今日の朝、日吉駅から中央の通りを歩いていると、何人かの人が立ち止まり、車道を眺めていました
私も気になり、目を車道のほうに向けると、一羽のカラスが車道の真ん中をぴょんぴょん・・・という感じで歩いているのです。
カラスであれハトであれ、スズメであれ、人の暮らしの身近にいる鳥達は、常に「飛んでいる」様子を見るわけではなく、確かに道を歩いて何かをついばんでいる、ということはよくあります。特に、町中では少々嫌われ者のカラスは、ゴミ収集車が来る前に積み上げられたゴミ袋を荒らしている姿は都会では定番
ではあるのですが・・・どうも、今朝のカラスは少し様子が違って見える
すると、一人のおばあさんがひとり言のようにつぶやくのを耳にしました。「あの子、両方の羽がないのよね。誰かがいたずらで、飛ぶために必要な羽の部分を切ってしまったらしいの。あの子は、飛べないから、いつもああして歩いて移動するしかないのよ。ほんと、かわそうに・・・」
驚きました おばあさんが言う「飛ぶために必要な羽の部分がない」ということが、どういうことなのか?そんなことになっても生きていられるのか?ということは、正直、私にはわかりませんでしたが、気になって5分ほど眺めていましたが、車が近づいても飛び立つことはなく、急いでぴょんぴょんと移動。確かに、飛べないのだ、ということはわかりました。
生き物にいたずらをする心理・・・間違いなく、精神が、心が歪んでいるのでしょう けれど、昔から、多くの文学作品に、愛玩動物を傷つけたり、蝶々などを無残な方法で殺す、という主人公は登場します。それも、決してそういう作品の数は少なくはないように思います
ということは・・・人は誰でも、心の底に、そういう残酷な行為をする可能性のある「卵」のようなものを持っているのでしょうか???
むー・・・なぞです。私にはわかりません。
ただ、「残酷な行為」とは違いますが、幼い頃の記憶や、幼い頃からのすりこみで、生き物に対する思いが違ってくるようには思うのですよね
私は人生で一度も、犬や猫という愛玩動物を飼ったことがありません。そして、極端に犬や猫を「怖がった」母から、「犬は怖いものだ」「ネコも怖いものだ」と教えられてきたため、小さな頃から、道でお散歩中の犬に会った時にも、わざわざ回れ右をして引きかえしたり、敢えて曲がったり、後ろを向いて通りすぎるのを待ったり…そんな極端なことをしたものでした。なので、テレビでどんなに可愛い犬や猫の様子を観ても、「かわいい」という感情は湧いてきませんでした。
そんな私の人生を変えたのが・・・NY州のホームステイ先にいた「カーリー(Curly)」という名前のフレンチプードルでした。また、発音しにくいのです・・・正確に発音しないと、彼は私の方を振り向きもしませんでした。まあ、仕方はないですよね。間違った名前を呼ばれて、振り向く生き物はいないでしょう。
彼は、毎日、嫌でもいるわけ、ですから
毎朝、階段を登ってきて、私の部屋に入り、ベッドに飛び乗り、私を起こす
1週間も経てば、私が起きるまで、舐める(ぎゃ~~~~~~~~
)
そりゃあ、最初の2,3日は朝から晩まで、彼が動くたびに首輪にこすれて軽やかな音をたてる、彼の首に付いたプレートの音が近づいてくるたびに、身体も心も硬直しました、はっはっは
初めて、犬を「かわいい」と思いましたねえ ただ、私とワンちゃんとのコミュニケーションは「sit!」であり、「No!No!Stay!」でしたので、日本ではまだ、どう接して良いのか?はよくわかりませんでした
ただね、カーリーは、小さなフレンチプードルだったため、大きな犬はまだまだ「怖い」まま。
とうとう、私がまともにすべての犬に関われるようになったのは、私が50歳になった時。カーリーとの出会いから、30年以上も経ってからのことです。
50の手習いで始めたトライアスロン。そのチームメイトのお家にお呼ばれをしました 私達夫婦と大の仲良しになったご夫婦の家をピンポーン・・・中から「どうぞ~、入って入って~
」の声。私がカチャンとドアを開けると~~~~~~~~
ジャジャジャジャーンいきなり、毛むくじゃらの足が、私の両肩に
そのご夫妻のお家に、大きな大きなワンちゃんが2匹も一緒に暮らしている、ということを、私は聞いていなかったのです。私に飛びついてきたのは「チクワ」という名前のゴールデンリトリバーでした。私は一瞬、本当に失神したと思います。本当に。ただ、ここでそんなことになっては大ごとだ何事もなかったように、笑顔でリビングに入って行かなくちゃいけない
という使命感?責任感?のほうが強く働き、失神は一瞬で終わり、ぶっ倒れることなく、「笑顔で」リビングへ
それからの人生は、「チクワ」と「アワビ(ラブラドールリトリバー)」のお陰で、大型犬とも仲良しに
親の責任は大きいですね。もちろん、母を責める気持ちはありません。幼い頃、近所の犬に追いかけられ、挙句の果てに噛まれて怪我をした、という母の怖い経験は、決して忘れることはできなかったのでしょうからね。
ただ、子どもを育てていく上では、すべての生き物に「愛情を持っている」ことが、とっても大事になると思います。そういう思いは、自ずと生き物を大切にする、という行動につながっていくでしょう
カラスの羽を切った人・・・どんな人生を送ってきたのでしょう・・・気の毒だな、と思い、悲しくなります