元気のたね

ヘルスフィットネススペシャリストの浅田千鶴です  

文楽

2012-08-07 00:04:12 | おたのしみ
本日は 何かと話題の文楽を鑑賞しました。

以前、人形浄瑠璃の吉田簑助さんのリハビリトレーニングを担当させていただき、お元気に復帰されて、いつか見に行かなければ・・・と思っていたところ、
現在、トレーニングを担当させていただいているTさんが古典芸能の学芸員をなさっていて、
「文楽ツアーという企画があるので・・・・」
と誘っていただき、御縁に御縁が重なって、本日は 初の文楽鑑賞となりました。
文楽劇場は 私が自転車の練習をし、初乗りした記念すべき空き地跡(高津小学校跡)です。

御縁に御縁が重なる・・・・
ほどほどに生きれば、こんな事もあるんだな~と、つくづく感じる今日この頃です。

大阪ミナミに育ち、ちょいと離れて神戸に移り住んだものの、幼少期にあの町で育った事は 今となっては、なにやら私の中に大きく影響しているように感じます。
「故郷は?」と聞かれると、「千日前」と答えます。


落語を聞いた事がないのに、なんとな~しに落語をはじめ、偶然、一番近い場所でやっていた九雀さんの落語塾に入り、枝雀さんのお弟子さんと聞き、
枝雀さん・・・「そんな人、いたな~」から、「すごい人なんや!?」とわかり、「すごい事になってきたぞ~」・・・
そんな御縁で枝雀さんの奥様に出会い、なんと、うちの父が営んでいた店の事、
「あの芸人さんは 焼きそばをいつも頼んでた。店の間取りはL型のカウンターやったね~・・・」
って、そんなお話しが出来るとは夢のようでした。 

懐かしく愛おしいミナミの町が変わってしまったものの、昔と変わらぬ匂いがしたのは、今思えば「落語」だったのかもしれません。ほんで、はまってしまったのかも。
匂い・・・と表現するのは、おかしいかもしれませんが、五感の中で、嗅覚が一番脳に直結し、記憶に関係していると聞きます。
小さい頃、毎日聞いて好きだった言葉「おーきに!」。店で父や母が毎日、言っていました。
私が「おーきに!」と口に出したのは 落語教室に入って初めて習った「ひらばやし」にて。
ちょっと嬉しかったです。


平均年齢からすると、人生の半分でグルッと回って、基に戻ってきたのでしょうか?!不思議です。
それと、ええ歳になったんでしょうかね・・・
昔を懐かしんだり、変わり果てた街を見て、情けない!悲しい!!と思うのは それなりの年になったのでしょうか?
それでも、ええ時代の大阪の後半を見れたのは幸せだったな~。
先週土曜日、米朝一門会で米朝さんを拝見することができ、感激して買った桂米朝さんの著書「歳々年々、藝おなじからず」読んで、出てくる出てくるミナミのところ、風景、人・・・分かるところ多いですもん!
角座は うちの前、芸人さんが行き交い、道頓堀のその先の中座では
藤山寛美さんが行事ごとに紋つき袴で「腰を低くして、集まったファンにあいさつを・・・」
71ページの写真・・・私も見てた!私もいた!!
料亭 南地大和屋さんは 夜、お風呂屋さんへ行く時に通り、子供心に「ちょっと、特別そうなところやな~」と高貴な感じに思っていた宗右衛門町も、東京で言えば銀座みたいだった老舗が並ぶ心斎橋も、戎橋商店街にある母校精華小学校も自慢のスゴイ建物です。


長々と思い出にふけってしまいましたが、
今、なにかと話題の文楽を見て、あらためて、ちゃんと残さなあかん!と思いました。
プールにするという道頓堀も、心配。
先日の道頓堀寄席、道頓堀を後ろに眺め、九雀師匠の船弁慶は情緒豊かだったのに、プールにしてしもたら、どないなるやら?!?!




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