コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

働く理由をはっきりさせれば、むやみに楽をしたいと思わない

2017-03-15 06:37:06 | Weblog
どんな会社でも、
楽をしようと思えばいくらでもモを抜くことはできます。
ビジネスマンが外回りと称して、
喫茶店やインターネットカフェで時間をつぶすことはたやすい。
同僚が楽をしっているのを見て、
「私もマネしたい」と思うようなうような企業であれば、
手を抜く社員は続出するだろう。
しかし、
いつも手を抜いて楽をしている人と、
毎日一生懸命働いっている人では、
それこそ数年が過ぎ去ったときに
決定的な違いができるでしょう。

そのときになって後悔しても遅いものです。
自分なりに揺るがない目標を持って仕事をしっている人なら、
楽をしている人をうらやむことはありません。

もし、
仮にお金をもらうことだけが目的なら、
少しでも楽をしたいと思うのも当然です。
しかし、
本来の目的は違うところにあります。

理想の自分の姿に近づくためには、
楽をすることが自分のためにならないことくらい
容易にわかるはずです。

そもそも、
自分なりの目標に向かって懸命に仕事をしているほうが、
楽しいに決まっています。

お金のために働き、
隙あらば楽をしようとしている人は、
長期的に見れば絶対に楽しくないはずです。

そのためにも、
幼い時期からビジョンを拙くことが大切です。
そして、
仕事の上ではビジョンとは何か?
今の仕事で自分の成長を感じながら、
充気した気持ちで仕事をしましょう。




半年後のあなたは、
いまこの瞬間に決まっている。
         神田昌典

人はバランスを取ろうとする

2017-03-14 06:20:45 | Weblog
人は誰かからホメられたり認められたりした時に、
どんなリアクションをとる傾向があるでしょうか?

多くの場合
「いや、それほどでも」
「まだまだですよ」
「あなたほどでは」など、
謙遜したり
相手をホメたりして
心のバランスを取ろうとする人が多いようです。

ところが逆に、
人からけなされたり否定されたりすると、
反撃したり拒絶したりするものです。

この、
相手を認めるというコミュニケーションを応用した
セールストークを考えてみます。
生命保険のセールスパーソンTさんと、
特にニーズを感じていないBさんの会話です。

Tさん:一応保険屋なので、話だけでも聞いてもらえませんか?
Bさん:今は特に入る気はないですが、
    それでもよければいいですよ。
Tさん:ありがとうございます。
    ところで今、 ○○生命さんの保険に入ってらっしゃるんでしたよね。
Bさん:そうなんです。
    しかも生命保険と養老年金の両方に入っています。
Tさん:じゃあ、もうバッチリですね。
Bさん:えっ?うーん。
    でも、もし入院しちゃったら、
    日々の保障が手薄だからちょっと気になってるんですよ。
Tさん:なるほど。自営業でいらっしゃるから、
    何かあった時のために安心できる保障額があるといいですね。

この例では特に保険に加入する気のないBさんが、
自分から現状の課題を口にしています。

ところがもし仮にTさんが
「でも○○さんの保険ってオーダーメイドじゃないから、
あなたのニーズをすべてカバーしているとは思えないんですよね」
と発言したり、
「保険証券見せていただけますか?」と言ったら、
「別に結構です。この前御社の営業マンに見てもらったら、
『いい保険ですね、大切にしてください』って言われましたから」
という風にBさんは断られていたでしょう。

ここで使った
「バッチリですね」という言葉は、
セールスパーソンの人が良く使う言葉なのだそうです。

この手法は保険屋さんに
「その保障では足りませんよ。」と言われることを
予測している見込み客の裏をかいているのです。

売り込まれまいと拒絶している見込み客の、
利用している商品を100%肯定してしまい、
バリアを見事に解除する力があります。

コーチングでは、
相手を完全な存在だと認めて信頼するというところから、
まず関係がスタートします。
物心ついた頃からずっと家庭や学校や会社で、
欠点を治すことが求められるような社会で、
100%完全な存在であると認められることは、
大きなインパクトです。

セールスの現場でもこれを応用することで、
顧客の信頼をスムーズに得ることができるのです。


人生のメイン・デザイナーになる

2017-03-13 07:03:29 | Weblog
自分自身の
人生のメイン・デザイナーは
自分です。

今までの経験を
一枚のタペストリーに表してください。

そして毎日、
それを織る新しい糸を足していきます。

そこでは、
パワーを与えてくれる経験が
真ん中にくるように、
常にデザインを変え続けているでしょうか?

