ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

後期研修医募集(内科、外科、麻酔科、産婦人科 etc.)

2011年10月23日 | 飯田下伊那地域の産科問題

飯田市立病院では、内科・外科・麻酔科・産婦人科などで幅広く後期研修医を募集してます。

平成24年度は麻酔科1名・外科1名、平成23年度は麻酔科1名、平成22年度は麻酔科1名、平成21年度は産婦人科1名・内科1名・麻酔科1名、平成20年度は外科2名・内科1名・麻酔科1名、平成19年度は産婦人科1名・麻酔科1名が、飯田市立病院の後期研修医として新規に採用され各科で研修中です。各科とも随時募集しており、数多くの応募をお待ちしてます。

当院の麻酔科の後期研修医は、最近6年連続で毎年1名づつ採用されています。麻酔科では、若い医師達が順番に国内留学をして研鑽を積んでます。麻酔科医の大幅増員で外科系医師は非常に助かってます。

当院産婦人科の医師団は、主に、信州大産婦人科より1~2年間の任期で派遣される医師達で構成されてます。これまでに、当院での初期研修を経て、当科で産婦人科後期研修を開始した者が1名、信州大産婦人科に入局した者が計5名いました。また、県外の病院での初期研修を経て、当科で3年間の産婦人科後期研修を修了し産婦人科専門医資格を取得した者も1名在籍しています。また、これまでに2名のベテラン産婦人科医師(日本医大卒、九州大学卒)が縁あって採用され、長年にわたり一緒に働きました。ここ数年間で近隣のほとんどの産科施設が分娩の取扱いを中止し、当科の分娩件数は年々うなぎ登りに増加し続け、最近の分娩件数は月100~120件程度です。毎年、施設を改修しながら分娩数増加に対応してきましたが、それでは対応しきれなくなったため、2014年、新たに北棟を増築しそこに周産期センターを立ち上げました。交通の便の悪い田舎の病院ですが、いろいろな経緯で集まった有能・勤勉な仲間達が大勢いて、抜群のチームワークで日々楽しく働いてます。

リニア中央新幹線の駅が当地にできることが決定し、今は陸の孤島ですが、将来的には当地の交通の利便性は今と比べると飛躍的によくなる筈です。

飯田市立病院産婦人科 後期研修プログラム

 本プログラムは、2年間の初期臨床研修を修了後に、日本産科婦人科学会の認定する産婦人科専門医および母体保護法指定医の資格取得をめざす3年間のコースである。

 当科における後期研修プログラムは、信州大学産科婦人科学教室(塩沢丹里教授)との緊密な連携のもとに実施される。本人の希望により、信州大学産科婦人科学教室または長野県立こども病院にて研修を行い、より多くの症例を経験することも可能である。当科および信州大学産科婦人科学教室において、産婦人科に関する臨床研究を行い、積極的に研究発表(論文も含む)を行う。

 飯田市立病院・産婦人科は、産婦人科医 6名(出身大学:信州大 3名、名古屋市立大1名、大阪市大 1名、鳥取大1名)、助産師50名の診療体制である。地域周産期母子医療センターに指定され、年間約1200~1400例の分娩を取り扱い、年間約50例の緊急母体搬送を受け入れ、広域医療圏内の異常分娩のほぼ全例を取り扱い、臨床各科と協力して多数例の合併症妊娠にも対応している。また、年間約200例の婦人科手術を行い、新規の婦人科浸潤癌症例が年間約50例ある。婦人科内視鏡手術も年間約50例実施している。当院は地域がん拠点病院に指定され、PET-CT、放射線治療設備などの最新鋭の診断・治療機器が完備し、広域医療圏内の婦人科悪性腫瘍のほぼ全例を取り扱っている。

 本プログラムでは、産婦人科診療のほぼすべての領域において、多数の症例を経験し、産婦人科専門医資格を取得するために必要なすべての技能を修得することが可能である。本プログラムの指導医師達の専門分野は、産婦人科のほぼすべての領域をカバーしており、専門医資格取得のために必要十分な指導を受けることが可能である。

 また、地域周産期母子医療センターとしてNICUもあり、本人の希望により、NICUでの研修ができる。新生児科・小児科での正常新生児の健診や未熟児のフォローアップについても研修できる。さらに、当院麻酔科の指導により、産科麻酔(無痛分娩を含む)の研修もできる。消化器外科、泌尿器科などの研修の希望があれば可能な限り相談に応じる。

 当院は、日本産科婦人科学会専門医制度卒後研修指導施設、日本周産期新生児学会基幹(母体・胎児)基幹研修施設、母体保護法医師指定研修指導医療機関、日本臨床細胞学会認定施設などとして認定されている。従って、本プログラムを修了して産婦人科専門医の基本資格を取得後に、さらに本人の希望により、周産期(母体・胎児)専門医、母体保護法指定医師、細胞診専門医などの各種のsubspecialityにおける専門医をめざして修練する道も開かれている。

指導担当:

○常勤医師:

 山崎輝行( 副診療部長 兼 副医療情報部長 兼 産科部長 兼 周産期センター長、昭和57年信州大卒、医学博士、信州大医学部臨床教授、産婦人科専門医、周産期母体胎児専門医、日本周産期新生児医学会暫定指導医、新生児蘇生法「専門」コースインストラクター、ALSOインストラクター、母体保護法指定医、婦人科腫瘍専門医、がん治療認定医、細胞診専門医) 

 鈴木昭久(婦人科副部長、平成9年名古屋市立大学卒、根羽村出身、産婦人科専門医、専門領域:婦人科腫瘍学)

 宮本 翼(産婦人科医長、平成18年大阪市大卒、産婦人科専門医)

 藤原静絵(平成20年信州大卒、産婦人科専門医)

 大岡尚実(平成22年鳥取大卒)

 松原直樹(検査科副部長、平成9年信州大卒、産婦人科専門医、周産期母体胎児専門医、新生児蘇生法「専門」コースインストラクター)

○非常勤医師:

 塩沢丹里(信州大医学部産婦人科・主任教授、医学博士、産婦人科専門医、婦人科腫瘍専門医)専門領域:婦人科腫瘍学、婦人科病理学。

 宮本 強(信州大医学部産婦人科・講師、医学博士、産婦人科専門医、婦人科腫瘍専門医)専門領域:婦人科腫瘍学。

関連診療科の常勤指導医

 長沼邦明(副院長、小児科部長、昭和53年弘前大卒、小児科専門医、医学博士、信州大臨床教授)

 中田節子(新生児科部長、平成 5年信州大卒、小児科専門医、周産期新生児専門医)

 原 克実(副診療部長、昭和57年信州大卒、麻酔科指導医、ペインクリニック専門医、医学博士)

 岩澤 健(麻酔科部長、平成5年信州大卒、麻酔科指導医)

待遇:

飯田市立病院規定に従う。身分:常勤医(1年ごとの契約更新)。宿舎あり。
募集人数:若干名

後期研修終了後の進路:

研修終了時に病院側との話し合いで決定する。

問い合わせ先:

〒395-8502 長野県飯田市八幡町438番地
飯田市立病院 庶務課 庶務係
お問合せフォームより、もしくはメールkensyu@imh.jp
Tel0265-21-1255(内線2222) Fax0265-21-1266

当科の最近の主な業績:

山崎輝行,波多野久昭,鈴木章彦,菅生元康,中村正雄,関谷雅博,上田典胤,羽場啓子,塚原嘉治,藤井信吾:Normal-sized ovary carcinoma syndrome,14例の病理組織学的解析.日本産科婦人科学会雑誌 47:27-34,1995

Shimojo H, Itoh N, Shigematsu H, Yamazaki T : Mature teratoma of the placenta. Pathol Int 46 : 372-375, 1996

波多野久昭,山崎輝行,折井文香,八木ひかる,生山敏彦:腸チフス合併妊娠の1例. 産婦人科の実際 45:235-238,1996

野口 浩,横西清次,小谷俊郎,山崎輝行,波多野久昭,塚原嘉治,重松秀一:扁平上皮癌優位の下床癌を伴った外陰Paget病の1例.癌の臨床 43:793-796,1997

