鹿児島地裁が下した「被告12名全員無罪」判決。4年前の鹿児島県議選での買収疑惑で警察権力が行った「自白強要」の信憑性が争点だったが、信じられない取調べの実態が明らかになった。戦後の混乱期なら理解できなくも無いが、現在もなお残る見込み捜査や取調べ方法に恐怖すら覚える。一般人が警察の取調べを受けるだけでも精神的なストレスは大きい。
私も一度、警察で調書をとられた経験がある。昭和42年4月、入社2年目で電話局の窓口業務を担当していた時のこと。電話加入権の名義変更に訪れたお客様の印鑑が盗用されたものだったのだ。印鑑証明書と印影が一致しており、事務処理は適切だったが、印鑑が盗まれたものだったので、刑事事件の渦中に引きずり込まれた。
関係者として事情聴取され、供述調書をとられたのだが、その際の刑事の質問と調書作成の手際良さに驚かされた。事前に一定のシナリオを作っておき、それに沿った質問をし、答えに戸惑っていると「こういうことですね」と誘導した。「そうです」と言うと、すらすらと文章化されて行った。出来上がった調書を読み上げて、「間違いないですね」と押しかぶせるように言われると、表現の正確さよりも大筋で符号していれば「はい」と答えるしかなかった。「それでは、ここに署名捺印してください」と言われ、指紋押捺した時の機械的な所作は思い出すだけで虚しい。
私の場合、単なる参考人ではあったが、それでも心理的な圧迫感は大きかった。今後、裁判員制度が導入されるだけに、公権力の行使と予見による判断がひきおこす冤罪の危険性をことさら心配する。