ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

特集「大野病院事件判決」(共同通信)

2008年08月05日 | 大野病院事件

コメント(私見):

どんなに健康な女性でも、妊娠すれば、一定の頻度で、予測不能の母体死亡、周産期死亡などの不幸な出来事が起こる可能性があります。

この事実を全く無視して、産科で不幸な出来事が起こるたびに、正当な診療を実施した担当医師が結果責任だけで処罰されることになれば、産科医療には今後一切誰も従事することができなくなってしまいます。

「大野病院事件」での逮捕・起訴は、産科医療だけでなく、外科や救急医療などにも大きな影響を与えました。不安を抱えたままで仕事をしなければならない事態が改善されることを期待します。

福島県立大野病院の医師逮捕事件について
(自ブロク内リンク集)
 

****** 共同通信、2008年8月4日

特集「大野病院事件判決」 

帝王切開死事故どう判断 検察と弁護側真っ向対立 産科医に20日判決

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した事件で、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医加藤克彦(かとう・かつひこ)被告(40)の判決が20日、福島地裁(鈴木信行(すずき・のぶゆき)裁判長)で言い渡される。

 禁固1年、罰金10万円を求刑した検察側に対し、弁護側は「可能な限りの医療を尽くしており、過失はない」と無罪を主張。約1年4カ月におよんだ審理は、双方が全面的に争ってきた。

 医療行為の過失を問われて医師が逮捕、起訴された事件の影響は大きく、医療界は猛反発。全国的な産科医不足に拍車が掛かったとされる。

 検察側の論告によると、加藤被告は04年12月17日、帝王切開手術を執刀。子宮に癒着した胎盤をはがす「はく離」を無理に続ければ大量出血する恐れがあったのに、子宮摘出など危険回避の措置を怠り、大量出血で女性を死亡させた。異状死だったのに24時間以内に警察に届けなかったとして医師法違反にも問われた。子どもは無事生まれた。

 最大の争点は「はく離」を被告が続けた行為の是非だ。検察側は「癒着を認識した時点で、はく離をやめて子宮を摘出すべきだった」と主張。

 弁護側は「最後まではがした方が子宮収縮による止血が期待できた。その後に子宮摘出に移行するのが医療現場の標準」と反論した。

 はく離に手術用はさみ(クーパー)を使用したことの可否も争点で「不適切」とする検察側に対し、弁護側は「はく離を急ぐためで、外科手術で使用する一般的な器具であり問題ない」とした。

 事件をめぐっては福島県が05年3月に医療過誤を認める報告書を公表。これが捜査の端緒となり被告は逮捕された。

 「結果責任で捜査機関が介入するのか」「診療が萎縮(いしゅく)する」-。医療界は反発、学会の抗議声明も続いた。第三者の立場で医療死亡事故を究明する国の新組織が検討されるきっかけにもなった。

 全国的に産婦人科医は、深夜・長時間労働や訴訟リスクなどを背景に減少しており、この事件も影響したとされる。

 法廷で加藤被告は遺族に謝罪した上で「できる限りのことはした。非常に悔しい」と陳述。女性の父親は「娘の命を奪った医師を許さない」と厳しく非難した。

 患者が死亡した医療行為で医師に刑事責任を問うのは妥当なのか。医療関係者が司法判断を注目している。

医療事故調の論議促す 判決、法案審議に影響も

 大野病院事件は、公平な第三者の立場で死因を究明する国の新組織「医療安全調査委員会」(仮称)の論議を促すことになった。

 新組織は医療事故調とも呼ばれ、産科医逮捕に医療界から強い反発が出たことを受け、厚生労働省が議論を急加速。具体案を考える検討会を発足させ、今年4月には新組織による調査活動を捜査に優先させる方針を明らかにした。

 厚労省はこれまで3回にわたり新組織の試案を作成し、今年6月には設置法案の大綱案を公表。2011年スタートを目指し、秋の臨時国会に法案を提出する構えで、福島地裁判決は法案審議にも影響を及ぼしそうだ。

 新組織は患者死亡事例を対象に、医療事故の疑いがある場合、警察に代わり、医療機関からの届け出を受け付ける。医師や法律家らでつくる専門チームが解剖結果やカルテの分析、関係者からの聞き取りなどを実施し、報告書を作成する。

 ただ、医師に重大な過失があるとみられる事例などについては、新組織が警察に通知する仕組みとなっており、現場の産科医からは「医師に対する刑事訴追の可能性がある限り、誰も危険なお産に手を出さなくなる」との指摘が出ている。

 厚労省幹部は「判決を機に、法案に対する医療現場からの反発が一層強まる可能性もある」と話している。

有罪なら産科の休診に拍車 刑事罰は医師の意欲奪う

 大野病院事件は、医療界にどのような影響をもたらしたのか。日本産科婦人科学会理事の岡井崇(おかい・たかし)昭和大教授(60)に聞いた。

 -事件の経過をどうみているか。

 「癒着胎盤は極めて珍しい症例。被告の産科医は経験がない中、できる範囲で全力を尽くしており、重大なミスをしたわけではない。患者が死亡した結果は重く、きちんと受け止め再発防止に向けた努力をする必要はあるが、刑事罰を適用するのは間違い。医師の意欲や使命感を減退させるだけだ」

 -具体的な影響は。

 「事件を受け、産科の休診や診療拒否が相次いだ。以前なら小さな規模の病院でも診察していた症例が、どんどん大学病院に回されている。手錠をかけられた姿を目にした多くの医師が『あすはわが身』と考え、リスクを回避するようになった。仮に有罪となれば、こうした状況はさらに深刻化するだろう」

 -医療事故で刑事責任を追及するのは問題か。

 「故意や著しい怠慢があった場合は別だが、正当な医療行為をしたが力が及ばなかった場合に刑罰を与えるというのは現場を萎縮(いしゅく)させるだけ。ミスをなくすための方策にはならず、何より医療の向上につながらない」

 -事故の対応をめぐる医療側の努力不足も指摘されるが。

 「患者や遺族に真摯(しんし)に対応するのは当然。その上で、事故の情報を公表し、学会などで専門家が研究を進めるといった取り組みを強化することが必要だ。刑事罰を問われない代わりに、不注意によるミスを繰り返す医師に一定期間手術をさせないとか、医師側が自ら処分に乗り出す制度も検討すべきだろう。今回の事件を機に、事故を減らすための方策を皆で考えなくてはならない」

  ×  ×  ×

 和歌山県出身。東大医学部を卒業後、同大助教授、愛育病院副院長を経て2000年から現職。

率直な説明と謝罪が必要 クレーマー扱いは誤り

 大野病院事件をめぐる医療界の反発を、患者や遺族はどうみたのか。自らも医療事故で娘を亡くした「医療過誤原告の会」の宮脇正和(みやわき・まさかず)会長(58)に聞いた。

 -産科医の逮捕に対する医療界の反応をどのように感じたか。

 「産科医が刑事責任を問われる事態に直面し、医療費削減や医師不足により過酷な勤務を強いられてきた医療従事者のストレスが噴き出した。一部の医師が遺族らを攻撃する現象が起き、『刑事責任の追及が医療崩壊を招く』といった意見まで出てきたのは気になる」

 -事件と裁判の経過から感じたことは。

 「遺族にとって必要なのは、事実関係の率直な説明と謝罪だ。反省と再発防止に真摯(しんし)に取り組む姿勢を医療側が示せば、遺族側は刑事罰を望むような気持ちにならないことが多い。そういう意味では、今回の裁判で、被告側が医療ミスはないと強固に主張し続けたのは残念だ」

 -医療事故をめぐる医療界のこれまでの取り組みをどうみているか。

 「大きな流れで言えば、事故を隠さずに患者への説明を徹底し、安全性の向上につなげる取り組みは着実に浸透しており、その点は評価できる。患者側と意思疎通を図り、互いの信頼関係を構築することが何より重要。事件を機に『医療事故被害者の多くはクレーマー』とする根拠のない誤った論調が出たことで、こうした前向きな動きが後退しないよう願う」

 -刑事責任の追及に反対する声は根強いが。

 「いいかげんな治療を行う医師も現実には存在しており、医師だけ刑事責任を除外されるのは、今の状況では社会が許さない。まずは、そうした医師を自発的に処分するような仕組みを医療界が自ら構築し、国民の信頼を得ることが大切だ」

 ×  ×  ×

 1983年に医療事故で娘を亡くし10年後に病院側と和解。2005年「原告の会」会長に就任。

大野病院事件の経過

2004年12月17日 福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡

 05・1・13 県が「県立大野病院医療事故調査委員会」を設置

 3・30 事故調査委が「医療ミス」との報告書を公表。県は謝罪

 6・16 県が執刀した加藤克彦被告を減給処分

 06・2・18 県警富岡署が加藤被告を逮捕

 3・10 福島地検が加藤被告を起訴

 7・21 公判前整理手続きの第1回協議

 07・1・26 福島地裁での初公判で加藤被告が無罪主張。検察側は「大量出血を予見できた」と指摘

 8・31 初の被告人質問

 08・1・25 女性の遺族3人が「医師を許さない」などと意見陳述

 3・21 検察側が禁固1年、罰金10万円求刑

 5・16 弁護側があらためて無罪を主張し結審

 8・20 加藤被告に判決

(共同通信、2008年8月4日)


逮捕、裁判、産科崩壊。そして患者だけが取り残された―。(女性自身)

2008年06月11日 | 大野病院事件

コメント(私見):

『産科医療のこれから』の記事を読んで、今朝さっそく出勤の途中でコンビニに立ち寄って、生まれて初めて『女性自身』を買いました。女性週刊誌でも大野病院事件をちゃんとした形で取り上げているということは歓迎すべきことです。とても真面目な記事で、一般の方々に大野病院事件の本質について知ってもらういいチャンスですから、ぜひとも多くの人に買って読んで頂きたいと思います。

産科医療のこれから:“大野事件”この裁判に何の意味があるのか 女性自身

勤務医 開業つれづれ日記・2

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ
 黒岩祐治のメディカルリポート
 検証!医療報道の光と影2
 大野病院妊婦事件 メディアの功罪 

 動画その1 動画その2 動画その3

福島県立大野病院の医師逮捕事件について
(自ブロク内リンク集)

****** 女性自身 2008./6/24、p76-82

シリーズ人間No.1903

逮捕、裁判、産科崩壊。
そして患者だけが取り残された―。

 2006年2月、福島県立大野病院の産婦人科医加藤克彦医師(40)が、帝王切開手術で患者女性が出血死した件で逮捕された。『医療ミス』が原因と疑われた事件だったが全国の医師は『医師側に落度はない』と、抗議の声明を次々に発表。また逮捕後、産婦人科を廃止する病院が急増した。この事件がもたらしたものとは何だったのか、検証する。

 「大野病院事件」は産婦人科だけの問題ではない。
 裁判の結果しだいでは、訴訟を恐れ、外科でも医師が難しい手術を拒否する可能性も当然出てくる。そうなれば、日本の医療崩壊は加速する。
 医師側、検察側それぞれに言い分があるのはわかる。だが、私たち、“患者側”には、何か残るのだろう。考えたい。誰のための裁判なのかを―。

 ありふれた、テレビニュースの一場面だったかもしれない。連行される男性の両手に手錠があるのも、いつもの見慣れた光景。続いてキャスターから、連行されたのが医師であることが告げられる。
 「また、医療ミスか……」
 おそらく多くの人が、カルテの改ざんや隠蔽、投薬ミスによる死亡事故などをすぐに連想したのではないだろうか。しかし、実際にはいつもの医療事件とは、その背景も社会に及ぼした影響も大きく異なっていた。
 2004年12月17日。
 福島県立大野病院・産婦人科の加藤克彦医師(40)は一人、出産時の癒着胎盤の手術で大量の出血と闘い、患者を救おうとしたが果たせず、母体死亡という結果を招いた。
 「一人」というのは当時、加藤医師が「一人医長」といって、産婦人科医不足のため一人でその病院と地域の産科医療に携わっていたからだ。
 衝撃が走ったのは1年以上が経った06年2月18日。
 加藤医師は業務上過失致死罪と、異状死を24時間内に所轄警察署へ届け出る義務を怠った医師法21条違反の疑いで逮捕される。
 医師が業務上過失致死で起訴されるなど異例ずくめの逮捕劇だったが、その極めつきがテレビ放映。おそらく警察から情報が流れたのだろう。手錠をかけられた加藤医師の姿が全国放映された。
 それは所轄の富岡警察署の功績となったようで、その後福島県警から表彰されているという。
 事件の初公判は、07年1月26日。
 「亡くなられた患者さんのご冥福を、心よりお祈りいたします」
 初公判終了後の記者会見。その最後に加藤医師は立ち上がり、神妙な面持ちでそう述べると深々と一礼した。
 しかし、自らの過失については否認を通した。そして、08年3月21日の13回目の公判で、検察側から禁固1年、罰金10万円の求刑を受けた。
 一方で、加藤医師の逮捕からほどなくして、全国の医師会は「逮捕は不当」との声明を発表。診療科を超えた医師たちによって『加藤先生を救う会』が次々と立ち上げられ、署名活動もスタートした。
 医療も裁判も専門家ではない記者にとって、この一連の動きは理解できなかった。
 人ひとりの命が失われていながら、過失を認めようとしない被告がいる。
 また、連行される姿がテレビ放映までされた事件だったことを考えると、量刑も軽いように感じる。
 加えて、医療界の歩を揃えたような「反対声明」もこれまでにはないものだった。
 何かが、置き去りにされている。なんのための逮捕だったのか。いったい誰のためのものなのか……。
 そんな疑問から取材ははじまった。まずは、4年前の事件当日を資料と証言をもとに再現してみたい。

分娩手術で直面したのは1万件のうち
2、3件の症例という「癒着胎盤」

 '04年12月14日。手術3日前。加藤医師は妊娠36週のAさんに手術の説明をした。その際前置胎盤の出血等の危険性や帝王切開手術となることにもふれていた。
 Aさんは29歳の経産婦で、1人目を帝王切開で出産していた。
 前置胎盤とは、通常なら子宮上部に付着する胎盤が子宮の出口付近に付着した状態。とくにAさんの場合は、子宮口を胎盤にふさがれて赤ちゃんが出ることができないため帝王切開するしかなかった。
 12月17日13時30分。手術当日。
 Aさんが手術室に入る。開腹後、子宮に直接超音波を当てて子宮と胎盤の癒着をチェック。癒着が怖いのは、子宮から胎盤が剥がれなくなるからだ。過去の帝王切開痕を持つAさんは癒着の危険度が高かったが、この検査で癒着を示す所見はなかった。
 14時26分。手術開始。
 同36分、出産。3000グラムで、36週にしては大きめの赤ちゃんだった。出血もここまで羊水を含めて2000mlで、異常は認められなかった。分娩室のなかに一瞬安堵の空気が流れたことが想像できる。
 ところが、続いて胎盤剥離に移ったときだった。
 胎盤はスムーズに剥離できず、医師の指を手刀のように使っての用手剥離で3分の2ほど剥離した。そのとき初めて、手では剥がれにくい癒着が確認された。
 のちの裁判で、検察側は帝王切開の既往があるAさんの場合、癒着胎盤は当然予想すべきであったと主張した。
 しかし、現場の医師たちの意見は真っ向から対立する。
 「癒着胎盤は1万件に2、3件。医師によっては一生遭遇しないほどの稀な症例。癒着は超音波やMRIで診断しますが、正診率は低く、実際に開腹してみて胎盤を剥がしてみなければ発見は難しい」
 6000件の分娩のうち1000件の帝王切開を手がけた、東京都立府中病院産婦人科部長の桑江千鶴子先生(56)でさえ、癒着のある前置胎盤はいまだ経験していない、と語る。
 手術室に戻る。ここにきて、加藤医師はクーパーを使用する。先端がゆるく湾曲した手術用ハサミだ。
 10分後。加藤医師は、クーパーと用手とで胎盤剥離を終えた。しかし、出血は止まらない。
 「産科の出血は特別」
 そして、多くの医師は、揃ってこう言う。
 「蛇口から水がジャージャー流れ出るようで、一瞬で血の海になるほどだ」
 昭和大学医学部教授の岡井崇先生(60)は、医師になって7年ほどしたとき前置胎盤を手がけた経験がある。
 「あの出血を見ると足が震え、手も動かなくなりますよ。僕なんて、今でも怖いと思います。同じ産婦人科医と2人で手術しました。よく救うことができたと不思議に思うほどです」
 当然、一人医長の加藤医師の場合は、手術室で相談する産科医はほかにいなかった。医療ミスが起きたとされる当日の手術室の様子が明らかになるにつれ、加藤医師と事件に対して抱いていた記者の先入観は、揺らいでいった。
 15時35分。血圧が低下し、出血量が羊水込みで7000mlのところで、子宮摘出を決断。16時30分。追加の輸血が届く。子宮摘出手術を開始。
 1時間後。子宮摘出。その直後だった。安定しているかに見えたAさんに心室細動(心停止)が起きる。
 すぐに心臓マッサージを施すなどしたが1時間半後、力尽きる。
 19時1分。加藤医師はAさんの死亡宣告をする。死亡原因は、癒着胎盤による出血性ショックと考えられている。
 手術室の前でも、また別の緊迫した時間が流れていた。
 午後3時前。出産後まもかく出てくるはずの母親の姿が現れない。気をもむ家族たちは看護師に尋ねようとするが、せわしなく出入りするばかり。ナースステーションに聞きにいっても目をそらすように散っていったー。
 というのが、遺族が裁判で陳述した当日の様子だ。
 19時過ぎに死亡したことを聞かされたにもかかわらず、家族が遺体と対面したのは、夜になった22時過ぎだった。
 Aさんを手術室に見送ってから9時間近くが過ぎていた。

「加藤医師に落度はない……」
だが、尊い命が犠牲になっている

 「彼に落度があったとは思えません。メスを握る医師にしてみれば、これは誰にでも起こりうるケース。懸命に治療に当たった医師が刑事罰を受けるようなことがあれば、すでに進んでいた産科の、いや日本の医療崩壊をなんとか食い止めようとしていた医師たちの心を折るようなものです」
 桑江先生は言った。それでなくても、もともと病気ではないといわれるお産を扱う産科の訴訟率は、内科や外科に比べて群を抜いて高い。患者にすれば、期待と結果の落差が大きいからだ。若い医師たちが産科勤務を敬遠するゆえんでもある。
 いわゆる大野病院ショックがこの産科離れを、医療崩壊を加速させた事実は誰より現場の医師たちが痛感している。岡井先生もその一人だ。
 「奈良のたらい回し事件もそうですし、リスクがあれば救急病院ですら見たがらない。個人の診療所でできる処置もこっち(大学病院)に回ってくる。医師はみんな、『大きい病院じゃないと不安だ』と言って、次々に分娩が休止されています」
 実際、今年1月以降全国で77病院が分娩休止、制限を予定している。すでに地方では難しい患者の受入れ拒否が相次ぎ、「病院ではなく、救急車の中で患者が亡くなっている」という複数の医師の証言もあった。
 桑江先生は、
 「もし、加藤先生が有罪に問われるようなことがあれば、私の病院の部下に同じようなリスクを背負わせるわけにはいきませんから、分娩を取りやめるか、安全が確保される患者数に制限することを考えています」
 たしかに、医療崩壊を早急に食い止めなければいけない状況は理解できる。だが、患者側とすれば、医療側の制度や法律の前にもっと大切なものがある。それは、患者と医師の信頼関係だ。
 東京大学医科学研究所の上昌広先生(39)は、Aさんの手術の間、家族らが何の説明もされず待たされていた事実に注目する。
 「病院側のクライシスマネジメント(危機管理)。これは一緒に学んでいくべき課題。加藤先生は手が離せなかったとはいえ、院長なり責任ある人が逐一状況の説明をすべきでした。迅速に情報を開示していれば、ご遺族の理解を得られたかもしれません」
 インフォームド・コンセント(説明と同意)という言葉が日本でも使われるようになって久しいが、昨今、頻発する医療訴訟も、これがないがしろにされているところに端を発しているように思われてならない。
 命を医師に預ける患者側にすれば、死亡者が出た手術の過程で、やっぱり医師からの説明がなかったという事実は、どれだけ加藤医師弁護の言葉を力説されたとしても、どうしても受け入れられない。
 そう思ってしまうのは記者だけだろうか。取材前に感じた疑問が、また脳裏に浮かぶ。
 いったい何のための、誰のための――。

「許されるなら、再び医師として
働きたい。地域医療を担いたい」

 5月16日、福島地方裁判所大野病院事件の最終弁論が行われるこの日、法廷開始の30分ほど前に、加藤医師が弁護士と2人、タクシーに乗って裁判所前に現れた。待ち構えていた報道陣が、いっせいにカメラを向ける。
 グレーに薄いストライプの入った地味なスーツ。白のワイシャツと濃い臙脂色のネクタイ。この日のためだろう、頭をきれいに刈り込んでいる。分厚い大きな鞄を待って、弁護士と一緒に裁判所に入っていった。廷内には、記者が座った傍聴席の前にAさんの遺族らの姿もあった。
 午前10時、開廷。
 最後に、加藤医師本人の意見陳述が行われた。
 用意したペーパーを手に、一礼して証言台へ。言葉を発する前、大きく深呼吸をし、一度両肩を上げ下げしてから語り始めた。
 「Aさんに対し、信頼して受診していただいたのに、お亡くなりになるという最悪の結果になって、本当に申し訳なく思います。初めて受診に来たときから、お見送りさせていただいたときまでのいろんな場面が今も頭に浮かび、離れません」
 静かに語る後ろ姿から、その生真面目さがうかがえる。主任弁護人の平岩敬一氏を通じて、本人から話を聞きたいと何度か依頼したが、
 「彼自身、人並み以上に口が重く、それに遺族のこともあるので、取材にはいっさい応じていません」
 加藤医師は96年に医師免許を取得後、公立岩瀬病院などを経て大野病院へ。この間、約1千200件の分娩を扱い、うち200件が帝王切開。
 '04年には前置胎盤の手術も無事に終えている。一貫してお産と地域医療にこだわったのは、父も産婦人科医だったことと無縁ではないだろう。
 医師としての技量については、報道資料などを読んだほかの医師から「出血量や処置の仕方を見ても、腕のいい産科医だと思います」との評価もあった。だからこその一人医長でもあったはずだ。40歳という年齢を考えても、寡黙にしてプロとして脂の乗ってきた中堅医師の素顔が浮かぶ。
 「年1回の学会くらいは出てもいいんじゃないかと言っているんですが、それも自粛しています。起訴されるまではAさんの月命日には必ずお墓参りもしていました」(平岩氏)
 逮捕後、加藤医師の身分は「休職中」である。事件の舞台となった大野病院では産科もまた休診状態となり、入院・通院含めて30人ほどの患者らは転院を余儀なくされた。
 記者は裁判の数日前、大野病院を訪ねていた。のどかな田舎町にある病床数150の中規模病院。ここで加藤医師は、平日は9時から2時までの外来を担当し、その後は手術や検査に加えて子宮筋腫など婦人科領域と、さらに婦人科がん患者の終末医療にも尽力していた。患者らへの取材でも、「早く加藤先生に戻ってきてほしい」という声を聞いていた。
 法廷では、加藤医師の意見陳述が続いていた。
 「あの状況で、もっとよい方法はなかったのかと考えますが、どうしても思い浮かばずにいます。ご家族にわかってもらいたいが、受け入れられないと思います」
 ずっとこの裁判の傍聴を続けてきた医療雑誌『ロハス・メディカル』発行人の川口恭氏(38)によれば、今回の逮捕劇の一つの原因には遺族をどうやって救済するか、の問題があるという。
 入手した県立大野病院医療事故調査委員会の報告書には、『用手的に剥離困難の時点で癒着胎盤と考えなければならない。クーパーを使用する前に剥離を止め子宮摘出に直ちに進むべきであったと考える』
 と、また一方で、『県と病院側はミスを認めて遺族に謝罪』との新聞報道もあった。当時、警察を逮捕に踏み切らせたのが、この報告書だったとされる。
 しかし、その報告書を鵜呑みにできないと川口氏は見ている。医賠責という保険に医者は入っているが、これは医療側に過失がないと支払われないシステムだ。
 「つまり、ミスを報告しないと保険からはお金が出ない。大野病院は県立病院なので、たとえ税金を使って補償するにしても正当な理由が必要。遺族にお金を支払うには、過失がないと困るのです」
 だからこそ、裁判では一転して被告側はミスを否定、検察側もこの報告書を証拠請求していない。
 「今後はミスがなくても補償される『無過失補償制度』の拡充が急がれます」
 加藤医師の意見陳述は、まもなく終わろうとしていた。
 「真摯な気持ちと態度で医療、産婦人科医療の現場におりました。再び医師として働かせていただけるのなら、また地域医療の一端を担いたいです」
 再び、赤ちゃんを取り上げる産婦人科に、それも以前同様、地域医療の現場に戻りたい、と陳述は締めくくられた。
 実は、平岩弁護士からこんな話を聞いていた。「彼は逮捕から1週間後に子供が生まれました。それは検察も知っていたでしょう。 本当なら自分で取り上げる予定でしたが、それもかないませんでした」
 接見の場で我が子誕生の報を受けたとき、加藤医師は何を思ったのだろうか。おそらく寡黙な彼の目から語られることはないだろう。だが、陳述の最後で述べられた医療現場復帰への意思表示は、彼の医師としての心が折れてはいないことの証しと信じたい。