堀米直人,山崎輝行,神頭定彦,疋田仁志,金子源吾,千賀 脩,宮川 信,波多野久昭:消化管大量出血により発症した絨毛癌空腸転移の1例.飯田市立病院医誌第3号105-107,1997

大平哲史,波多野久昭,山崎輝行:卵巣原発の悪性中胚葉性混合腫瘍の2例.飯田市立病院医誌第4号91-95,1998

山崎輝行,波多野久昭,大平哲史,長沼邦明,津野隆久,朴 成愛,松下雅博,原田 大:胎盤多発梗塞を呈した原発性抗リン脂質抗体症候群の1例,飯田市立病院医誌 第4号:85-89,1998

大平哲史,山崎輝行,波多野久昭,津野隆久,長沼邦明:胎児母体間輸血症候群の1例.周産期医学 29:241-244,1999

山崎輝行:Normal-sized ovary carcinoma syndrome. 臨床婦人科産科 53,774-775,1999

大平哲史,波多野久昭,山崎輝行:膣壁に発生したAngiomyofibroblastomaの2例.日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報 36:391-394,1999

Ohira S, Yamazaki T, Hatano H, Harada O, Toki T, Konishi I: Epithelioid trophoblastic tumor metastatic to the vagina: an immunohistochemical and ultrastructural study. Int J Gynecol Pathol 19: 381-386, 2000

大平哲史,波多野久昭,山崎輝行:頸部に発生したAngiomyofibroblastomaの1例.日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報 37:41-44,2000

大平哲史,山崎輝行,波多野久昭,土岐利彦:特殊な絨毛性疾患,ETT (epithelioid trophoblastic tumor).半藤 保(編),新女性医学大系第37巻 絨毛性疾患,pp315-319,中山書店,東京,2000

松原直樹,山崎輝行,波多野久昭:原発性卵管癌の1例.飯田市立病院医誌第6号121-124,2002

西尾昌晃,実原正明,園原美恵子,赤羽美智子,荒木竜哉,山崎輝行,福島万奈,伊藤信夫:子宮頚部Glassy cell carcinomaの2例.飯田市立病院医誌第8号43-46,2002

Horiuchi A, Itoh K, Shimizu M, Nakai I, Yamazaki T, Kimura K, Suzuki A, Shiozawa I, Ueda N, Konishi I: Toward understanding the natural history of ovarian carcinoma development: a clinicopathological approach. Gynecol Oncol 88: 309-317, 2003

山崎輝行,波多野久昭,小野恭子,実原正明,西尾昌晃,金井信一郎,伊藤信夫:脈管侵襲を伴う子宮頚癌Ia1期における骨盤内リンパ節転移例.飯田市立病院医誌第10号67-70,2004

山崎輝行,波多野久昭,小野恭子,伊藤信夫,金井信一郎,正木千穂,大平哲史,塩沢丹里,小西郁生:不妊治療中に発見された高カルシウム血症型卵巣小細胞癌(大細胞亜型)の1例.日本婦人科腫瘍学会雑誌第23巻163-170,2005

山崎輝行,小野恭子,正木千穂,松原直樹,波多野久昭:帝王切開後の経腟分娩(VBAC)で発生した子宮破裂の3症例.産婦人科の実際第54巻845-849,2005

松原直樹,小倉寛則,竹内はるか,前田知香,山崎輝行:当院で経験した子宮破裂の5例.日本産科婦人科学会関東連合地方部会会報第45巻49-53,2008

大野珠美,竹内はるか,松原直樹,西澤春紀,山崎輝行,小林隆夫:高度の軟産道裂傷および子宮破裂によりDICを発症した1例.日本産婦人科・新生児血液学会誌第17巻63-68,2008

小野恭子,菊池昭彦,松原直樹:産婦人科臨床の難題を解く―私はこうしている.産褥1か月の胎盤ポリープの扱いは? 臨床婦人科産科第62巻434-437,2008

小倉寛則,前田知香,竹内はるか,松原直樹,山崎輝行:若年女性における卵管留血腫,茎捻転の1例.臨床婦人科産科第62巻757-759,2008

山崎輝行,芦田 敬,松原直樹,古川哲平,宮本 翼,堀澤 信,竹内穂高:帝王切開既往妊婦に発生した子宮破裂の4例.長野県母子衛生学会誌第13巻2-7,2011

古川哲平,山崎輝行,安藤大史,宮本翼,芦田敬:マラリア合併妊娠の1例.長野県母子衛生学会誌第14巻28-33,2012  

飯田市立病院産婦人科の紹介
(臨床婦人科産科2007年10月号、病院めぐり、一部情報を更新)

 飯田下伊那地方は飯田市と下伊那郡14町村で構成され、人口約18万人、長野県最南端に位置し、西は木曽山脈、東は赤石山脈にはさまれ、中央部を天竜川が流れています。飯田市立病院は、一般病床403床、診療科目23科、医師数95名の総合病院として、臨床研修病院、新型救命救急センター、地域がん拠点病院、地域周産期母子医療センターなどの指定を受け、地域の基幹病院として活動しています。

 当産婦人科は、平成元年4月に信州大より筆者(山崎)が赴任し開設されました。開設時のスタッフは産婦人科医1名、助産師2名で、手術室の1室を改装して分娩室とし、小児科病棟の1室を間借りしての非常にささやかな産婦人科診療のスタートでした。平成3年4月に待望の常勤医2人体制が実現し、平成4年10月に現在地に病院が新築移転した時に念願の産婦人科病棟もできました。その後、年々マンパワーも充実し、現在は常勤産婦人科医6名(出身大学:信州大4名、大阪市大1名、藤田保健衛生大1名)、非常勤産婦人科医2名、助産師37名の体制で産婦人科の診療を行っています。最近の年間分娩件数は1200~1400件、年間手術件数は約500件で、県下でも最大規模の産婦人科施設の一つに成長してきました。

 当医療圏の産婦人科の診療は、当院と地域の開業の先生方とで緊密に連携し、開業の先生方は主に妊婦健診と婦人科の一般外来を担当し、当院では主に異常妊娠管理、分娩取り扱い、婦人科手術、悪性腫瘍の治療などを担当しています。

 正常妊娠・分娩の管理では、助産師外来やフリースタイル分娩などを導入し、助産師の活躍の場が広がっています。新生児科、麻酔科などとも連携を密にし、24時間緊急の事態に即応できる体制を組んでいます。

 当院は、PET-CT、放射線治療設備などの最新医療機器が完備し、新規婦人科浸潤癌症例も年間約50例あり、放射線科、外科、泌尿器科などとも連携して多数例の婦人科悪性腫瘍の治療にあたっています。また、腹腔鏡手術、子宮鏡手術なども積極的に行っています。

 当院は、日本産科婦人科学会卒後研修指導施設、日本周産期新生児学会(母体・胎児)基幹研修施設などに認定され、専門医の育成にも力を入れています。現在、産婦人科専門医をめざして研修中の医師が1名、産婦人科専門医資格を取得後に周産期専門医(母体胎児)をめざして修練中の医師が2名在籍しています。今までの実績は、周産期専門医(母体胎児)試験合格者:2名、婦人科腫瘍専門医試験合格者:1名です。

 最近は、当院の周辺の病院でも、産婦人科の閉鎖や分娩取り扱いの中止が相次いでいます。マンパワーの更なる充実を図り、地域での病診連携を強化し、何とかして、この逆風を乗り切っていきたいと考えています。

(臨床婦人科産科2007年10月号、病院めぐり、一部情報を更新)


椎名レディースクリニック開業百周年記念式典

2011年06月26日 | 飯田下伊那地域の産科問題

椎名レディスクリニックは開業百周年を迎え、3代目院長の一雄先生が産婦人科医としての業務を担当、奥様が助産師業務を担当、院長のお母様が長く厨房を担当され、御家族を中心に年中無休で猛烈に働き続けて、年間4百件程度の分娩や不妊治療など、地域での産婦人科医療に積極的に取り組んでおられます。最近、椎名レディースクリニック開業百年記念式典が開催され、私も出席させていただきました。御子息のうちの2人が医学部生、1人が助産学生で、現在、修業中とのことです。昨今の産婦人科医不足、助産師不足などの影響で、産婦人科の開業を継承していくのは非常に困難な社会状況となってますが、御家族を中心に職種を分担し、自給自足で家内工業的に非常に頑張っておられます。今回の式典では、次世代へのバトンタッチの準備も着々と進んでいることが紹介されました。

