僕が僕を生きたことを
確かに遺せる未来にしよう
この世に生きる誰もがきっと人類史に貢献している
僕が僕をあがいたことを
覚えているか
あのときは力の入れ方が分からなかった
分からなかったから何も成せなかった
いや 分からないだけではない 何もしなかった
嫌なことから逃げていた
もし今後僕がたとえ何にも選ばれなかったとしても
僕が僕を生きた痕跡だけは残そう そうしよ . . . 本文を読む
ある時
素直な言葉を否定された
物事を素直に表現することは
そんなに難しいことなの?
お母さん
ひとりの思い込み
社会の中で歪んだ感情
それを僕に押し付けて
それで楽しいの?
僕は人間に愛されている
愛されてきていまここにいる
誰かが僕の味方でいてくれるために
僕が自分の感情を押し殺すようなら
生きていないほうがマシだ
もし一個人が己が醜い欲望を遂行するだけの機関ならば
. . . 本文を読む
腕を切り落とさば
難事もことごとく
大成さるという
「アホか?」
天蓋の神様アングリ
口を開けて微笑んで
ところ狭しと並んだ人肉
頬張りて 汝自信家と見做す
そんな自分を
儚んで
三晩三晩(みばんさんばん)
自らを慰めて
それでは詰まらぬと
思い定めて
重い腰をば
ズイッと上げる
世を果敢なんだ凡才の成れの果ては…
ただ腐れ屍と相まみえたり
理解及ばぬ . . . 本文を読む
汚い欲望
きれいな愛
「きたないはきれい。きれいはきたない」と言った
シェークスピア演劇の登場人物も
きっともっと本質を見つめるようにという意味を込めて
言ったのだろう
外面だけの美しさなのか
内面から溢れ出る美しさなのか
しかして
きれいな欲望
汚い愛だなんて言い方は通用しない
もっとも欲望にきれいも汚いもない
愛もきれいな愛などと二重に形容する必要もない
もしきれいな欲望
汚い愛 . . . 本文を読む
愛ある身を浮かべて
あなたとふたり午後にたゆたう
浮見堂
海上を渡る曲線上のロマンス
ここはまるで愛い秘境
揺れる平面上にやっと開いた、今年の華
あなたと漏らす吐息
あなたと歩く朱い道
まるで海に浮かべた一枚の絵画のような
あなたの瞳に映る朱い四阿
この海の上を渡る橋のように
僕とあなたの心を繋いでくれ
海を漂う憂き身のように
寄る辺なく生きてきたこれまで . . . 本文を読む
とにかく議論をすることを恐れないでいきたい。コミュニケーションが、人と人のつながりを強化していくように、いろんな人と、どれだけ広く深くつながれるか? それは、何度も繰り返す話し合いにかかっている。互いのなかにある秘密、そして価値の探し合いが社会をより良い方向に持っていく可能性を多分に秘めている。そのためには、自分の感情をほぐしていくことが何においても肝要である。今の自分にとっては。
「健全な身 . . . 本文を読む
ここにアーティストYunomiの魅力を語る。
彼の紡ぎ出す音楽は、電子音によってのみ構成され、緻密であるにもかかわらず、人情の機微を思い起こさせかつロマンティックな心の揺らぎを表現することに成功している。それを実現させるのに一役買っているのが、特徴的な音によって紡ぎ出されるリフである。その音は、楽曲によって異なっているため、どのような音と一概には説明できないが、いずれも心の琴線に触れる繊細な感 . . . 本文を読む
たぶんね。
哲学の言葉が、難解なだけじゃなくて、カッコ良いってのにはそれ相応の意味がある。
言い切っちゃえば、哲学用語は難解にしてカッコ良くあらなければならない、よんどころない事情があるのだ。
おそらくそれは、一定程度のカッコ良さを備えていなければ、価値がある言葉かどうか以前に、誰も目を向けてはくれないからだ。哲学が、生き延びてきた背景には、スッゴい当たり前のことなんだけど、なんかカッコ良い、わぁ . . . 本文を読む
脱=人間を目指して、ここから出発したい。なぜなら、これならの未来は脱=人間の時代だからだ。深呼吸を一度すれば、僕らは「脱=人間」を体験することができるはずだ。それは、今までの自分を超えていく試みだ。その過程で、垢のように轍に落ちて朽ちゆく可能性もたくさんあるだろう! しかし、そのような喪失は日常茶飯事だ。
僕は、これから脱=人間を語るのに専心していくつもりだ。と同時に、脱=人間の体現たることを . . . 本文を読む
カオスはカオスのためにある、とか言ってみたら、何か面白い神の啓示でも与えられるだろうか?長い間、自分という無意識の大海に潜り続けていたらその底無しに恐ろしくなった。だって、そうだろ。自分という存在には、認識できる限りがない。有限の生命でありながら…。人生という旅を重ねて、罪をも重ねたぼくらに、夢を語る資格はあるのか、甚だ疑問だ!要は、われわれに残された時間ってのは、罪滅ぼしのための時間ではないだろ . . . 本文を読む
欲望を亡きものにしようとする計画は、常に失敗に終わる。
第一に欲望とはわれわれの行動の原因であり、よき指針を示しうるものであるからだ。
そういう意味で欲望を是認したとき自由でありうるのだし、それを否定したのではすべてが行き詰まってしまう。 では、なぜ欲望のまま生きてはいけなく、その時理性が必要とされるのだろうか?
理性は欲望を消すのではなく、檻にそれを一旦閉じ込めるだけのものと見てよい。熊 . . . 本文を読む
僕は、正しいことから逃れるために、熱砂の上を、湿地の泥濘を、荒れ地のただ中を、この地球の半周分を、歩き続けてきたっていうのに!
その期待とは裏腹に、僕は何ものかになりつつあるんだ。
その硬直を拒否するために、僕は永遠と約束を交わして、年齢に対抗し、衰えに抵抗しながら、青さを胸に歩きつづけていく所存さ… . . . 本文を読む
僕が、こういうことを語るのは、一歩早いというか理論的にどうこういうことと、肉体的にどうこう動くということに乖離がある以上好ましくないことなのかもしれない。うん、じゃ書くのやめたらということかもしれない。それは、書くという行為を自己満足へと帰着させようとする人間的にひどくくだらない行為かもしれないしね。まあ、それでも書くというんだから仕方がない。
風が、心地よい。歩いていると川沿いで、珈琲の . . . 本文を読む
詩とは、繊細で優美なる愛の囁きである。
そして、素直にして誠実なる真心の言葉である。
と言いたくなる詩である。
「明滅」する、とは
現れては消え、消えては現れ、と近く
うたかたの無常と相通ずる
古くから伝わり、また今でも通用する概念である。
「概念の明滅」 私が思うに、また概念も明滅するのである。
黒子の位置を、「意味深く」覚えているというのはエロティックであ . . . 本文を読む
まあ、僕らが生きていく限りにおいては「哲学」なんて、遊びの一つでしかない。世界をこれこれ、こういう風に解釈するのが好きだと表明しているだけで、別にほんとうに正しいことを言っているわけではない、と断言してもいい。哲学など、どんな形で語られようと、どんな形で存在していようと何の問題もない。ただ、われわれ人間たちが、それぞれ抱えている問題を、どう解決するのかということに関して、何らかの役割は担っている . . . 本文を読む