プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★「第1回東京マラソン」無念のリタイア!

2007-02-20 11:03:17 | スポーツ

 2Epsn0006_4 007年2月18日午前9時10分、記念すべき第1回東京マラソンの号砲が鳴り響いた。世界陸上大阪大会の選考会を兼ねる大会とあって、国内外のトップアスリートと市民ランナーが一緒に首都を駆け抜ける。市民ランナーにとっては、夢のような大会だけにいつも以上に気合が入ろうというものだ。

 スタート時点の気温は5度、冷たい雨風が容赦なく体に襲いかかる悪条件のなか、総勢30,872人のランナーが都庁前を走り出した。大群衆が歓声をあげて動き出した感じで、沿道に詰め掛けた人たちや、ホテルやビルの窓やベランダからの応援に応えるランナーの声がウエーブとなり高層ビル群の谷間にこだました。

 私には、スタート前から嫌な予感があったが、制限時間が7時間だけに現実になろうとは思わなかった。25キロ地点で、突然、左腰から力が抜けて立ち止まった。痙攣とか筋肉痛ではなく、力がすーっと抜けて体が動かなくなったのだ。今まで経験したことがない不気味な感触だった。まだまだ走りたい気持ちなのに、体が言うことをきかなかった。Epsn0002_4 無念の涙が雨に消えた。

Epsn0005_2  翌日、雷門(27キロ地点)から吾妻橋までコース沿いに歩き、日の出桟橋まで遊覧船でマラソンコースを水上から辿ってみた。どうしても、完走したかった首都大会。半分だけしか走れなかったが、雑踏と車列だけの銀座通りが、お祭り一色の街に変貌していた。無機質なマンモス都市が、人間臭さを取り戻した瞬間を見たようで新鮮な感動を覚えた。こうして私の東京マラソンは終わりを告げた。1万人を超すボランティアに感謝!!