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★思い出の歌語り~「高校三年生」~

2007-07-04 09:30:39 | 日記・エッセイ・コラム

 丘灯至夫(おかとしお)と聞いて、作詞家だと思い浮かぶ人は、私と同年代で流行歌が好きな人だろう。1917年(大正6年)生まれというから、今年90歳。「高校三年生」を作詞した人と言った方が分かり易いかも知れないが、今もなお現役で活躍するヒットメーカーだ。

 舟木一夫は、昭和38年にコロンビアから「高校三年生」でデビューし、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞した。今も歌い続けられ、”永遠の青春歌謡曲”のイメージが強いが、丘さんの回顧録によると、難産だったそうだ。

 当時、北島三郎の「なみだ船」がヒット中で、「高校三年生」は大人の歌謡曲ではないとして”お蔵入り”になった。ところが、世に言う「クラウン騒動」が勃発し、大勢の社員がクラウンへ移籍したため、コロンビアには売るレコードが無くなり、”お蔵”から引っ張り出されたのが「高校三年生」。その後、橋幸夫、西郷輝彦と並んで”御三家”と呼ばれたが、この曲が陽の目を見なければ”御三家”は誕生しなかったことになる。

 丘さんは、舟木一夫の「学園広場」「修学旅行」等のほか、古くは「東京のバスガール」や「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」などのヒット曲を次々に送り出している。「みなしごハッチ」や「はくしょん大魔王」などのアニメソングも丘さんの作品で、実に幅広い。

 作品の最大の特徴は、明るいこと。ご本人は、「不倫の歌とか駆け落ちの歌とか、そういう愛憎どろどろ渦巻くようなのはだめなのね」と語る。西條八十に師事しただけあって、同門下生の佐伯孝夫やサトー八ロー共々、多才さを受け継いでいるようだ。「会社がだめだと言った曲が半世紀近くも歌い継がれるとは、この業界は本当に水物でわかりませんね」と、結んでいる。当時、私は大学2年だったので、半世紀近く「高校三年生」を引きずって生きてきた思い出深い一曲だ。