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記念式典での祝辞の原稿:
 椎名レディースクリニック開業百周年おめでとうございます。
 一口に百年と申しましても、親子三代でこの地域の産婦人科医療を支えてこられたことを考えますと、これは並大抵のことではない大偉業と感じております。
 私が飯田市立病院産婦人科に赴任したのは平成元年4月で、その当時は先代の椎名剛雄先生が頑張っておられました。赴任のご挨拶に初めて椎名レディースクリニックにお伺いした時に、剛雄先生は、「これからは、手に負えない大変な症例はどんどん市立に送るから、よろしく頼むよ。」とやさしく声をかけてくださって、早速に、早産前期破水の症例を送っていただき、市立病院で最初の帝王切開を開設早々に実施させていただきました。
 その後も、ハイリスク妊娠や子宮頸癌・子宮体癌・卵巣癌などの多くの貴重な症例をどんどん送っていただき、お陰様で、市立病院の産婦人科は、開設直後からいきなりエンジン全開で、毎週毎週、多くの手術を実施させていただくことができ、非常にいい形でスタートを切ることができました。
 最初は地域の産婦人科の先生方のほとんどが私の父親世代でしたが、平成3年に椎名一雄先生が飯田に戻って来られたのと、ちょうど時を同じくして、波多野久昭先生や羽場啓子先生も当地での診療を開始され、同世代の産婦人科の仲間が急に増えましたので、平岩幹夫先生を中心として飯田下伊那産婦人科医会の中に若手グループを結成し、頻回に症例検討会や勉強会を開催して親交を深め、この二十年間、地域の産婦人科医療を支えてきました。
 振り返ってみますと、この二十年間のうちには当地域の産婦人科医療提供体制も何度か危機的な状況に陥りましたが、その度にみんなで助け合って危機を乗り超えてきました。特に3年ほど前には、市立病院産婦人科が存続できるかどうかの危機に直面した時もありましたが、何とか危機を脱することができましたのも椎名一雄先生をはじめとした地域の諸先生方の大きな助けがあったお蔭と、心より感謝しております。
 月日の流れるのは早いもので、若い若いと思っていた我々若手グループの面々も還暦を迎える年齢となり、次世代へのバトンタッチを考えなければならない時期がやってきました。
 市立病院の産婦人科も、昨年、芦田敬先生が信大産婦人科から赴任し、若い産婦人科医も増えて、毎日みんなで活発に議論し、切磋琢磨して日々の診療に励んでおります。助産師の数も年々増えて総勢四十人を超す勢いです。
 椎名レディースクリニックでも、御子息達が医学部で勉学に励まれているそうで、次世代へのバトンタッチの準備が着々と進んでいることと推察いたします。
 今後の百年間も、椎名レディースクリニックと市立病院とがうまく協力していけば、この地域の産婦人科医療提供体制はますます発展していくと思います。
 私もこれからなるべく長生きをして、次世代の先生方の頑張り振りを見守っていきたいと考えています。
 本日は誠におめでとうございます。


「若手グループ」勉強会の活動

2011年02月02日 | 飯田下伊那地域の産科問題

平成元年4月に飯田市立病院に産婦人科が開設されることとなり、恩師の(故)福田透・信大教授に命ぜられて、不肖ながら信大産婦人科より初代一人医長として赴任しました。私が飯田の地に足を踏み入れたのはその時が生まれて初めてでしたし、病院内に産婦人科医はたった一人しかいませんでしたので、地域の皆様にはいろいろと御不便をおかけし、はらはらするような事も非常に多かったと思いますが、市民の皆様や地元医師会の先生方は、誕生したばかりの飯田市立病院産婦人科を暖かく見守り育ててくださいました。

平成元年当時、当地域内に産婦人科医は十数名いましたが、私の父親世代の先生がほとんどでした。平成3年には、相前後して、波多野久昭先生が日本医大から飯田市立病院に赴任、羽場啓子先生が新潟大学から下伊那赤十字病院に赴任、椎名一雄先生が椎名レディースクリニックを継承するために母校の東邦大学より帰飯されました。地域内に同世代の若手産婦人科医が急に増えてきましたので、平岩ウイメンズクリニック院長の平岩幹夫先生を中心にして、飯田下伊那産婦人科医会の中に「若手グループ」を結成し、年6回の勉強会を開催し始めました。平成3年以来、「若手グループ」勉強会は20年間絶えることなく続いています。

その20年の間にも、当飯田下伊那地域の周産期医療提供体制は壊滅的な危機を何度も経験してきました。「若手グループ」の産婦人科医たちは出身大学もばらばらで、それぞれの事情でこの地にやってきてたまたま遭遇した同じ職業の者たちの集まりですが、結束は非常に固く、力を合わせて多くの危機を乗り越えてきました。

当初は十数施設あった分娩取扱施設も年々減少し続けて、本年3月には当地域内の分娩取扱施設は飯田市立病院と椎名レディースクリニックの2施設のみとなってしまいます。これからも、地域のみんなで一致協力し、この危機を乗り越えていく必要があります。

若い若いと思っていた「若手グループ」の面々も、いつの間にかみんな還暦を迎えるような年齢となってきて、次世代へのバトンタッチも考えなければならない時期がだんだん近づきつつあります。今後は、次世代の「New若手グループ」にいい形でバトンタッチしていきたいと考えています。


ある研修医の奇跡の産婦人科入局宣言

2010年12月19日 | 飯田下伊那地域の産科問題

現在、当科は常勤産婦人科医6名、非常勤医師2名、研修医3名(1年目1名、2年目2名)で、産婦人科診療を行ってます。

11月中旬より産婦人科研修中のT医師(2年目研修医)は、これまでの研修期間中に当院各科をローテートし、最後の研修先として産婦人科にまわって来ました。彼はこれまで産婦人科との接点がほとんどなく、後期研修先の候補として産婦人科は全く考えてませんでした。産婦人科研修が始まって約1ヶ月経過し、病棟回診、外来診療、手術、分娩立ち会い、カンファランス、抄読会など、チーム医療の一員として忙しく働いているうちに、来年4月からの後期研修先の候補の一つとして産婦人科を考えてくれるようになり、12月16日(木)には信大産婦人科に施設見学に行きました。

一昨日(12月17日)の病院互助会の大忘年会で、産婦人科医師団による出し物は昨年以上に大いに盛り上がり、アンコールで産婦人科医師団は舞台に呼び戻されました。アンコールで何をするかは全く考えてなかったのですが、T医師が産婦人科入局を決意したらしいという情報は得ていたので、その場のとっさの思いつきで、「実は、この場に産婦人科医がもう一人います。T先生、壇上へ。」とT医師を舞台に呼び込みました。するとT医師は、「研修医のTです。現在、産婦人科研修中ですが、このたび信大産婦人科入局を決意いたしました。長野県の産婦人科医療のために一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします。」と何百人という大勢の聴衆の前で、高らかに産婦人科入局宣言をしてくれました。大歓声があがり、感激で涙が止まりませんでした。もちろん、産婦人科医師団の出し物は、2年連続で最優秀賞を獲得しました。

昨日(12月18日)は信大産婦人科同門会の忘年会があり、教授をはじめ多くの教室員、教室OB、県内各基幹病院の院長、産婦人科部長などの居並ぶ席上で、T医師は産婦人科入局宣言をして研修申込書を教授に直接手渡しました。

彼はこれまで産婦人科医になることは全く考えてこなかったので、言うなればゼロからの出発ですが、これから来年3月までの間に当科において産婦人科学の基礎の基礎を猛特訓したいと思います。