この裁判に何の意味があるのか。
“患者”に何か残ったのか――。

 「この裁判に、いったい何の意味があるのか。加藤先生を罰することで、何か得られるのでしょうか」
 大野病院事件をきっかけに内科医でありながら『周産期医療の崩壊をくい止める会』を発足させた上先生のこの思いは、関係者だけでなく、記者をはじめ事件を知った人に共通の憤りである。
 「加藤先生を罰して遺族の気持ちが晴れるのでしょうか。残念ながら、お母さんを亡くすというつらい結果でしたが父親とお子さんには今後の人生と養育や補償の問題もあります。裁判が最高裁まで持ち込まれる可能性を考えると、遺族の方もなかなか前に進めないのではないでしょうか」
 現在、裁判中のため遺族への医賠責による補償はストップしたままである。つまり、最高裁まで長引けば数年間は、何の補償も始まらないことになる。かけがえのない家族の命を失ったうえに背負わされた苦悩の果てはいまだ見えない。さらに、加藤医師が有罪になった場合、今まで語られたとおり、治療が難しいと思われる患者の診療拒否や、たらい回しといったケースが増えるのは避けられないだろう。
 そして、天職を奪われた医師本人の職場復帰はいつ決着がつくのか。そう考えると、いったいこの裁判で何か解決するのだろうかという無力感に襲われ、そもそもこの逮捕劇とは何だったのだろうかという思いにまた立ち戻ってしまう。そんなとき思い出すのが、岡井先生のこの言葉だ。
 「これがきっかけになって産科の医療現場の実情が知られたり、議論が活発になるのは唯一の救いかもしれません」
 怒気を含んだ言葉には、いささかの皮肉も込められていたかもしれない。たしかに、表彰されたのが加藤医師を逮捕した警察だけというのも、なんともやりきれない。
 しかし、残された者たちはまた前に進んでいかなければならない。こんな事件が二度と起きないために。
 これは、事件当事者だけの話ではない。いつでも患者になりうる私たち一人ひとりの問題でもあるのだ。
 急ぐべきは、たとえば先の無過失補償制度の拡充、そして、患者側と病院側の信頼関係づくり。
 5月16日の最終弁論の後、その患者側であり、遺族であるAさんのご主人に話を聞こうとした――。
 「すみません。何も答えたくないです」
 なぜ妻が、我が幼な子の母親が死ななければならなかったのか、その意味をはかりきれずに苦しむ姿があった。この遺族の苦しみはあとどれだけ続くのか。
 8月20日、日本の医療の行く末を占う判決が出る。

文/堀ノ内雅一
取材/小野建史
撮影/高野 博
写真提供/共同通信
 

(女性自身 2008./6/24、p76-82)


大野病院事件の影響

2008年05月28日 | 大野病院事件

コメント(私見):

癒着胎盤という、非常に稀かつ予測もほとんど不可能、しかも治療難易度がきわめて高い疾患に対して、救命目的で現在の標準的な医療行為を懸命に実施した医師が、極悪非道の罪人と同様の扱いで、公衆の面前で手錠をかけられて逮捕されました。考えてみれば、これほど無茶苦茶な話もめったにありません。

周産期医療に従事している限り、癒着胎盤にいつ遭遇するかは全くわかりません。そして、いざ癒着胎盤に遭遇した時には、この事件の担当医師と同じような対応をしなければならない立場にいるわけですから、多くの産婦人科医が「とてもじゃないがやってられない」という気持ちになって職を辞してしまいました。今度の判決次第では、現在まだ現場に何とか踏みとどまっている産婦人科医の中からも大量の離職者が出るかもしれません。

いずれにせよ、病院で分娩を取り扱う以上は、24時間体制で産科医、新生児科医、麻酔科医が院内常駐しているような完璧な医療提供体制が当然のごとくに求められる時代になってきました。1人医長体制などのマンパワーの不十分な産科は時代に全く合わなくなりました。今後、産科は集約せざるを得ない世の中の流れにあると思われます。

****** 医療タイムス社、長野、2008年5月23日

産科離れ加速に危機感を表明 

「大野病院」結審で県産婦人科医会・菅生副会長

 福島県立大野病院で、帝王切開手術で女性を死亡させたとして、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医師の公判が結審し、8月20日に判決が言い渡されることになった。このことについて、県産婦人科医会の菅生元康副会長(長野赤十字病院副院長)は本紙の取材に対し、「仮に有罪判決が出れば、産科をやめようという医師はさらに増えるだろう」と、医師の産科離れ加速に憂慮の念を示した。

 公判で争点となったのは癒着胎盤をはがす際の出血が死亡するほどのものかを予測できたかどうかという予見可能性など。菅生副会長は「癒着胎盤というのはどこでも起こりうることなので、私のところに回ってくる可能性もある。医療行為で努力した結果が、刑事罰ということになれば、これはたまらない。民事訴訟で賠償を求められるというのなら分かるが、刑事処分は産婦人科医師にとってショックだ」と語る。

 実際、お産で医師が起訴された影響は大きい。同事件の影響ばかりではないとしても、このところ全国的に産科をやめて婦人科専門としたり、若い医師が産婦人科を希望しなくなったりしている。菅生副会長によれば、特に若手男性医師が産婦人科を敬遠するようになり、20代の産婦人科医の7割は女性という現状も、お産の現場で大きな問題となっている。

(医療タイムス社、長野、2008年5月23日)


福島県立大野病院事件 「無罪」と最終弁論で弁護側が改めて主張

2008年05月21日 | 大野病院事件

コメント(私見):

2006年2月19日付の朝刊の記事を読んで、「一体全体、この医師はなぜ逮捕されなければならなかったのだろうか?」と私はふと疑問に思いました。この新聞記事を読む限り、産科業務に携わっている以上はいつでも誰でも経験しそうな事例のようにも思われました。「何が医療ミスだったのか?」ということさえも、この記事からはさっぱり理解できませんでした。「この事例で担当の医師が逮捕されるというんだったら、自分だっていつ逮捕されるか全くわからない!」と大きな危機感をいだきました。その日以来、この事件に関する報道記事にはずっと関心を持ち続けてきました。

今回の公判後の記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は次のように述べました。

「今回の逮捕・起訴は、産科医療だけではなく、外科、救急医療までにも大きな影響を与えた。はっきりと裁判所が無罪と言うことで、医療現場の混乱が収束し、不安を抱えたままで仕事をしなければならない事態が改善することを期待する。」

「今回の事件は、まず起訴が誤っていたと思う。専門家の意見をきちんと聞かなかったからだ。聞いていれば、起訴はなかったのだろう。こうした意味からすれば、医療の素人の警察に届け出する現在の制度はやはり誤りだと思っている。今検討されているように、医療の専門家で構成する調査委員会に届け出を改めること自体は正しい方向性だ。21条が改正されて、制度が大きく変わること自体は支持したい。ただ今、様々な学会がシビアな意見を出している。それは制度を変えるのだったら、最善のものにしたいという意向からだろう。」

癒着胎盤で母体死亡となった事例

大野病院事件 弁護側の最終弁論 

****** m3.com医療維新、2008年5月19日

福島県立大野病院事件◆Vol.11

「無罪」と最終弁論で弁護側が改めて主張

業務上過失致死罪と医師法違反ともに無罪主張、判決は8月20日

橋本佳子(m3.com編集長)

 5月16日、福島地裁で福島県立大野病院事件の最終弁論が行われた。その冒頭、弁護側は「業務上過失致死罪および医師法違反の罪のいずれについても無罪である」と、改めて主張した。

 弁護側は、今回の事件は、薬の種類や量を間違えたり、誤って臓器を切るなどの明白な医療過誤事件とは異なるとし、「帝王切開手術で患者が死亡」という結果の重大性のみに依拠して責任を追及することを疑問視した。その上で、癒着胎盤についての産科医としての通常の医療行為と医師の裁量そのものが問題視されている事案であり、検察が医学的見地から過失の存否を立証する責任を負うが、明確な主張をせず、十分な立証もできなかったとした。

 本裁判はこの日で結審し、2008年8月20日午前10時から、判決が言い渡されることになった。

 公判の最後に、加藤克彦医師は、「(死亡した女性に対して)ご冥福をお祈りします」と述べ、次のように語った。

 「私は真摯(しんし)な気持ち、態度で、産婦人科医療の現場におりました。再び医師として働かせていただけるのであれば、また地域医療の一端を担いたいと考えております」

 最終弁論は5時間半強、7人の弁護士が交代で

 最終弁論は午前10時から開始、途中、合計で約1時間20分の休憩はさんで、午後4時40分まで続いた。A4判で157ページにも及ぶ「弁論要旨」を7人の弁護士が交代で読み上げた。

 弁論要旨は、以下の11項目から成る。
 第1  結論
 第2  はじめに
 第3  本事件の事実経過について
 第4  癒着の部位・程度およびその点についての被告人の認識
 第5  出血部位、程度について
 第6  因果関係
 第7  予見可能性について
 第8  剥離中止義務の医療措置の妥当性、相当性(結果回避義務について)
 第9  被告人の供述調書の任意性
 第10 医師法21条違反がないこと
 第11 総括 

 業務上過失致死罪に関する検察側の主張を要約すると、「癒着胎盤があると分かった時点で、胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術に切り替えるべきだった。しかし、剥離を中断せず、クーパーで無理に剥離を継続したことで大量出血を招き、それにより死亡した」というもの。

 これに対する最終弁論が第4~第8。検察側の主張と対比すると、以下のようになる。
 第4:胎盤の癒着は子宮前壁にはなく後壁のみ、その深度は一番深いところで5分の1程度。 
 (検察の主張:子宮前壁にも癒着があり、深度は2分の1程度)
 第5:胎盤剥離直後の時点での出血量は、2555mL。胎盤剥離中の出血は最大555mLにすぎず、大量出血はなかった。
 (検察の主張:胎盤剥離直後の時点での出血量は、約5000mL)
 第6:死亡原因として、羊水塞栓の可能性があり、大量出血の要因として産科DIC発症が考えられる以上、大量出血と死亡との因果関係には疑問の余地がある。  
 (検察の主張:胎盤剥離行為による大量出血と、死亡には因果関係がある)
 第7:術前と開腹直後の癒着胎盤の予見可能性、術中の大量出血の予見可能性はいずれもない。
 (検察の主張:術前、遅くても開腹直後には癒着胎盤を予見することが可能。大量出血も予見可能)
 第8:胎盤剥離を継続したことは、剥離後の子宮収縮と止血を期待したものであり、この判断は臨床医学の実践における医療水準にかなうものであり、妥当かつ相当。
 (検察の主張:胎盤の剥離が困難になった時点で、剥離を中断し、子宮摘出術に切り替えるべきだったが、クーパーを利用して漫然と剥離を継続した過失がある)

 これらは、過去13回の公判で、弁護側が繰り返してきた主張でもある。この日の弁論の特徴として、「医療水準」という言葉を多用したことが挙げられる。加藤医師の行為が医療水準に合致していたかを医学的見地から立証することが重要であり、その責任は検察が負うことを繰り返し強調した。

(以下略)


大野病院事件 弁護側の最終弁論

2008年05月17日 | 大野病院事件

コメント(私見):

今回の裁判において、『本事例で癒着胎盤を事前に予測することは非常に困難であったこと』、『被告医師の実施した医療行為は現在の我が国の臨床医学の標準治療に即したものであったこと』などが、この分野における我が国のトップクラスの専門家達の証言によって理路整然と立証されました。

判決がどうなるのか私には全くわかりませんが、今回の裁判のように現代医学の最高権威を総動員して、反論の余地が全くないほど完璧に立証してもなお、実際の医療裁判では有罪の判決になってしまうような世の中であれば、今後、一般の臨床医は医療現場でリスクを伴う治療を一切何も実施できなくなってしまいます。

(以下、5月17日付読売新聞記事より引用)

本件起訴が、産科だけでなく、わが国の医療界全体に大きな衝撃を与えたことは公知の事実である。産科医は減少し、病院の産科の診療科目の閉鎖、産科診療所の閉鎖は後を絶たず、産む場所を失った妊婦については、お産難民という言葉さえ生まれている実態がある。このような事態が生じたのは、わが国の臨床医学の医療水準に反する注意義務を医師である被告人に課したからにほかならない。産婦人科関係の教科書には、検察官の指摘するような胎盤剥離開始後に剥離を中止して子宮を摘出するという記述はない。また、本件で証拠となったすべての癒着胎盤の症例で、手で胎盤剥離を始めた場合には、胎盤剥離を完了していることが立証されている。本件患者が亡くなったことは重い事実ではあるが、被告人は、わが国の臨床医学の実践における医療水準に即して、可能な限りの医療を尽くしたのであるから、被告人を無罪とすることが法的正義にかなうというべきである。

(引用おわり)

****** 読売新聞、福島、2008年5月17日

被告の処置「標準的医療」

帝王切開死最終弁論

 1年4か月に及ぶ公判は、最初から最後まで、検察側と弁護側の全面対決で審理を終えた。16日に福島地裁で結審した、大熊町の県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性(当時29歳)が死亡した事件の公判。業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医加藤克彦被告(40)の弁護側は最終弁論で、「起訴は誤り」などと5時間半にわたって無罪主張を展開。加藤被告の処置が「臨床における標準的な医療」と強調した。医療現場に衝撃を与えた事件の判決は8月20日に言い渡される。

 弁護団の席には、8人の弁護人が並び、時に語気を強めながら交代で153ページの弁論を読み上げた。3月に禁固1年、罰金10万円を求刑した検察側の論告後、「逐一反論する」としていた通りにした。

 女性は、出産後に子宮の収縮に伴って通常は自然にはがれる胎盤の一部が、子宮と癒着する特殊な疾患。加藤被告が手やクーパーと呼ばれる手術用ハサミを使って胎盤をはがした後、女性は大量出血で死亡した。検察側は「大量出血を回避するため、子宮摘出に移る義務があった」と主張し、処置の当否が最大の争点になっている。

 弁護側は最終弁論で、周産期医療の専門家2人の証言や医学書などを根拠に「胎盤のはく離を始めて途中で子宮の摘出に移った例は1例もない」と強調。「加藤被告の判断は臨床の医療水準にかなうもの。検察官の設定する注意義務は机上の空論」と批判した。

 手術中の出血量も争いになっている。胎盤のはく離が終了してから約5分後の総出血量について、検察側は「5000ミリ・リットルを超えていることは明らか」として、はく離との因果関係を指摘するが、弁護側は「そのような証拠はどこにもない」とし、大量出血の要因も手術中に別の疾患を発症した可能性を示唆した。

 弁護側は医師法違反罪でも「届け出をしなかったのは院長の判断」と主張。総括では「専門的な医療の施術の当否を問題にする裁判で、起訴に当たって専門家の意見を聞いておらず、医師の専門性を軽視している」と非難した。

 これまでの公判と同じようにグレーのスーツ姿の加藤被告は公判の最後に3分間、用意してきた紙を読み上げ、現在の心境を述べた。

 主任弁護人の平岩敬一弁護士は公判後、「検察側は予見可能性、結果回避義務などの立証に失敗した」と述べた。一方、福島地検の村上満男次席検事は「一般の感覚から法律という最低ラインを逸脱しているかどうかが問題。証拠に照らして裁判所の公正な判断を希望する」とコメントした。

(以下略)

(読売新聞、福島、2008年5月17日)


大野病院事件 論告求刑公判

2008年03月22日 | 大野病院事件

コメント(私見):

今回の論告求刑の検察側の見解では、周産期医学や胎盤病理学の我が国における最高権威の鑑定や証言の数々、日本医学会日本医師会を含む多くの関連団体・学会から提出された声明・抗議文などをすべて、『それらの団体に所属する医師の証言には、一定方向の力が働いている。結果ありきで任意性に劣る』と一蹴しておいて、癒着胎盤の経験に乏しい専門外の医師の鑑定だけを唯一の判断の根拠としています。

おそらく、今までの裁判の過程で、検察も自分達の間違いに気が付いているはずです。そうだとすれば、間違いを公式に認めて謝罪し、この裁判を即刻中止すべきです。こんなことをやっていたんでは、日本の医療がどんどん崩壊していくのも当然の成り行きです。この国の医療裁判のあり方自体を根本から見直す必要があると思われます。

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癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問
第12回公判 1/25 遺族の意見陳述

論告求刑公判 3/21

【今後の予定】 
5/16  弁護側の最終弁論

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周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ
 第十三回公判について(08/3/21)

ロハス・メディカル ブログ
 福島県立大野病院事件論告求刑公判(1)

産科医療のこれから:第13回大野事件公判!

大野病院事件について(自ブロク内リンク集)

****** 共同通信、2008年3月24日

産科医に禁固1年求刑 福島県立病院の患者死亡

 福島県大熊町の県立大野病院で2004年、帝王切開手術を受けた女性=当時(29)=が死亡した事故で、業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(40)の論告求刑公判が21日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、検察側は「安易な判断で医師への社会的信頼を害した」として禁固1年、罰金10万円を求刑した。

 弁護側は無罪を主張しており、5月16日に最終弁論をして結審する。

 検察側は論告で、大量出血は十分に予見できたと結論付け「胎盤を子宮からはがす『はく離』が困難になったと認識した時点で、子宮摘出に移行すべきだった」と指摘。「『はく離に器具を用いたことはよくなかったかも』と捜査段階で述べるなど異状死を未必的に認識しながら、警察に届けなかった」と主張した。

 その上で「基本的な注意義務に反し過失は重大。公判で器具の使用をめぐって供述を変えるなど責任回避のため、なりふりかまわぬ態度に終始している」と批判した。

 論告によると、加藤被告は04年12月17日、手術の際、無理に胎盤をはがせば大量出血する恐れがあったのに、子宮摘出など危険回避の措置を怠り、はく離を続けて大量出血で女性を死亡させた。異状死だったのに24時間以内に警察に届けなかったとして医師法違反にも問われた。

▽県立大野病院事件

 県立大野病院事件 福島県立大野病院で2004年、女性が帝王切開手術中に大量出血し死亡。県警は06年、「癒着胎盤」を無理にはがしたとして、業務上過失致死容疑などで執刀した産婦人科医の加藤克彦被告を逮捕。各地の医師会から「難しい症例で不当」と抗議が相次いだ。深夜・長時間労働で訴訟リスクも高いため、診療から撤退する産科医不足に事件が拍車を掛けたとされる。医療事故の原因を究明する「医療事故調」創設検討のきっかけにもなった。

(共同通信、2008年3月24日)

****** m3.com医療維新、2008年3月24日

福島県立大野病院事件◆Vol.9

検察の求刑は禁固1年、罰金10万円

起訴事実通りに事実認定、「医師の過失も、結果も重大」

 福島地裁で福島県立大野病院事件の論告求刑が3月21日行われ、検察は被告の加藤克彦医師に対して、業務上過失致死罪で禁固1年、医師法第21条違反で罰金10万円をそれぞれ求刑した。検察は「産婦人科医としての基本的注意義務を怠っており、過失の程度は重大。また夫と子供を持つ女性の死亡という結果も重大である」とし、「厳正に対処する必要がある」と述べた。

 公判後の記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「禁固1年罰金10万円の求刑は、予想よりはやや厳しいものだが、想定の範囲内。検察は自らの都合のいい事実だけを並べて組み立て、求刑している。次回5月16日の最終弁論では、その一つひとつに対して反論していく」との見解を示した。

 論告求刑を端的に形容するなら、「昨年1月の初公判における冒頭陳述をもう一回聞いたようなもの」(公判を傍聴していた人の意見)というのが一番妥当だろう。これまでの計12回の公判で、加藤医師の弁護人は、周産期医療や胎盤病理の専門家の鑑定書を提出し、証人尋問を行い、起訴事実への反論を展開した。しかし、検察は後述するように、これらの鑑定書・供述について、「中立性・正確性が保証されているとはいえず、首是しがたい」などとして、起訴事実にほぼ近い事実認定の下、求刑をした。

「論告要旨」は約160ページに及ぶ

 この日、27席の一般傍聴席を求めて並んだのは、171人。初公判時は26席に対して349人が並んだことを考えるとやや少ないものの、報道陣も多数取材に来ており、世間、そして医療界の関心の高さがうかがえた。

 公判は午後1時30分開廷、途中10分の休憩をはさんで、午後6時20分まで行われた。検察の「論告要旨」は160ページを超すものだった。これを計4人の検察官が交代に読み上げた。

 加藤医師は、業務上過失致死罪と医師法第21条違反に問われている。これらに対して、(1)どのような事実認定をしたか、(2)その事実認定に何の証拠を用いたか――という視点から論告求刑を検証する。

 検察による業務上過失致死罪の事実認定は、以下のように要約できる。これは起訴事実と変わっていない。

 1.死亡した女性は、帝王切開手術の既往があり、全前置胎盤だった。加藤医師は、手術前に、超音波検査などを行っており、癒着胎盤のリスクが高いことを予想できた。遅くても手術開始後、用手的剥離が困難になった時点で、癒着胎盤である認識したことが認められる。

 2.癒着胎盤は、子宮後壁から前壁にかかる、嵌入(かんにゅう)胎盤である。

 3.用手的剥離が困難になった時点で、そのまま剥離を続ければ大量出血の危険性があるため、子宮摘出術に切り替えるべきだったが、それを怠った。クーパーによる剥離を行い、結果的に大量出血を招いた過失がある。

 4.死因は大量出血による出血性ショックであり、心室細動に至り、死亡した。死亡結果と加藤医師の過失と因果関係があることは明らか。

「医療界が抗議している中では中立性が保障できず」

 これらの事実認定の根拠としたのは、「入院カルテ中の麻酔記録と、手術経過を記した医師記録」、さらには起訴前に実施された病理鑑定と鑑定、加藤医師をはじめとする関係者に取り調べを行った際の供述調書だ。

【警察・検察が依頼した鑑定】

 ・病理鑑定医:患者死亡直後の2004年12月末に摘出子宮の組織検査を実施、2005年6
  月に富岡警察署(県立大野病院の地元警察署)に鑑定書を提出、2007年1月に同鑑定
  に対する検察からの照会に対して回答。

 ・鑑定医:2005年10月に鑑定書を提出。

【弁護側が依頼した鑑定】

 ・病理鑑定医:2006年11月に鑑定書、2007年8月に鑑定書追加を提出。

 ・鑑定医A:2006年12月と2007年9月にそれぞれ鑑定意見書を提出。

 ・鑑定医B:2006年3月に意見書、2007年1月に鑑定意見書、同10月に鑑定意見書追加を提出。

 公判では弁護側が別途依頼した鑑定書を提出したが、検察は、(1)鑑定に使用した資料(各種診療記録類、病理組織のプレパラートなど)は不十分なものである、(2)2006年2月の逮捕、3月の起訴後に実施したものであり、立場上、被告に不利な内容を書きにくい状況にあった――などの理由から疑問視した。特に、(2)の点について、「日本産科婦人科学会などが、(加藤医師の逮捕・起訴に対して)抗議声明を出している中で、学会に反する結論を導きにくく、過失を認める供述もしにくい。中立性・正確性を期待することはできない」という見解を示した。

 さらに加藤医師をはじめ、関係者の公判前の供述調書と、公判での証言が一部異なる点があったが、「自己の責任を回避している」「被告人を有利に導きたいという考えから、事実に反する証言をした」などとして公判での証言には問題があるとし、供述調書を尊重した。

院長は産科の専門外、要否の判断は本人 

 次に医師法第21条違反について。当時の県立大野病院のマニュアルには、「医療過誤が疑われる場合に、院長が届け出る」となっていた。

 大野病院の院長は帝王切開手術後、「過誤はあったのか」と加藤医師に尋ねたが、加藤医師は「ない」と答えている。したがって、(1)院長は産科の専門外であり、届け出の要否を判断するのは加藤医師である、(2)そもそも本来、異状死の届け出は死体を検案した医師が行うものであり、加藤医師はそのことを知っていた――などと事実認定された。

 21条の関連では、弁護側が異状死に詳しい法律家の意見書提出や証人尋問を求めたが、一切認められていない。結果的に、21条については、加藤医師と院長への尋問以外の証拠はない。

「最初から結論ありき」は弁護側か検察か

 前述の通り、検察は、医療界が加藤医師の逮捕・起訴に強く抗議している現状にあって、弁護側が提出した鑑定書、手術関係者や鑑定人の公判での証人尋問は信頼性に欠けるとした。「最初から一定の結論を想定して、鑑定を行っている」(検察)。

 しかし、この日の論告求刑では、「最初から結論あり」は検察の方であると解釈できる場面があった。その象徴は以下の点である。

 検察は、「クーパーで無理に胎盤を無理に剥離したことが、大量出血を招いた」としている。前述のように検察は「麻酔記録」に依拠している。だが、血圧や脈拍の記載は正しいとしながらも、出血状況については、(1)出血→出血の吸収→出血量の計測→報告→麻酔記録への記載という過程を経る、(2)本手術の手術経過から判断しても、麻酔記録の記載と、実際の出血状況は必ずしも対応していない――などの理由から、「必ずしも実際の出血状況を記載しているわけではない」としているのである。

 その上で、「用手的剥離を約2分、続いてクーパーで14時40分から約10分間胎盤剥離を行い、クーパー剥離開始時に既に約2000mL(羊水込み)の出血があり、剥離終了後の14時55分ごろまでには約5000mL(羊水込み)に達していた」とし、「クーパーによる剥離開始を境に、1分間当たりの出血量が著しく増加した」と結論付けている。

 しかし、加藤医師が術後に書いた手術記録に「約15分。約5000mL」との記載があるなど関係すると思われる証拠はあるものの、麻酔記録には14時52分時点での出血量は「約2555mL」と記載されている。

 術前の診断から、帝王切開手術、死亡に至るまでの一連の流れで、「誰の意見、何の書類、どんな記載を証拠として採用するか」によって、「いったい何が起こったのか」という事実認定が、つまり加藤医師の過失の有無、および死亡との因果関係の有無が、当然ながら変わり得る。さて裁判所は、何を証拠とし、いかに事実認定するのだろうか――。

 次回の公判は5月16日で、弁護側の最終弁論が行われる予定になっている。判決は、今夏か秋ごろになる見通しだ。

 なお、論告求刑の最後に、検察は「情状関係」を述べ、厳しい対処を求める検察の姿勢がうかがえた。この点については、「被告は医師の社会的信頼を低下させた」で紹介する。

(m3.com医療維新、2008年3月24日)