そこで、
今の人生に最も強く影響していると思われる
5つの経験を書き出してみましょう。

その出来事の描写だけでなく、
そのことが自分にどんな影響を与えたかも書いてください。
そして、
もしネガティブな影響を与えた経験を思い出したら、
すぐさま解釈を変更してください。

自分を信頼して、
今まで考えもしなかった
新しい解釈を受け入れてみましょう。

人間がする経験は
すべて価値があるということを
もう一度思い出してください。


教養をつける

2017-03-10 06:46:54 | Weblog
以前
「分数のできない大学生」が
話題になったことがありますね。

多くの大人は学校を出たら
学ぶことをやめてしまう傾向があるからです。
しかし、
教養はあなたの人間性を豊かにします。

人生豊かにするためには
今日は必要ですし、
学ぶことをやめたときに
脳みそは確実に退化します。

社会人なら
実際学校を卒業したからといって
勉強が終わるわけではないことを
実感していると思います。

そして社会に出てから、
学生の時にもっと勉強しておけばよかったと
後悔している人も多くいます。

ビジネスマンになると経済新聞しか読まない、
エンジニアになるとエンジンに関係ある専門書しか読まない。
あとはスポーツ新聞・・・
あとはグルメ雑誌を手にするくらいという人が多くはないでしょう。
試しに書店へ行って、
普段自分が読まないジャンルの本を
手にとってみれば
自分の知識かいかにせまいものか驚かされるはずです。

どんなことでも、
知識を増やし教養の底辺を広げることで、
将来、
必ず自分自身に返ってくるものがあるはずです。


手本を超えることを目指す

2017-03-09 06:11:33 | Weblog
以前、
力ナダの新聞が「40歳末満のトップ10」という特集記事を掲載し、
前途有望な若手起業家を紹介していました。

その中で
「自分が手本にしている人」という欄で
最も多かった回答は何か?

スポーツ選手、政治家、芸能人か?
そうではなかった。
肉親という回答のほうがはるかに多かったのです。

世間で高く評価され、
成功している人たちですら
親や兄弟、おじ、おばなどの肉親を手本にしている
という事実は特筆に価します。

手本にする人物はみな、
師匠です。
師匠は必ずしも教える必要はありません。
行動で示すほうが何倍も効果があります。
ときには、
弟子が師匠の業績をはるかに超えることもあります。

もう少し述べるなら
「弟子は師を超えることでその恩に報いる」(禅書「碧厳録」より)
が正しいのでしょう。
弟子は師匠を完璧だと思っています。
師匠は弟子に自分を超えて欲しいと願っています。
弟子の「師匠を目指したい」という願いと、
師匠の「完璧以上の素晴らしいものを追求してほしい」という願いが、
互いの向上心を高めていきます。

成功者は行動し続ける。
ミスを犯しても、
あきらめない。

不平不満を言うと「ありがとう」が消えていく

2017-03-08 07:09:18 | Weblog
不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言うと
「ありがとう」が消えていきます。

現在
「病気や事故やトラブルか起きていない状態」というのは、
それ自体が、
実は口にしている
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ツイてる」
といった類の言葉、
それと「ありがとう」という感謝の概念が
いつも身のまわりに満ちていた結果として、
何も起きていないということでもあるのです。

とにかく心を込めなくてもいいから
「ありがとう」を2万回ほど口にすると、
涙が出てきます。
その涙というのは、
短い人で1時間、
長い人で3時間、
平均的には2時間ほどとめどなく流れます。
多くの人の場合、
パスタオルを持ってきて、
それを2度絞り、
3回目に涙をふいてちょうどよかったと聞きますから、
相当な量の涙でしょう。

