チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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第16話 たきぎ当番

2006年12月03日 | チエちゃん
 その日、チエちゃんは薪当番でした。
昨日、おじいちゃんが燃え易そうな小枝をまとめて、縄でくくってくれました。縄を輪にして、持ち手も付けてくれました。ちゃんと玄関の土間に置いてあります。

 元気よく、行ってきま~すと飛び出したチエちゃんですが、その薪を持っていません。集団登校の集合場所、公民館に着いてもその事に気がつきません。
チエちゃん家から小学校までは1.5km。
ちょうど、その真中あたりで、チエちゃんは突然思い出しました。

アッ、しまった! たきぎを忘れた!

チエちゃんはあわてて家に戻りました。

 チエちゃんの小学校では、11月下旬になると石炭ストーブで暖房をしていました。その石炭に着火するために薪が必要だったのです。当番で子どもたちが各家庭から持ってくることになっていました。

 家に戻り、薪を持ったチエちゃんは、誰もいなくなった道を学校へ急ぎました。
息を切らして教室にたどり着いたとき、何とか朝の会(ショート・ホームルーム)に間に合いました。そして、ストーブはもう赤々と燃えていたのです。
こんな時に備えて、当番は2人いたのでした。
なあんだ、家に戻らなくてもよかったんだ。

 この薪当番は3年生まで続きました。4年生になると、新兵器が現れました。
太い針金の先に石綿を付け、その石綿に灯油を染み込ませておくのです。これに火を点けて薪の代わりにしました。当番は、用務員のおじさんの所にこれを取りに行くことになりました。

 チエちゃんが小学生の間はずっと、この石炭ストーブでした。中学校では石油ストーブを使っていたので、やっぱり中学校は進んでいるなと思いました。
ちょうどこの頃、石炭から石油に変わる時代だったのでしょうね。

石炭ストーブは、時々石炭をくべたり、燃えた後の灰を片付けたりする手間がかかりましたが、覗き穴から見えるチロチロとした炎やじんわりとした暖かさが心地よかった気がしています。
4時間目になって、みんなのお弁当をストーブのまわりに置いて温めると、ぷ~んといい匂いがしてきたことも思い出となっています。