元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「フォレスト・ガンプ 一期一会」

2006-03-29 06:47:47 | 映画の感想(は行)
 今年のアカデミー賞は「クラッシュ」という、たぶん候補作の中で一番“生ぬるい”であろう作品が大賞を獲得し、何やら鼻白む思いだったが、釈然としないという意味では、この95年のオスカー受賞作もひけをとらない。

 知能指数は低いけど、飄々と生きる青年ガンプとしっかりした母親の人情ドラマとしてはまあ悪くない出来だ。ただそこに50年代から80年代にかけてのアメリカ現代史がクロスオーバーしてくると、素直に喜べない。ましてや本国では記録的大ヒットで“ガンピズム”なる言葉も生まれたにいたっては、単なる人情ドラマではなくプラスアルファの要素が大きなウェイトを占めているに違いないことがわかる。

 まず舞台が南部のアラバマ州だ。主人公がよく口にする“家に帰ろう”というセリフ。保守的な臭いがする。ガンプは文字どおり波乱万丈の人生を歩むわけだが、自分から何か事を起こすことはあまりない。周囲が勝手に彼を巻き込んでいくだけだ。持ち前のマイペースさで難関をものともせず、激動の時代を駆け抜けていく。でも、彼自身は変わらない。アメリカの多くの観客が主人公に自己を投影しているというなら、どんな時代にも不変の良識と頑固一徹さへのあこがれを体現化しているのだと思う。

 “戦うヒーローではなく逃げるヒーロー”とある評論家が言っていたが、全篇主人公は速い足で逃げてばかりいる(笑)。逃げることで戦友を救い、多くの賛同者を得る。でもそれは現実逃避だとも言える。物事から一歩引いた視点で逃げ腰で見ていれば、自分は関係ない。当事者よりも傍観者が好き。そういう見方もできるのだ。

 気になるのはヒッピーおよびフラワー・ムーヴメントに対する徹底的な嫌悪感である。南部の田舎町で育った娘は、都会に出た途端ロックンロールとドラッグに毒され、自殺未遂まで引き起こすが、無垢な変わらない心を持つガンプの優しさに触れて改心しました・・・・。要するにそういうことだ。“バカというのはバカをやる奴のことさ”。ガンプ得意のセリフだが、この言葉通りだと、一番バカなのは恋人のジェニーのことではないか。なぜヒッピーか、なぜドラッグかという考察は微塵もない。たぶんヒッピーの側から描いたアメリカン・ニュー・シネマなど知ったことではないだろう。

 かなりの迫力で見せるベトナム戦争の場面。でも、敵であるはずのベトコンは姿を見せない。アジア人観客に遠慮したから? いえいえ、作者にとってベトナム戦など思い出したくもない悪夢。敵対するアジア人など顔さえ見たくないのかも。

 JFK暗殺、ウッドストック、ビートルズ・ブーム、反戦運動、ウォーターゲート事件etc.その当時騒いでいた連中はごく一部で、大部分の“良識的アメリカ人”は確固とした自分の生活を守っていたのだ、とでも言いたいのだろうか。外の世界ではいろいろと面倒なことばかりだが、南部のスイートホームに帰ればひと安心なのだろうか。数々のスキャンダルにまみれたアメリカ現代史の、自分たちもその一部であることをあえて無視したいのだろうか。ベトナム戦争も人種問題に対しても“自分たちは無罪だ!”と宣言したいのだろうか。無垢で純真なガンプが自分たちの分身? そんなことを考えるのは自由だが、このようにあけすけに言ってほしくない。

 ・・・・まあ、観たときはこういう結論(?)に達してしまったが、本当のところアメリカ人じゃないと真の面白さはわからないだろうし、逆に言えばアメリカ以外じゃ高く評価されない映画だろう。

 ロバート・ゼメキスの演出はさすがに退屈させないし、冒頭とラストに舞い上がる羽毛のCGや、ニュース・フィルムとの合成は見事。足を切断したゲイリー・シニースの患部もCG合成だと知ってびっくりした。でも、トム・ハンクスの演技は予想通りだし、満載の当時のヒット曲も見ようによっちゃ図式的だし、何より主人公がすべての大事件にかかわっていく展開はワザとらしい(いくらフィクションとはいえ)。まあ、それが“安心して観られる”という評判につながったのかもしれないが。
コメント
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