****** m3.com医療維新、2008年3月24日

福島県立大野病院事件◆Vol.10

「被告は医師の社会的信頼を低下させた」

検察が“医療崩壊”を加速しかねない論告求刑を展開

 橋本佳子(m3.com編集長)

 福島県立大野病院事件の論告求刑が3月21日に行われたが、その最後の場面で検察は、約15分にわたり、「情状関係」を読み上げた。

 被告の加藤克彦医師の2006年2月の逮捕、3月の起訴に対しては、周知の通り、日本産科婦人科学会をはじめ、多くの医療関係団体が抗議声明を出した。しかし、検察にとっては、こうした現状は全く関係ないものだったのだろう。「情状関係」は、“医療崩壊”を加速させかねない内容だが、以下にあえて紹介する。

【3月21日検察の論告求刑「情状関係」】
 (※検察が読み上げたものを書き取った内容のため、完全に再現したものではなく、概要であることをご了承ください)

 本件は、産婦人科医の被告が、29歳の妊婦の第二子の帝王切開手術において、クーパーで無理に胎盤剥離を行い、大量出血を来して死亡させた業務上過失致死罪と、異状死の届け出をしなかった医師法21条違反の事案である。

 産婦人科医としての基本的注意義務を怠っており、過失の程度は重大。胎盤を用手的剥離する際、剥離を継続すれば大量出血し、生命の危険があることを十分に予見しながら、子宮摘出術に切り替える注意義務を怠った。安易にクーパーを用いて無理に剥離を行い、大量出血させ、被害者を死亡させた。

 帝王切開の既往がある前置胎盤の症例では、癒着胎盤の確率は24%と高い。被告人は、被害者が帝王切開既往で、全前置胎盤であり、胎盤が前回の切開創に付着していると認識していた。手術時、子宮前壁に血管の怒張があり、超音波検査で、このことを確認していた。さらに臍帯を引いても胎盤がはがれず、用手的剥離の際は、徐々に子宮と胎盤の間に指が入らなくなった。

 癒着胎盤については、無理に剥離すると、大量出血、ショックで死亡の原因となること、癒着胎盤を認めた場合には子宮摘出手術に切り替えることは、基本的な産婦人科の教科書などに書いてある知見。先輩医師からも、2万mLほどの大量出血の症例を聞いていた。

 産婦人科医としての基本的な知見からも、術前・術中の様々な状況などからも、大量出血の可能性を十分に予見できた。しかし、「手で剥離できない場合でも、剥離を継続しても大量出血しない場合もあり得るだろう」などとして、母体と児の生命の安全を委ねられた産婦人科医としては安易・短絡な判断により、クーパーで無理に剥離を行った。

 その結果、広範囲から湧き出るような出血となり、午後2時55分ごろには約5000mLもの大量出血になった。最終的な出血量は約2万445mL。午後2時55分ごろには、血圧は上が約50、下は約30まで下がり、出血性ショックになった。これは基本的注意義務に著しく違反した悪質な行為であることは明らかであり、被告の過失の程度は重大である。

 本件の結果も重大である。被害者は、夫と3歳の子供を持つ29歳の女性。第二子の誕生を心待ちにしていた。出産後、対面して、「小さい手だね」と声をかけた。しかし、その後、予期せず死亡し、最後に夫や子供に声をかけることもできなかった。今後、長い将来のあったはずの女性であり、何物にも代えがたい生命を奪った結果は重大であり、被害者の無念が察せられる。

 遺族との示談などは行われていない。被告人は公判で、自己の手技について、適切な行為であると主張している現状では、その見込みも乏しい。

 被害者の遺族は、手術開始から4時間経過して初めて、蘇生措置が行われていることを知らされた。さらに出血死した現実をいきなり突きつけされ、深い悲しみを抱き、被害者感情は厳しい。「まさか亡くなるとは思わなかった。今、蘇生しているとの言葉を聞き、衝撃を受けた」「子供たちが不憫で、母親を奪った被告人は絶対に許せない。厳重な処罰を望む」などしている。突然、被害者を失った遺族が、こうした感情を抱くのは当然。

 被告人は、自己の責任回避のため、供述を変えるなどしており、遺族に対して、真摯な反省をしているとは認められない。例えば、用手的剥離が困難になった状況、クーパーの使用目的、剥離中の出血や血圧低下の状況などについて、捜査段階の供述、手術当日の遺族への説明や手術記録などから変えており、信用できない弁解に終始している。こうした責任回避の行為は、本件の遺族だけでなく、わが国の患者全員に医師への信頼を失わせ、医療の発展を阻害する行為であり、非難に値する。

 被告は被害者を自ら検案し、その異状を認識していたが、医師法に基づく届け出も怠った。警察が本件を知ったのは、約3カ月後の2005年3月31日に、事故調査委員会の調査結果が公表され、報道されたのがきっかけである。24時間以内に届け出が行われなかったために、手術関係者の記憶は曖昧になり、胎盤もなくなるなど証拠も散逸、捜査に支障を来した。

 医療は侵襲行為を伴うもので、産婦人科手術は母体と児の生命に対する危険性を内包し、産婦人科医には高度の注意義務が課せられる。医師は社会的信頼を負うもので、患者の生命・身体の安全を全面的に委ねられる存在であり、その行為には重い責任が課せられる。しかし、被告人は安易な判断により、産婦人科医としての基本的な注意義務に違反し、医師に対する社会的な信頼を失わせた。

 さらに、術前のインフォームド・コンセントは不十分であるとされた。大量出血の状況などの報告も遅れたため、元気な姿を待ちわびていた遺族に最悪の事態を伝えることになり、遺族感情を厳しいものにした。この行動も医師の社会的信頼を低下させた。

 大量出血に至り、家族への説明の余裕がない状況になったものの、院長らが応援医師を依頼するかとの話があったが、必要がないと断った。これは不可解であり、専門家として重い社会的信頼を負う立場であるという認識を持っていたのが疑問だ。

 以上から、大野病院の産科医長として地域医療の大きな一端を担ってきたことなどを考慮しても、厳正に対処する必要がある。

(m3.com医療維新、2008年3月24日)

****** OhMyNews、2008年3月22日
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080321/22400

産婦人科医に禁固1年、罰金10万円を求刑

大野病院事件、業務上過失致死と医師法21条違反で

                                                    軸丸靖子

 福島県立大野病院産婦人科で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が出血多量で死亡し、執刀した同院産婦人科医の加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条違反(異状死の届け出義務)に問われた事件で21日、論告求刑があり、検察は「産婦人科医として基礎的な注意義務を怠った執刀医の責任は極めて重い」として、禁固1年、罰金10万円を求刑した。

 起訴状などによると、事件は、加藤医師が帝王切開手術で女児を取り上げた後、胎盤を娩出しようとしたがはがれず、クーパー(手術用はさみ)を使うなどして子宮と剥離させたが、出血が止まらず、死亡させたというもの。

 検察は、帝王切開の既往があった女性の癒着胎盤は予見可能だったにも関わらず、加藤医師が十分な医療体制を取らずに手術を行ったこと、癒着が分かった時点で速やかに子宮摘出に移るべきだったのに無理なクーパー使用を続けて大量出血を起こさせたこと――などを医師の過失として起訴。一方の弁護側は、「ミスはなかった」と医師の過失を全面否定し、争っている。

 論告で、検察は、加藤医師がこれまで法廷で行った証言は、警察や検察の取り調べでの任意供述とは変わっており、信用できないと重ねて主張。また、弁護側証人は同事件に抗議声明を出している医学界の意向を強く受けており、中立性や信頼性に欠けることを指摘した。

 その上で、求刑の理由として、

 「(用手剥離の)手指が入らないほど強い癒着胎盤だったのに、クーパーを使って無理な胎盤はく離を10分以上にわたって続け、次々とわき出るような出血を起こさせたのは、医師として基礎的な注意義務違反である」

 「癒着胎盤の無理な剥離には大量出血のリスクがあるので、直ちに子宮摘出すべきというのは産婦人科医として基本的な知識。大量出血を予見する事情は多数存在したのに、回避しなかったのは、被告は医師として安易な判断をしたといえる」

と、加藤医師の判断ミスを断定した。

 さらに、これまでの公判では触れなかったが、加藤医師が廊下で待っていた女性の家族に説明をしていなかったことについても触れ、

 「出産の喜びを期待して廊下で待っていた家族を、手術開始から4時間、何の説明もなく待たせ、いきなり『すみません、亡くなりました』と最悪の現実を突き付けた。それが遺族の厳しい感情を呼び起した」

と、医師の説明不足が患者家族の不安と怒りをあおったと糾弾。

 「被告は、公判が始まって以降、自分の責任を回避するために、クーパー使用にいたった供述を変遷させた。なりふり構わず、事実をねじ曲げようとする被告人の言動からは、遺族に対する真摯な態度はうかがわれず、厳しく追及されるべきである」

と結論付けた。
 
 また、書面審理のみだった医師法21条違反に関しては、

 (1)癒着胎盤自体で妊婦が死亡するわけではなく、被告の過失による失血死なのだから「異状死」にあてはまるのは明らか

 (2)被告は自分の無理な胎盤はく離によって大量出血が起きたことを認識していた。死亡後の検案も自ら行っており、失血が死亡原因であることを認識していた

 (3)被告は手術直後、「クーパーを使ったのが良くなかったのでは」と考えていたが、病院長に過失の有無を問われたときは「ミスはなかった」と答えた。病院長は産婦人科は専門外なため、被告の回答を信用して異状死の届け出はしなくていいと判断した

 (4)医師法21条は憲法38条(自己に不利益な供述は強要されない)に違反するとの意見があるが、過去の最高裁判決に照らして違憲ではない

――などの理由を挙げ、業務上過失致死とともに医師法21条違反も成立すると主張した。

「法廷での被告の証言は信用できない」

 論告で、検察が再三強調したのは、加藤医師がこれまでに法廷で行った証言の任意性の欠如と、警察・検察が取った同被告の供述調書の信頼性だ。

 加藤医師は、法廷でこれまで、警察・検察の取り調べのあいだは「長時間の取り調べで頭がぼーっとしたこともある」「訂正すると取調官が不機嫌になった」「違うところも訂正してもらえなかった」と、供述調書はすべてが事実ではないと主張していた。

 これに対し検察は、「被告は供述調書の読み上げを受け、サインもしている」「取り調べ中に長時間で疲れたなどの不満はなかった」「被告は弁護人との接見も行っており、弁護人から供述に関するアドバイスも受けていた」として、供述調書には任意性が認められると反論。

 特に、公判開始以降、加藤医師が「そうは言っていない」と否定した胎盤剥離の際の描写、『胎盤をはがそうと指3本を入れたが、徐々に入らなくなり指2本に、やがて2本も入らなくなり、指1本も入らなくなった』という表現について(第7回公判参照)、

 「被告は、供述と公判では発言を変遷させている。自己の責任回避のための事実のねじまげで、信頼できない」

と、繰り返し言及し、法廷での証言よりも、取り調べでの供述の方が信頼性が高いとした。


「抗議声明出した団体の会員の証言は任意性に劣る」

 もう1つ、検察が攻めたのは、弁護側が立てた証人の中立性だ。

 弁護側はこれまでの公判で、周産期医療や胎盤病理の専門家にカルテや麻酔記録、胎盤の顕微標本などの鑑定を依頼し、「加藤医師の医療行為は妥当だった」とする証言を得てきた。

 これに対し、検察側は、「この事件に関しては日本産婦人科学会など多数の学会が抗議声明を出している。それらの団体に所属する医師の証言には、一定方向の力が働いている。結果ありきで任意性に劣る」と主張。

 ・大阪府立母子保健総合医療センター検査科の中山雅弘主任部長が行った鑑定について
 「証人は、わずか4時間弱で、子宮片や顕微標本の観察、標本の写真撮影という多くの作業を行っている。撮影した写真をプリントアウトしたものを元にした鑑定では、写真の資料価値は限定的。試料の吟味に十分な時間が持てないまま、結果を優先させた鑑定に過ぎない」

 ・東北大学の岡村州博教授(周産期医学)が行った鑑定について
 「実際の事実関係に即した鑑定結果とはいえない。証言内容はことさらに被告に肩入れする内容で、被告人の過失を否定する立場から書かれている」

 ・宮崎大学医学部産婦人科の池ノ上克教授が行った証言について
 「胎盤はく離をいったん始めたら完遂するという証言だったが、本件がそれに当てはまるかについては明言していない」

などと、証人1人ひとり発言内容を細かく否定した。

  ◇

 医師不足や救急医療の崩壊に拍車をかけたとして全国的な注目を集めた同事件の求刑とあって、この日は27の傍聴席を求めて171人の傍聴希望者が並んだ。検察の論告は160ページにわたり、4人の検察官が順番に5時間がかりで読み上げた。

OhMyNews、2008年3月22日


あれから2年

2008年02月18日 | 大野病院事件

2.18企画 【新小児科医のつぶやき】 

共通メッセージ:

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します

本件は、癒着胎盤という、術前診断がきわめて難しく、治療の難度が最も高く、対応がきわめて困難な事例です。このような対応困難な事例において、外科的治療が施行された後に、結果の重大性のみに基づいて刑事責任が問われることになるのであれば、今後、外科系医療の場において、必要な外科的治療を回避する動きを招来しかねないことを強く危惧します。

上記趣旨に賛同してくださるコメンテーターの方は「私も賛同する」とコメントに付け加えて頂けたらと思います。また、賛同してくださるブロガーの方はブログのタイトルとアドレスも一緒に御記入お願いいたします。

2006/02/19 癒着胎盤で母体死亡となった事例

2006/02/21 今後の周産期医療の方向性について

2007/02/18 あれから1年

福島大野病院事件について(自ブログ内リンク)

【協賛ブログ一覧】 順不同

加藤医師を支援するグループ
http://medj.net/drkato/20080218.html

新小児科医のつぶやき 2.18
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080218
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080219

天漢日乗
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/02/218_05c5.html
 2年前のこの日、K先生は、胎盤癒着という、極めてまれで難しい症例の産婦さんを担当し、救命できなかった廉で福島県警に逮捕されました。現在も刑事裁判は進行中です。K先生が逮捕されて以降、福島県立大野病院は産科を休止、現在福島県内では、お産の出来る病院が激減しています。これも、この逮捕が与えた影響なのです。少子化の日本では、産科医は貴重な医療資源です。医学的事実を無視した警察の手によって、1人の熟達した産科医が現場から引きはがされているだけでなく、この事件の影響で、全国のお産の現場から、医師が立ち去り、産科志望の若い医師が減っています。わたしはK先生の無罪を信じます。人間は「死を避けられない存在」であり、お産は「母子共に命の危険がある」営みなのです。不幸な病死がすべて、「医師による過失死」だと認められるようなことがあれば、日本のすべての医療現場で、命に関わる治療を懸命に続けている先生達は、やがて立ち去らざるを得なくなるでしょう。日本の医療が崩壊するかどうかは、この裁判の行方にかかっていると言っても、過言ではありません。

勤務医 開業つれづれ日記
http://ameblo.jp/med/entry-10071134731.html
 決して忘れまい。一人の医師がいて、なんら医学的に間違ったことをしていなくても検察に逮捕されたこの日のことを…。

僻地で医療を考える
http://d.hatena.ne.jp/ririnko0406/20080218/1203289041
  まずはじめに、亡くなられた患者様のご冥福をお祈り申し上げます。 しかしながら、亡くなられたのはなぜかの問いには「病気だから」と私は信じますし、逮捕された産婦人科医の「ミス」のせいだとは考えません。 私がその医師であれば間違いなく患者さんは亡くなっておりましたし、救えたと自信を持って言える医師がどれだけいることでしょう。 もちろん、そのような世の中を国民の方々が望むのであれば、そのような方向に向けて我々は自衛いたします。つまり 誰も救えない患者を診たのはたしかに医師にとっても「不幸なこと」であるが、それは国民には関係ない。担当した医師にはきちんと責任を取ってもらう そのような世の中になるのであれば、私は少なくとも医師免許を放り投げ、別の仕事を探します。同じような選択をする医師は多いと考えます。それは結果として日本の医療の崩壊を導くでしょう。 医療には限界があります。どんなに早期で肺癌を手術しても最低1割は再発しますし、心停止後何もせずに10分経過した患者が何の後遺症もなしに退院できる可能性はほぼ0です。しかし、それは医療従事者が手を抜いたわけでもなければミスがあったわけでもありません。しいて言うならば「運が悪かった」それに尽きるのです。患者・医療従事者どちらの運が悪かったのかはあえて申し上げませんが。 人が亡くなる、それも自分の近くの大事な人が亡くなるのはとても辛く、悲しいことです。しかし人間は不死身ではありません。最善を皆が尽くしていたとしても、人は死ぬのです。 私は逮捕された医師は最善を尽くしていたと各種報道から信じます。彼の「無罪」を信じています。

産科医療のこれから
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/02/post-1341-29.html

ある産婦人科医のひとりごと あれから2年
http://blog.goo.ne.jp/comment_allez-vous_madame/d/20080218

ロハス・メディカルブログ 福島県立大野病院事件公判傍聴記(全)http://lohasmedical.jp/blog/2008/02/post_1066.php#more

春秋(産科医不当逮捕事件)
http://www.yk.rim.or.jp/~smatu/iken/sankafutotaiho/index.htm

東京日和@元勤務医の日々 忘れない・・・
http://skyteam.iza.ne.jp/blog/entry/486013/

ななのつぶやき 福島県立大野病院事件に思う
http://blog.m3.com/nana/20080207/1

ななのつぶやき 2月18日に記す
http://blog.m3.com/nana/20080218

天国へのビザ 福島県立大野病院・産科医逮捕から2年
http://blog.m3.com/Visa/20080218/2

ほねまであいして@奴隷院長の日々 今日は2月18日
http://blog.m3.com/akagamablog/20080218/_2_18_

ポンコツ研究日記  2年です・・・
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よっしぃの独り言 もう、2年になります
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さあ 立ち上がろうー「美しい日本」にふさわしい外科医とは
医学史上最悪の刑事事件ー医療者のこころの傷は消えない
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読影室の片隅から あれから2年
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健康、病気なし、医者いらず  福島大野病院事件から2年
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やぶ医師のつぶやき 福島大野病院事件から2年
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S.Y.’s Blog  どちらがいいのか。
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for my poor memory 支持します
http://d.hatena.ne.jp/chai99/20080218/1203302696

日々是よろずER診療 2年前の今日を思う
http://blog.so-net.ne.jp/case-report-by-ERP/20080218

天夜叉日記
http://ameblo.jp/showatti/entry-10073305949.html

君の瞳に恋してる眼科 REMEMBER 2.18 ~第2章~
http://kaleidoscopeworld.at.webry.info/200802/article_4.html

電脳鍼灸あマ指師なあ 医療を萎縮させたくない
http://naa.txt-nifty.com/blog/2008/02/post_596f.html

今日手に入れたもの
http://blog.so-net.ne.jp/kyouteniiretamono/2008-02-18

Dr.Poohの日記 2.18
http://d.hatena.ne.jp/DrPooh/20080218/1203286589

Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」
http://blog.goo.ne.jp/hanamegane_2006/e/aa89382a35feb402671ea23de1efe1c4

やんばる病理医ブログ 2月18日です
http://slummy.cocolog-nifty.com/oshiro/2008/02/218_18fa.html

これきわ雑記
http://koretani.blogspot.com/2008/02/218.html

みなみうら生協診療所
http://minamiuraseikyoshinryojo.hp.infoseek.co.jp/

むさし小金井診療所
http://koganei-med.hp.infoseek.co.jp/

へなちょこ内科医の日記(当直日誌兼絶望日誌)
http://d.hatena.ne.jp/physician/20080218

スーザンのスーザン的世界 産婦人科医が忘れてはいけない日
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がんになっても あわてない 「2006年2月18日から2年」
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うろうろドクター
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出もの腫れもの処嫌わず「この処置がミスだとサツが言ったから2月18日は崩壊記念日」
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シロのほら穴
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サッカーと地域医療の部屋
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新米ママ奮闘記~只今産休中
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エレキも医療も整備しなきゃ。
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後期研修医のつれづれ日記
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Toshikun’s Diary あれから2年。
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医療事務員mycatの日記
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医療報道を斬る 決して忘れない
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医療崩壊の現場から
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私道33号
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幻想の断片
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やってます
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白鳥一声
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医師不足と言うけれど  あれから2年 不当逮捕
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ステトスコープ・チェロ・電鍵 3回目の2月18日
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いなか小児科医 2月18日_不当逮捕の日
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Dr.rijinのギモン
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女医^^遊佐奈子のお気楽!
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INTRODUCTION TO AS/400
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三十六計不如逃
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ザウエリズム 【Zawerhythm】 2.18という記憶
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Dr. Avant ~まだまだ建築&撮影日記?~
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医学処  -医学の総合案内所-
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月の光に照らされて
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備忘録
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志村建世のブログ 福島県立大野病院事件
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医者の常識、世間の非常識~Herr Doktor~
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名古屋に行こまい 
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ふと思うこと
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Natto-bouzuたちの未来へ
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雲のように
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女医あずさの想い…あなたに届きますように。
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お湯 わいとう?
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琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20080218#p2

東ドラ3 30符4翻7700点
http://d.hatena.ne.jp/tondora/20080218#1203345700

半熟-更新日記
http://d.hatena.ne.jp/halfboileddoc/20080218

Gururiの日記
http://d.hatena.ne.jp/Gururi/20080218

兵庫県整形外科医会
http://hcoa.jp/public/index.php?2.18

guideboard
http://guideboard.wordpress.com/2008/02/18/218/

漂流生活的看護記録
http://eboli.exblog.jp/6809115

[es]
http://genb.dip.jp/es/modules/news/article.php?storyid=92

雑記帳
http://d.hatena.ne.jp/youkiti/20080218/p1

duck-billedの日記
http://d.hatena.ne.jp/duck-billed/20080218/1203351013


大野病院事件 第12回公判

2008年01月26日 | 大野病院事件

癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問

第12回公判 1/25 遺族の意見陳述

【今後の予定】 
3/21 検察側の論告求刑
5/16  弁護側の最終弁論
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第十二回公判について
【周産期医療の崩壊をくい止める会】

ロハス・メディカル ブログ
福島県立大野病院事件第12回公判(速報)

第12回大野事件公判!
【産科医療のこれから】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

医療崩壊を食い止めるために
飯野奈津子(NHK解説委員)

****** 医療維新、2008年1月28日

福島県立大野病院事件◆Vol.8

「警察関係者に感謝申し上げたい」

遺族が意見陳述、加藤医師の真相究明と責任追及求める

              橋本佳子(m3.com編集長)

――――――――――――――――――――

 「患者の命を預かる立場として責任を取ってください」(女性の夫)
 「なぜ事故が起こったのが、真相を究明してもらいたいです」(女性の父)
 「警察と検察にお礼を申し上げます」(女性の弟)
  
 1月25日に開かれた福島県立大野病院事件の第12回公判では、遺族の意見陳述が行われ、死亡した女性の夫、父親、弟はそれぞれこう述べた。被告である加藤克彦医師の責任追及、事故の真相究明を求めるとともに、警察や検察に対する感謝の意を表した。

 昨年1月から始まった計11回にわたる公判を経てもなお、医療側と遺族の溝が深いことが浮き彫りになるとともに、医療事故の過失の有無を刑事裁判で争うことの意味を改めて考えさせられる意見陳述だった。

異状死に関する意見書は証拠として採用されず

 この日の公判は午前11時に開廷、午前中は証拠調べが行われ、1時間10分の休憩をはさんで、午後2時すぎには終了した。25人分の一般傍聴券を求めて並んだのは64人。遺族の意見陳述が行われたわりには、注目度はさほど高くはなかった。

 午前中の証拠調べでは、検察側が請求していた加藤医師の捜査段階の供述調書について、その任意性を認め、証拠として採用した。

 一方、弁護側が証拠請求した周産期医療や胎盤病理の専門医計3人の鑑定意見書の採用も決定した。これら3人は法廷で証人尋問も受けている。ただし、異状死の届け出を定めた医師法第21条についての法学者の意見書は、証拠として採用されなかった。加藤医師は、業務上過失致死罪のほか、21条違反にも問われているが、21条については大野病院の院長と加藤医師本人に対する尋問だけで結審することになる。

「自分の行動、言動に責任を取ってください」

 午後に意見陳述したのは、前述のように、帝王切開手術で死亡した女性の夫、父親、弟の3人だ。3人とも、肉親を失った悲しさをそれぞれの言葉で表現しながら、メモを手に10分弱ずつ意見を述べた。

 夫の意見は、加藤医師個人の責任追及が主眼だといえよう。そのポイントを要約すると以下のようになる。

 「術前の説明では、『前置胎盤であり、出血も予想され、子宮摘出の可能性もあるが、輸血は1000mL用意しています。また何かあれば応援を頼みます』などと万全の体制で臨むと聞き、そこまでしてもらえるのか、すべてを医師に託したい、と思いました」
「手術当日は、子供は無事生まれましたが、妻はなかなか戻ってきませんでした。病院に聞いてもはっきりとは言わず、曖昧な返事でした。ようやく医師が現れると、いきなり『亡くなりました』と言われました。その後、手術の説明を聞きましたが、とても納得できる内容ではありませんでした」
「今回の件で一番お話したいのが、責任についてです。私は二児の父親として、責任を持って育てています。手術を受けるに当たって、自分ではどうしようもありませんので、すべてを信頼している医師に託しているのですから、命を預かる立場として責任転嫁はしないでください。何かが欠けているのか、ミスをしたのかなどを考えてください。弁護士は医師に何も問題がないと言います。緊急時の対応や手術にミスがないのなら、なぜ妻は死んだのでしょうか」
「事故後は、悲しい、寂しい、つらい日々です。妻の笑顔がなくなり、これからこの状況で暮らしていくと考えると暗い気持ちです」
「自分の行動、言動に責任を取ってください。言い訳しても一人の人生が変えるわけではありません。一人前の大人として、しっかり責任を取ってください」
「一般社会の中で、医療は聖域でした。素人の関与は許されないと思っていました。それが今回の事件は、社会の出来事になりました。真に開かれた医療を求めていきたいと思います」

