水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

人として生きること

2014年12月13日 01時17分50秒 | 詩編
 僕らは、くだらないモノの集合の中に眠るフェイクから、ときにキラめく珠の様な宝物を見つけることを日課としている。
 仮に、この世の中の全てがくだらぬモノで、自分の目を騙すフェイクで、いずれ暗闇へ葬り去られるくだらないモノたちだけだとしても、愛おしい何かが、そのモノたちの内には組み込まれている。
 また、僕らは、他者を簡単には馬鹿には出来ない。なぜなら、どんな人でも、一人ひとりかけがえのない時間を掛けて、それぞれの日々を生き抜いているからである。
 それぞれの人が、それぞれの時間のなかで考え抜くこと。それは、決して真に「孤独」な行為ではない。それぞれの人間が、それぞれのタイミングで大抵は為していることだからである。まるで、ある一つの目的を果たさんが為に、それぞれが役割分担している様に……。
 その様な行為を通して、巧く豊かな思考を巡らすことが出来れば、その果てに手に入れた思想はどんな文明の利器よりも、遥かに強靭なモノに成り得る。
 とある人の瞳の奥で眠る原子爆弾の様なモノ。それが、いつか破裂するときに、世界は恐ろしくも一体となるのだろう。まあ、それは何時だっていいし、何時起きるかであるとか、そもそもそんなことが起きること自体も誰にも予想の付かないことだ。それは、まさしく神のみぞ知る結末だと云って可いだろう。(世界に結末があったらの話だが……。)
 
    *

 くだらぬ愛に、ご褒美を。
 神様、甘い甘い蜜を、我らが浮き世に垂らしておくんなまし。
 どうやら、われわれの世界はいつも然様なモノを求めて悶えるような輩ばかりらしいので……。

    *

 それとも、世界の中でただそう願っているのは僕だけなのだろうか?
 この世界で、生きているのは僕個人だけなのか?
 僕以外は、すべて僕の鏡であり、死人なのだろうか?
 世界は、僕の為に作られた舞台とでも言えるのだろうか?
 例えば詩を通して世界を変革したい、と息巻いて奮闘しているしがない個人に、価値は付与されるものなのだろうか?
 これらの様なすべての問いに答えることは、未だ不可能であるということだけは、分かっているのだが!

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