その後、
ほとんど涙が枯れ果てた状態で、
そこからまた続けて「ありがとう」を言おうとすると、
今度は本当に感謝の念が湧いてきて、
体中が温かい思いに満たされ、
「ありがとう」という言葉が出てくるようです。

その心の底から湧いてくる「ありがとう」の言葉が
さらに2万回ほど続くと、
さまざまな「楽しい奇跡」が起こるようです。

しかし、こんな人もいます。
「2万回以上『ありがとう』と口にしても全然涙が出てこない」
というものでした。
その人たちには同じ傾向があります。
「『ありがとう』を口にするとき、
不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わなかったですか?」
ということです。

すると、
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言っていました」と。

その不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言ったために
『チ~ン』という音がして、
『ありがとう』の効果が消えてしまったのかもしれません。

ではもし、
不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言ってしまったら
どうすればよいのでしょうか。
そのときは、10秒以内に
「今のナシナシ!今のは間違いです!」
と取り消してください。
その場合のみ、
ゼロにリセツトされず、「ありがとう」が積算されていきます。


人は迷惑をかけながらでしか生きられない

2017-03-07 06:42:22 | Weblog
「人に迷惑をかけたくない」と思うことは大切なことです。
しかし実際にそれは無理、
「迷惑をかけながらでしか生きられない」と思い、
まわりのすべてに感謝することです。

すごく怒っている人がいました。
「人に迷惑をかける生き方はしたくない。
自分も人に迷惑をかけない分、
人に迷惑をかけて生きている人は許せない。
とくに暴走族などは迷惑ばかりかけているのではないか」
というような話をされたひとがいます。

「暴走族は迷惑をかけてダメだ」、
ということを言いたいのではありません。
「自分自身は他人に迷惑をかけていないけれども」ということについて、
ちょっと気になりました。

「自分自身は他人に迷惑をかけていないが」という考え方の中には、
「私は何も迷惑をかけずに自分の力で生きている。
私は正しく生きている」
という概念があります。

本当にそうでしようか?

人間はたくさんのもの、
人、動物、植物に迷惑をかけながら生きているのではないでしょうか。
生きていくために米や麦を何百万粒と殺し、
生涯に魚を何千匹、
牛やブタを丸ごとで言うと何頭、
何十頭食べてきたかわからないのです。

山道をクルマで走っているときに、
蟻が必死になってものを運んでいるその行列を
タイヤで踏みつぶしてきたかもしれません。
腕に止まった蚊をバシッと叩き殺し、
食卓に止まったハエをハエ叩きで殺していたかもしれません。

ただそれに気がついていなかっただけなのです。
自分が生きるためにどれほど
他の動物や生物たちに迷惑をかけてきたかわかりません。

「迷惑をかけないで生きるぞ」というのは
一面では正しい考え方でしょう。
しかしもう一歩進んでものを考えると、「
人間ば他の存在物に対して迷惑をかけていない」
ということなどありえないと気づきます。

「迷惑をかけなければ生きていけない存在である」
ということに、
考え方を変える方がよいのではないでしょうか。

「迷惑をかけていない」と思うこと、
あるいは「迷惑をかけないで生きていくぞ」と決意することよりも、
「迷惑をかけている存在なのだから、
その自分を支えてくださっている存在物に対して
心から感謝しながら生きていく」ことの方が
ずっと前向きでラクなのではないでしょうか。


忙しいことも悪くないと思う

2017-03-06 06:16:24 | Weblog
四書の一つ「大学」の中に
「小人閑居して不善をなす」
という有名な言葉があります。
暇な時間が多いと、
ついついどうでも良いことを考えてしまうという意味です。

自分の時間があることは、
とても幸福なことです。
いまよりも輝いた人になれるように、
自分磨きをしたり、
高めたりする時間が取れるでしょう。

一方で、ただぼんやりと、
何をするでもなく過ごしている時間は、
無駄が多いものです。

無駄が多いだけならまだしも、
そんなときにつまらないことを考えては
不安な気持ちに包まれてしまったり、
忘れかけていた悩みを思い出してしまったりします。
とくに、
心の傷に何度も塩を塗り込むように、
嫌な経験や自分が普段から気にしている欠点などを、
何度も反裁したりしていませんか?