「娘は、大野病院でなければ、亡くならなかった」

 父親は、加藤医師への不信感を表すとともに、「真相究明」を求める言葉を何度も繰り返した。

 「まさか命を落とす状況だとは思っていませんでしたが、加藤医師が18時45分ごろ来て、突然、『亡くなりましたが、今、蘇生をしています』と言いました。その後、説明を聞きましたが、坦々を話すので、すべて疑問に思いました。記録を見ると、そこには娘が生きたくて必死にがんばった姿が残されていました。くやしいと思い、また何かおかしいと疑問を持ちました。事故の真相を究明してほしいと思い、カルテなどのコピーをもらうなどの行動を取りました。病院を後にするとき、解剖の申し出がありましたが、即座に断りました」
「事故後の12月26日に加藤医師から聞いた話と、法廷での説明がなぜ違うのか、不思議な気持ちでいっぱいです。示談の話もありましたが、なぜ事故が起きたのか納得できず、お断りしました」
「娘は大野病院でなければ、亡くならなかったと思います。なぜ事故が起きたのか、事故を防ぐことはできなかったのでしょうか。(真相究明に当たる)警察の関係者には感謝しています」
「癒着胎盤は、産婦人科医にとっては一生に一度遭遇するか否かの極めて稀な症例、1万人の妊婦に1人という稀なものであり、大量出血はまれなどと言われ、娘はダメだったと言われても、それは人格侵害、誹謗中傷であり、遺族はますます逆境に追い込まれます」
「事前に、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンを取るよう、なぜ勧めてくれなかったのでしょうか。なぜ真実の説明と対応をしてくれなかったのでしょうか」
「術前には院内外のアドバイスがあり、手術中には幾度も他の方が(他の医師に応援を頼むかなどの)警鐘を鳴らしたのに、それを無視した加藤医師の行為は許せません」
「医療機関の管理体制を強化し、二度と悲しい事故は起こさないようにしてください。再発防止と安全管理にまい進してください」

 さらに、弟は次のように不信感を示した。
「手術中、長時間待っていましたが、病室に待機していた家族に一報をし、院内が緊急体制になっていれば、納得できました。本当に最善を尽くしたのでしょうか、と不信感を持つのは当然のことだと思います」
「(事実が解明できなかったときに)光を差し伸べてくれた警察、検察にお礼を申し上げます。このようなミスは二度と起きないでほしいと思います。この無念な思いは、天国にいる姉の思いを代弁したものです」

事件の発端は説明不足、晴れぬ遺族の思い

 大野病院事件が医療界に与えた影響は大きく、萎縮医療などを招き、臨床の現場に混乱をもたらした。その一方、医師法第21条が問題視され、死因を究明するための組織、“医療事故調”設置の議論につながった。

 一つの事件を契機に世論が動き、制度の見直しに発展する――。医療界に限らず、社会問題がこうして改革されるケースは多いが、大野病院事件はその典型といえよう。

 しかし、大野病院事件の当事者にとって、この裁判はどんな意味があり、どう受け止めているのだろうか。遺族はこれまでの公判を傍聴した上で、この日の意見陳述に臨んだ。公判で周産期医療や胎盤病理の専門家たちの話を聞いても、弁護側と検察側のやり取りを目の当たりにしても、「なぜ死亡したのか」、その疑念は晴れなかったのである。どんな判決が出るか分からないが、加藤医師が有罪か無罪か、いずれであっても真相究明がされたと受け止めるのだろうか。今回の事件において、術中および術後の説明・対応が十分でなかったことは否めないだろう。それによって生じた病院への不信感が根底にある以上、遺族の思いは、刑事裁判によっても晴れないこともあり得る。

 なお、論告求刑と最終弁論は、当初予定より1週間遅れ、それぞれ3月21日、5月16日に行われる。

(医療維新、2008年1月28日)

****** OhmyNews、2008年1月26日
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080125/20149

「病院には真相明らかにしてもらえなかった」

福島県立大野病院事件で遺族が意見陳述

【軸丸靖子】

「『天国から地獄』という言葉が、そのまま当てはまる状況だった」――。

 福島県立大野病院産婦人科で2004年12月に帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条違反に問われている事件の第12回公判が1月25日、福島地裁で開かれた。

 公判が始まって丸1年。残った証拠調べを終えて結審となったこの日、初公判から傍聴を続けていた女性の遺族3人が意見陳述に立ち、無念と、加藤医師に責任を求める決意を改めて述べた。

「ミスなかったなら、なぜ妻は死んだのか」

 最初に陳述に立った女性の夫は、手術前に加藤医師から説明を受けたときのことを振り返り、「輸血を用意し、万が一に備えて応援医師も依頼してあるという加藤医師の言葉に、『そこまでしてもらえるのか』と安心して、すべてを託した」「『天国と地獄』という言葉があるが、それがそのまま、当てはまる状況だった」と語った。

 帝王切開手術当日。予定通り、女性が手術室に入って、まもなく赤ちゃんが生まれた。

 「ところがいつまで経っても妻が戻ってこない。看護師に聞いてもはっきりしない。そのうちに奥の部屋に呼ばれて、先生が突然、『申し訳ありません。亡くなりました。いま蘇生しています』と頭を下げた。手術の説明を受けたが、とても納得のいくものではなかった」

 夫が繰り返しのは「責任」という言葉だ。柔らかい語り口ながら、激しい言葉使いで医師を非難した。

 「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」

 「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。病院は不測の事態のための設備を整えているはず。ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」

 「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。責任を取ってほしい。取ってもらいます」

警察・検察に感謝する

 続けて陳述に立った女性の父親は、事故後の医師と病院の対応に不信感がつのった、と話した。

 「状況を淡々と説明する加藤医師の姿に疑問を持った。医療記録には、生きたくて必死に頑張った娘(女性)の姿が残っていた。悔しい、何かがおかしいと思って、カルテのコピーをもらった。遺体の解剖は拒否し、悔しさを胸に、病院をあとにした」

 「事故から半年後に病院から示談の話が来たが、時期尚早と話し、交渉は立ち消えた。病院の壁は厚く、なぜ事故が起きたのか、真相が明かされないまま、ただ時間が過ぎていった」

 警察・検察が捜査に動いたことは、遺族にとって朗報だったという。しかし公判で弁護側は、癒着胎盤の発生率は1万分の1程度できわめてまれである、予見は難しい、女性の胎盤が通常より大きく、異常も認められる、とする証言を重ね、医療過誤を否定した。

 これに対し、女性の父親は、「『だから助からなかった』といわれるのは、娘の人権を否定し、誹謗中傷するもの」と断罪。

 「医師不足問題と今回の問題も別問題だ。患者に安心と安全を与える医療を実現してほしい」と結んだ。

 女性の弟もまた、手術中に家族への説明がなかったことを批判し、「その状況に光を差し伸べてくれたのは警察・検察。亡き姉に代わって感謝したい」と話した。

 公判で審理されなかった医師法21条(異状死の届け出)違反については、書面審理となる。次回は3月21日で、検察が論告求刑を行う。弁護側の最終弁論は5月16日。判決はその2、3か月後になる見込み。

  ◇

医師と患者のあいだに横たわる、絶望的な不信感

 丸1年にわたった大野病院事件の裁判が、福島地裁で結審した。

 争われたのは癒着胎盤の予見可能性、胎盤はく離にクーパーを使用した妥当性、胎盤剥離の中止と子宮摘出への移行などという、いずれも高度な医療上の判断の是非。それに、医学の素人である裁判所、弁護士、検察が取り組んでいる。

 有罪となれば、被告である執刀医は「犯罪者」だ。もともと産科は医師が患者から訴えられるリスクが高い診療科だが、大半は民事。それが刑事事件に発展したために「結果が悪ければ罰せられるのか」と全国の医師が猛反発した。おりからの医師不足、医療崩壊に拍車をかける事件として、政界、行政からも裁判の行方が注視されている。

 公判では毎回、精力的な応酬が繰り広げられた。私も初回から取材を続けた。しかし結審まで見て、残されたのは、医師と患者のあいだにある不信の溝の深さへの、単純な絶望感だ。

 産科で「訴訟リスク」が高い最大の理由は、出産という人生最良の瞬間を心待ちにする夫婦が、事故で一瞬にして絶望の淵に突き落されてしまうためだ。

 妊婦は健康な状態で入院する。この点が、病気やけがで入院する人と決定的に違う。その状況で、分娩中に何かが起こると、生まれた子どもに脳性まひなどの障害が残ったり、母体に危険が及んだりする。これが産科医に対する訴訟の多さにつながる(産科無過失補償制度が実施に向けて進んでいるのはそのためだ)。

 今回の大野病院事件でも、女性の遺族は、「天国から地獄」という表現で、こうしたずっと以前から言われている問題を指摘した。

 「病院は真相を明らかにしてくれなかった」「納得のいく説明がなかった」という指摘もまた、小説『白い巨塔』の時代から言われている医療界の問題だ。

 もう何年も前から、医療機関には医療安全対策を講じることが求められている。そのマニュアルには、何か起きたらリスクマネジャー(事故防止や事故対応の担当者、医師や婦長クラスの看護師が多い)がすぐに患者・家族に知らせ、病院長以下が直接、迅速に対応するよう、書かれている。遺族への説明には、リスクマネジャーや病院長らが同席し、担当医1人に任せない。こうした気配りが、医師―患者間の信頼関係を維持し、医療事故を“紛争”に発展させないための最善の策だからだ。

 弁護団代表の平岩敬一弁護士は、「本当は、遺族へのケア――『これはこういうことなんですよ』と説明してくれることが、必要なんだと思う」ともらす。

 それは、司直が手出しする話ではなく、医療界が率先して担うべきことではないだろうか。

 大野病院事件の遺族の意見陳述には、ここまでこじれずに済んだのでは、と思われる部分が多々ある。無論、患者側にも問題はあるだろう。医療に何かを求めるなら、もっと医療を理解しなければならない。そもそも日本の医療は多くを求められるレベルにない。そのことが、一般に知られなさすぎることも事実だ。

 医師と患者が、互いに理解を怠ってきた長年のツケが、この事件に回っているのではないか。加藤医師、女性の遺族とも、その被害者なのではないかと、思われてならない。

OhmyNews、2008年1月26日


大野病院事件 第11回公判

2007年12月22日 | 大野病院事件

癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)

第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問

【今後の予定】 
1/25 証拠書類の採否を決定、遺族の意見陳述
3/14 論告求刑
5/ 9  最終弁論
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ロハス・メディカル ブログ

 福島県立大野病院事件第11回公判(0)

 福島県立大野病院事件第11回公判(1)

大野事件 第11回公判!【産科医療のこれから】

第十一回公判について
【周産期医療の崩壊をくい止める会】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

****** m3.com 医療維新、2007年12月25日

福島県立大野病院事件◆Vol.6

「異状死の届け出はしなくていい」
医師法第21条で加藤医師への尋問、院長との会話が明らかに
橋本佳子(m3.com編集長)

 大野病院院長:「医療過誤はあったのか」
 加藤医師:「いえ、ありません」
 大野病院院長:「それでは、異状死の届け出はしなくていい」

 福島県立大野病院で、女性が大量出血で死亡したのは2004年12月17日のこと。当日の夜、被告である加藤克彦医師と同病院の院長との間で、こんな会話が交わされたという。加藤医師は、業務上過失致死罪に加えて、異状死の届け出をしなかったとして医師法第21条違反にも問われている。先週末の12月21日に開かれた第11回公判では、加藤医師は、「異状死の届け出対象は医療過誤で、施設長である院長が届け出る」という認識を持っていたと述べた。

加藤医師は当時の厚生省指針に準拠

 この日の公判では、25人分の一般傍聴席を求め、並んだのは63人。午前10時開廷で、午前中は12時まで、午後は1時から3時まで、被告人質問が行われた。

 医師法第21条に基づく異状死の届け出について、加藤医師の認識や院内でのやり取りが明らかになったことが、この日の一番のポイントだ。そのほか、女性の死亡に伴い、被告の加藤医師がどんな心境に陥ったか、また遺族側といかなるやり取りがなされたかなど、当時の様子が語られ、非常に興味深い展開になった(これらの点については、「墓前で自然な気持ちで土下座した」を参照)。

 医師法第21条は、「医師が異状死体を検案した場合は、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定めている。しかし、何が「異状死体」に当たるのかなど、21条の解釈をめぐっては、日本法医学会や日本外科学会、厚生労働省など様々な団体が異なる解釈を出しており、医療現場は混乱しているのが現状だ。

 加藤医師は、21条について、「事件や事故で死亡した場合や医療過誤で死亡した場合に、施設長である院長が警察に届け出るという認識だった」と語った。ここでいう「医療過誤」とは、「医療準則に反した行為」などを想定したという。加藤医師の頭には、当時の厚生省保健医療局国立病院部が2000年に作成した「リスクマネージメントマニュアル作成指針」が念頭にあった。この指針では、「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載している。また大野病院の「医療事故防止のための安全管理マニュアル」も、この指針に沿った内容になっている。加藤医師は、大野病院のマニュアルの存在は知っていたものの、内容は読んでいなかった。

「過誤がないなら、届け出はしなくていい」と院長

 手術当日、加藤医師は、異状死の届け出について、院長と2回話す機会があった。1回目は、女性の死亡直後の19時半ごろで、手術室から出た直後、廊下で立ち話をした際だ。加藤医師が「届け出はしますか」と聞いたところ、院長は「届け出はしなくていい」と、「届け出は君の仕事ではないから」というニュアンスで話したという。

 2回目は、22時40分ごろに女性の死亡退院を見送った後、院長と話し合いをした際だ。手術を担当した麻酔科医が同席して、手術の経過を説明するとともに、死亡原因については出血性ショックによる心室細動であると説明した。

 院長は「過誤はあったのか」と質問したが、加藤医師は「いえ、ありません」と答えた。同様の質問をされた麻酔科医も「ありません」と答えた。院長は、「医療過誤がないから、届け出はしなくていい」との趣旨の発言をして、話し合いは終わった。

 その直後、院長は福島県の病院局長との電話で、「過誤ではないから、届け出はしなくていい」という趣旨の話をしていた。その後、12月20日に各診療科部長などが集まった会議の席上でも、「過誤はないと考えられるので、届け出はしなかった」と院長は説明したという。

 医師法第21条に関する証人尋問は、第4回公判で院長に対して行われたのみ。弁護側は、高名な法学者の21条に関する意見書を証拠として出したが、採用はされなかった。それだけに、加藤医師のこの日の証言は重要な意味を持つ。ただ、たとえ院長が「届け出なくていい」と言ったとしても、法律上は「異状死体を検案した医師が届け出る」となっている。また、前述のように「異状死体」の定義は必ずしも明確ではない。加藤医師が21条違反の罪に問われるか否かは、微妙なところだ。

「検察官は何をお聞きになりたいのですか」と裁判長

 そのほか、第11回公判では、裁判長が検察官の尋問のやり方を問題視するという、珍しい場面があったので、触れておく。裁判長の心証がうかがえた場面でもある。

 加藤医師の法廷での証言には、起訴前の取り調べの際の供述調書などと食い違う点が幾つかある。例えば、供述調書では、「胎盤を子宮から剥離する際、クーパーを使用した」としているが、この日は、「クーパーと用手剥離を併用した」と話した。

 その理由を聞かれた加藤医師は、「記載はないが、そういう(クーパーを併用しているという)気持ちで説明した」と話した。検察側は加藤医師の記憶の曖昧さを問題視し、証言の信憑(しんぴょう)性に疑問を投げかけようとしたのか、何度か同じ質問を繰り返したところ、裁判長が「要するに、検察官は何をお聞きになりたいのですか。もうお答えになっているじゃないですか。検察官が思った答えが出ないというだけではないのですか」と制した。

「検察は立証に失敗している」と弁護団

 公判後、午後4時半すぎから開かれた記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「弁護団は、検察は立証に失敗しているとみている。これまでの証人尋問により、検察が主張する用手剥離の中断は、臨床現場では行われていないことが明らかになった」と語った。検察の訴因は、「用手剥離で出血を来した場合は剥離を中断して、子宮摘出に移行すべきである。しかし、用手剥離を継続した。そのことが大量出血を招き、死亡につながった」という点だ。だが、これまで証人尋問を受けた周産期医療の専門家は、剥離の完遂により子宮収縮が期待でき、止血作業もやりやすくなると証言している。

 次回の公判は来年の1月25日。供述調書などの証拠調べのほか、遺族3人(死亡した女性の夫、父、弟)の意見陳述が行われる。

(m3.com 医療維新、2007年12月25日)

****** m3.com 医療維新、2007年12月25日

福島県立大野病院事件◆Vol.7

「墓前で自然な気持ちで土下座した」
加藤医師が事故後の心境や遺族とのやり取りを語る
橋本佳子(m3.com編集長)

 「私を信頼して、受診してくださったのに、亡くなってしまうという悪い結果になったことを本当に申し訳なく思っています。突然お亡くなりになり、本当に私もショックでした。

 亡くなってしまってからは、(女性が)受診したときからのいろいろな場面が頭に浮かんできて、頭から離れない状態になりました。
 
 家族の方には分かっていただきたいと思ってはいるのですが、なかなか受け入れていただくことは難しいのかなと考えています。

 こうすればよかった、他にいい方法があったのかとも思いますが、あの状況でそれ以上のいい方法は思い浮かびませんでした。

 亡くなってしまった現場に私がいて、私がその現場の責任者で、亡くなってしまったという事実があるわけで、その事実に対して責任があると思われるのも、当然のことだと感じています。

 できる限りのことは、一生懸命にやりました。ただ、亡くなってしまったという結果は、もう変えようもない結果ですので、非常に重い事実として受け止めています。申し訳ありませんでした。

 最後になりますけれども、ご冥福を心からお祈りします」

「すみません」とずっと頭を下げていた

 福島県立大野病院事件の第11回公判では、女性の死亡後、被告である加藤克彦医師と、遺族との間でどんなやり取りがあったのか、その詳細が加藤医師本人の口から語られた(公判の概要は、「異状死の届け出はしなくていい」を参照)。前述したのは、弁護士が一連の経過を尋ねた後に、「最後に遺族に対して」とコメントを求めた際、加藤医師が語った言葉だ。

加藤医師の証言を基に、当時のやり取りを再現しよう。

 本事件で、帝王切開手術を受けた女性が死亡したのは、2004年12月17日の19時1分。死亡直後、加藤医師は突然の死亡にかなりショックを受け、茫然として、頭が真っ白になったという。

 手術室にいたスタッフ全員で合掌。その後、腹部の縫合や点滴ラインの抜管、死亡後の処置などを行い、19時30分すぎにやや広めの病室に遺体を運んだ。その後、遺族のほか、それ以外の人も含めて十数人が集まった。最初は沈痛な雰囲気で遺族らは遺体の手を握って、泣いていた。加藤医師は、手術の経過を説明しようと思っていたが、遺族以外の人もいたため、説明を控えていた。

 いろいろな人が加藤医師の前に来たが、中には罵声を浴びせるような人もいた。そのように言う気持ちは当然だとは思いつつも、「この時は、かなりこたえた」(加藤医師)という。その病室にいたのは約1時間。「すみません」と何度も言いながら、ずっと頭を下げている状態だった。

 その後、別室に移り、死亡した女性の夫と、夫妻の双方の両親、病棟の看護師長、助産師が同席し、加藤医師は入院から手術、死亡に至る経過を説明した。

 本件の手術は、14時26分に開始した。術中、輸血用の血液を追加発注し、その到着までに約1時間半ほどかかった。手術中に説明がなかったことを遺族から指摘され、この点については、加藤医師は「説明する余裕がなかったので、申し訳ありません」と謝罪した。家族への説明は約1時間かかった。この説明の際に書いた紙も、コピーして手渡した。

 加藤医師は、死亡原因を知りたいとの考えから病理解剖を勧めたが、「これ以上、体に傷を付けたくない」との理由から断られた。

 その後、加藤医師は、死亡診断書を書いた。「妊娠36週の帝王切開手術で、癒着胎盤があり、出血性ショックを来し、心室細動が起こり、心停止した」という旨を記した。死因については麻酔科医と話し合ったこともあり、あまり迷わずに書いたという。

 遺族が遺体とともに病院を後にしたのは、22時40分ごろ。病院の裏の玄関まで行き、加藤医師をはじめとするスタッフが見送った。「非常に悲しかった。遺族に申し訳ないという気持ちでいっぱいだった」(加藤医師)。

「土下座してくれ」と遺族に言われる

 加藤医師は、死亡した女性の告別式には出席しなかった。病院や県の病院局と話し合った結果だ。女性のことは、ふと頭に浮かんだり、カルテを整理しているときなど、頻繁に考えていたという。

 死亡から約10日後の12月26日、院長、事務長、麻酔科医とともに、加藤医師は女性宅を尋ねた。手術の経過を改めて説明するとともに、「精一杯がんばったけれども、こんな結果になって申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 大野病院の事故調査委員会は、翌2005年3月に、事故の調査報告書をまとめている。その際にも遺族に会ったが、「墓前にも報告してくれ。お墓のところで、土下座してくれ」と言われたという。「死亡させてしまったという気持ちが強く、本当に申し訳ないと思い、自然な気持ちで土下座しました」(加藤医師)。

 その後、2006年2月の逮捕前までは月命日の前後の休日に、逮捕後は命日に墓参をしているという。

 女性の死亡直後も、また今でも加藤医師は、「自分の手技に問題があったとは考えていない」としている。それでも、女性の突然の死亡にショックを受け、強い謝罪の気持ちを今に至るまで持ち続けている。

(m3.com 医療維新、2007年12月25日)

****** OhmyNews、2007年12月21日

福島県立大野病院事件、被告医師が経緯を語る

記者:軸丸 靖子

 2004年12月に福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と異状死の届け出違反(医師法21条違反)に問われている事件の第11回公判が21日、福島地裁で開かれた。

 今回は、8月の第7回公判で終わらなかった被告本人への尋問の続き。21条違反があったかについて、弁護側は、女性が亡くなってからの医師と病院側の対応を問いただした。

患者死亡後の経緯生々しく

 手術室で女性の死亡が確認されたのは04年12月17日午後7時1分。そのときの心境を問われた加藤医師は、

 「突然亡くなられたので、かなりショックで呆然として頭が真っ白だった。信頼して受診していただいたのに悪い結果になってしまって、本当に申し訳ないと思った」

と話した。

 手術室ではその後、スタッフ全員で合掌。腹部を縫合し、点滴などの管を抜いてガーゼを充填、病室へ戻す準備をした。広めの病室へ運ぶと、女性の家族ら 10数人が入ってきた。死亡に至った経過を説明しようとしたが、目の前に次々にいろいろな人が立ち、罵声を浴びせられることもあって説明できる状態になかったという。

 「かなりこたえた。そう言われるのも当然だろうと思い、1時間くらいはその部屋にいた。(結果的に何も言えず)すみませんと何度も頭を下げていた」(加藤医師)

 その後、別室で女性の夫と双方の両親に経過を説明した。午後2時26分に始まった手術で4時間以上、輸血を待っていた1時間のあいだにも説明がなかったことを家族に指摘されたという。

 加藤医師はその後、死亡診断書を書き、午後10時半過ぎに退院する女性と家族を病院の裏口まで見送った。

 その足で院長室へ向かい、麻酔医とともに、女性の受診から術中死亡までの経緯を説明。胎盤剥離の経過やクーパーの使用についても説明したが、「医療過誤はないから異状死の届け出はしなくてよい」と院長が判断した。手術直後、および数日後にあった院内の会議でも同様の話が出たが、いずれも届け出は不要と言われたという。

 女性の葬儀には、病院と県病院局の判断で参列しないことになったが、数日後に女性の自宅で謝罪した。

 「『お墓で土下座してきてくれ』と言われたので、行った。女性を亡くならせてしまったという気持ちが強く、本当に謝罪したいという思いで自然に土下座した。(その後も)お墓を教えていただいたので、逮捕前までは月命日の前後の休日に行っていた。逮捕後は年1回の命日に行っている」

と語った。

 ただ、女性の死亡に関して医療過誤があったかに関して、医療過誤の定義を問われた加藤医師は、医療準則に反した場合に被害が生じた場合」と明言。この件では準則に反しておらず、医療過誤ではないと考えているとの見解を改めて示した。

「検察は何が聞きたいの?」

 一方の検察側は、応援医師を依頼するときのやりとりや、術中エコーでの所見、クーパー(手術用はさみ)の使い方などについて、過去の尋問ですでに行ったのと同じ問いを繰り返し、加藤医師の証言の揺れや、供述調書と証言の矛盾を突いた。

 特に、癒着した胎盤の剥離にクーパーを用いた考えや使い方については、細かく追及。

 供述調書では「クーパーで剥離した」となっているのに、法廷では「クーパーと指を併用した」となっていることについて、「頭の中に(併用は当たり前という考えが)あったというが、声に出して言ったのか?」「この件については前回の証言で何と答えたか?」と記憶を試すような問いを繰り返したため、弁護団の異議を受けた鈴木信行裁判長が「裁判所としては、それについては答えが出ている」と口をはさむ場面も。

 「要するに、検察官は何をお聞きになりたいんですか? もう答えているじゃないですか」

といさめても「まだ」と食い下がる検察官を

 「(検察が)思った答えが(被告から)出ないというだけじゃないでしょうか」

と制し、傍聴席を驚かせた。

 次回は1月25日で、証拠の採否が決まるほか、女性の家族が意見陳述に立つ予定。

(OhmyNews、2007年12月21日)


