で、どこから渡りましょうか。
まあこのへんでしょうね。
(いちおう長靴はいてきた人)
祠の裏側から、そーっと接近してみます。
石の小山の上にのっかっているらしい。
あのー、ごめんくださーい。
あら、お留守だ。空き家か。
文字も印も一切刻まれていないので、よくわかりませんが、
(風化して読めなくなった、というほど古くはない気がする。
石の角が丸くなっていないので)
たぶん、誰かのお墓とかではなく、 このくぼみの中に
神仏をまつっていたのではないでしょうか。
ということは、かつてはここも集落の一部だったのかな。
しっかりした長い石垣。
このあたり、他の場所には炭焼き窯の跡もあるけれど、
これは、あきらかに石垣として作られたもの。
川の流れと垂直に(=東西方向に)こういうのが何段もある。
中には両手で持てそうな石もあるけれど、相当大きな石もある。
ひとりの人間がコツコツやってもできることではないと思う。
複数の、あるいは数世代にわたる作業。
しかし、なんでこんな薄暗い杉林の中に、わざわざ石垣を…?
いやいや、杉が植えられたのはせいぜい昭和、それも戦後のこと。
その前は、 明るい川沿いの棚田、あるいは段々畑だったのでしょう。
おやあ、むこうに、何やら大きなものが。
おとなの背丈より高い、苔むした大岩。
4つに割れております。
裏側から見たところ。
このへんの山には、大昔の火山活動で飛んできたと言われる岩が
あちこちにごろごろしており、これもそのひとつなのでしょう。
木を伐り、草を刈り、耕して田畑を作る。
伐った木は建材や燃料に。
刈った草は家畜の飼料や肥料に。
掘り起こした石はひとつひとつ積んで石垣に。
ここが畑だったとしたら、この岩はすごく邪魔だけど、
残っているのは、大きすぎて動かせなかったからか、
(当時はまだ割れていなかったかもしれない)
あるいは、何かの信仰の対象だった、とか?
しめ縄でも巻いてあったら似合いそうですが。
地元のお年寄りにでも聞けば、もっと詳しいことがわかるはずですが、
まずはいろいろ想像してみるのも楽しい。
川をさかのぼっていくと、どのあたりまで石垣が続いているのか、
気になるけれど、今回はエプロンに長靴で来ているので(笑)
探検隊はこのあたりで引き返すことに。
いかにも何か棲んでいたような、小ぎれいな穴。
わたしの背丈が十分の一だったら、ここは良いおうちになりそう。
人工林というのは、そもそも植生のバリエーションに乏しい場所だ。
その上、鹿が増えたので、ちょっと何か生えても、ただちに食われてしまう。
かつては川沿いでフキが採れたので、どうかなと思って来てみたのだけれど、
そっちは完全に空振りでありました。
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マクベス
マイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤール!
これは見たい。