水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

二〇〇一年二月二一日 羽田神社付近の道を登り(解説)

2010年05月24日 12時36分40秒 | 詩編
 これは、私の、記念すべき第一号の詩です。
中学に入ってから、第一号ということです。それまでも、少し詩を書いたことはあるのですが…。その頃は(小学生のとき)、あまり詩を書いているつもりはございませんでした。一段一段を登る音に共鳴するかのようなもののけ、とありますが、これは何者かの気配が私を付いてきていると感じたような心です。まあ、書いたままのことでしょうか。
 
 その前に、題名について説明しましょう。羽田神社付近の道を登り、とありますが、これは、私の地元の山側にある神社のことを言います。気仙沼市、西側のもっとも奥にあるのです。ここに、初めて行った時の記憶をここに書いています。

 この詩の、ひとつ気になるところは、第一連では、曲がりくねった木の幹と、書いてありますが、次の第二連では、最後の締めで、真っ直ぐにと、書いてあることです。曲がりくねったとしたのは、もののけが隠れやすいようにしたからで。もののけが隠れていると、なんとなく曲がるという意識を書きうつしたものです。ということで、実際は真っ直ぐに伸びているということです。これは、もののけの力が、その隠れたあたりだけ、曲がらせるということです。伝わりにくいかな~。もののけ、の気配があるようなところは、空間が歪むということです。神社の傍ですから、杉が大抵生えているので、事実は、真っ直ぐなんです。これは針葉樹なので、だいたいスラーと伸びていますよね。

 じゃあ、第二連の真っ直ぐというのは、これは、事実を書いたかというとそれは、違うんです。見た目の真っ直ぐさ、を言っているのではなくて、感情の真っ直ぐさを書いたと言えます。
 
海から、じっくりと聞こえてくる波の音、私の聴覚では、ほぼその音は聞こえませんが、多分、その木々、というかその場所は、きちんと、遠くの波の気配も、ちゃんと、聴いてくれているでしょう。
ですから、比喩で、木々が曲がっている、だとか、真っ直ぐだとか、都合よく書いたと言えます。
曲がりくねった、というのは、やはり、そのもののけたちが、木々を曲がりくねらせている、ということです。繰り返しになりましたね。


 また、台詞についてかけば、「おまえを食べてやろうか」が、もののけ。
 
 「おまえの生命をすいとってやろうか おれの
  緑に染め上げて。」と、言っているのももののけ
 
 「おまえはもう私をのみこんでいるよ私も君を。」は、私です。

  緑にそめあげると言っています。私は、すでにここで林との(ここは、杜と言ったほうが好いか)一体感を得ている、ということです。

  光、そらからくるもの、街から聞こえる声、これは、遠く離れていますから、それでも、神社付近の場所は、きちんと、そういう声も聞いているなんて趣旨のことです。真っ直ぐに、伸びている。そんなイメージを受けます。
 木々達の姿。
それでは、解説はここらにしましょう。 
 
 
 

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