当院初期研修医(たすぎがけも含む)を経て信大産婦人科に入局した者が、最近3年間だけで計5名(平成20年2名、平成21年2名、平成23年1名)となりました。初期研修後に当院産婦人科の後期研修医として直接採用された者も2名(平成19年1名、平成21年1名)います。現在、彼らは若手産婦人科医として、大学病院や県内各地の基幹病院で大活躍中ですが、初期研修を開始した時点では将来の専門科として産婦人科はほとんど考えてなくて、初期研修中にいろいろ迷いに迷った末に、長い時間をかけて最終的に産婦人科に入門することを決断してくれた者が多かったです。今回のT医師ほど短期間のうちに決断に至った例は、これまであまり記憶にありません。人と人との出会いは、まさに奇跡の連続だと思います。


今後の飯田下伊那地域における産婦人科医療提供体制について

2010年11月27日 | 飯田下伊那地域の産科問題

飯田下伊那地域の最近の年間分娩件数は約1600件で、そのうち里帰り分娩は約300件程度と考えられます。医療機関別では、飯田市立病院で約1000件、椎名レディースクリニックで約400件、羽場医院で約200件の分娩を取り扱ってきました。羽場医院が来年2月末で分娩の取り扱いを中止することになり、来年3月以降の飯田市立病院の分娩取り扱い件数がその分増える見込みです。そこで、分娩件数の急増に対応するために、分娩室と外来診療室の増設工事を緊急的に実施することになりました。

飯田市立病院の第三次整備計画(建設費25億円、11年度上半期着工、13年度上半期完成予定)で、北側増築棟の2階に周産期センター、1階に産婦人科外来を設置し、将来の分娩件数増加に対応していく予定ですが、その完成を待っていたんでは来年度の分娩件数増加に間に合わないので、緊急工事を実施することになりました。せっかく工事を実施しても建物部分は2年後に取り壊すことになりますが、分娩台、分娩監視装置、超音波検査装置などの医療機器は、新しい周産期センター、産婦人科外来に引っ越す際に、すべて持っていく予定です。

飯田下伊那地域における産婦人科医療提供体制は、今まで存亡の危機に何度も何度も直面してきましたが、多くの人々の協力を得て、その時その時の急場を何とかしのぎながら、これまでかろうじて生き延びてきました。大きな危機が訪れる度に、一緒に頑張ってくれる仲間の数がだんだん増えてきました。これから先のことは全くわかりませんが、今後もみんなの力を結集して、危機を一つ一つ乗り越えていきたいと思います。

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以下、中日新聞の記事(2010年7月27日付け)より引用

出産受け入れ体制強化へ 飯田市立病院
来年分娩室を増設 羽場医院の扱い停止受け

 飯田下伊那地方で出産を取り扱う3医療機関のうち、飯田市駄科の羽場医院が来年2月末で取り扱いをやめる代わり、同市八幡町の市立病院が分娩室の増設により受け入れ件数の増加を図ることになった。市立病院が25日夜、飯田下伊那地方の行政、産科医療機関などによる産科問題懇談会で提案、全会一致で了承された。(長谷部正)

 飯伊地方の出産は里帰り分を含めて年間1600件前後で推移。市立病院が1000件、同市小伝馬町の椎名レディースクリニックが400件、羽場医院が200件を扱ってきた。羽場医院の取り扱い停止に伴い、市立病院は来年2月末までに分娩室を現在の3室から4室へ増設。外来診察室も拡張する。また、「90件を限度とする」としてきた1ヵ月当たりの出産予約件数の方針も「90件程度とする」と緩和する。

 市立病院の山崎輝行産科部長は「最近も111件を受け入れた月があり、年間1200件の受け入れは可能という予測ができている」と報告。各医療機関からは健診、外来診療の拡充などで2医療機関に協力する旨の意見が相次いだ。

 同地方で出産を取り扱う医療機関は、30年前の13ヵ所から年々減少し、4年前には3ヵ所まで激減した。市立病院は2007年11月には里帰り出産を原則として断るなど、出産予約件数を月70件程度に制限。その後は産科医の確保などに応じ、徐々に制限の解除を進めている。

(以上、引用終わり)

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以下、南信州新聞の記事(2010年11月27日付)より引用

分娩対応へ緊急工事 飯田市立病院
羽場医院の分娩取り扱い中止を受け
産科問題懇談会

 飯田下伊那の行政と医療関係者でつくる「産科問題懇談会」(会長・牧野光朗南信州広域連合長)は25日夜、飯田市役所で開催された。来年2月末をもって、羽場医院が分娩の取り扱いを止めることになったのを受け、今後の対応を協議した。来年3月以降の分娩を取り扱う医療機関は、飯田市立病院と椎名レディースクリニックの2か所になるため、産婦人科の診療、出産予約について理解と協力を呼びかけることを決めた。

 市立病院では、取り扱う分娩件数の増加に対応するため、分娩室や産婦人科の外来診療室の増設工事を2月中には終え、なるべく多くの分娩に対応できる体制を緊急に整える方針。増設工事は年末から約6000万円かけて実施し、分娩室を1室増やして分娩台を4台(現在3台)にする予定。第三次整備計画までのつなぎの対応となる。

 妊婦健診と軽症の婦人科疾患の診療については、平岩ウイメンズクリニック、椎名レディースクリニック、西澤病院(木曜日のみ)に加え、10月から常勤の産婦人科医師が着任した下伊那赤十字病院、来年3月から外来診療に特化する羽場医院で受診する。

 市立病院の産婦人科医師は、10月から1人増え6人となっていることから、できるだけ受け入れていきたい考え。千賀院長は「おおむね受け入れられるが、一定の制限をせざるを得ないこともある」とした。

 飯田下伊那地域に居住している人の出産は、従来通り原則としてすべて受け入れる。さらに、里帰り出産についても受け入れるが、受付件数によっては制限することもある。市立病院で出産を希望する人は、妊娠初診を前記の連携産科医療機関で受け、紹介状を書いてもらってから出産の予約を取る。出産の予約は12週までに行い、原則として20週までには少なくとも1回以上受診できる人について、随時受け付けていく。実家が飯田下伊那にある人で市立病院での里帰り出産を希望する人は、妊娠がわかり次第、市立病院へ連絡する。

 羽場医院の羽場啓子医師は「前々からもうやめようかと考えていたが、ことし3月ごろから体調を崩し、患者さんやスタッフに迷惑をかけた。お産に立ち会えない時もあり、5月ごろに予約が入っていた来年2月末をもってやめようと決めた」と説明した。羽場医院は1995年6月に開業し、年間200~220件の分娩を取り扱ってきた。

 以下略

(以上、引用終わり)

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以下、南信州新聞の記事(2010年11月27日付)より引用

飯田市立病院第3次整備計画を発表

 飯田市立病院(千賀脩院長)は26日開いた市議会全員協議会で、南信州圏域定住自立圏の中核病院としての機能と役割を果たすため「救急医療」「周産期医療」「がん医療」などの診療機能の充実を柱とする第3次整備計画を発表した。現建物の南側と北側に建物を増築し、現在分散している救命救急センターの各部署を集約するとともに、周産期センターをワンフロアーで配置するなど、がん医療なども含め診療機能の充実を図る。建設費約25億円をかけ、完成は2013年度上半期の予定。

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 建設する建物は、3階建の南側増築棟と4階建の北側増築棟の2棟で、延床面積は合計約6500平方メートル。このほか、既設の建物約3890平方メートルを改修する。南側増築棟には、現在分散している救急外来、救急病床、救急ICUなどの救命救急センターの各部署を、CT検査部門やヘリポートに近い場所に集約する。救急病床6床、救急ICU4床、一般病床2床のスペースを確保し、救急患者の受入環境を整える。

 北側増築棟には、現在2カ所に分散している周産期センター(分娩部門、新生児部門、産科病棟)をワンフロアーで2階に配置。1階に産婦人科外来、助産師外来を配置することで、動線の短縮を図る。分娩室は、リスク軽減のため手術室に近い場所へ配置し、1室増やし4室とする。病床数も2床増やし34床、GCU(継続保育室)は8床増やし12床、陣痛室は2室増やし4室とする。ファミリーケア室(育児指導室)も設置する。

