クリスマスなので、しばらくここあのクリスマスの思い出のエピソードを。
もうかなり前、大学の頃の話。
私は教会に集うようになって数年しか経ていない頃のことです。
当時教会の学生たちや社会人の青年たちで構成していたグループでクリスマスの準備をしていました。
私は大学の勉強や教会の奉仕などでかなり疲れていて、ついつい愚痴ってしまいました。
何を愚痴ったのかもう忘れましたが、私の仲間の一人が私に対してクールに「そんなにいやなら全部やめたらいいじゃん」と言いました。
がーん
このときの私には、友人から言われたことのショックと、言わなきゃ良かったという後悔とで、心はぐちゃぐちゃ。
そのあとどうやって家に帰ったか覚えていませんが、次の日曜までこの気持ちをどう立て直すか考えたと思います。
同じ週のある日、ある新聞のコラムに目がとまりました。
それはクリスマスに近い日だったので、普段なかなかコラムに載らない牧師の奥様のコラムでした。
その方が書いた内容は次のようなものでした。
「普段、私たちは受けることばかり期待して、与えることをしない。クリスマスは父なる神が大切な一人子イエス様を与えたのだから、1年にたった一度でもいいから、クリスマスを迎えたら「与えること」を考えたいものだ。」
そんな要旨でした。
私はあまりのタイミングの良さに神様がそのコラムに気を向けさせて下さったのだと思いましたし、心から自分の発言を悔い改めました。発言のみならず、自分の態度も悔い改めました。同時に友人が言いづらいことを勇気を出して言ってくれたことを感謝しました。
後日、その友人に謝りました。すると友人は「あなたがそれに気づいてくれる人だからね・・・」とそれだけを言いながら、私たちは再びいつもと変わらない、むしろもっと親しみを感じる間柄になったかなあと感じました。
クリスマスの思い出をあげたらたくさんありますが、これがいつも真っ先に思い出されます。
ここあでした。
もうかなり前、大学の頃の話。
私は教会に集うようになって数年しか経ていない頃のことです。
当時教会の学生たちや社会人の青年たちで構成していたグループでクリスマスの準備をしていました。
私は大学の勉強や教会の奉仕などでかなり疲れていて、ついつい愚痴ってしまいました。
何を愚痴ったのかもう忘れましたが、私の仲間の一人が私に対してクールに「そんなにいやなら全部やめたらいいじゃん」と言いました。
がーん
このときの私には、友人から言われたことのショックと、言わなきゃ良かったという後悔とで、心はぐちゃぐちゃ。
そのあとどうやって家に帰ったか覚えていませんが、次の日曜までこの気持ちをどう立て直すか考えたと思います。
同じ週のある日、ある新聞のコラムに目がとまりました。
それはクリスマスに近い日だったので、普段なかなかコラムに載らない牧師の奥様のコラムでした。
その方が書いた内容は次のようなものでした。
「普段、私たちは受けることばかり期待して、与えることをしない。クリスマスは父なる神が大切な一人子イエス様を与えたのだから、1年にたった一度でもいいから、クリスマスを迎えたら「与えること」を考えたいものだ。」
そんな要旨でした。
私はあまりのタイミングの良さに神様がそのコラムに気を向けさせて下さったのだと思いましたし、心から自分の発言を悔い改めました。発言のみならず、自分の態度も悔い改めました。同時に友人が言いづらいことを勇気を出して言ってくれたことを感謝しました。
後日、その友人に謝りました。すると友人は「あなたがそれに気づいてくれる人だからね・・・」とそれだけを言いながら、私たちは再びいつもと変わらない、むしろもっと親しみを感じる間柄になったかなあと感じました。
クリスマスの思い出をあげたらたくさんありますが、これがいつも真っ先に思い出されます。
ここあでした。