大野病院事件 第10回公判

2007年11月30日 | 大野病院事件

癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)

【今後の予定】 
12/21 加藤医師に対する本人尋問
  3/14 論告求刑
  5/ 9  弁護側の最終尋問
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 福島県立大野病院事件第10回公判(0)

 福島県立大野病院事件第10回公判(1)

大野事件 第10回公判!【産科医療のこれから】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ

第10回 公判傍聴記   平成19年11月30日

 9時30分開廷、本日は、弁護側証人として宮崎大学医学部産婦人科 池ノ上 克(ツヨム)教授。

 平成13年から本年まで16年間で前置胎盤で癒着胎盤であった症例は12例(4700件の分娩のうち)あったと証言。前壁に癒着胎盤があった症例は10例で、後壁に癒着があったものは1例(4700の分娩に1例)であったと証言した。12例の癒着胎盤の中で子宮摘出したものは9例あり、9例中、胎盤剥離をせず子宮を摘出したものは5例であり、これらは開腹後子宮前壁に穿通胎盤と明らかに癒着胎盤とわかった症例と、術前の超音波診断で強く癒着胎盤が疑われ、子供さんが二人以上いてこれ以上子供さんを希望していない症例に子宮を摘出したと証言した。

 胎盤を剥離後、やむをえず子宮を摘出したのは4例、子宮摘出前に胎盤を剥離するときは、途中で胎盤剥離を中止せず、すべて胎盤剥離を完了してしまうと証言、その方が子宮収縮が起き、出血が少なくなり、また止血操作がやりやすいことを説明した。逆に、もし胎盤の剥離操作を途中で止めて子宮摘出に移ると、出血が非常に多くなり、手術操作もやりにくい、そのために胎盤剥離を完了すると証言した。

 術前診断について、超音波診断で、①クリアゾーンの消失、②プラセンターラクネの存在、③ブラッダーラインの途絶の3つの所見について検討すると、これら3つの所見がすべて存在した症例ではすべて癒着胎盤であったが、1又は2つの所見のみの場合はすべて癒着胎盤ではなく、術前の癒着胎盤の診断は困難であることを示した。後壁の癒着胎盤は超音波診断はできないこと、そのためMRIの有用性について検討したが現在の段階では、超音波診断を凌駕するまでの検査法ではないことを証言した。

 胎盤剥離には、帝王切開症例はすべて用手剥離を施行しているが、剥離困難の場合に局所的にキュレットを使用していること、証人本人はクーパーを使用したことはないが、大阪の国立循環器病センターの池田先生はクーパーを使用していると聞いているし、また、Operative Obstetricsという教科書にも記載があることも証言した。

 前置胎盤では、子宮下部に胎盤が付着しているため、胎盤剥離後、その場所の子宮収縮は体部と比べて悪く、出血がどうしても多くなる。妊娠末期の子宮には、1分間450~600 mlの血液が流れているので、短時間に大量の出血が起こることはしばしばあることも証言した。今回の症例は、出血量が8000 ml以上になった時にDICになった可能性が高いことを強調した。

 今回の件で、加藤医師が応援を頼まなかった事について、止血操作のためになしえる処置が全て行われていること、他の産婦人科医師を頼んでも、それ以上できることはなく、一連の加藤医師の医療行為で、間違ったことはなかったと証言した。

 午後は、13時15分より、検察側から池ノ上教授に尋問があった。午前中に証言したことを繰り返して尋問した。術中超音波検査の意義、および術前の超音波検査の写真について、キュレットの使用のこと、応援医師を頼まなかったことの是非、剥離を途中で中止して子宮摘出に移るべきであったのではないか、と尋問したが、午前中と同じ答えを、池ノ上教授は検察側に説明した。

とくに、DICについて、DICとはどのような病態なのか、また産科DICスコアについての尋問があったが、池ノ上教授は医学生に講義するように答えた。産科DICを作成したのが池ノ上教授であることを、尋問した検事は知っていたのであろうか。午後の検察側の尋問は迫力なく、午後4時10分頃に終了した。

 公判後、期日間整理が行われ、弁護側が申請していた、医師法21条について、東京大学大学院法学政治学研究科の樋口範雄教授の証人喚問は拒否された。従って、今後の予定は以下の如く決まった。

  12月21日  被告人尋問

  1月25日  書証調べ

  3月14日  論告求刑

  5月9日  最終弁論  で結審する予定である。

             文責   佐藤 章

周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページより)

****** m3.com 医療維新、2007年12月3日

福島県立大野病院事件◆Vol.4

起訴根拠を周産期医療の専門家が否定

第10回公判の証人尋問で加藤医師の妥当性支持

  橋本佳子(m3.com編集長)

検察官:「(加藤医師の施術について)他にやるべきことがあったのでしょうか」
証人:「ありません。私も同じことを実施したと思います」

検察官:「業務上過失致死罪で起訴されたことについて、どう思いますか」
証人:「個人的には、産科医療が生物学的に特殊であることを十分に理解されていない状態で、物事が動いていると思います。自分としては心穏やかでありません」
  
 11月30日に開かれた福島県立大野病院事件の第10回公判で、証人尋問に立った医師は検察官の問いにこう答え、本事件の被告である加藤克彦医師の帝王切開手術が妥当であったと証言した(事件の概要は、「公判では検察側に不利な証言続く」参照)。

 ここで言う「特殊な医療」とは、分娩は時に予期しない大量出血を来すなど、他科とは異なる危険性を伴うことを指す。そのほか弁護側の主尋問では、術前の検査のあり方や、胎盤剥離を完遂したことなどについて、検察の起訴事実を否定する証言が相次いだ。一方、検察側は、それを覆す反対尋問ができず、苦しい展開となった。

「術前の診断、手術時の対応ともに適切」

 弁護側の主尋問は、午前9時30分から午後0時10分まで、検察側の反対尋問は午後1時15分から、途中20分の休憩をはさんで午後4時まで行われた。

 この日の弁護側の証人は、国立大学の産婦人科教授で、周産期医療の第一人者。加藤医師の起訴直前の2006年3月9日に意見書、2007年1月4日に鑑定意見書、同10月24日に鑑定意見書追加をまとめている。

 大野病院事件の患者は、前置胎盤かつ癒着胎盤で、帝王切開手術後、大量出血を来して死亡した。術前に前置胎盤との診断は付いていたが、癒着胎盤であることは分かっていなかった。癒着胎盤の場合、胎盤剥離が容易ではなく、大量出血を来しやすいとされている。

 以下が、公判の主な争点だ。
(1)帝王切開手術前に、超音波検査だけでなく、MRIも実施すれば、癒着胎盤を診断できたのではないか。
(2)胎盤剥離の際、用手剥離に加えて、クーパーを使ったのは問題ではないか。
(3)子宮と胎盤の剥離が困難になった時点で、剥離を中断し、子宮摘出手術に切り替えるべきだったのではないか。
(4)大量出血を来した時点で、他院の産婦人科医に応援を頼むべきだったのではないか(大野病院の産婦人科医は加藤医師1人のみだった)。

 (1)について、証人の教授は、まず自らの研究を報告。1993年1月から2006年7月に自らかかわった分娩3757例のうち、前置胎盤は46例。そのうち超音波検査で癒着胎盤が疑われる所見が認められたのは13例だが、術後に病理学的に癒着胎盤が確認されたのは7例だった。この結果を踏まえ、超音波検査は癒着胎盤の診断に有用だが、100%の確率で診断することはできず、「MRI検査を追加しても、超音波検査を凌駕(りょうが)するほどの所見が得られるとは限らない」と教授は述べた。

 (2)では、「自院でもキュレット(子宮の内容物を取り出す際などに使う器具)を使うことがある。クーパーを使うことは不適切なことだとは思わない」とした。

 (3)については、「現在の所属大学でこれまで経験した約4700例のうち、癒着胎盤は12例。うち胎盤剥離を実施した7例(残る5例は最初から子宮摘出)については、剥離を中断したことはない」と述べた。その上で、「子宮喪失」という患者の心情に配慮したり、娠の可能性を残すためにも、可能な限り子宮を温存するのが重要であること、胎盤剥離の完遂で止血が期待できること、胎盤を剥離しないと次の手術がやりにくいことなどから、「胎盤剥離を完遂するという判断に誤りはない」と断言した。
 
 (4)についても、「加藤医師はスタンダードな対応をしているのであり、特段誤ったことはしていない。他院の産婦人科医に応援を求めても出血のコントロールに差はなかったのではないか」とした。

 その上で、患者は単なる大量出血ではなく、産科DIC(播種性血管内凝固症候群)に陥ったのではないかと示唆した。

来年3月に論告求刑、判決は夏ごろか

 公判後の記者会見で、主任弁護人の平岩敬一氏は、「本件は、胎盤剥離の続行が違法ということで逮捕・起訴に至っている。それがおかしいということが、これまでの証人尋問で明らかになったのではないか」との見解を述べた。その上で、「そもそも癒着胎盤は非常に稀な病気であるにもかかわらず、これまで検察側は一人も専門家の意見を聞いていない」と問題視した。弁護側は、胎盤病理や周産期医療の日本でもトップレベルの医師に鑑定を依頼したり、証人尋問を行っている。

 証拠から言えば、現時点では弁護側の方が有利なのは明らかだ。「胎盤剥離をクーパーで実施した」→「それが大量出血を招いた」→「胎盤剥離を中断して子宮摘出に切り替えるべきだったのに、剥離を完遂した過失がある」という検察の論理は、これまでの大半の証人が問題視している。

 次回の公判は12月21日、被告の加藤医師への尋問が予定されている。2008年1月25日に証拠の採否など手続き面での公判が開かれる。3月14日に論告求刑、5月9日に弁護側の最終弁論という予定で、判決は夏ごろになる見込みだ。(関連記事「証人の説得力と検察官の稚拙さ、両者の対比が際立つ―第10回公判傍聴記」

(m3.com 医療維新、2007年12月3日)

****** m3.com 医療維新、2007年12月3日

福島県立大野病院事件◆Vol.5

証人の説得力と検察官の稚拙さ

両者の対比が際立つ―第10回公判傍聴記

  橋本佳子(m3.com編集長)

 第10回公判が開かれた11月30日、福島は初冬にしてはやや暖かい日和だった。公判開始は通常より30分早い午前9時30分なので、私は6時台の新幹線に乗って福島に向かった。

 27人分の一般傍聴券を求めて並んだのは54人。周産期医療では高名な教授への証人尋問だったにもかかわらず、これまでの公判の中で最も抽選倍率は低かった(「公判では検察側に不利な証言続く」参照)。先月の第9回も周産期医療の専門家への証人尋問が行われ、公判の行方がある程度予想されたためか、それともいつもより早い開始時間で間に合わなかったのか――、定かではない。

じっと発言者を見つめる裁判長

 開廷は午前9時30分。5分前に法廷に入ると、既に検察側、弁護側ともに全員が席に着いていた。両者それぞれ8人という体制だ。傍聴席は、一般傍聴席のほか、関係者や報道席も含めて計48席。

 9時30分ちょうどに、裁判長をはじめ3人の裁判官が入廷、全員起立して一礼、着席する。報道機関による2分間の撮影後、被告の加藤医師が入廷する。加藤医師はいつもスーツ姿。着席前に、裁判官に一礼、傍聴席に座っている本事件の遺族に一礼する。これまでと同様に、非常に落ち着いた動作、表情だ。
 
 次いで、この日の証人である大学教授が入廷してくる。「虚偽の証言をすると、偽証罪に問われることもある」という説明を裁判長から受け、本人が宣誓する。

 その後、午後0時10分まで弁護側の主尋問が行われた。昼食休憩後、午後1時15分に再開、途中20分の休憩をはさんで午後4時まで検察側の反対尋問が行われた。第2回から第4回の公判では、午前と午後に一人ずつ、計2人の証人への尋問が行われていたが、ここ数回は1人の証人に丸1日かけている。

 途中、やや退屈なやり取りが何度か続いたため、裁判官たちの様子を観察してみた。裁判長は、発言者の顔を、つまり証人、弁護人、検察官のいずれかの表情をじっと見つめていた。日本の刑事裁判は、「自由心証主義」。カルテなどの客観的資料のほか、証人の意見をどのように証拠としてとらえるかを判断するため、慎重に耳を傾けていたのだろう。他の2人の裁判官は、メモを取りながら、話を聞いていたようだ(傍聴席から、2人の手元は見えない)。

 閉廷して傍聴者退席後、期日間整理手続(公判の合間に、裁判官、検察官、弁護人で行われる非公開の手続き)が行われた。1時間以上もかかり、福島県庁で弁護側の記者会見が始まったのは、午後6時少し前のことだ。約50分にわたり、報道各社の記者などとのやり取りが続いた。

証人教授の発言は「大学の講義」のよう

 今日の証人の国立大学教授は、意見書や鑑定書を年に1~2件手がけるほか、過去に法廷で証人尋問を受けた経験もある。さらに、最高裁判所の医事関係訴訟委員会は、鑑定人確保が容易になるよう、各学会に鑑定人の推薦を依頼しているが、この鑑定人にも選出されている。

 教授は、「起訴根拠を周産期医療の専門家が否定」で紹介したように、検察の起訴根拠を否定し、加藤医師の妥当性を支持した。尋問では、様々な場面で医学的な質問が投げかけられたが、その一つひとつにハキハキと答えた。その様子は、まるで大学で講義を聞いているかのようだった。医学の専門家ではない裁判官、検察官、弁護人に、丁寧かつ自信を持って説明する教授は、圧倒的な存在感を示した。

 これとは対照的に、この日の公判で目立ったのが、検察官の反対尋問の稚拙さだ。証人が書いた鑑定書について尋問をしたと思えば、帝王切開手術時の麻酔記録について見解を求めたり、また鑑定書に戻ったりするなど、いったい何を聞きたいのかが分からない尋問が続いた。

今春に裁判長変更、来春にも一人交代か

 過去10回の公判を振り返ると、改めて痛感するのは証人の重要さだ。

 裁判官を前に、かつ多数の傍聴人がいる中で証言するのは緊張を強いられることだろう。とはいえ、そこは医療のプロ。証人となった医師の大半は、自らの専門分野の尋問については自信を持って的確に答えていた。その一方で、専門外の事項に関しては、「何も分かっていない」(傍聴人席に座る専門家の意見)と受け取られる回答をしている医師も見られた。
 
 話し方や態度も、本来の性格か、あるいは自信の有無の差か、正々堂々としている人から、ややおどおどとしている人まで様々だった。もちろん証言内容そのものが重要だが、それをどう説明するかで裁判官への印象が変わってくるのでは、と裁判の素人目には映る。

 なお、証人については、一つだけ疑問が残る。加藤医師は医師法21条違反(異状死の届け出の規定)でも起訴されている。この点については、第4回の公判で大野病院の院長が証人となり、事故当時の様子を語っただけだ。弁護側は、医師法21条に詳しい法学者の証人尋問を求めたが、裁判所は「不必要」として採用を認めていない。

 「起訴根拠を周産期医療の専門家が否定」で言及したように、判決は来年の夏ごろになる見込みだ。福島県立大野病院事件の初公判は今年1月で、この春に裁判長が人事異動で変わった。来春も裁判官の一人が代わる可能性があるという。人事異動は致し方ないのだろうが、継続的な視点での判断を望むばかりだ。

(m3.com 医療維新、2007年12月3日)

****** OhmyNews、2007年12月2日

「剥離完遂の判断に誤りはない」検察側証言を完全否定

福島県立大野病院事件第10回公判

OhmyNews編集部

 福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した産婦人科の加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条(異状死の届け出)違反に問われている事件の第10回公判が11月30日、福島地裁で開かれた。

 弁護側の証人尋問は4回目で、この日は、周産期医学を専門とする宮崎大学医学部産婦人科の池ノ上克教授(同大医学部長)が出廷。ハイリスク分娩を主として扱う同大病院周産母子センターで、現在も年約300件の分娩に直接・間接に関与する臨床医の立場から、

 「一般的な産科医療のレベルから見て、(加藤医師がこの件で行った処置に)間違いがあったとはいえない。私も同じような処置をしたと思う」と、加藤医師を全面的に擁護する主張を展開した。

「胎盤剥離を中止することはない」

 裁判で検察側は、加藤医師が手術中、癒着胎盤であると判断した時点で胎盤剥離を中止し、ただちに子宮を摘出すべきだったと、加藤医師の判断ミスを指摘している。

 これに対し池ノ上教授は、宮崎大学病院産婦人科で91年(当時は宮崎医科大学)から扱った癒着胎盤症例の実績を説明。症例12例のうち、胎盤剥離をせずに子宮を摘出したケースは5例で、残りの7例はいずれも胎盤を剥離したのちに子宮を摘出(4例)あるいは温存(3例)したとして、

 「胎盤を除去すれば、子宮筋層が収縮して血管を押しつぶすので血が止まりやすくなるという機序(仕組み)だから、胎盤はく離を優先する」

 「子宮を摘出するにしても、大きな胎盤が残ったままだと手術操作がしにくいので、(胎盤剥離を始めたら)中止することはない」

と述べ、検察側の主張を否定した。

 また、争点のひとつとなっているクーパー(手術用はさみ)の使用について、池ノ上教授は、

 「(遺残した胎盤をかき出すのに)私たちの教室ではキュレットを使っている」

と、器具を用いることに問題はないと証言。キュレットとは、先端部に穴が開いていて、にぶい刃のようなものが付いた長さ30cm程度の細長い器具で、子宮内の組織をかき出すのに使用されるものだ。さらに

 「私自身はないが、かつての同僚が(胎盤剥離に)クーパーを使っていると聞いたことがある」

と述べ、クーパーを使用したことには問題がなかったとする弁護側の主張を裏付けた。

 また、第6回の公判で、検察側証人に立った新潟大学医学部産婦人科学の田中憲一教授の「胎盤剥離を完了する前に子宮を摘出すべきだった」との証言に対しては、

 「後から振り返って見ればそうかもしれないが、その時点に立って考えてみれば(胎盤剥離を完了した直後の2555ccという)出血量は多くないので、私も子宮摘出という判断はしない。加藤医師が胎盤剥離を完了させた判断に誤りはない」

と反論。その後、15分間で5000ccを超える大量出血となったことについても、

 「癒着胎盤に続いてDIC(播種性血管内凝固症候群=血液凝固因子が不足して、血が止まらなくなる状態)が起こり始めたのではないか。一般的に産科医が行う止血処置はすべてしている」

と述べ、予測不能な事態が起こったこと、それに対しては最善の処置が行われていると、加藤医師を擁護した。

 検察側は反対尋問で、大量出血となったにもかかわらず、加藤医師が他の医師の応援を断ったことについて問いただしたが、池ノ上教授は、

 「基本的な処置ができる外科医が助手についていれば応援は必要ない。加藤医師も最終的に子宮摘出できている」

と一蹴。

 検察側は、池ノ上教授が供述書や病理記録を吟味せずに、カルテだけを見て意見書や鑑定書を書いた点を突き、証言の信憑性を弱めようと試みる場面も見られたが、全体的に弁護側の主尋問をなぞるような質問に終始し、有効な証言を引き出せないまま、普段より1~2時間早い16時に証人尋問は終了した。

 今回の尋問を担当した兼川真紀弁護士は裁判後の記者会見で、

 「臨床の現場がどのようなものかを伝えたいという気持ちで質問した。裁判官は実際の医師がどのように手術をしているかを知って判断してほしい」

と話した。

判決は来年夏以降に?

 次回は12月21日に加藤医師に対する本人尋問の続きがおこなわれる予定だが、弁護側が医師法21条をめぐり申請していた証人(東京大学法学部・大学院法学政治学研究科・樋口範雄教授)は却下された。医師法21条違反で起訴されているにも関わらず、これについての弁論は行われないことになる。

 そのため、弁護側は早い結審を求めたが、「書面のやりとりで反論するのに時間がかかる」とする検察側の要請で、論告求刑が3月14日、弁護側の最終尋問が5月9日と決まった。

 来年春ごろと見られていた判決は、夏ごろにずれ込みそうだ。

(OhmyNews、2007年12月2日)


大野病院事件 第9回公判

2007年10月27日 | 大野病院事件

第9回公判について(07/10/26)
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 福島県立大野病院事件第9回公判は

 福島県立大野病院事件第9回公判(速報)

 福島県立大野病院事件第9回公判(速報2)

 福島県立大野病院事件第9回公判(速報3)

大野事件第9回公判、速報【産科医療のこれから】
大野事件第9回公判、追加版【産科医療のこれから】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

****** OhmyNews、2007年10月27日

癒着胎盤の剥離に過失はない――臨床医が証言

検察のいうことは「現場ではやってない」福島県立大野病院事件第9回公判

 福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀したK医師が業務上過失致死と医師法21条(異常死の届け出)違反に問われている事件の第9回公判が10月26日、福島地裁で開かれた。

 弁護側証人尋問の3回目。今回は臨床面から東北大学の岡村州博教授(周産期医学)が出廷、「(癒着がきわめて深い)穿通胎盤であれば術前検査で予測できると思うが、そうでない程度の癒着胎盤では予見は難しい」と、癒着胎盤は予測可能だったとする検察の主張を否定した。

 さらに、周産期の臨床30年以上という経験から、「現場では、出血が多くても胎盤を剥離(はくり)し、子宮収縮を促すことによって止血操作をする(止血を目指す)」として、検察の「出血時点で剥離を止め、子宮摘出に切り替えるべきだった」という指摘は、現場では行われていないと主張した。

 岡村教授は、K医師の逮捕・起訴後に、弁護側の依頼で鑑定書を作成した立場にある。また、K医師の起訴以前にも、日本産婦人科学会周産期委員会委員長(当時)の立場から、逮捕を遺憾として、過失の存在そのものを否定する意見書を提出している。

 この日の尋問は、おもにK医師が行った術前検査の妥当性について。妊娠5週目からのカルテと超音波検査画像から、癒着胎盤はないとしたK医師の判断について問われた岡村教授は、

 「通院中も入院してからも、超音波検査では子宮と胎盤のあいだに黒いすきま(クリアスペース)がはっきり見えており、癒着は確認できない」

 「穿通胎盤のような深い癒着があれば、胎盤部分はスイスチーズのように穴が開いて見えるもの。このケースでは組織が均一に存在している。尿中潜血反応があったというが、これは妊婦にはときどき見られることで、これをもって癒着を疑うのは診断の行き過ぎといえる。カラードプラーで血流を見ても、癒着があると言うことはできない」

と、K医師の判断は妥当であったと証言。

 「K医師は周産期医療についてよく勉強しているし、超音波診断の技術は非常に習熟している。カルテの記載からも慎重に患者さんを診ていることが見てとれる。もし癒着を疑わせる所見があったなら、カルテにそう書いていたと思う。(術中の対応についても)私も同じことをやっただろう」

と述べて、K医師が産婦人科医として未熟だったとする検察側の指摘を全面的に否定した。

 これに対し検察側は、胎盤がはがれなければ子宮摘出に切り替えるべきとする教科書の記載があること、また前回帝王切開創がある場合は、それが子宮前壁であれ後壁であれ癒着胎盤のリスクを想定すべきことを問い詰めたが、岡村教授はこれらについても、

 「そういう考え方があることは知っているが、実際に『胎盤がはがれない』という経験は私にはない。胎盤は、はがしてみればほとんどはがれてしまう。教科書に記載があっても一般的とは思わない」

 「胎盤が子宮前壁にあれば、前回帝王切開創に胎盤がかかっているリスクが高くなるが、それ以外は通常の前置胎盤と同じと考えてよいのではないか。子宮後壁にある胎盤が前回帝王切開創にかかる率はきわめて少ない。範囲として、まずかかることはない」

と一蹴した。

 ただ、岡村教授は日産婦常務理事の立場のほかにも、日産婦宮城地方部会長としてこの事件に批判的な声明を出している。また、K医師が所属する福島県立医大産婦人科医局の教授とは先輩・後輩の間柄でもある。検察はこれらに言及し、証言内容の中立性を弱めた。

  ◇

 公判後に会見した平岩敬一弁護士は、「これまで証言に立った産婦人科の臨床医は全員、癒着胎盤であってもすべて、まず胎盤を剥離するとしている。これは、検察が言うような『出血したら途中で胎盤剥離をやめて子宮摘出に切り替える』ことは、臨床現場では行われていないということ」と説明。

 「この事件の最大の特徴は、ガーゼの置き忘れや薬の取り違えといった明確な医療ミスがないのに、刑事責任を問われているということにある。医師が『これで止血できるのでは』と期待してやったことでも期待に反することはしばしば起きる。それを『可能性があるならすべきではない』とされ、刑事責任を問われるのでは、誰も何もできなくなってしまうのではないか」

と話した。

 次回は11月30日。12月に再び被告人質問が行われ、残った証拠調べのあと、1月に結審の予定。当初予定よりずれ込んだが、求刑、最終弁論を経て、春ごろに1審判決の見込みとなる。

OhmyNews、2007年10月27日)


大野病院事件 第8回公判

2007年09月29日 | 大野病院事件

コメント(私見):

昨日の福島県立大野病院事件・第8回公判で、病理鑑定医(弁護側証人、産科病理の専門家、目で見る胎盤病理の著者)が、争点の一つである子宮と胎盤の癒着の部位や程度について証言を行いました。

【弁護側の見解】 全前置胎盤ではあるが、胎盤は主に子宮の後壁に付着し、前回帝王切開の創痕にはかかっていなかった。胎盤が子宮筋層の1/5程度に侵入していた。

【検察側の見解】 全前置胎盤で、胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて付着し、前回帝王切開の創痕にかかっていた。 胎盤が子宮筋層の1/2程度に侵入していた。 福島県立大野病院事件・第五回公判

       ◇   ◇   ◇

同じ病理標本の病理診断なのに、病理医によって診断が一致しないのはそれほど珍しいことでもありません。特に、特殊な希少症例の場合は、その道の権威と言われている病理医達の病理診断でも、それぞれの診断が3者3様に分かれてしまい、なかなか最終結論が出せない場合もまれではありません。