 がん医療は外来化学療法室、緩和ケア部門、麻酔科処置室を一体的または隣接して、できるだけプライバシーが守れくつろげる場所に配置する。外来化学療法室は、20床が配置できるスペースを確保。緩和ケアのためのサロン(情報コーナー)、医療相談やセカンドオピニオンにも対応できる相談室・指導室を設置する。

 患者・利用者のアメニティー向上を図るため、食堂や売店など手狭なサービス部門の改善や、待ち時間をより快適に過ごすことができる施設整備を行う。食堂の客席はゆとりある配置ができるスペースを確保し、利用しやすいように職員エリアと一般エリアを分けるとともに、車イスで移動しやすい通路を確保する。売店は、現在の倍程度の面積とし、品ぞろえを充実するとともに、車イスでも移動しやすい通路を確保する。図書、情報コーナーや休憩コーナーを設置する。

 このほか、地域医療連携室と医療福祉係がより連携して業務ができるよう事務室を移動し、各種相談業務が充実するよう相談室を設置。手狭な腎センターを拡張し、ベッド数は現状(17床)程度とするが、感染者専用個室やトイレ、休憩室、面談室を設置する。内視鏡室も手狭なため拡張し、リカバリールームを設置する。

 5月から進めてきた基本設計がまとまり、これから実施設計に入る。来年度上半期を目標に2棟同時に着工。南側増築棟は約1年で完成するが、全体の工事完成は13年度上半期を予定している。

 建設費約25億円の財源内訳は、県の地域医療再生基金交付金2億円、市の出資金9億円(うち合併特例債4億5000万円、定住自立圏構想推進基金1億5800万円、残りは一般財源)病院事業債14億円。収支計画によると、経常損益は10年度の3億4400万円、11年度の2億900万円から、12年度に4200万円と黒字が少なくなるが、13年度は6000万円、14年度は1億8300万円と回復していく見通し。同院では「黒字を確保しながら建設を進める」と説明した。

(以上、引用終わり)


飯田下伊那地域における産科医療提供体制の変遷(最近二十年間の歩み)

2010年10月27日 | 飯田下伊那地域の産科問題

二十数年前まで、飯田下伊那地域には周産期二次医療機関が存在しなかったため、周産期の異変は地域内の医療機関では対処できない場合が多くありました。当時、当地域で分娩を取り扱っていた産婦人科の先生方は、周産期の異変が発症する度に大変苦労されておられました。児の救命はあきらめざるを得ない場合も少なくありませんでした。

1989年4月、信州大学産婦人科より筆者(山崎)が赴任し、飯田市立病院に産婦人科が開設されました。その当時の飯田下伊那地域では、分娩を取り扱う施設は十施設以上ありましたが、産婦人科医の高齢化により地域の分娩取り扱い施設は年々減り続けました。2000年頃には地域の分娩取り扱い施設は計6施設(飯田市立病院、下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院、椎名レディースクリニック、羽場医院)となり、その6施設で地域の分娩(年間1500~2000件)を分担して取り扱いました。

2005年の夏頃に、その6施設のうちの3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院)がほぼ同時に分娩の取り扱い中止を表明しました。この3施設分を合計すると、年間約800~900件の分娩受け入れ先が突然なくなってしまうことになりました。地域から多くのお産難民が出現する事態も予想されましたので、関係者たちは非常に大きな危機感を持ちました。そこで、2005年8月に当地域の各自治体の長、医師会長、病院長、産婦人科医、助産師、保健師などが集まって、産科問題懇談会を立ち上げ、この問題に対して今後いかに対応してゆくかを話し合いました。

飯田市立病院(2005年当時の常勤産婦人科医3人、小児科医4人、麻酔科医3人)は、県より地域周産期母子医療センターに指定され、地域における唯一の二次周産期施設として、異常例を中心に年間約500件程度の分娩を取り扱ってました。産科問題懇談会での話し合いの結果、周辺自治体からの資金提供もあり、飯田市立病院の産科病棟・産婦人科外来の改修・拡張工事、医療機器の整備などを行ってハード面を強化し、常勤産婦人科医数も(信州大学の協力が得られて)常勤3人体制から常勤4人体制に強化されることになりました。また、分娩を中止する産科施設の助産師の多くが飯田市立病院に異動することになりました。

しかし、飯田市立病院だけでは、地域の分娩のすべてに対応することは不可能で、分娩取り扱いを継続する2つの産科一次施設(椎名レディースクリニック、羽場医院)にも、できる限り(低リスク妊婦管理を中心とした)産科診療を継続していただくとともに、地域内の関係者の協力体制を強化して産科医療を支えあっていこうということになりました。具体的には、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦さんの妊婦検診を地域の産婦人科クリニックで分担してもらうこと、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有化すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者さんのみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。また、産科問題懇談会は継続して定期的に開催し、いろいろな立場の人達(市民、医療関係者、自治体の関係職員など)の意見を広く吸い上げて、何か問題が発生するたびにそのつど対応策を協議し、その結果を情報公開して、市の広報などで市民全体に周知徹底させてゆくことが確認されました。

2006年4月以降、飯田下伊那地域の分娩取り扱い施設は3施設のみとなり、予想通り飯田市立病院の年間分娩件数は倍増し約1000件となりましたが、2006年から2007年秋にかけては、共通カルテを用いた地域の連携システムが比較的順調に運用され、それほど大きな混乱もなく地域の周産期医療を提供する体制が維持されました。また、2007年6月には飯田市立病院の常勤産婦人科医は5人となりました。

当時、長野県内の他の医療圏でも、産婦人科医不足の状況は急速に悪化し、国立病院機構松本病院、国立病院機構長野病院、県立須坂病院、昭和伊南総合病院、安曇野赤十字病院など、各地域を代表する基幹病院産婦人科が、次々に分娩取り扱い休止に追い込まれる異常事態となりました。

そして、比較的順調に推移していると考えられていた飯田下伊那地域の産科医療提供体制にも、2007年10月以降、急速に暗雲がたちこめ始めました。飯田市立病院と連携して妊婦健診を担当していた下伊那赤十字病院と西沢病院の常勤産婦人科医が転勤し、平岩ウイメンズクリニックの院長先生も一時期健康上の理由で休診されました。さらに、飯田市立病院産婦人科の複数の常勤医が2008年3月末で辞職したいとの意向を表明しました。いくら立派な連携システムが存在しても、そのシステムを担う人達が次々に地域から立ち去ってしまっては、システムを運用することができなくなります。やむなく、2007年11月2日に開催された産科問題懇談会にて、翌2008年4月からの分娩制限(里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止)を決定しました。

その後、信州大学の多大な支援により、飯田市立病院は常勤産婦人科医5人の体制が維持できることとなり、2008年3月10日に開催された産科問題懇談会にて、翌4月から実施が予定されていた分娩制限を一部解除することを決定しました。また、2008年4月より、助産師外来を大幅に拡大し、超音波検査を専任の検査技師が担当するシステムも導入しました。

2010年4月、信州大産婦人科より芦田敬医師が赴任し、飯田市立病院産婦人科は常勤医6人の体制となりました。また、2010年9月、市立岡谷病院より施顕璋医師が下伊那赤十字病院産婦人科に常勤医として着任しました。当地域の産婦人科医数の減少傾向にも徐々に歯止めがかかりつつあります。

最近の飯田下伊那地域の年間分娩件数は約1600件程度で、最近数年間の年間分娩受け入れ数の内訳は、飯田市立病院が約1000件程度、椎名レディースクリニックが約400件程度、羽場医院が約200件程度でしたが、羽場医院が2011年2月をもって分娩の受け入れを中止することを公表し、当地域の産科関係者の間に再び激震が走っています。

飯田市立病院では、近い将来に地域の全分娩が集中する事態も想定し、分娩受け入れ数の更なる拡大に対応できるように施設を整備する計画(第三次医療整備計画)を策定中ですが、新しい周産期病棟、産婦人科外来は2013年にならないと完成しません。2年も待てない状況となってきたので、緊急避難的に2011年2月までに産科病棟、産婦人科外来の拡充工事を実施して、2011年3月以降に分娩受け入れ数を若干増やせるようにする予定です。