そんなことを考えて、
自分を苦しめるぐらいだったら、
いっそ朝起きてから寝るまで
まったく自分の時間がないくらいに、
忙しくしていた方がましなのです。

私も、
気が晴れないときや、
気分が乗らないときは、
とにかく忙しくするように心がけています。
それこそ、
早朝から深夜まで、
ずっと全身の集中力を限界まで高めるような
スケジュールを押し込むようにしています。

こうすることで、
つまらない悩みはどこかに吹き飛んでしまうものです。

今日は、
とにかく普段と違った一日を過ごしてみてください。
そして一日が終わった後で、
ぜひ振り返ってみて欲しいのです。

そうすることで、
不安や悩みを感じている暇はなくなるのです。


嫌いな人がいるのは仕方がない

2017-03-03 06:12:14 | Weblog
日常生活で
ちょっとしたことで、
イライラすることがありますね。

一緒にいるだけで何となく
「嫌いだな」って思ってしまう人もきっと何人かいるはずです。

たとえば、ちょっとしたひと言が気に障ったり、
いっしょにいるとなぜかイライラしてしまったり、
仕草がどうも鼻についたり・・・。

どうしてもその人の声が耳障りで、
聞くだけでムカムカしてくる相手や、
「私がいちばん偉いのよ」という虚栄心が見え隠れして、
聞いているだけで疲れてしまう相手。

とっても嫌なことなのですが、
人には言葉では説明できない
生理的な理由で人を嫌ってしまうことはあるのです。
そして同時に、
自分も他人からそう思われてしまうことだってあるのです。

人間なんだから、
好き嫌いはあるのは当然です。
何の理由もなく、
とにかく生理的に合わない人がいるのは確かなのだし、
相手があなたのことをそう思っていて、
必要以上に攻撃的に接してくることだってあるのです。

そんな相手を好きになるのは、
本当に難しいものです。

だとしたら、
相性の合わない、
しかも自分のことを嫌っている人に好かれるために、
せっかくの時間を無駄にするのはもったいないと思いませんか?

カーネギーは
「私たちが敵に憎しみを感じると、
むしろ自分自身が敵に支配されることになる」と、
言っています。

世の中に嫌いな人がいるのは仕方ないとしても、
その人に対する嫌な気持ちを引きずって日々過ごすことで、
せっかくの自分の時間が嫌な気持ちに支配されてしまうということです。
そんな毎日は楽しくないでしょう。

だったら
その嫌な気持ちに支配されることをやめて、
心を切り替えましょう。

その時間を他のことに振替えることができたとしたら、
楽しい思いができるでしょう。


意味を考える

2017-03-02 06:13:48 | Weblog
大丈夫だと思っても失敗した
仕事でリストラされた
志望校に落ちた
失恋した
離婚した
お金を落とした
自動車をぶつけた
怪我をした
上司にしかられた
・・・・・などなど

上手くいかないことは毎日のように起こっています。

そんな時には
「すべては必要であり、必然である」
ことを思い出してください。

望む物が手に入らない!

それは、
望むものが現在はちょっとずれてるからです。
心が求めるものじゃないから。
心が望むもの、
自分の人生に沿ったもの。
神様はちゃんと知っています。
今はそれがわからないのです。

だから、
意味を考えることです。
言い換えると
心の声に耳を澄ますってことは、
自分の決めた人生の道筋を考えることです。

そのルートに入ったら、
ワクワクして、
奇跡の連続を感じ、
おもしろくて仕方ない充実した人生が始まります。

このことは、
「自分の人生で必要だから起こっているんだ」と
ちゃんと受け入れることができたら、
そのことに苛立つことをしないで、
自分の流れに乗ろうとできたら、
その出来事を必然という形で感じることができます。