『癒着胎盤』は、産科医が生涯で1回経験するかしないかというような非常にまれな特殊な疾患です。一般の(胎盤病理を専門としていない)病理医だと、癒着胎盤症例を経験する機会はほとんどありません。

従って、癒着胎盤の鑑定には、胎盤病理を専門とする病理医達が十分に議論を重ねて慎重に結論を出す必要があると思います。

リンク:

【書籍詳細】 目でみる胎盤病理、中山雅弘 著

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

第八回公判について【周産期医療の崩壊をくい止める会】

ロハス・メディカル ブログ
 福島県立大野病院事件第8回公判(0)
 福島県立大野病院事件第8回公判

大野事件、第8回公判!【産科医療のこれから】

検察の起訴根拠を揺るがす展開に、福島・大野病院事件の第8回公判が開催【日経メディカルオンライン】

****** OhmyNews、2007年9月29日

「子宮前壁に胎盤はなく、癒着もなかった」

胎盤病理医療が検察証拠を否定、
福島県立大野病院事件第8回公判

                     軸丸 靖子

 福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開術を受けた女性が大量出血し死亡した事件で、業務上過失致死と医師法21条違反の罪に問われている同院産婦人科の加藤克彦医師の第8回公判が9月28日、福島地裁で開かれた。

 弁護側の証人尋問は2回目で、この日は胎盤病理を専門とする大阪府立母子保健総合医療センター検査科の主任部長が出廷。「子宮前壁には明らかな癒着(ゆちゃく)はなかった」「子宮前壁に絨毛(じゅうもう)があったというだけでその上に胎盤があるという推論は無理」と証言した。

 5月の公判では、検察側証人の病理医が「癒着は子宮後壁から子宮口をまたいで、子宮前壁にかかっていたと推測される」と証言していたが、それを真っ向から否定する内容となる。

【関連記事】病理医は検察側に沿う証言、ただし信憑性には疑問符

 日本には胎盤病理の専門家は少ないが、同部長は、大阪府立母子保健総合医療センターの25年間で胎盤病理をおよそ5万例、子宮病理を700例以上行ったキャリアを持つ。

 検察が提出する病理鑑定に疑問を持つ弁護側は、06年6月、同部長に独自に鑑定を依頼していた。同部長は検察が開示した情報などを元に、同年11月に鑑定書を作成。今年8月には追加鑑定書を提出した。初回の鑑定書は2ページの簡素なものだったが、追加鑑定書は10ページにおよぶ内容になっている。鑑定書は証拠として受理されている。

 この日の公判は、この2通の鑑定書を中心に、胎盤癒着の部位と範囲について尋問が行われた。

絨毛から癒着を証明するのは困難

 証言で、同部長は、保存された臓器の組織をプレパラートにしていく行程を説明しながら、

 (1)最初に臓器を切り出すときに破損や欠損が起こり得る

 (2)臓器標本を作るときは機械で複数の臓器を処理するため、一部組織がばらけて別の臓器に付着したりする。特に絨毛はばらけやすい

 (3)そもそもの手術時に、圧迫止血などの外科処置により、組織があるべき場所からずれることがある

――などの条件によって、プレパラート上の組織には事実と異なる状況が起こりうることを指摘。

 「たとえば、脳と一緒の液で処置すれば、脳に絨毛がつくこともある」と話し、検察側証人の病理医が「絨毛がある部分は胎盤の癒着があったと推定できる」とした証言を否定した。

 加えて、検察から開示された胎盤の実物大の写真(胎児側と母体側両面)と、残存子宮を肉眼(写真)と組織の両方で観察した結果から、

 「脱落膜が子宮もしくは胎盤のどちらかにある場合は癒着は起こらない。脱落膜の状態からも、癒着が認められるのは子宮後壁のみで、前壁には認められなかった」

 「絨毛があったというだけで、その上に胎盤がどっかり乗っていたというのは乱暴。そういう推論は無理」

と繰り返した。

 また、残存子宮の一部で癒着があったところに手術の縫合糸のような跡があり、検察が「前回帝王切開創に胎盤がかかっていて癒着があった」と医師の注意義務違反を指摘している箇所についても、「縫合糸周辺の周辺組織がひきつられるように集まっている。3年前の前回帝王切開創というには傷跡が新しすぎる」と否定した。

「誰かから吹き込まれたというんですか?」

 ただ、同部長が作成した鑑定書は、弁護側が独自に依頼したもので、証拠として検察が提出した鑑定書と同じ重みを持てるかは疑問だ。

 検察側は、最初の鑑定書と追加鑑定書の違いを追及。

 追加鑑定書では写真などの資料が増え、最初の鑑定書では触れられていなかったことも指摘していたり、同じ標本を用いていても写真の撮り方によって解釈が変わること、などについて指摘した。

 特に、「鑑定書の作成を弁護団が手伝ったのではないか」「追加鑑定書で考えが変わったのであれば、あらためてプレパラートを顕微鏡で見直すべきではなかったか」という指摘には、同部長が

 「誰かから(鑑定書の内容について意見を)吹き込まれたというんですか? そうじゃないですよ。はっきり言っておくけど」

 「変更したのは細かい部分だけで、前壁に癒着がなかったとする基本的な部分では考え方は変わっていない。見直しすべきとの指摘はその通りだが、実際、そこまで(大阪から福島へ組織片を調べにいくほどの)時間が取れるかは疑問」

 と言い返す場面もあった。

癒着深度は5分の1

 また、癒着した胎盤が子宮にどのくらい食い込んでいたか(食い込みが大きいほど剥離が困難になる)について、検察側と弁護側で見解が食い違っていた点については、残存胎盤の写真を用いて、同部長が法廷内で測定し、その様子がスクリーンで映された。

 測定したのは残存子宮を縦に8分割したうちの右側から3番目の子宮後壁で、子宮頚部より上の部分。明らかな癒着がある箇所だ。その結果、子宮の厚みは32mm~29mmで、そのうち癒着は4.5mm~6mm。癒着の深さは子宮の厚みの5分の1程度とされた。検察側はそれまで癒着深度は「2分の1程度と深かった」としていたが、その根拠となっていた部分は残存胎盤で子宮ではないと判断された。

  ◇

 この日午前10時に始まった法廷が終わったのは午後7時半。公判は回を負うごとに、1人の証人に対する尋問が長く、細かくなってきている。

 次回は10月26日。

OhmyNews、2007年9月29日

****** 読売新聞、2007年9月29日

大野病院事件公判 子宮と胎盤強い癒着否定

 大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われている産婦人科医、K被告(40)の第8回公判が28日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。

 この日から弁護側の証人に対する証人尋問が始まり、胎盤病理の専門家として女性の胎盤と子宮を鑑定した大阪府立母子保健総合医療センターの中山雅弘医師が出廷。胎盤が子宮筋層に侵入した深さについて「5分の1ぐらい」とし、検察側が主張する強い癒着を否定した。5月の第5回公判で検察側の証人として証言した鑑定医は「2分の1程度」と述べており、争点の一つである癒着の程度について、専門家の鑑定結果が対立する形となった。

 中山医師は癒着の部位についても「子宮の後壁を中心に胎盤が癒着し、前壁に明らかな癒着はない」とし、「前壁から後壁にかけて広範囲に癒着していた」とする検察側の主張と食い違いを見せた。

 検察側は中山医師が今年8月に鑑定書を大幅に追加したことなどを挙げ、結果の信用性に疑問を呈した。

(読売新聞、2007年9月29日)

****** 朝日新聞、2007年9月29日

大野病院事件「胎盤癒着浅かった」

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医K被告(40)の第8回公判が28日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。弁護側の依頼で子宮などの鑑定をした大阪府立母子保健総合医療センターの中山雅弘医師(病理医)は「胎盤の癒着は子宮の後壁(背中側)だけだった」と証言、検察側鑑定と異なる見方を示した。

 検察側の鑑定では、前回出産時の帝王切開時にできた傷跡に癒着胎盤があったとされたが、中山医師は「(癒着は)確認できなかった」と証言。癒着の深さも、検察側鑑定にある子宮の筋肉層にあたる部分の2分の1という意見を否定し、5分の1程度の浅い癒着だったと証言した。

 子宮の標本に胎盤の一部である「絨毛(じゅう・もう)」が存在することが癒着胎盤を示すかどうかについて、中山医師は「子宮の前壁(腹側)に絨毛が見られるが、標本を作る過程などで入り込んだ可能性が高い」との見解を示した。

 検察側は、鑑定書に使った子宮の標本と、鑑定書の記載が一致しない点などを指摘。また、最初の鑑定書では標本を見たが、追加の鑑定書については見なかったことも追求した。中山医師は「見た方が良かったが、時間がなかった」と述べた。

(朝日新聞、2007年9月29日)

****** 毎日新聞、2007年9月29日

大野病院医療事故:「前壁に癒着してない」 弁護側証人、検察側主張に反論 /福島

 県立大野病院(大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告(40)の第8回公判が28日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。弁護側証人として出廷した胎盤病理を専門とする医師は、争点の一つの癒着胎盤の範囲について「癒着は子宮の後壁だけで、前壁にはなかった」と証言。「前壁まで癒着していた」とする検察側主張の範囲よりも狭いことを指摘した。

 証人出廷したのは、大阪府立母子保健総合医療センターの中山雅弘医師。中山医師は、子宮片の写真を見て「後壁を中心として明らかに癒着している。前壁に明らかな癒着は確認できない」と指摘した。また癒着の程度は、厚さ約30ミリの子宮筋層に、胎盤絨毛(じゅうもう)が最大でも6~7ミリしか入っていないと指摘し、「子宮筋層の2分の1程度」とする検察側の主張を否定した。【松本惇、関雄輔】

(毎日新聞、2007年9月29日)

****** 福島民友、2007年9月29日

「前壁には癒着なし」/大野病院事件公判

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反(異状死の届け出義務違反)の罪に問われた産婦人科医K被告(40)の第8回公判は28日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。

 死亡した女性の子宮を鑑定した胎盤病理専門医が弁護側の証人尋問に立った。癒着について「子宮の後壁を中心として胎盤の癒着があり、その深さは子宮の筋肉層の5分の1程度だった。子宮の前壁には明らかな癒着はなかった」と証言。K被告や弁護側の「癒着は子宮後壁で浅かった」などとする主張を補うとともに、第5回公判で検察側証人として証言した別の病理専門医が「胎盤は子宮前壁から後壁にかけて癒着し、子宮の筋肉層の2分の1まで侵入していた」とする鑑定結果を否定する証言をした。また、胎盤の鑑定やカルテなどから「異常胎盤の可能性もある」と分析した。

 検察側は、この胎盤病理専門医が昨年11月に最初の鑑定を出した後、今年8月に追加鑑定を出したことを指摘し、「新しい資料を見ておらず、同じ資料を基として追加鑑定を出したのはなぜか」と指摘。同専門医は「追加内容があったため」と述べるにとどまった。

 次回公判は、10月26日午前10時から。

(福島民友、2007年9月29日)

****** 福島民報、2007年9月29日

胎盤癒着狭い 大野病院公判・弁護側医師証言

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医K被告(40)の第8回公判は28日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。弁護側請求で子宮などを病理鑑定した男性医師の証人尋問を行った。公判は休憩などを挟み午後8時ごろまで約10時間にも及び、検察側と弁護側が論戦を繰り広げた。

 医師は、争点の1つとなる癒着胎盤の範囲について、「子宮後壁を中心として癒着はみられたものの、前壁部分には明らかな癒着はなかった」と証言。検察側の「子宮口を挟んで子宮後壁から前壁に癒着していた」との主張よりも範囲が狭いとの見解を示した。子宮摘出に移行せず胎盤剥離(はくり)を続けたことの正当性が裁判の最大の争点だが、その判断に影響を与えるとみられる。

 「前壁に癒着あり」とする検察側鑑定医は胎盤の一部である絨毛(じゅうもう)が前壁の一部に見られたことを根拠にしていたが、今回の医師は「絨毛はばらけやすく、標本をつくる過程や手術で本来あるはずのない位置に存在する場合がある」と述べ、事件の後に人工的に絨毛が移った可能性を指摘。「絨毛が見られただけで癒着と判断するのは乱暴」と、検察側鑑定医の見解に疑問を呈した。

 さらに医師は癒着の程度について「絨毛が子宮筋層に5分の1程度入っていた」とし、「2分の1程度」とする検察側鑑定医の判断よりも癒着が軽度だったとした。
 検察側は医師の鑑定経緯を細かく質問。医師が子宮を直接見たのは1度だけだったことなどを引き出し、同医師の鑑定結果の信用性に疑問を投げ掛けた。

 起訴状によると、K被告は平成16年12月17日、女性=当時(29)=の出産で帝王切開手術を執刀し、癒着した胎盤をはがし大量出血で女性を死亡させた。女性が異状死だったのに24時間以内に警察署へ届けなかった。

 次回公判は10月26日午前10時からで、弁護側の臨床に関する鑑定医への尋問を行う。

(福島民報、2007年9月29日)

****** 福島中央テレビ、2007年9月28日

大野病院の医師の裁判 弁護側証人が逆の見解

 大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判です。

 きょうの公判から弁護側の証人尋問に移り、証言に立った鑑定医が、検察側の鑑定医とはまったく逆の証言をしました。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、K被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたとされています。

 きょうの公判からは弁護側の証人尋問にうつり、女性の子宮を鑑定した鑑定医が証言台に立ちました。

 鑑定医は「胎盤が癒着していた範囲は広くなかった」と述べ、K被告が癒着を事前に予測するのは難しかったとする、弁護側の主張に沿った証言をしました。

 これまでの検察側の証人尋問では、別の鑑定医が「胎盤が癒着していた範囲は広かった」と逆の証言していて、検察側は、これを根拠に被告は癒着を予測できたと主張していました。

 裁判は、検察側と弁護側の証人の見解が真っ向から対立した図式となっています。

(福島中央テレビ、2007年9月28日)


大野病院事件 第7回公判

2007年08月31日 | 大野病院事件

コメント:

本日は、大野病院事件の第7回公判が、福島地裁で開かれ、被告人質問が行われました。これからネット上で得られる情報を収集し、順次追加していく予定です。

リンク:

大野病院事件についての自ブロク内リンク集 

第七回公判について(周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ)

ロハス・メディカル ブログ
 福島県立大野病院事件第7回公判(0)
 福島県立大野病院事件第7回公判(1)
 福島県立大野病院事件第7回公判(2)
 福島県立大野病院事件第7回公判(3)
 福島県立大野病院事件第7回公判(4)
 福島県立大野病院事件第7回公判(5)

大野事件、第7回公判!(産科医療のこれから)

福島県立大野病院事件第七回公判(天漢日乗)

****** OhmyNews、2007年9月1日

被告医師も検察調書を否定「クーパー、理解されなかった」 福島県立大野病院事件、第7回公判

軸丸 靖子

 福島県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した同院の産婦人科・加藤克彦医師が業務上過失致死などに問われている福島県立大野病院事件の第7回公判が8月31日、福島地裁で開かれた。今回から数カ月かけて、弁護側の証人尋問が行われる。

 被告人質問に立った加藤医師は、争点の1つであるクーパー(手術用はさみ)の使い方について、「クーパーを使うこと自体が違法行為だという前提で検察の尋問を受けた。何度もそうではないと説明したが受け入れられなかった」と証言。クーパーを使ったのは間違っていたと供述したとされる検察調書を否定した。

 この日証言台に立ったのは加藤医師1人。午前9時半の開廷から午後7時まで延々尋問が続いたがそれでも終わらず、弁護側最終尋問を持ち越すほどの長丁場だった。

 冒頭、弁護側は、逮捕から起訴まで21日間、検察による連日の過酷な取調べがあったことを指摘。特に最後の1週間は平均10時間近い拘束で、「頭がぼーっとするようなこともあって何が事実か分からないことがあった」(加藤医師)状態で調書の大半が集中的に作成されたことを明らかにした。

 その上で、加藤医師は癒着胎盤と子宮との剥離を手で行わず、クーパーで乱暴に切除したとする検察側調書について、

 「クーパーを使うのは危険であるとの前提で検察は話をしてきて、何度もそうではないと説明したが、受け入れられなかった。かみ合わない状態が逮捕されてからずっと続いた」

 と取調べの状況を説明。

 『剥離開始時は右手3本の指を差し入れることができたが、徐々に入らなくなり、指2本、それも困難になり、やがて1本の指も入らなくなった。指より細いクーパーであれば差し込むことができるだろうと安易に考え、クーパーでの剥離を開始した』

 とする検察調書についても(「検察側冒頭陳述」参照)

 「何度説明しても理解してもらえない状況で、どう言えば良いのかと。例えば3本の指が2本の指、1本の指、それからクーパーというように言えばいいのかと聞いたら、『そう、そういう風に具体的に』といわれ、それで調書が作られてしまった。(3本、2本、1本というのは)実際の状況ではない」

 「まるでクーパーを使うこと自体が違法行為だという見方で尋問を受けた。殺人者としてクーパーを使ったとも言われた」

 「最後の調書読み上げで供述内容に訂正を入れるときには、他の訂正箇所に気をとられていて、訂正が及ばなかった」

 と、検察調書にある供述内容を否定した。

 また、「剥離は手指を使って静かに行わなければならないのに、指が入らなくなったからといってクーパーを差し込んだ」とする検察の主張についても、帝王切開であり術野は十分にあったこと、むしろ手を差し込んでは見えなくなる剥離部分が見えるためクーパーの方が安全であると反証した。

 一方の検察側も、加藤医師に対し、クーパーを使ったときの状況および検察での取調べに対する質問を繰り返した。

 次回は9月28日。

  * * *

 検察側は午後1時半から7時まで、予定時間を再三オーバーして同じ質問を繰り返した。だが、記事をまとめるにあたって、取るべきところは正直なかった。被告人質問という裁判の目玉であるにも関わらず、である。

 医療訴訟にはいろいろあるが、この事件に関しては、私は医師側・弁護側に立って取材している。被害者側に立たないのではない。単に医療崩壊を食い止めるために医師を守ろう、というだけでもない。ただ、医師という職業の特殊性を排除しても、警察・検察側の主張には無理があるのだ。その上に、医療事故を刑事裁判で解決しようとすることの無理がある。

 被害者のご遺族は裁判を傍聴されているが、公判が進むほどに、はたしてこの内容で、家族を亡くした悲しみや医師に対する怒りが癒されるのだろうか、と思えてくる。裁判の中で、亡くなった女性が手術台の上のモノの扱いをされるのを聞いて、かえって傷つくのではないか。手術室で何があったのかは明らかになるかもしれないが、そのために遺族が傷つく必要はあるのだろうか。

 話がずれたが、こうした私の考えや立場は差し引いても、この日の検察側尋問は取るところがなかったのだ。尋問の締めくくりに、検察は

 「(超音波検査)だけでなくMRIをやっておけば良かったと思わないか?」
 「医師として、癒着胎盤についての知識が足りなかったと思わないか?」
 「大学や近隣の病院から応援の医師を呼んでおけばよかったとは思わないか?」
 「クーパーを使わなければ良かったと思わないか?」
 「あなたは自分に、医師としての知識と手技と判断について落ち度があったとは思わないか?」

 と立て続けに問いかけたが、加藤医師はいずれも

 「思わない」「やれる限りのことを精一杯やった結果」

 と言い切った。

 常に知識を向上させることが前提の医師という職業に対しては、ピントのずれた質問だろう。昨日のベストは今日のベストではないからだ。大体、そういう状況で患者を前にベストを尽くせない医師では困る。

 この裁判には全国の医療関係者、そして患者が注目している。検察にはぜひ、説得力と聞きごたえのある尋問をしてほしい。

(OhmyNews、2007年9月1日)

****** 毎日新聞、2007年9月1日

大野病院医療事故:はく離中断考えず 執刀医、妥当性を主張--第7回公判 /福島

 県立大野病院(大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。初めての被告人質問で、加藤被告は術中、「出血も血圧も脈拍も安定していたので、はく離を中断しようとは思わなかった」と、はく離を継続した妥当性を主張した。【松本惇】

 起訴状によると、加藤被告は04年12月、帝王切開手術中、はがせば大量出血するおそれがある「癒着胎盤」であると認識しながら、子宮摘出手術に移行せず、手術用はさみ(クーパー)で胎盤をはがし失血死させた。また、医師法で定める24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかった。

 加藤被告は術前に行った超音波検査(エコー)の画像について「血流が胎盤から離れているので、癒着胎盤を疑うことはできない」とした。手術処置の妥当性などを鑑定した新潟大教授の医師は前回公判で、「癒着胎盤を疑ってもいいと思う」と証言していたが、加藤被告は鑑定医の見解を否定した。

 一方、胎盤を手ではがすことが難しくなった時点で、「癒着胎盤の疑いを少し持った」と語った。だが、胎盤が3分の2以上はく離しており、胎盤はく離後の子宮収縮による止血効果を期待してはく離を継続した、という。クーパーの使用については、はく離面を目視できることや局所的に力を込められることを挙げ、「手で胎盤をはがすよりもクーパーを使った方が子宮を傷つけず、胎盤の取り残しもない」と妥当性を主張した。

 検察側の「医師としての知識が不足していたと思わないか」という質問に対し、加藤被告は「精いっぱいの結果だった。最善を尽くしたと考える」と初公判での主張を繰り返した。

 次回公判は9月28日。弁護側が鑑定を依頼した産婦人科医の証人尋問を行い、場合により、加藤被告への尋問も再び行う。

(毎日新聞、2007年9月1日)

****** 福島放送、2007年9月1日11時12分

加藤被告、落ち度なしを強調/大野病院公判

大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。

被告人質問が行われ、弁護側の質問に対し加藤被告は胎盤を、はく離する部位を目視しながら医療用はさみ(クーパー)を使用したことを明らかにし、「手を使ってのはく離より、子宮を傷つけない」と医療行為に落ち度がなかったことを強調した。

一方、検察側は癒着胎盤を予見できたことについて追及したが、加藤被告はあいまいな供述を繰り返した。

公判は休憩をはさみ、約10時間にも及び、検察側、弁護側双方の再質問を次回以降に持ち越した。

次回は9月28日午前10時から。

(福島放送、2007年9月1日)

****** 朝日新聞、2007年9月1日

「癒着、手術中に気づいた」 

 -被告医師、検察の「事前認識」否定-

 県立大野病院で、04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、業務上過失致死と医師法違反(異状死体の届け出義務)の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)が、被告人質問に臨んだ。検察側が事前に認識していたと指摘した子宮内膜と胎盤の癒着について、加藤被告は「手術中に気付いた」とし、胎盤を無理にはがしたとする手術用ハサミの使用は、「適切な処置だった」と断言した。

 -ハサミ使用「適切な処置」-

 証言によると、加藤被告は、超音波検査などで女性の子宮内部に血流を認めたが、量が少なく、「前置胎盤では普通」と判断。尿に潜血も少量みられたが、膀胱(ぼう・こう)炎と診断した。超音波検査だけで、MRI検査をしなかったことには「癒着胎盤の診断に信頼性が低いため」と述べた。

 手術に際し、応援を依頼した別の医師に癒着の認識を示唆したことには「二つ返事で応援に応じてもらえなかったため」と証言した。

 帝王切開手術中の経過も詳細に証言した。

 子宮表面に血管が浮かんでいたが、「押すと消えたので、癒着胎盤とは思わなかった」とし、胎盤の位置は「子宮の後壁から前壁の下部にあった」とした。

 加藤被告は臍帯(さい・たい)を引いたが胎盤がはがれず、「癒着ではなく、子宮の収縮が悪いと思った」と証言した。手で胎盤を約3分の2剥離(はく・り)したころ、手でははがれにくくなったため、癒着胎盤も想定し始め、「先の丸いクーパー(手術用ハサミ)と手での剥離を併用した」という。理由について「手での剥離だとはがす場所が見えない。クーパーを使うと作業が遅くなるが、子宮も傷つけない」とし、正当な医療行為だと主張した。

 検察側が癒着があるとした子宮前壁の胎盤は、「後壁を剥離中に左手で持ち上げたら、ぺろんとはがれた」と証言した。剥離中の出血は550ミリリットルとし、加藤被告は「じわっと出血していた」と供述。出血は剥離後に増えたと述べた。

 取り調べ段階ではクーパーの使用が不適切だったと供述後、初公判で「適切な処置だった」と主張した。「安全性は説明したが、検察官には理解も納得もしてもらえなかった」と述べ、検察調書を否定した。

 ●「記憶する限り立証できた」 弁護側

 主任弁護人の平岩敬一弁護士は閉廷後、「加藤被告本人が記憶する限りのことを立証できた」と振り返った。検察調書の任意性を次々に否定したことについては、「刑事事件での被告人調書には、検察が考えたことが入りやすく、真実とかけ離れたものになりがち」と話した。

 ●調書の責任性 「何を問題に」 検察側

 福島地検の村上満男次席検事は、閉廷後、調書の任意性について、弁護側が「何を問題にしているのかわからない」と切り捨てた。さらに、「被告人の主張は、細かい部分で公判初期の主張と異なっていた」と指摘し、反対尋問である程度の反論をしたが、評価はまだ下せないとした。

 ◇「剥離の判断で過失」主張 これまでの検察側

 検察側は、胎盤剥離(はく・り)が原因の大量出血による失血死とし、「剥離が難しいと分かった時点で、子宮摘出などの処置に移行すべきだった」などと加藤被告の過失を主張した。女性は異状死で、24時間以内に警察署に届け出る医師法で定められた義務があるとした。

 第2回公判で、証人の産婦人科医、加藤謙一・双葉厚生病院副院長が捜査時の供述を翻し、「剥離でのクーパー使用は、手で剥離するよりも優れているかもしれない」などと弁護側の「素早く剥離(はく・り)するための妥当な医療行為」という主張に沿うような証言をした。