思えば、この二十年間だけでも、当地域の産科医療提供体制は大きく変遷してきました。幾度となく壊滅的な危機的状況にも直面しましたが、その度に多くの人々が協力して危機を一つ一つ乗り越えてきました。状況は常に大きく変化しています。ある時期に非常にうまくいった方策であっても、それがいつまでも通用するとは限りません。今後もその時その時の状況に応じて臨機応変に対応し、時代とともに変革を続けていく必要があります。


最近の産婦人科診療体制の動向について

2010年10月10日 | 飯田下伊那地域の産科問題

最近の産婦人科施設数に関するニュースで、産婦人科・産科を標榜する病院数は、一貫して減少し続け、過去20年間で4割減となったと報じられました。

その一方で、最近は産婦人科志望者が増加傾向にあり、産婦人科基幹病院の産婦人科責任者に対する産婦人科動向意識調査では、『1年前と比べて良くなっている』との回答が過去3年間連続して増加したとの調査結果が発表され、産婦人科医の現状認識が改善傾向にあることが示されました。

これは、我が国において、産婦人科診療体制の変革が徐々に進んでいるためと考えられます。もちろん現在の姿が最終段階というわけではなく、これからも時代とともに産婦人科の診療体制はどんどん変化し続けると思います。

例えば、私が勤務する病院が属する医療圏においても、20年前には産婦人科を標榜して分娩を取り扱う施設数は十数施設ありましたが、年々施設数が減少し続けて、今では産婦人科標榜施設は5施設(2病院、3診療所)のみとなり、そのうち分娩を取り扱う施設はわずかに2施設(1病院、1診療所)のみとなり、過去20年間一貫して減少し続けてます。その一方で、産婦人科基幹病院である当科の診療体制は、20年前には産婦人科医1人、助産師2人のみだったのに対し、現在では、産婦人科医6人、助産師37人となり、当科の業務量は劇的に増大し、地域の産婦人科診療体制は20年前と比べると大きく変化しました。しかし、現在の姿は長い歴史の中のほんの一断面に過ぎず、当然、今後も大きく変化し続けます。医療圏ごとに状況は異なりますが、どの医療圏においても産婦人科診療体制の変革は徐々に進行しつつあります。それとともに、産婦人科診療全般が20年前とは大きく変化しました。私自身も、20年前と現在とでは日常やっていることは全く異なります。診療全般のやり方や考え方が大きく変化し続け、数年前の常識は現在では全く通用しなくなってます。

定年が近づくとともに、時代の変化についていくことがだんだん難しくなっていくのは、誰しも避けられないことです。どの職場においても、我々のようなロートルに期待される最も重要な役割は、若い人達をむりやり古い型にはめることではなく、時代の流れを察知して、若い人達が次の時代でも大活躍できるような環境を整備することにあると思います。

****** 2010年9月24日、キャリアブレイン

産婦人科病院、20年で4割減少-医療施設調査

 産婦人科・産科を標ぼうする病院数は昨年10月1日現在1474施設で、前年から22施設(1.5%)減少したことが、厚生労働省が9月22日に発表した2009年の「医療施設調査・病院報告」で分かった。この20年間では約4割の減少となった。激務などによる医師不足が指摘され、全国で診療休止や閉鎖が相次いだ産婦人科・産科の実態を反映している。
 産婦人科・産科の内訳は、産婦人科が1294施設(25施設減)、産科180施設(3施設増)。1990年には計2459施設だったが、減少が続いている。

(以下、略)

( 2010年9月24日、キャリアブレイン )

****** 2010年10月4日、キャリアブレイン

産婦人科医の現状認識、改善続く―日産婦学会の意識調査

 日本産科婦人科学会はこのほど、現場の産婦人科医に現状認識などを尋ねた「産婦人科動向意識調査」の結果を公表した。調査結果によると、1年前に比べて産婦人科の状況が「良くなっている」としたのは44%で、「悪くなっている」の17%を大きく上回った。2008年の調査開始以来、「良くなっている」は増加が、「悪くなっている」は減少が続いており、産婦人科医の現状認識は年々改善されている。
 調査では、08年から毎年7月に、同学会の卒後研修指導施設の産婦人科責任者を対象に同じ質問をしている。「調査対象は、ほぼすべての産婦人科基幹病院を網羅していると考えられる」(同学会)という。3回目となる今年の調査では、対象744施設のうち458施設から回答を得た。回答率は62%。
 調査結果によると、産婦人科全体の状況が1年前より「良くなっている」と答えたのは44%(「良くなっている」5%、「少し良くなっている」39%)。08年の18%、昨年の37%から増加が続いている。一方、「悪くなっている」と答えたのは17%(「悪くなっている」3%、「少し悪くなっている」14%)で、08年の47%、昨年の24%から減少が続いている。
 良くなっていると感じる理由(複数回答)は、「産婦人科志望者の増加」が85施設で最も多かった。以下は、08年と昨年の調査で最も多かった「一般の方・マスコミの理解の深まり」26施設、「待遇の改善傾向」22施設などと続いた。
 一方、悪くなっていると感じる理由(同)は「産婦人科医の不足」が21施設で最も多く、「分娩施設の減少」7施設がこれに続いた。また、今回の調査で初めて「地域格差の拡大」が6施設から指摘された。

(以下、略)

(2010年10月4日、キャリアブレイン)


当地域の最近の産科事情

2010年07月18日 | 飯田下伊那地域の産科問題

最近の飯田下伊那地域の年間分娩件数は約千六百件程度で、最近数年間の年間分娩受け入れ数の内訳は、飯田市立病院が約千件程度、S医院が約四百件程度、H医院が約二百件程度で、現状のそれぞれの施設の受け入れ能力の限界に達してます。

ところが、最近、H医院が来年二月をもって分娩の受け入れを中止することを公表し、当地域の産科関係者の間に激震が走ってます。

飯田市立病院では、近い将来、地域の全分娩が集中する事態も想定し、分娩受け入れ数の更なる拡大に対応できるように施設を整備する計画を策定中ですが、現段階では分娩受け入れ数を現状以上に増やす余地が全くありません。

今、妊娠して産婦人科を受診し始めた妊娠初期の妊婦さん達の分娩予定日が来年二月頃なので、地域としてこの問題に今後いかに対応していくのか、早急に協議する必要に迫られてます。


実質約8億円の収支改善を達成(平成21年度)、飯田市立病院

2010年06月04日 | 飯田下伊那地域の産科問題

産婦人科に関して言えば、分娩予約件数が毎月百件近くあり、予定手術や緊急手術も増えたため、常時ほぼ満床の状態が続いてます。他の科も似たような状況なので、全病棟満床で新たな入院患者を収容するベッドが院内のどこにも見つからなくて困るという異常事態も最近ではめずらしくありません。

また、今春は4月1日付けで常勤医師数が大幅に増えたため、医局に新たに机を置くスペースが全くなくなってしまい、医師一人当たりの占有スペースを狭くして対応しました。3月のある日、一日の仕事を終え疲れ切って自分の机までたどり着いたら、知らぬ間に自分のスペースがかなり狭くなっていて愕然としました。

頭に来るようなことも多々ありますが、しばらくは現在の施設で何とかやりくりして頑張っていくしかありません。

****** 医療タイムス、長野、2,010年5月28日

2009年度の経常収支比率103% 飯田市立病院
計画初年度で目標達成

 飯田市立病院(千賀脩院長)は2009年度の経常収支比率が103.2%で、改革プランの目標に掲げた「11年度までに100%」を初年度で達成したことを、27日の市議会全員協議会に報告した。同院の経営損益は08年度は約1億3000万円の赤字だったが、09年度は3億3500万円の黒字に転換している。

 同院は09年度、看護配置基準7対1やDPCを導入。入院で前年度比11%、外来で同7%の増額となり、収益が大幅に向上した。黒字額は3億3500万円だが、退職手当と修繕の各引当金を積んだり、一般会計の繰り入れを減額したりした分を合わせると、08年度と比べ、実質的に約8億円の収支改善を図った形になる。

