このあいだ見たTVの刑事ドラマ。
中心人物は女流ミステリ作家。
ここ数年は新刊が出ずスランプという噂。
マネージャー役をつとめていた夫が死体で見つかる。
彼女は夫を殺した(のか?)。
回想シーン。
ミステリ作家が机で執筆中。
はかどらなくて苦しんでいる様子。
優しい夫がそっと食事を運んでくる。
「少しは食べなきゃ身体に毒だよ」と気遣う夫。
「食べると眠くなるのッ! 邪魔しないでッ!」
ヒステリックに払いのける妻。
ばあん、とお盆がすっ飛ぶ。
うわ…。
女流作家のイメージってこうですよね。
うん、やっぱりこうでなくちゃ。
いいなあ。
(いったい何をうらやましがっているんだ?)
学生のころ、すごく人気のあったフォーク歌手が、
「失恋した女の子が童話作家になろうと思った」
みたいな内容の歌をうたっていて、
(ニュアンスが違うかな。違ってたらすみません)
当時まだ作家でもなく失恋もしてなかったわたしは、
へええ、と感心して聴いていました。
つまりイメージってそういうものなんだな、と。
少し前に、やはりTVで、
作家の塩野七生さんが紹介されていました。
イタリアのお宅で、お仕事中の短い映像。
机の上に資料をひろげて、
背後の壁にはメモや写真が貼ってあって。
カメラはそれを机の前の離れた位置から撮っていた。
え?
そうか。机の前があいているんだ。
映画やドラマでは必ずそうですよね。
背後は革装の全集本の並んだ書棚だったり、
天井までガラス張りの窓だったりして、
デスクの前は広々とあいている。
そこにどーんと応接セットがあったりする。
映画ならそうしないと「絵」にならないでしょうけど…。
机は「壁に向かって置く」ものだと
小さい頃から信じて疑わなかったわたしは、
前があいてると落ちつかないんじゃないかと思います。
現状は、背後だって1メートル半しかあいていません。
マホガニーの本棚はいっこもない。
応接セットもフロアスタンドもない。
たとえスランプでも、ごはんはきっちり食べます。
お盆を「ばあん」なんて、やりませんよ。
ちょっと右を向くと、窓の外に木が見えて、
そのむこうに空が見える。
応接セットはいらないけど空は必要だと思う。
太陽光発電で動いているのかもしれない、わたし。