 第6回公判では、県警の依頼で、加藤被告の処置を検証する鑑定書を作成した新潟大学医学部の田中憲一教授が証人として出廷。癒着胎盤を無理にはがした場合の危険性などについて証言。子宮摘出に移ったタイミングは、「ちょっと遅かった。(早期に摘出すれば)救命可能性はあった」と、検察側の主張に沿った意見を述べた。

(朝日新聞、2007年9月1日)

****** 福島民友、2007年9月1日

医療行為の正当性主張/大野病院事件・被告人質問

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が手術中に死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれ、加藤被告の被告人質問が行われた。

 初公判の罪状認否以来、約7カ月ぶりに手術の様子を供述した加藤被告は「手術用はさみ(クーパー)で無理に癒着部分をはがし取って失血死させた」などとする起訴事実を全面的に否認、あらためて無罪を主張した。その上で「適正な医療行為の中で偶発的に合併症が起きて女性が死亡した」とした。

 加藤被告は弁護側の質問に対して「胎盤の剥離(はくり)中は血圧も脈拍も安定していた。クーパーを使えば、胎盤の取り残しもなく子宮も傷つけない」と、クーパーを使った胎盤の剥離を継続した正当性を主張。

 「胎盤剥離後に血圧が低下したが、輸血などで血圧が上昇したのを確認して子宮摘出を行った。その後に(大量出血の要因となる)産科DICが起きた可能性がある。産科DICになっていなかったら助かったかもしれない」と述べ、適正な医療行為の中で偶発的に女性の状態が悪化して亡くなったと述べた。

 この日は、加藤被告への質問時間が予定より約1時間延長され、検察側の反対質問までで終了した。次回は28日午前10時から、弁護側の胎盤病理専門医の証人尋問が行われる。

(福島民友、2007年9月1日)

****** 福島民報、2007年9月1日

医療行為に「落ち度なし」 大野病院公判で加藤被告

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判は31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。被告人質問が行われ、弁護側の質問に対し加藤被告は胎盤を、はく離する部位を目視しながら医療用はさみ(クーパー)を使用したことを明らかにし、「手を使ってのはく離より、子宮を傷つけない」と医療行為に落ち度がなかったことを強調した。一方、検察側は癒着胎盤を予見できたことについて追及したが、加藤被告はあいまいな供述を繰り返した。公判は休憩をはさみ、約10時間にも及び、検察側、弁護側双方の再質問を次回以降に持ち越した。次回は9月28日午前10時から。

(福島民報、2007年9月1日)

****** 朝日新聞、2007年8月31日

手術・調書確認に迫る

 -大野病院事件公判 きょう被告人質問-

 県立大野病院で04年、女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁で開かれる。「適切な処置だった」として罪状を否認した加藤被告への被告人質問があり、手術方法の正当性や捜査段階での調書の信用性などについて本人の認識がただされる。

 公判では、胎盤と子宮の癒着を認識した時点で、胎盤剥離(はく・り)を中止すべきだったかどうかが争点になっている。

 弁護側は、剥離を続けたのは、出血を止めるためであり正当、と主張。加藤被告は初公判後の記者会見で、胎盤をはがすためのクーパー(手術用ハサミ)使用について、「勾留(こう・りゅう)中は取り調べに対し、『クーパーの使用は不適切だった』と言ったが、今はそういうことは考えていない」と述べ、正しい医療行為だったと主張した。どのような認識で胎盤を剥離したのか、法廷での発言が注目される。

 検察側はこれまでの公判で、県警の依頼で鑑定書を作成した新潟大学医学部の田中憲一教授らを証人尋問し、「クーパー使用の有無にかかわらず、無理やり胎盤をはがした点が問題」との主張を展開している。

 また、加藤被告は捜査段階での供述内容を翻しており、検察官調書の信用性が争点の一つ。検察側は、加藤被告の供述に強制はなかったとしているが、弁護側は取り調べに問題があったことの立証も試みる方針だ。

(朝日新聞、2007年8月31日)

**** 朝日新聞、2007年8月31日11:09

被告の医師が検察調書を否定 帝王切開手術中の死亡事件

 福島県立大野病院で、04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた産科医加藤克彦被告(39)が、被告人質問に臨んだ。

 加藤被告は「クーパー(医療用ハサミ)を使えば胎盤の取り残しもなく、子宮も傷つけないと判断したと説明したが、検察官には理解も納得もしてもらえなかった」と述べ、検察調書を否定した。加藤被告は、取り調べ段階では施術が不適切だったと供述していたが、初公判では「適切な処置だった」と主張した。

(朝日新聞、2007年8月31日11:09)

**** 毎日新聞、2007年8月31日11:43

産婦人科医が手術の妥当性主張 福島地裁

 福島県立大野病院(同県大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。初めて被告人質問があり、加藤被告は「手で胎盤をはがすよりもクーパー(手術用はさみ)を使った方が子宮を傷つけず、胎盤の取り残しもない」などと手術の妥当性を主張した。

(毎日新聞、2007年8月31日11:43)

****** 河北新報、2007年8月31日

被告、あらためて無罪主張 大野病院事件 福島地裁

 福島県立大野病院(大熊町)で2004年、帝王切開中に子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医加藤克彦被告(39)の第7回公判が31日、福島地裁であった。加藤被告は被告人質問で「自分に落ち度はなかった。当時の状況の中で最善を尽くした」とあらためて無罪を主張した。

 争点となっている胎盤と子宮の癒着が分かった時期について、加藤被告は「はがれにくいのは胎盤癒着のためとは考えていなかった。剥離の途中、クーパー(医療用はさみ)を使い始めたころから胎盤癒着が頭に浮かんだ」と説明。癒着を認識した上で剥離を始めたとする検察側主張に反論した。

 検察側が危険性を指摘するクーパーの使用については「指での剥離が3分の2以上進んだ時点で、クーパーも併用した。指と違って剥離部分が見え、力を込めてピンポイントで剥離がしやすい」と適切な判断だったことを強調した。

 その上で「検察の取り調べで何度も説明したが納得してもらえなかったため、調書の内容について訂正は求めなかった」と述べ、「指がすき間に入らなかったからクーパーを使った」とした調書の供述内容を翻した。

 起訴状によると、加藤被告は04年12月17日、女性の帝王切開手術で胎盤と子宮の癒着を確認し剥離を開始。継続すれば大量出血で死亡することが予見できる状況になっても子宮摘出などをせず、剥離を続けて女性を失血死させた。

(河北新報、2007年8月31日)

*** 福島中央テレビ、2007年8月31日12:00

大野病院の裁判 被告の産婦人科医が証言

 大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判で、きょう、被告の医師本人が証言に立っています。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、加藤克彦被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたなどとされています。

 きょうの公判では、注目の被告人質問が行われています。

 これまで起訴事実を否認している加藤被告は、「胎盤は、手で剥がしている時点でかなり剥がれ、最後に医療器具のクーパーを使用した」と証言し、検察側の「無理に引き剥がした」との主張を否定しました。

 公判は夕方まで続く見通しです。

(福島中央テレビ、2007年8月31日12:00)

*** 福島中央テレビ、2007年8月31日19:01

大野病院の医師の裁判 被告の産婦人科医が証言

 大熊町の県立大野病院で、帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の裁判です。

 きょうの公判では被告人質問が行われ、被告の医師本人が証言に立ちました。

 業務上過失致死などの罪に問われている県立大野病院の産婦人科医、加藤克彦被告は、2004年に、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、無理に癒着した胎盤を引き剥がして死亡させたとされています。

 きょうの第7回公判では、被告の加藤医師本人が証言に立ちました。

 法廷で加藤被告は、これまでと同じく起訴事実を否定する証言を繰り返しました。

 今回の裁判は全国から注目を集めていますが、これまでの公判で浮かび上がった争点は二つです。

 一つ目は手術の前に胎盤が癒着しているのを予側できたのかという点、もう一つは手術中に癒着した胎盤を剥きはがす医療行為を中止すべきだったのかという点です。

 結果的には、この医療行為を続けたことで、女性は大量出血して亡くなりました。

 この二つの争点をめぐって、検察側と弁護側が激しい攻防を展開している中で、きょうの被告人質問を迎えました。

 争点について被告は、まず癒着を予測できたのかについて「事前に行った超音波検査や女性の症状から、胎盤が癒着していることは認められなかった」と答えました。

 そして、胎盤を引き剥がす医療行為を続けた点については「手でかなりの胎盤をはがすことができた。

 より的確に剥がすために、最終的に医療用ハサミのクーパーを使った」と述べ、無理やり引き剥がしたのではない、と主張しました。

 このほか、加藤被告は「手術中に出血が増えることもなく、血圧なども安定していたため、引きはがすことをやめようとは思わなかった」などと、自らの医療行為が正しかったことを強調する証言を続けました。

 裁判はこの後も医療の専門家が次々と証言に立ち、その「医師の判断」について、激しい攻防が続くと見られます。

(福島中央テレビ、2007年8月31日19:01)


大野病院事件 第6回公判

2007年07月21日 | 大野病院事件

コメント(私見):

大野病院事件の第6回公判が昨日行われました。今回は、鑑定書を作成した田中憲一教授(新潟大学医学部産科婦人科学講座)の証人尋問が行われました。

田中教授のご専門は婦人科腫瘍学であり、『周産期は専門でないので、一般的な産婦人科専門医としての知識でしか鑑定できない』とご自身が述べられています。

また、田中教授ご自身が『約30年前の若手医局員だった時代に、新潟大病院で手術助手として癒着胎盤を経験したことがある』と証言されたようです。その後は、大学で研究者として、婦人科腫瘍学の研究一筋に打ち込んでこられたわけですから、『ご自身での癒着胎盤例の執刀経験は、未だ一度もない』ものと推察いたします。

従って、今回の鑑定書は、実質的には、専門外の一医師による文献的考察という位置付けになるとも考えられます。今後、周産期医学の専門家によって正式に鑑定書が作成される必要があると考えられます。

裁判は法律の専門家達によって行われます。法律の専門家達は、医学に関しては全くの素人の集団ですから、いきなり『癒着胎盤!』などと訳の分からないことを言われても、一体全体何のことやらさっぱり見当もつかないことでしょう。鑑定書の記載内容(この場合は癒着胎盤に関する専門家の意見)が裁判の動向を大きく左右するわけですから、鑑定を依頼するのであれば、ちゃんとその道の専門家に依頼してもらわないと困ります。田中教授ご自身も、この鑑定書の記載内容が、まさか後にこんな大きな問題になろうとは、鑑定書を作成した当時は全く予感もされてなかったことと思われます。

参考:鈴木 寛(参議院議員)・現代医療問題に関する対談集: 医療崩壊への処方箋

福島県立大野病院の医師逮捕事件について(自ブロク内リンク集)

Lohas Medical Blog
 福島県立大野病院事件第六回公判(0)
 
福島県立大野病院事件第六回公判(1)
 福島県立大野病院事件第六回公判(2)

New! 第六回公判(07/7/20) 傍聴記録詳報
(周産期医療の崩壊をくい止める会のホームページ)

****** 朝日新聞、2007年7月21日

大野病院事件公判

「子宮摘出が原則」 鑑定書作成医が証言

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医K被告(39)の第6回公判が20日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。県警の依頼で鑑定書を作成した新潟大学医学部の田中憲一教授が証人として出廷し、癒着胎盤を無理にはがした場合の危険性などについて証言した。

 田中教授は、同大医学部付属病院産科婦人科長で、主に婦人科の腫瘍学を専門にしている。検察側は、胎盤の癒着を認識した時点で、はがすのを中止し、子宮摘出に移るべきだったと主張。弁護側は止血のために剥離が必要だったとして争っている。

 田中教授は検察側の主尋問に、「無理に胎盤を剥離すれば、大出血する恐れがあり、剥離が困難な場合は続けず、原則的に子宮を摘出した方が良い」と証言。K医師が子宮摘出に移ったタイミングは「ちょっと遅かった」とした。早期に子宮摘出をしていれば、「救命可能性はあった」と検察側の主張に沿った意見を述べた。

 ただし、田中教授は一般論として「癒着の範囲が狭い場合は、はがして良い事例もある」とした上で、癒着範囲をどう判断するかは「手術する医師による」とした。

 また、K医師が手術用ハサミの先端を使って胎盤をはがしたことの当否は「判断しかねる。周産期が専門の医師が証明するなら使用しても良いと思う」と述べた。

(朝日新聞、2007年7月21日)

****** 読売新聞、2007年7月21日

鑑定書作成医師が証言 大野病院事件公判

 大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われている産婦人科医、K被告(39)の第6回公判が20日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であり、加藤被告の処置を検証する鑑定書を作成した産婦人科医の田中憲一・新潟大教授に対する証人尋問が行われた。

 田中教授は、K被告の逮捕後、女性に対する検査や手術中の処置の是非などについて鑑定。検察側主張の有力な根拠になっている。

 田中教授は、K被告が手術前の超音波検査で撮影した子宮内部の写真から「子宮前壁で胎盤と子宮の癒着を疑っていいと思った」と証言。そのうえで胎児を取り出した後の処置について「胎盤のはく離は困難で時間もかかっており、(大量出血を防ぐため)子宮摘出に移行してもよかったのではないか」と述べた。はく離の際に手術用ハサミを使った点も否定的な見解を示した。

 次回8月31日は、初めてK被告に対する被告人質問が行われる。

(読売新聞、2007年7月21日)

****** 毎日新聞、2007年7月21日

大野病院医療事故:鑑定教授は手術処置に疑問呈す--第6回公判 /福島

 県立大野病院(大熊町)で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告(39)の第6回公判が20日、福島地裁(鈴木信行裁判長)であった。手術処置の妥当性などを鑑定した新潟大教授が「胎盤を手ではがせなかった時点で、子宮を摘出すべきだった」と証言し、胎盤はく離後に子宮を摘出した加藤被告の処置に疑問を呈した。一方で「術者が可能だと判断すれば、はく離を継続することもある」とも語り、執刀医の裁量を認めた。

 鑑定した教授は胎盤はく離に約15分かかっているとし、病理鑑定で癒着胎盤の範囲が広かったことを挙げ「子宮摘出に移るべきだった」と述べた。また、K被告が術前に行った超音波検査の画像から「癒着胎盤を疑ってもいいと思う」と証言し、癒着胎盤が予見可能だったことを指摘した。

 次回は8月31日で、被告人質問が行われる。【松本惇】

(毎日新聞、2007年7月21日)

****** 福島民友、2007年7月21日

「無理にすべきでなかった」 県立大野病院医療事件公判

 大熊町の県立大野病院で2004(平成16)年12月、帝王切開で出産した女性=当時(29)=が死亡した医療事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医K被告(39)の第6回公判は20日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれた。

 起訴事実の根拠となる鑑定書を作成した産婦人科専門医の検察側証人尋問が行われた。医師は、最大の争点となっている癒着胎盤のはく離中止義務について、「胎盤は血流が豊富で大量に出血するため、癒着部分を無理にはがすべきではなかった。はく離の際のクーパー(手術用はさみ)使用も適切でない」と検察側の主張を裏付ける証言を行った。さらに、癒着胎盤の診断について、女性の診察時に加藤医師が行った超音波診断の写真から「癒着がうかがえる」とし、MRI(磁気共鳴画像装置)などで詳しく検査する必要があったとした。また、出血が続くなかで子宮摘出に移行した時期についても「早い時期に(摘出を)判断するべきだった」とし、判断の遅れを指摘した。

 一方、弁護側は、同医師は出産を専門に扱う周産期医療の専門家ではないとしたうえで、癒着の部位や範囲について具体的に把握しないまま鑑定をし、弁護側が分析方法を疑問視した別の病理鑑定を参考にして鑑定書を書いたことを問題視した。

(福島民友、2007年7月21日)

****** 福島放送、2007年7月21日

医療過誤で証人が「はく離中止すべき」

大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた大熊町下野上、産婦人科医K被告(39)の第6回公判は20日、福島地裁(鈴木信行裁判長)で開かれ、検察側主張の支えとなる鑑定書を作成した新潟大医学部教授の証人尋問を行った。

教授は、最大の争点である癒着胎盤への措置について「胎盤のはく離が困難になった時点ではく離を中止し、直ちに子宮摘出に移るべきだった」と起訴事実に沿った証言をした。

(福島放送、2007年7月21日)

****** OhmyNews、2007年7月21日

「癒着胎盤を疑ってもいい徴候あった」

福島県立大野病院事件第6回公判、専門医が検察側有利の発言

軸丸 靖子

 帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した同院の産婦人科・K医師が業務上過失致死などに問われている福島県立大野病院事件の第6回公判が20日、福島地裁で開かれた。

 今回出廷したのは、事件後に福島県警から依頼を受け、鑑定書を作成した新潟大学医学部産科婦人科学の田中憲一教授。検察側証人として唯一、産婦人科専門医として鑑定を行った同教授は、「術前検査のエコー写真から、胎盤の癒着があるとの診断はできないが、疑ってもいい徴候(ちょうこう)は認められる」と述べた。

 尋問ではまず、産婦人科学の一般論として

 「(胎盤と子宮筋膜が)強固に癒着している場合は、執刀医は無理な胎盤剥離(はくり)を継続すべきではない。(手術用はさみなど)器具を使った剥離もすべきではない。無理な剥離になる場合は、剥離を中止し、子宮を摘出すべきだ」

 とし、子宮収縮を促すために胎盤剥離を継続したK医師の判断は誤りとする検察側の主張に合致する証言をした。

 さらに、この女性のケースに関しては、術前エコー検査の写真から

 「(子宮筋層と胎盤のあいだに)血流があると疑われる所見が認められる」

 と、子宮筋層深くに胎盤絨毛(じゅうもう)が入り込む陥入胎盤もしくは穿通(せんつう)胎盤とみられる癒着が疑われる所見が見られることを指摘。

 胎盤剥離におよそ15分と時間がかかっていることなどからも、胎盤の癒着は広範囲で深いものであったとして、無理な剥離がその後の大量出血の引き金になったとする検察側主張を裏付けた。

 これに対し弁護側は、同教授が産婦人科のなかでも婦人科腫瘍が専門で、周産期が専門ではないこと、癒着胎盤の症例を経験したのは約30年前に助手として立ち会った1例しかないこと。さらに、作成された鑑定書(以下、田中鑑定)は、産婦人科学の教科書や文献、福島県立医大の病理医・杉野隆医師による鑑定書(同、杉野鑑定)を参照して書かれたものである点を追及。

 何をもってどの程度を「無理」というのか、「剥離は無理」という判断は誰がするのかについて、

 「術者(執刀医)の判断」
 「ケース・バイ・ケース。もう1人子供が欲しいという患者の希望がある場合は、できるだけ(胎盤を剥離して)子宮を残すようにする」
 「癒着の範囲が狭いとか、深さはどのくらいかと聞かれても、何とも言いようがない」

と、現場は教科書どおりにはいかないことを示唆する証言を引き出した。

 また、同教授は「自分の鑑定書に変更はない」と明言したが、参照にした杉野鑑定は、先の公判で一部変更されていることには「(変更は)知りません」と言葉をつまらせる場面もあった。

 なお、田中鑑定はこれまで証拠採用されていなかったが、今公判の冒頭で、単位や日付、出血量、字句などの誤記20カ所以上について訂正が行われたのち、証拠採用された。

 今回で検察側証人尋問は終了する。次回は8月31日に、被告への本人質問が行われる。

OhmyNews、2007年7月21日)

****** 河北新報、2007年7月20日

福島・大野病院事件 胎盤剥離見極め困難 産婦人科医証言

 福島県立大野病院(大熊町)で2004年、帝王切開中に子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医K被告(39)の第6回公判が20日、福島地裁であった。検察側提出の医学鑑定書を作成した大学教授(産婦人科医)が証人に立ち、争点である子宮と胎盤の癒着状況について「どれだけ深く入り込んでいるかは、手術中に医師には分からないだろう」と述べ、剥離をどこまで続けていいかどうかの判断の難しさを指摘した。

 教授は「剥離が困難な際は無理に続けるべきではないが、どんな場合が困難かは医師の判断に委ねられる」と述べた。

 公判の冒頭、自身を「周産期が専門ではなく、一般の産婦人科医」とした教授は、検察側が過失の一つに挙げる剥離時のクーパー(医療用ばさみ)使用について「鑑定時には、クーパーを剥離に使うとする文献は見なかった。最近、周産期の専門家からそういう方法もあると聞いた」と証言した。

(河北新報、2007年7月20日)

****** NHK福島、2007年7月20日

大野病院裁判で鑑定医が証言

県立大野病院の産婦人科の医師が、帝王切開の手術で女性を死亡させたとされる事件の裁判で、死因などの鑑定を行った医師が証人として法廷に立ち、「胎盤を手ではがすのが困難だと認識した時点で子宮摘出に移るのが妥当だった」と証言しました。これに対し弁護側は、「ハサミを使って胎盤をはがした判断に問題はなかった」と反論しました。

 大熊町にある県立大野病院の産婦人科の医師、K被告(39)は3年前、帝王切開の手術の際に女性の胎盤を無理にはがし、大量出血を引き起こして死亡させたとして、業務上過失致死などの罪に問われています。

 これに対し、被告と弁護側は無罪を主張しています。

 20日、福島地方裁判所で開かれた6回目の裁判では、死因などを鑑定した医師が検察側の証人として法定に立ち、争点の1つになっている手術の内容の妥当性などについて証言しました。

 このなかで鑑定医は、「胎盤を無理やりはがせば大量出血のおそれがあることは明らかで、手で胎盤をはがすのが困難だと認識した時点で、子宮を摘出することが妥当な方法だった」などと証言しました。

 これに対し弁護側は、「はがすのが困難かどうかは現場で手術をしている医師が判断することだ。手術用のハサミを使って胎盤をはがす方が安全で妥当だった」などと反論しました。

 次の裁判は来月31日に開かれ、K医師への被告人質問が行われる予定です。

(NHK福島、2007年7月20日)

*** Lohas Medical Blog、2007年7月20日~21日

Lohas Medical Blog
 福島県立大野病院事件第六回公判(0)
 
福島県立大野病院事件第六回公判(1)
 福島県立大野病院事件第六回公判(2)

傍聴希望者は90人と落ち着いたが、いつもの一番大きな1号法廷が使えないとのことで、傍聴券はたった15枚。そして今回も見事に外れ、でも分けてもらえて傍聴できることになりました。詳報は後ほど。

帰りの東北新幹線のダイヤが乱れたりして、事務作業を片付けているうちに、少々作業着手が遅くなったが、ご報告する。

いつものように逐語再現は周産期医療の崩壊を食い止める会にやがて掲載されるので、そちらを御覧いただきたい。

本日は検察側の医学鑑定書を書いた田中憲一・新潟大医学部産科婦人科学教室教授の証人尋問。6回目にして初めて検察側の描くストーリーにはまるピースが出てきた。一般人からすると文句のつけようのない鑑定人に見え、これを覆すのは容易でないように思えるが、しかし果たして、実際のところ鑑定書を書くにふさわしい人物だったのか、という点は後ほど弁護側が指摘する。

この日は、地裁が改装中とかで、いつもの1号法廷が使えず、隣の2号法廷を使うとのこと。隣とはいえ、かなり狭くなった。傍聴席から手を伸ばせば被告の背中に届く距離だ。おまけに傍聴席が少ない!長椅子にビニールテープを張って4分割したものが3×3。関係者席や記者席を除くと、たったの15。次回の加藤医師本人の尋問まで2号法廷とのことだ。ハッキリ言って検察側証人のうち二大ヤマ場と思うのだが何とも間が悪い。

それはともかく田中教授の尋問の報告に移ろう。紺のスーツ姿で伏し目がちに登場した田中教授は、身長こそ170センチあるかどうかに見えるが、学生時代は柔道でもしていたのだろうかという、ずんぐりガッチリした体格。普段はきっと声が大きいに違いないと思った。だが尋問に対する答えはか細く、速記者から「先生もう少し大きい声で話していただけますか」と注文をつけられていた。

ともかく肝と思われる部分を再現していこう。尋問するのは途中から加わって毎回ソフトにポイントを重ねている検事。

 検事  産科婦人科には専門分野が4つあるそうですね。
 田中教授  はい。
 検事  4つとは何ですか。
 田中教授  周産期、腫瘍、生殖、婦人科内分泌です。
 検事  証人のご専門は何ですか。
 田中教授  腫瘍です。

(中略)

 検事  証人は本件以外にも医療事件の鑑定書を書いたことはありますか。
 田中教授  あります。
 検事  本件を除いて何件ですか。
 田中教授  7件です。
 検事  すべて産科婦人科の分野ですか。
 田中教授  はい。
 検事  腫瘍以外の分野について鑑定したことはありますか。
 田中教授  異なるものもあります。
 検事  それは何件ですか。
 田中教授  6件です。
 検事  腫瘍は1件のみということですか。
 田中教授  そうです。

皆さんは、医療訴訟の検察側鑑定書が専門外の人によって書かれていることが多いとご存じだったろうか。私は知らなかったので非常に驚いた。たしかに誰が何を専門にしているか、外部から調べるのは骨が折れるし、適任の人が必ずしも引き受けてくれると限らないから、仕方ない面もあるとは思うが、しかし当事者の立場になってみると納得いかない。

 検事  本件は福島県警から鑑定の依頼を受けましたね。
 田中教授  はい。
 検事  どのような経緯で依頼を受けたのですか。
 田中教授  警察署の刑事さんが来て依頼されました。
 検事  証人に依頼する理由を何か言っていましたか。
 田中教授  私が過去に行った鑑定の鑑定書が立派だったことと、困っているからというようなことを言いました。

(中略)

 検事  何に関しての鑑定をほしいとのことでしたか。
 田中教授  帝王切開で亡くなった妊婦さんの死因についてとのことでした。
 検事  どう対応しましたか。
 田中教授  周産期は専門でないので、一般的な産婦人科専門医としての知識でしか鑑定できないけれど、それでよろしいかと尋ねました。
 検事  警察は何と言いましたか。
 田中教授  お願いしますと言われました。