 09年度はこのほか、改革プランで掲げた「医療収支比率97%以上」に対して「102.4%」、「職員給与費対医業収支比率55%以下」に対して「52.2%」、「病床利用率87%以上」に対して「89.9%」といずれも目標を上回っている。

 千賀院長は「09年度はDPCや7対1の導入などで黒字を確保できた。今年度は職員、医師ともに数が増えるが、診療報酬改定で手術料が上がるなど収支が期待できる要素もある」と話している。

(医療タイムス、長野、2,010年5月28日)


助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診の導入効果(第2報):第62回日本産科婦人科学

2010年04月27日 | 飯田下伊那地域の産科問題

第62回日本産科婦人科学会学術講演会、一般演題(ポスターセッション)、2010年4月25日、於東京国際フォーラム

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新年度入り

2010年04月03日 | 飯田下伊那地域の産科問題

4月1日付けで当院に着任した新入医師は(初期研修医の10人を含み)計22人で、見慣れない多くの若い先生方が院内を元気に闊歩し、まるで急に別世界の病院に迷い込んでしまったような雰囲気です。

産婦人科にも2人の新進気鋭の医師を迎え、助産師も総勢37人となって、我々の診療体制も新たな局面に突入しつつあります。分娩予約件数は毎月100件を越すようになり、婦人科手術の予約も数カ月先まで埋まってます。予定手術の合間に、帝王切開や子宮外妊娠手術などの緊急手術も多く実施してます。

スタッフの頭数によって、診療の規模は自ずと制限されます。スタッフの頭数が減れば、それに応じて診療規模の制限を余儀なくされるのは当然です。当院産婦人科の常勤医師数は、ここ数年間、一進一退を繰り返し、非常に厳しい状況下にあります。今後も厳しい状況が続き、繰り返し存亡の危機に直面することも予想されますが、その都度みんなで力を合わせて臨機応変に対応し、何とかして必要最低限のスタッフの頭数を維持し、地域で必要とされる診療の規模を維持していきたいと考えています。


周産期センター棟の新築計画

2010年03月11日 | 飯田下伊那地域の産科問題

飯田下伊那地域では、現在、3施設(飯田市立病院、椎名レディースクリニック、羽場医院)で、地域の分娩(約1500件)を分担して取り扱ってます。しかし、時代の流れにかんがみて、数年後には地域の分娩のほとんどが飯田市立病院に集中する可能性も考えられます。

現在、飯田市立病院が取り扱っている年間分娩件数は約1000件で、産科病棟はほぼ満床の状態が続き、施設的にこれ以上の妊婦さんを受け入れるのは困難な状況ですが、病院の構造上、産科病棟を現在の場所で改修・拡張するのには限界があります。そこで、第3次整備計画を練り直して、2年後に手術室に隣接した中庭に周産期センター棟が新築されることになりました。

現在のスタッフの陣容では年間分娩件数1000件で精一杯の状況です。今のうちに産婦人科医、助産師の数を少しづつ増やしていく必要があると考えてます。産婦人科医数は一進一退を繰り返していますが、数年前の最悪期と比べるとやや増加傾向にはあります。4月からは1人増えて一応6人体制になります。また、助産師も毎年多くの新人を迎えることができ総勢40人近くまで増えてきましたが、最近は助産師自身のベビーラッシュで経験豊富な助産師の多くが産休中で、修行中の若い助産師の比率が高くなり、産科病棟師長は勤務表作成のやりくりにいつも頭を悩ませている状況です。

周産期医療を充実させるためには、産科だけでなく小児科や麻酔科の充実が非常に重要です。飯田市立病院では、以前から小児科の先生方が新生児医療に熱心に取り組んでおられます。緊急時にはいつでも分娩室や手術室に駆けつけて来てくださり、新生児の蘇生処置をしてくださってます。また最近、麻酔科のマンパワーが充実してきて非常に助かってます。4月からは1人増えて麻酔科7人体制となります。真夜中の緊急帝王切開にも、いつも麻酔科医2人で適切に対応してくださいますし、年に数例はある超緊急帝王切開(子宮破裂、臍帯脱出、常位胎盤早期剥離など)にもいつも適切に対応してくださってます。

考えてみれば、周産期医療提供体制は1人や2人の頑張りだけではどうにもなりません。いっとき盛り上がって頑張ればそれで済むようなものでもありません。大きな組織の体制が永続的に機能する必要があります。私も定年退職までの9年間を精一杯頑張りたいと思いますが、個人の頑張りには限界があります。どの分野で頑張っている人でも、みんな年々歳を取っていき、いつかは引退しなければなりません。その時、その業務を引き継いでくれる次の世代の人が育ってなければ、その業務はそこで途絶えてしまいます。周産期医療の業務は、人類が存続する限り、今後も引き継いでいく必要がありますが、次世代の人達が育ってくれないことには業務を存続させることが困難となってしまいます。次世代の若い人達が入門を尻込みするような過酷な勤務環境で、無理に無理を重ねて頑張り続けるのは考えものです。若い人達が喜んで入門できるような勤務環境を整えることが重要です。この業界の今最も重要な課題は、持続可能な組織の体制を確立することだと思います。次世代を担う若い人達が多く集まって、立派に育っていく場所を作りたいと思います。10年後も20年後も立派に機能する組織を残したいと思います。

長野県・飯田下伊那地域における産科問題の変遷

地域周産期医療の現場で、我々が今なすべきことは何だろうか?

病院の広報:当院産科の状況

ハイリスク分娩に適切に対応できる病院の体制とは?

分娩件数、手術件数の急増

持続可能な周産期医療システムの構築

周産期医療体制の崩壊を阻止するために

周産期医療の危機的状況


飯田下伊那地域における産科医療提供体制の変遷

2010年02月08日 | 飯田下伊那地域の産科問題

飯田市立病院に産婦人科が開設された1989年(平成元年)当時の飯田下伊那地域では、分娩を取り扱う施設は十施設以上ありましたが、産婦人科医の高齢化により地域の分娩取り扱い施設は年々減り続けました。2000年頃には地域の分娩取り扱い施設は計6施設(飯田市立病院、下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院、椎名レディースクリニック、羽場医院)となり、その6施設で地域の分娩(年間1500~2000件)を分担して取り扱ってました。

2005年の夏頃に、その6施設のうちの3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩医院)がほぼ同時に分娩の取り扱い中止を表明しました。この3施設分を合計すると、年間約800~900件の分娩受け入れ先が突然なくなってしまうことになりました。地域から多くのお産難民が出現する事態も予想されましたので、関係者たちは非常に大きな危機感を持ちました。

そこで、2005年8月に医療圏内の各自治体の長、医師会長、病院長、産婦人科医、助産師、保健師などが集まって、産科問題懇談会を立ち上げ、この問題に対して今後いかに対応してゆくかを話し合いました。

飯田市立病院(2005年当時の常勤産婦人科医3人、小児科医4人、麻酔科医3人)は、県より地域周産期母子医療センターに指定され、地域における唯一の二次周産期施設として、異常例を中心に年間約500件程度の分娩を取り扱ってました。産科問題懇談会での話し合いの結果、周辺自治体からの資金提供もあり、飯田市立病院の産科病棟・産婦人科外来の改修・拡張工事、医療機器の整備などを行ってハード面を強化し、常勤産婦人科医数も(信州大学の協力が得られて)常勤3人体制から常勤4人体制に強化されることになりました。また、分娩を中止する産科施設の助産師の多くが飯田市立病院に異動することになりました。

しかし、飯田市立病院だけでは、地域の分娩のすべてに対応することは不可能で、分娩取り扱いを継続する2つの産科一次施設(椎名レディースクリニック、羽場医院)にも、できる限り(低リスク妊婦管理を中心とした)産科診療を継続していただくとともに、地域内の関係者の協力体制を強化して産科医療を支えあっていこうということになりました。

具体的には、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦さんの妊婦検診を地域の産婦人科クリニックで分担してもらうこと、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有化すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者さんのみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。また、産科問題懇談会は継続して定期的に開催し、いろいろな立場の人達(市民、医療関係者、自治体の関係職員など)の意見を広く吸い上げて、何か問題が発生するたびにそのつど対応策を協議し、その結果を情報公開して、市の広報などで市民全体に周知徹底させてゆくことが確認されました。(当医療圏の産科問題に対する取り組み

