娘が小学校5年生の時の担任の先生が、保護者会のたびに、浮かぬ顔でご報告くださったこと・・・「この教室の中には、ピンク色の粒々がないのです」
ティーンエイジャー期に入ったばかりの娘達は、「わけわかんない 何なの?ピンクのつぶつぶって。先生の言うこと、意味不明
」と、不満気に繰り返していました。
家庭では、たった一人の我が娘の扱いに手を焼いているのに、40人近い子ども達に向かう先生の毎日は、どれほど神経をすり減らすものであったか?あれからすでに20年が経過しようとしている今でも、想像しただけで感謝の思いでいっぱいになります。
ピンク色の粒々。
私は言い得て妙なこの言葉が、とても好きです そう、極々平易に言ってしまうと、たぶん「和やかな空気」となるのだと思いますが、私達保護者と同様に、ご自身も2人のお嬢さんの母親であった担任の先生が表現されたこの「ピンクの粒々」。
その一粒一粒に「やさしさ」「やわらかさ」「思いやり」「愛情」「許し」「祈り」etc.etc. そういう人の「プラスの心」から自然と生まれる、人を包んでくれる幸せなオーラが詰まっている・・・そんなふうに感じました。
テレビを点けると「マスクが小さい」「10万円では少ない」「対応が遅い」「~は出来ない」などなど、負の言葉ばかりが報道されているように思います。確かに、不織布のマスクに慣れた現代人にとって、アベノマスクは小さいです。突然に当然だと感じていた日常が奪われ、生活に困窮する人が大勢生まれました。ベストのタイミングですべてが施行されているかと問われれば、そうではないでしょうが、きっと別のタイミングであったら、また「対応が早すぎる」という声も出たのでしょう。出来ないと、それは難しい、それでは理不尽だ、と思うことだらけです。
でも、マイナスからはマイナスしか生まれない 負の連鎖、負のスパイラルです。
もし、「マスクは小さいけれど、使ってみれば、違った良さも見つかるかもね。」「10万円では不十分だけれど、0と比べればありがたい。」「対応は遅かったけれど、効果は出ているね。」「~出来ないとは思うけれど、やってみよう。その心意気だよな。」そんなふうに考えれば、きっと「自分の心」が違ってくる 私はそう思います。
最近では、ヨーロッパの映像が流れなくなりましたが、外出出来ない住民達が、マンションのベランダで音楽のアンサンブルをしている・・・とか、医療関係者への拍手を時間を決めて皆で実践する・・・とか、実際にベランダでセッションをするしないという論点ではなく、少なくともあの音楽を聴いた住人達は、わずかかもしれませんが心が和んだはず (日本であれば、『あの音楽がうるさい!』と不満を漏らしている住人の取材をするのではないかな、なんて考えました・・・
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学校に行けず、友達に会えない子ども達はストレスをためている。事実ですね。でも、どこもかしこも「ストレス」を取り上げる。
せめて「クラブ・マナーズ」のご家庭では、ピンクの粒々に思いを馳せ、マイナスの連鎖を生まない言葉かけ、状況をつくりませんか?作って欲しいです