クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

萎縮がなくなると・・・

2020年04月10日 | ためになるお話し

 桜もそろそろ葉桜になりつつあります
この時期、私がとっても嬉しいのは、あちこちで、いろいろな年齢のマナーズの卒業生達が「自分の桜」を愛でているのだなあ・・・と想像することです
 実際にメールを頂戴することも少なくありません。「今年も息子(娘)の桜が咲きました」とか「今年も親子で一緒に眺めています」とか。
 お子様達に「私のことを忘れないで欲しい」と願うことはあまりありません。もちろん、覚えていてもらえるのは本当に幸せなことですが、幼い頃の記憶とは、よほど強烈なものではない限り、成長と共に薄れていくものですからね。
 ただ、私が「人として、とても大切なこと」として語った諸々の「ひとしずく」「エッセンス」は、記憶や、心のどこかに種として残り、成長の過程でいろんな影響を与え、育ってくれれば嬉しいなあ、と思っています
 先日、あるお母様からメールと2枚の写真が送られてきました。中学の入学式は延期になったものの、せっかくだからと、満開の桜の下で真新しいお制服姿で撮られた1枚の写真。12歳になったその子は、照れくさそうにVサインをして、はにかんだ笑顔で映っていました。
 そして、もう1枚の写真は、同じ満開の桜の下で、小学校のお制服を着て、Vサインをする満面の笑顔の写真でした
 泣けました・・・お母様は、わざわざ、6年前と同じポーズで、同じ「Kくんの桜の下」で写真を撮って送ってくださったのでした。きっとKくんは、ママの注文に閉口したはず お母様に、Kくんに、感謝、感謝です。そして、あちこちで「○○くん、〇〇ちゃんの桜」を愛ででくださったみなさま、本当にありがとうございます
 今年は開花の後、気温がそれほど上がらなかったために、3週間も花が散りません。「お花見も出来ないのに、今年は長い間咲いていて、何だか恨めしい事だよねえ」などと思わず、日本人思いの桜花は、せめて私が長く咲くことで、人々の心を和ませましょう、と思ってくれていると思いましょうね

 さて。
少し長くなりますが、ご報告と私が感じた貴重なことを・・・ 母が希望通りに、亡き父が最後の2年間を過ごした介護施設に入居した、とお伝えしましたね。あの転居の日からそろそろ3週間になります。
 母と私は、時々の電話のほかに、毎日、朝と夜に短いメール(安否確認?のような習慣です)をしているのですが、そのメールの内容や、電話での会話が、転居後のこの3週間で大きく大きく違ってきたことに、ひたすら驚いています
 母の明るい声、母の笑い声、母から積極的に話題が提供されること、母が人の名前を言う(書く)ようになったこと、などなど。
 「あのね、毎日の三食三食が待ち遠しくてねえ
 「外出は自粛して欲しいってことやから、お花見のお散歩はでけへんねんけど、部屋から前の公園の桜がよ―見えんねんそのきれいなこと、きれいなこと
 「今日はな、寺田さんと田上さんが来てくれはって、部屋をこっきりお掃除してくれはったんよー
 何てことのない会話に思われるでしょうが、ここ半年、母は私の言うことに対して「そうやね、そうします」「はい、わかりました」「誰やったか・・・名前はわかれへんけど・・・言うてました」「冷蔵庫の何から食べれば良かったんかなあ・・・わかれへんなってしまって・・・」こんな返答しか戻ってこなかったのです
 ああ、すっかり老化が進んで、ボケが始まってきたなあ・・・と感じていたのです。話す時のボキャブラリーも極端に減り、何度も何度も繰り返して説明しても、最後には「えーっと・・・今言われたことって、〇〇しろってことやよね。」と言い、その〇〇はとてもトンチンカン。繰り返した説明は、全く理解できていなかったことを露呈して、という具合でした。

 今回のことから私が気づいたこと。
それは・・・人は、不安でいっぱいいっぱいになったり、ガミガミと言われて(言っている側に悪意がなく、ガミガミだとは思わず、懇切丁寧に繰り返している、と感じていたとしても)理解不能になっていたら、表情が乏しくなり、笑顔が消え、言葉数が少なくなり、自分の言葉では話せなくなる、ということ。
 こういうことは、相手が子どもでも、大人でも、高齢者でも、同じことだと思います
 私は、母に一生懸命に関わってきました 毎月の帰省のたびに、いろいろなことを分かり易く説明し、繰り返し、繰り返し伝え、確認を求めました。
 でもね、そういう私の姿勢こそが、母を「追いつめていた」のだなあ、と猛省です 仕方のなかったこととは言え、きっと母は、とても辛かったのでしょう。自分で何度も「なんか私、アホになってきてみたいで悲しいわ・・・」と言っていましたからね。そんな言葉を聞いた時、私も悲しく、また、一生懸命に関わっている結果がこれなどと、どっと疲労が増してしまう・・・そんな繰り返しでした。

 人を萎縮させてはいけません。たとえ、そこに悪意がなかったとしても、萎縮させる、結果的に追い詰めてしまうことは、罪なことであり、双方にとって何のハッピーもありません
 どうぞみなさん、誰が相手であっても、私のような愚行をしないでくださいね

コメント
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