人間が、確実性を追い求める動物だと言うのは、昔から知っている。だが、どこもかしこも世の中は不確実性だらけだ。もしかすると、数学なんかはそんな中で、「確実性」を保証してくれる学問であったのかもしれないが、その学問のなかでだって、「不完全性」が存在しているのはもう周知の事実である。
さて、では疑い得ぬものとはなんなのか? デカルトは、その昔「我思う、故に我在り」と曰ったが、
正直なところ、人間は、何処から何処までが「自己」なのかというのは、不明であるという方が正しいのではないだろうか? 例えば、今目の前で動かしている「手」や「足」は、確かに「自分の意思」で動かしているのかもしれない。だが、われわれの側に落ちている石を蹴って数メートル先に転がすことも、ある意味自分の意思で動かせたと言えるのかもしれず。
さて、では疑い得ぬものとはなんなのか? デカルトは、その昔「我思う、故に我在り」と曰ったが、
正直なところ、人間は、何処から何処までが「自己」なのかというのは、不明であるという方が正しいのではないだろうか? 例えば、今目の前で動かしている「手」や「足」は、確かに「自分の意思」で動かしているのかもしれない。だが、われわれの側に落ちている石を蹴って数メートル先に転がすことも、ある意味自分の意思で動かせたと言えるのかもしれず。
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