水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

天才論Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ

2015年02月26日 01時33分01秒 | 詩編
         Ⅰ

 天才になることは、「目的」ではない。
 それは、「何気ない日常を継続させるがため」の「手段」である。
 それゆえ、ある個人が「天才」であることが、周囲の人々たちによって求められるのである。

         Ⅱ

 たとえば、「天才」が、「この世界の枠組みの外に、一人で勝手に出て行ってしまった場合」、悲しい哉、誰も彼を「認識し」ないだろう。「理解の世界の外側」へ飛び出すためには、「色んな人からの承認」を得なければ意味もない。ただ独り、悲しく「無のエリア」へと「消え去ってい」くだけだ。もし、生きているこの現世で成功したいなら、何をおいても「仲間」を持つことだ。あなたが、死ぬほどの努力でもって手に入れた「真理」を「共有」できる「大切な友人」を持つことだ。

         Ⅲ

 僕らが、悲しい最期を受け容れるための覚悟を持つことができるかどうかは、「天才」が如何に人々を「安寧」へと導く技術を持っているかにかかっていると云えよう。

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