水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

「べてるの家」から吹く風を読んで

2020年04月18日 18時55分02秒 | 読書録
 夜に差し掛かった時間、ごうごうと風が吹いている。つい、今しがた、タイトルにある本を読み終えた。
私も、当事者だ。当事者が当事者の話を聞くとウンウン、なるほどと頷くことになるのもうなずける。
遠く、暮らすべてるの家の家の人は、クラス(=階層)の別を感じさせないほどに、近く、だが遠く、しかしながら生々しい。
 私もまた、さまよいつつ生きてきた人生だった。人よりがんばり、人以上に認められ、という難題を自分自身に課していた。そんなことはどうでもいい。自分は自分以上にはなれない。自分は自分という人生を生きる。ただ、その全うしているという感覚を、マットの上で十分にストレッチしてうーん気持ちいいというような感覚を、持てれば人生それで御の字なのである。
 必要以上のことをせず、必要とされていることのみに専心し、至っていないところは至っていないなりに受け止め、考え克服しようと努力する、それが人生ではないか。
いい苦労をしている、これは本書のなかで繰り返し出てくる言葉である、その通り、いい苦労は人を裏切らない。ただ、してはいけない苦労があるというのを見過ごしてはいけない。それが、世の中にある「がんばる病」を助長しかねないからだ。幼いころにした気苦労を、今解消させる方向に向かっている。

 僕にとっては、一番敵だと思い続けてきた、父方の叔父が僕にとっての救世主だったこと。これは、明らかに言える。自分の病を克服することが、万人の病の克服にもつながる、とこれまた本書に書いてあるが、これはまた信じてもいいことである。

 人生は、バランスを取ったもん勝ちである。甘い蜜を吸いすぎるのもいけない。苦汁を飲み過ぎてもいけない。その中間に、人生の本懐はある。「あいだ」というのも、取り上げられた概念だが、人間とは書いて字のごとく「人の間」に生きる者だ。それを明らかにしたに過ぎない。だが、明らかにすること、これはまた求められていることだ。暗闇、暗黒を光のただ中へ連れていくこと、それが人類の仕事ではないか。心の奥底に仕舞いこんでしまった、暗黒を、外界、人の間という光のもとへ晒すこと、それこそが人々を救う唯一の手段たりうるのではないかということだ。

その道を、今は歩き始めたところだ。その力を「べてる」は先んじて示してくれた。今、気仙沼という地で生きる僕は、回復へ向けて一歩を歩み始めている。これは、奇跡だ。これはドラマだ。これは、人生そのものだ。人が生きるというのは、これだ、と言える人生にしたい。まだ、旅は始まったばかりだ。

これを紹介してくれた、塾の先生にも感謝。どうもです。自分の今、置かれている環境がベストであることを再認識させてくれる本でした。自分の心を整理する、また自分の心の波間をセイリングするいいきっかけとなりました。コロナで、塞ぎがちな現状のなか読んだ本でした。


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