前回の証人だった病理鑑定書を書いたS講師と同様、自らの鑑定が何を引き起こすか、予感すらしなかったのに違いない。

この後、一般論としての癒着胎盤の説明や用手剥離の方法、胎盤剥離と子宮収縮の関係、剥離困難な場合にどうするべきかなどが尋問された。

そして田中教授自身が若手医局員だった時代に、新潟大病院で手術助手として経験した癒着胎盤症例の話を経て、いよいよ検察側の有罪立証のピースにはまる部分へと入る。

 検事  癒着胎盤に関して近年何か傾向がありますか。
 田中教授  増えているようです。
 検事  理由は何ですか。
 田中教授  わが国で帝王切開が増えていることによると思います。
 検事  なぜ帝王切開が増えると癒着胎盤が増えるのですか。
 田中教授  最初の帝王切開の傷痕に次回以降の出産の際に胎盤が付着するからです。
 検事  前置胎盤の場合はどうですか。
 田中教授  ?(メモ不完全)。
 検事  前回帝王切開だと癒着胎盤の確率は上がりますか。
 田中教授  そうだと思います。
 検事  前置胎盤だと癒着の確率はどうですか。
 田中教授  前置胎盤の場合にも増えるのではないかと思います。

(略)

 検事  前回帝王切開で前置胎盤だと、癒着の確率が上がるということはありますか。
 田中教授  あります。
 検事  どの程度の確率ですか。
 田中教授  文献によって違いますが3~25%と言われています。
 検事  事前に検査で診断することは可能ですか。
 田中教授  ある程度は可能だと思います。
 検事  どのように検査しますか。
 田中教授  超音波診断かMRIを用います。

(中略)

 検事  本件で癒着胎盤を疑わせる所見はありませんでしたか。
 田中教授  ありました。

過失致死罪が成立するには、予見できた可能性、回避できた可能性がなければならない。これまで検察側は証人尋問の誰からも、このピースを出すことができていないと思う。

 検事  どこにありましたか。
 田中教授  12月3日と6日のエコー写真には、癒着胎盤を疑ってもいいと思われました。
 検事  その他の資料には癒着を疑わせるものはありましたか。
 田中教授  ありませんでした。

しばらくエコー写真のどこに疑念があったかのやりとりがあり

 検事  K医師はどのようにすべきであったと思いますか。
 田中教授  MRIを撮っても良かったのでないかと思います。
 検事  妊婦に対してMRIは悪影響を与えますか。
 田中教授  この週数であれば基本的にないと思います。
 検事  12月17日に帝王切開をしているのですが、検査で他に分かる方法はなかったでしょうか。
 田中教授  この患者さんは前置胎盤ということになっているのですが、前置胎盤というのは分娩直前に診断を行うことになっているので、帝王切開直前にもう一度検査をする方が良かったと思います。

K医師が手段を尽くさなかったということになる。だが、この点こそ『医療崩壊』との関連で、実に本質的なものを含んでいるので後ほど改めて考察する。
この後、尋問は本件の胎盤剥離に関してへと移る。

 検事  被告人はどんな処置が必要だったと思われますか。
 田中教授  質問の意味が分かりません。
 検事  児娩出後に胎盤の用手剥離を行ったが、それが困難になってきたときにどうするべきだったと思いますか。
 田中教授  それは分からないですね。そのことだけでは何とも言いようがありません。
 検事  この用手剥離の途中で剥離が困難・不可能になってきたときに剥離を続けるべきでしょうか。
 田中教授  それはK先生がやっておられて困難・不可能と判断されたのであれば、剥離をやめて子宮摘出に移るべきだったと思います。
 検事  それはどのような状態から判断できますか。
 田中教授  どれ位癒着が残っているかも判断材料になると思います。

(中略)

 検事  本件で胎盤剥離を途中でやめて子宮摘出に移行できたと思いますか。
 田中教授  それは分かりません。

(中略)

 検事  この時点で子宮摘出へ移行が可能だったと思われますか。
 田中教授  どの時点ですか。
 検事  剥離が困難・不可能になった時点です。
 田中教授  それはどこか分かりませんよね。
 検事  (K医師の)供述調書を前提にすると
 田中教授  その前後であれば子宮摘出は可能だったと思います。
 検事  その時点で子宮摘出していれば救命の可能性はありましたか。
 田中教授  可能性はあったと思います。

このやりとりにより、回避可能性もあったと証言されたことになる。

 検事  実際には、胎盤剥離後に子宮剥離をしたのは、ご存じですか。
 田中教授  はい。
 検事  子宮摘出の時期は適切だったと思いますか。
 田中教授  私はちょっと遅かったのでないかと思っています。胎盤剥離後、出血をコントロールできないと思った時点で、直ちに子宮摘出へ移るべきだったと思います。

(以下略)

このように検察が大きくポイントを取って、午前中の主尋問が終わった。昼食休憩を挟み、弁護側がどう盛り返したかは稿を改めることにする。

午後1時半に弁護側反対尋問で公判再開。尋問するのは平岩代表弁護人。いつも浪々と美声で尋問する。対する田中教授、午前より一層声が小さくなる。

 弁護人  ご専門は婦人科腫瘍ですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  主として婦人科腫瘍の診療に携わってきたのですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  帝王切開、全前置胎盤、癒着胎盤、すべて周産期の領域ですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  依頼されて本件について鑑定書を書いたのですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  周産期は専門外だと思いますが、専門外のことについて、なぜ鑑定書を書いたのですか。
 田中教授  警察に依頼されたからです。
 弁護人  周産期専門の先生に頼むべきでないか、とは言わなかったのですか。
 田中教授  そのようなことは申しませんでした。
 弁護人  一般の産婦人科専門医としての知識で鑑定書を書くと伝えたとおっしゃいましたね。
 田中教授  はい。
 弁護人  日本産科婦人科学会には平静16年当時、会員数にして約1万6千人の会員がいませんでしたか。
 田中教授  定かではありませんが、そうだと思います。
 弁護人  産婦人科専門医は全国に1万2千人いたのではありませんか。
 田中教授  定かではありませんが、そうだと思います。
 弁護人  被告人のK医師も産婦人科専門医であることはご存じですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  産科婦人科領域で5年の臨床経験があれば専門を問わずほとんど産婦人科専門医になれるのではありませんか。
 田中教授  はい。
 弁護人  最高裁判所の医事関係訴訟委員会から日本産科婦人科学会が依頼されて鑑定人候補を推薦するために鑑定人リストを作っていて200数十人のリストがあるのをご存じですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  そのリストに載っているのは、教授、准教授、院長といった専門分野ごとの第一人者ではありませんか。
 田中教授  そうだと思います(少し声が裏返る)。
 弁護人  証人ご自身も婦人科腫瘍分野で鑑定人リストに載っていませんか。
 田中教授  昨年までなっていました。
 弁護人  本件の場合、周産期分野ご専門の方が鑑定するべきではありませんでしたか。
 田中教授  はい。
 弁護人  警察官はこのことについて何も言わなかったのですか。
 田中教授  特に何も言いませんでした。
 弁護人  証人が周産期分野で信頼をおく方はどなたですか。
 田中教授  名前を挙げるのですか。
 弁護人  はい。
 田中教授  東北大学の岡村先生、福島県立医大の佐藤先生、北里大の海野先生、昭和大の岡井先生、宮崎大の池ノ上先生、それから名誉教授になってしまいますが大阪大の〓先生と九州大の〓先生(メモ不完全)です。
 弁護人  本件はそのような方たちが鑑定書を書くべきだったと思いませんか。
 田中教授  思います。
 弁護人  今お名前の出た岡村先生と池ノ上先生については弁護側の依頼で鑑定書を書いていることをご存じですか。
 田中教授  知りません。
 弁護人  今回の鑑定をおやりになったのは刑事上の責任を問うことを考えてですか。
 田中教授  私は医学上、安全な診療をするにはどうしたらよいかという観点で行いました。

田中教授が鑑定を書くにふさわしかったかどうかは、もはや裁判所の判断に委ねるしかない。ただ厚生労働省が現在行っている死因救命の検討委員会でも樋口委員(東大教授)から問題提起されていることだが、何を目的にするかによって「真相」は異なる。刑事事件の証拠とするなら、「疑わしきは罰せずで謙抑的でないといけない」。再発防止をめざすなら、「その時点では専門家の判断として仕方なかったかもしれないが、数か月とか年とか経って考えれば、こういう選択肢があったのでないか。今考えれば本当はこちらだろう、そういうことまで考えたうえ」なのである。田中教授は明らかに後者の観点から鑑定しているのに、前者である刑事司法の場で証拠とされてしまっている。一般の医療者にとっては、こんなTPOの使い分けなど思いもよらないだろうし、もし使い分けたとすると今度は患者・家族から、「二枚舌」と不信感を招くに違いない。この問題は、この訴訟とは別に皆で考えないといけない。

この後しばらく証人が若手医局員時代に、新潟大病院で経験した癒着胎盤症例に関する尋問が続き、そして、ここからは田中教授がどの程度、身を入れて鑑定したかを問う尋問に入っていく。

 弁護人  鑑定を依頼された時点で病院の事故調査報告書が出ていましたね。
 田中教授  はい。
 弁護人  それに依拠すればよいとは考えませんでしたか。
 田中教授  参考にはなると思いました。
 弁護人  児娩出から胎盤剥離終了までに5000ミリリットルの出血があったと鑑定書に書いてありますが、記憶にございますか。
 田中教授  はい。
 弁護人  これは羊水込みですね。
 田中教授  だと思います。
 弁護人  事故調査報告書にも5000ミリリットルの出血があったと記載があります。これはご記憶にありますか。
 田中教授  あります。
 弁護人  では最も客観的な原資料の麻酔チャートではどうなっているか。麻酔チャートを示します。2555と記載されているのはお分かりですね。
 田中教授  はい。
 弁護人  このような原資料でなく調査報告書に依拠した理由は何ですか。
 田中教授  カルテにも5000ccと書いてありました。
 弁護人  患者の全身状態をリアルタイムで最も正確に記載してあるはずの麻酔チャートに依拠しなかった理由は何ですか。
 田中教授  麻酔チャート自身には胎盤剥離終了時の正確な血液量は書いてなかったと思います。10分後くらいに7500と書いてあるので、胎盤娩出の時には5000ccくらいだと判断しました。

(中略)

 弁護人  エコー検査というのは、同じ場所でもプローベ(探触子)を当てる角度や強度によって見え方が変わるものではありませんか。
 田中教授  そうです。
 弁護人  術者がその変化を継続的に見ながら総合的に判断するものではありませんか。
 田中教授  そうです。
 弁護人  エコーの写真というのは検査のごく一部に過ぎないのではありませんか。
 田中教授  そうです。
 弁護人  12月3日の写真に癒着胎盤を疑わせる所見があるとおっしゃいましたね。
 田中教授  疑ってもよいということです。
 弁護人  このような(田中教授が論拠とした)血流はごく一般的に見られるものではありませんか。
 田中教授  見られることもあります。
 弁護人  ならばどうして癒着を疑うことができるのですか。
 田中教授  前回帝王切開で全前置胎盤ですから癒着の確率が高いです。

(中略)

 弁護人  (田中教授自身が実際には)癒着胎盤のエコーを一度も見たことがないのに、どうしてその判断に誤りがないと言えるのですか。
 田中教授  私の判断が必ず正しいとは思っておりません。ただ診療はしておりませんけれど、日常的に疑って検査しなさいと若い人に申しております。
 弁護人  12月6日のエコー写真でも、やはり癒着を疑うべきですか。
 田中教授  そうではなく12月3日のエコーと併せて、疑ってもよいということです。

(中略)

 田中教授  この血流がどういうものか同定するのが目的ではなく、種々の所見があれば疑ってもよいということです。

この方法論は医学的には全く正しいのだと思う。しかし社会制度としての医療の方法論としてはどうか。疑わしいことを常に100%潰していったら、医療費がいくらあっても足りない。どこかで専門家が自己の責任で線を引かざるを得ない。そして、その線引きをストイックに引き受けてくれている医療者がいたからこそ、奇跡的に日本の安い医療は維持されてきたのだと思う。田中教授は「疑ってもよい」と証言するが、後からなら何とでも言えるし、K医師が線引きするためかけた労力以上に、鑑定に労力をかけただろうか。結果論的に刑事で裁けば、線を引く専門家がいなくなる。それこそ医療崩壊でないか?

(中略)

 弁護人  鑑定書で、子宮前壁に癒着があったことは明らかであると書かれていますがご記憶はありますか。
 田中教授  はい。
 弁護人  病理のS博士の鑑定書を前提にしたのではありませんか。
 田中教授   参考にはしました。

ここから前回袋叩きに遭ったS鑑定を、田中教授がどこまで参考にしたか明らかにさせ、ついでに田中教授の鑑定書の信ぴょう性も疑わせようとの尋問が繰り返されたが、検察・弁護どちらにも、あまり得るところはなかったと思う。そして

 弁護人  剥離が困難なほど胎盤が癒着しているかどうかというのは、施術中にはなかなか判定できないものではありませんか。
 田中教授  そうでしょう。
 弁護人  であれば、それは術者の判断に委ねられているのが、臨床の現場ではありませんか。
 田中教授  そうです。
 弁護人  「剥離を中断して子宮摘出にうつるべきとされている」という表現が鑑定書にありますが、これは文献からの引用ですか。
 田中教授  文献を参考にした私の文章です。
 弁護人  「止血操作するとされている」とありますが、その際に胎盤剥離を中断すべきですか。
 田中教授  ケース・バイ・ケースだと思います。
 弁護人  ケース・バイ・ケースの判断は誰が下すのですか。
 田中教授  術者だと思います。
 弁護人  本件でいえば加藤医師ですか。
 田中教授  そうです。

この後、クーパー使用の是非について少しやりとりがあり、それから死因につながったと見なされている大量出血が、胎盤剥離によってもたらされたのでなく、羊水塞栓に起因する産科DIC(血液凝固因子が失われ出血が止まらなくなる)の症状として現れたに過ぎないのでは、という弁護側の見立ての尋問も行われたが、田中教授はこれには取り合なかった。そして弁護側による蜂の一刺し。

 弁護人  証人の証言は基本的に医学文献に基づくものですね。
 田中教授   そうです。

文献を調べてもらうだけなら、大学教授に鑑定を頼む意味があるのか?個人的には、ここがこの日のハイライトだった。

15分の休憩を挟み、反対尋問の続きが少しあって、検察側の再主尋問である。

 検事  産科婦人科についての鑑定をする際、専門性はどの程度必要でしょうか。
 田中教授  案件によると思います。
 検事  案件によると言いますと。
 田中教授  質問内容によると思います。
 検事  具体的にはどのようなことでしょうか。
 田中教授  私の知識とかけ離れた専門性ならお受けできないと言います。
 検事  かけ離れるとは、たとえばどういうことですか。
 田中教授  たとえば新生児のことなどは分かりません。
 検事  高度な専門性を必要とすること、ということでしょうか。
 田中教授  そうです。
 検事  今まで鑑定された7件について専門性はどのように判断されたのですか。
 田中教授  一般的な産婦人科のことと判断しました。
 検事  実際にやってみて専門性が必要になったことはありませんか。
 田中教授  引き受けてみてから、これは無理だというのが一件ありました。
 検事  その際は結論として鑑定書を出さなかったわけでしょうか。
 田中教授  そうです。
 検事  本件の場合はどうですか。
 田中教授   一般的な癒着胎盤のことでしたし、立派な調査報告書もありましたので、それを参考にすれば鑑定できると思いました。
 検事  やってみてどうでしたか。
 田中教授  一般的な産婦人科医であれば答えられることでした。
 検事  調査報告書の結論を引き写しましたか。
 田中教授   参考にはしましたが、引き写したわけではありません。
 検事  証人ご自身ですべて書かれたわけですね。
 田中教授  そういう部分もありますし、調査報告書を活用・参考にした部分もあります。

この辺をどう解釈するかは個人の自由だと思う。

 検事  エコー写真から癒着を疑ってもよいとい判断をしたのは何を根拠にしたのですか。 
 田中教授  種々の論文があります。
 検事  それらをご覧になった。
 田中教授  はい。
 検事  参考にもした。
 田中教授  はい。
 検事  エコーの判断はご自分だけでされましたか。
 田中教授  勤務している施設の専門医に相談しました。

(後略)

ついで弁護側の再反対尋問。

 弁護人  エコー検査というのは動画ではありませんか。
 田中教授  そうです。
 弁護人  エコー写真というのは、いわば一時停止の状態を写真に撮ったものですね。
 田中教授  そうです。

(後略)

この日の尋問だけ取り出しても検察がポイントを上げていると思う。そのうえ、この後さらに大きなポイントが検察に入る。田中教授が鑑定書を真正に作成されたものであると認めたことにより、この日の証言以上にK医師の過失を強く印象づけるような、その鑑定書が証拠採用されたのだ。刑事訴訟法上は止めようのないことではあるが、これによって検察の描くストーリーは維持された。なるほどこれがあったから公判を取り下げなかったのだな、と思った。どうやら、この裁判まだまだ長引きそうである。

(Lohas Medical Blog、2007年7月20日~21日)


福島県立大野病院事件・第五回公判

2007年05月26日 | 大野病院事件

コメント(私見):

昨日の福島県立大野病院事件・第5回公判で、摘出子宮を鑑定した病理鑑定医(検察側の証人)が、争点の一つである子宮と胎盤の癒着の部位や程度について証言を行いました。

【検察側の見解】 全前置胎盤で、胎盤は子宮の前壁から後壁にかけて付着し、前回帝王切開の創痕にかかっていた。 胎盤が子宮筋層の1/2程度に侵入していた。

【弁護側の見解】 全前置胎盤ではあるが、胎盤は主に子宮の後壁に付着し、前回帝王切開の創痕にはかかっていなかった。胎盤が子宮筋層の1/5程度に侵入していた。

       ◇   ◇   ◇

同じ病理標本の病理診断なのに、病理医によって診断が一致しないのはそれほど珍しいことでもありません。特に、特殊な希少症例の場合は、その道の権威と言われている病理医達の病理診断でも、それぞれの診断が3者3様に分かれてしまい、なかなか最終結論が出せない場合もまれではありません。

『癒着胎盤』は、産科医が生涯で1回経験するかしないかというような非常にまれな特殊な疾患です。一般の(胎盤病理を専門としていない)病理医だと、癒着胎盤症例を経験する機会はほとんどありません。

従って、癒着胎盤の鑑定には、複数の胎盤病理を専門とする病理医達が、十分に議論を重ねて、慎重に結論を出す必要があると思います。

****** 福島中央テレビ、2007年5月25日

県立大野病院の裁判 鑑定医も証言が揺れる

 大熊町の県立大野病院で帝王切開の手術を受けた女性が死亡した事件の公判がきょう開かれ、女性の子宮を鑑定した病理鑑定医が証言に立ちました。

 業務上過失致死などの罪に問われている、県立大野病院の産婦人科医、K被告は、2004年の12月、当時29歳の女性の帝王切開の手術をした際、癒着した胎盤を無理に引き剥がして死亡させたなどとされています。

 きょう福島地裁で開かれた5回目の公判では、死亡した女性の子宮を鑑定した病理鑑定医の証人尋問が行われました。

 この鑑定医は、まず検察官の尋問に「胎盤の癒着を予測できた可能性がある」とする検察側の主張に沿った証言をしました。

 しかし、鑑定医は、弁護側の反対尋問には「手術の前に行う超音波検査では、癒着を予測するのは難しい」と違った見解も示し、争点の一つとなっている癒着の予測に関して、その判断の難しさが浮き彫りになった形です。

(福島中央テレビ、2007年5月25日)

****** 河北新報、2007年5月26日

福島・大野病院訴訟「剥離すれば止血は困難」鑑定医証言

 福島県立大野病院(大熊町)で2004年、帝王切開中に子宮に癒着した胎盤を剥離(はくり)した判断の誤りから女性患者=当時(29)=を失血死させたとして、業務上過失致死罪などに問われた産婦人科医K被告(39)の第5回公判が25日、福島地裁であり、患者の子宮を鑑定した医師が検察側証人として出廷した。

 争点になっている子宮と胎盤の癒着の程度について、医師は「三段階のうち中程度の癒着。胎盤が子宮表面の子宮筋層の2分の1に入り込んでいる状態で、剥離すれば止血は困難」と証言。弁護側の「胎盤は子宮筋層の5分の1しか入っておらず、限りなく軽度に近い中程度の癒着」とする主張を否定した。

 癒着の範囲についても「子宮の前壁から後壁にかけて全面的に癒着していた」と、検察側立証に沿う証言をした。

 起訴状によると、K被告は04年12月17日、女性の帝王切開手術で胎盤と子宮の癒着を確認し剥離を開始。継続すれば大量出血で死亡することが予見できる状況になっても子宮摘出などに回避せず、剥離を続けて女性を失血死させた。

(河北新報、2007年5月26日)

****** 読売新聞、2007年5月26日

子宮鑑定医師証人に 検察側主張に沿う証言

大野病院事件公判

 大熊町の県立大野病院で2004年12月、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われている産婦人科医、K被告(39)の第5回公判が25日、福島地裁であり、摘出された女性の子宮を鑑定した医師の証人尋問が行われた。

 公判では、争点の一つである子宮と胎盤の癒着の部位や程度について検察側と弁護側の立証が対立。医師は「子宮口をまたいで子宮の後ろから前にかけて癒着していたと推定される」と検察側の主張に沿う内容の証言をした。弁護側は、切り分けた子宮の一部に癒着が認められた場合、全体に胎盤の癒着があると推定した鑑定手法に疑問を呈した。

(読売新聞、2007年5月26日)

****** 朝日新聞、2007年5月26日

胎盤癒着「前壁から後壁に」

 県立大野病院で04年に女性(当時29)が帝王切開手術中に死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の罪に問われた、産科医K被告(39)の第5回公判が25日、福島地裁であった。摘出した子宮を鑑定した病理医が「子宮の前壁から後壁にかけて胎盤が癒着していたと推定される」と証言した。

 この日、検察側の証人として出廷した県立医大病理学第二講座の杉野隆医師は、胎盤の癒着について「子宮頸部をはさんで後壁から前壁に癒着があった」と証言。「胎盤は前回の帝王切開の傷跡に癒着していたと推定される」と述べた。

 胎盤の癒着部分を巡っては、前壁から後壁にかけて癒着があったとする検察側と、後壁だけだったとする弁護側で、争点の一つとなっている。

 また、杉野医師は癒着の程度について「胎盤は子宮筋層の2分の1程度まで侵入していた」と述べ、「胎盤の侵入は5分の1程度」とする弁護側よりも、癒着が強かったとする認識を示した。

 証人尋問によると、杉野医師は、大野病院からの依頼を受けて04年12月に提出した病理診断では「癒着は後壁のみ」としていたが、05年6月に県警からの依頼で作成した鑑定書では「前壁から後壁にかけて癒着」と認識を改めていた。

 さらに07年2月、福島地検からの依頼を受けて回答した「鑑定書に関する追加説明書」では、より広範な範囲で癒着がみられるとした。

(朝日新聞、2007年5月26日)

****** 福島民報、2007年5月26日

癒着胎盤、広範囲に 大野病院医療過誤公判

 福島県大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医K被告(39)の第5回公判は25日、福島地裁で開かれた。

 検察側の依頼で子宮を鑑定した男性医師への証人尋問を行った。男性医師は争点の一つである癒着胎盤の範囲と程度について「子宮口を挟んで子宮後壁から前壁に癒着していた。深さは子宮筋層の2分の1程度」と述べ、「後壁だけの癒着」とする弁護側の主張を認めなかった。さらに、「前壁にある前回帝王切開創部に癒着していた」と証言した。「癒着胎盤が前回帝王切開創部に及ぶほど広範囲だった」とする検察側主張に医学的な裏付けが付いた形で、最大の争点である「手術中に胎盤の癒着が分かったとき、胎盤はく離を中止すべきだったか」の判断に影響するとみられる。

 被害者は二度目の帝王切開手術で亡くなった。前回帝王切開した創部は胎盤が癒着しやすいといわれる。加藤被告は超音波検査などで調べた上で、前回帝王切開創部について「癒着なし」と判断した。

 弁護側は閉廷後、男性医師の鑑定について「真に科学的であるか疑問だ」と批判。弁護側も別の医師に子宮鑑定を依頼して「癒着は子宮後壁のみ」との結果を得ており「弁護側鑑定医の証人尋問で真実を明らかにしたい」とした。

(福島民報、2007年5月26日)

****** 毎日新聞、2007年5月26日

大野病院医療事故:鑑定医を証人尋問 癒着範囲めぐり攻防--公判 /福島

 県立大野病院で04年、帝王切開手術中に女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医、K被告(39)の第5回公判が25日、福島地裁であり、死亡女性の子宮を病理鑑定した医師への証人尋問が行われた。当時の女性の胎盤の状況について、鑑定医は「胎盤が子宮の前壁部分にまで癒着していた」と、胎盤の癒着が広い範囲に及んでいたと証言した。

 鑑定医は、子宮の一部を採取したプレパラートを顕微鏡で観察し、子宮の前壁部分にも癒着の跡が認められたと証言。また「子宮筋層の2分の1程度まで胎盤が癒着していた」とし、弁護側が主張する「5分の1程度」を否定する見解を示した。

 一方、弁護側は鑑定書の補足説明の中で「プレパラートの一部で癒着が認められたら、その標本の採取部位全体に癒着胎盤があるとみなして範囲を推定した」という記述があることを指摘し、鑑定の信用性に疑問を投げかけた。鑑定医はこの日、「同じ標本の中でも癒着胎盤がある部分とない部分がある」とも証言した。【松本惇】

(毎日新聞、2007年5月26日)