昨日の小ブログで安否を心配していた友人と今朝方、ようやく連絡がとれた。「便りのないのは元気な証拠」と思い直しても、病気や怪我で入院しているのではないかとか、不安になるのが人情だ。
「東京じゃ食糧買いだめでパニック状態で、昨日、スーパーを回ってお米を買ってきた」と、電話の向こうで屈託なく笑う彼に、張りつめていた緊張感が吹き飛んだ。
さて、定期的に連絡を取り合う人が音信不通になると、気になるものである。災害発生と重なると、不安を助長する。さらに、メディアの無責任な報道が拍車をかける。情報発信が東京一極集中だけに、ローカルの住民に与える影響は甚大だ。金沢市民がお米や非常食を買い占める光景は、滑稽でしかないのに、真面目に考えている人達がいて愕然とした。
私は、若い頃、周囲の人からよく悲観主義だと言われた。楽観主義ではないが、それ程暗い性格とは思っていない。ただ、物事を最悪の事態で捉える習性があることは確かである。としをとるにしたがい、経験と共に知恵がつき、多少のことでは驚かなくなって来た。しかし、今回の災害で思考回路の切換えをする必要性を噛みしめている。