心すべきではないのか。もっと我が侭になったっていいのではないか。単純に“給料上げろー、職よこせー、税金安くしろー、犯罪を減らせー、福祉も充実させろー”と、自分達にとって“得”になることばかり言っていればオッケーなのであり、また我が国にはそれを実現させる元手もスキルも存在するのである。我慢なんかする必要はない。そもそも国民が“現実無視の精神論”に囚われてピント外れの我慢をするとロクなことはない。先の戦争の「前夜」がそうだったじゃないか。

 今のところ、真に“損得勘定”に長けているのは一部の(輸出関連)大企業の幹部であり、官僚であり、政治家だ。もちろん、自分達の“得”のためには、一般ピープルにくだらない“精神論”を吹き込んでババを掴むように仕向けるなんてのは日常茶飯事。もちろん、そんな構図は以前からあったのだが、小泉政権時代になってから露骨になってきたように感じる今日この頃である(^^;)。
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