2006年4月以降、飯田下伊那地域の分娩取り扱い施設は3施設のみとなり、予想通り飯田市立病院の年間分娩件数は倍増し約1000件となりましたが、2006年から2007年秋にかけては、共通カルテを用いた地域の連携システムが比較的順調に運用され、それほど大きな混乱もなく地域の周産期医療を提供する体制が維持されました。また、2007年6月には飯田市立病院の常勤産婦人科医は5人となりました。(当医療圏における産科地域協力システムの運用状況

当時、長野県内の他の医療圏でも、産婦人科医不足の状況は急速に悪化し、国立病院機構松本病院、国立病院機構長野病院、県立須坂病院、昭和伊南総合病院、安曇野赤十字病院など、各地域を代表する基幹病院産婦人科が、次々に分娩取り扱い休止に追い込まれる異常事態となりました。(2年半で22病院が35診療科を休廃止/長野県内中核的病院 産科医3割減

そして、比較的順調に推移していると考えられていた飯田下伊那地域の産科医療提供体制にも、2007年10月以降、急速に暗雲がたちこめ始めました。飯田市立病院と連携して妊婦健診を担当していた下伊那赤十字病院と西沢病院の常勤産婦人科医が転勤し、平岩ウイメンズクリニックの院長先生も一時期健康上の理由で休診されました。さらに、飯田市立病院産婦人科の常勤医5人のうち3人までが2008年3月末で辞職したいとの意向を表明しました。いくら立派な連携システムが存在しても、そのシステムを担う人達が地域から立ち去ってしまっては、システムを運用することができなくなります。やむなく、2007年11月2日に開催された産科問題懇談会にて、翌2008年4月からの分娩制限(里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止)を決定しました。(飯田下伊那医療圏の産婦人科医療 里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止

その後、信州大学の多大な支援により、飯田市立病院はほぼ従来通りの常勤産婦人科医の体制が維持できることとなり、2008年3月10日に開催された産科問題懇談会にて、翌4月から実施が予定されていた分娩制限を一部解除することを決定しました。(里帰り分娩制限の一部解除について地域産科医療提供システムの構築:飯田下伊那飯田市立病院 里帰り分娩受け入れの再開

また、従来から実施していた開業の先生方との連携システムに加えて、新たな試みとして、2008年4月より、助産師と臨床検査技師(超音波検査担当)とが協同して担当する妊婦健診(助産師・検査技師健診)を当院に導入しました。この助産師・検査技師健診は、産婦人科医の負担を大幅に軽減する効果のみならず、患者満足度の向上、スクリーニング精度の向上などにも寄与すると考えられ、今後も継続していく予定です。(産科医、母親の負担軽減へ 飯田市立病院が助産師外来拡充助産師と臨床検査技師とが協同して担当する妊婦健診の導入効果助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診の導入効果:第2報

各医療圏の置かれた状況は、常に大きく変化してます。ある時期に非常にうまくいった方策であっても、それがいつまでも通用するとは限りません。また、一つの医療圏で非常にうまくいった方策であっても、他の医療圏で同様にうまくいくとは限りません。各医療圏の今の状況に応じて、臨機応変に対応してゆく必要があります。(産科復興に向けた長野県各地域の取り組み飯田下伊那地域の産科問題


助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診の導入効果 (第2報)

2009年12月16日 | 飯田下伊那地域の産科問題

*** 第62回日本産科婦人科学会学術講演会一般演題抄録

【演題名】助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診の導入効果 (第2報)

【目的】産婦人科医の妊婦健診の負担を軽減する目的で、助産師と超音波検査を担当する臨床検査技師による妊婦健診(助産師検査技師健診)を当科に導入しその有用性を検討した。

【方法】2008年4月から2009年9月までの18か月間に、妊婦本人の承諾が得られた低リスク妊婦に対して、1診体制の医師の担当する妊婦健診(医師健診)と3診体制の助産師検査技師健診とを交互に実施した。1健診当たりの予約枠は医師健診が10分、助産師検査技師健診が40分とし、助産師17名、検査技師3名が交代で担当した。助産師検査技師健診の実施件数、医師との連携状況、異常の発見状況などを検討した。当科で健診を受けた妊婦に対する無記名アンケートを実施した。

【成績】18か月間に実施した妊婦健診は計12418件で、そのうち助産師検査技師健診は4343件(35%)だった。助産師検査技師健診で異常が発見され同じ日に医師が診察または処方した例が919件(医師の診察:477件)であった。臨床検査技師による超音波検査で52件の胎児異常(子宮内胎児死亡:1例、子宮内発育遅延:8例、羊水過少:9例、脳室拡大:3例、心奇形・不整脈:6件、水腎:16例、停留睾丸:1例、口蓋裂:1例など)が報告された。妊婦へのアンケートの集計結果で助産師検査技師健診に対する不満はほとんど皆無だった。同期間の当科の総分娩件数は1472件(地域内の他施設で健診:430件、帰省分娩:342件)だった。

【結論】助産師検査技師健診を導入することにより医師健診を35%減らすことができた。助産師検査技師健診で異常妊娠、胎児異常などが早期発見された。助産師検査技師健診に対する患者満足度は高かった。助産師検査技師健診の導入は非常に有用であった。

(第62回日本産科婦人科学会学術講演会一般演題抄録)


助産師と臨床検査技師(超音波検査士)とが協同して担当する妊婦健診の導入効果(第61回日本産科婦人科学

2009年04月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

第61回日本産科婦人科学会学術講演会(京都)、2009年4月5日

助産師と臨床検査技師(超音波検査士)とが協同して担当する妊婦健診の導入効果

山崎輝行、松原直樹、小倉寛則、竹内はるか、澤 枝里、宮本 翼、金井 誠、塩沢丹里

           【目的】

 産科施設が相次いで分娩取り扱いを中止し、地域の分娩が飯田市立病院(地域周産期母子医療センター)に集中するようになり、2006年度より当院の分娩件数が従来と比べて約2倍に増加した。
 その対応策として、2006年1月より、当地域にセミオープンシステム(共通カルテ使用による地域連携システム)を導入することにより、地域の分娩に対応してきた。
 しかし、その後も当地域の産婦人科医数は減り続けているため、今後も従来通りにセミオープンシステムを継続・維持していくことが次第に困難となってきた。
 そこで、今回新たな試みとして、産婦人科医の妊婦健診の負担を軽減する目的で、2008年4月より、助産師と臨床検査技師とが協同して担当する妊婦健診(助産師健診)を当院に導入し、その有用性を検討した。

           【方法】

・ 2008年4月より2009年3月までの12か月間、妊婦本人の承諾が得られ、助産師と臨床検査技師による健診(助産師健診)を選択した低リスク妊婦に対して、産婦人科医の担当する従来通りの健診(医師健診)と助産師健診とを交互に実施した。

・ 妊婦健診は完全予約制とし、1健診当たりの予約枠は、医師健診が10分間、助産師健診が40分間とした。

・ 助産師健診の内容:
【助産師】 同時に3名、経験4年以上の助産師(17名)が交替で担当。子宮底長・腹囲・体重・血圧の測定、浮腫の観察、尿検査、レオポルド触診法、NST、内診。
【臨床検査技師】2名(女性)、腹部超音波検査を担当。
児推定体重、羊水量、胎位・胎向、胎児心拍の有無。

・ 助産師健診で母体や胎児などに異常が疑われた場合は、医師が診察する。

・ 助産師健診の実施件数、医師との連携状況、異常の発見状況などを検討した。

・ 妊婦健診を受けた妊婦にアンケートを実施して、患者満足度を調査した。

           【成績】

・ 助産師健診数:2690件(総妊婦健診数の33.4%)

・ 医師による診察や処方を要した件数:786件
(性器出血、帯下増量、外陰部の痒み、破水の疑い、腹部緊張、高血圧、子宮口開大、浮腫、NST異常、インフルエンザ予防接種希望、ダウン症検査希望、超音波検査の異常、感冒、薬の処方希望など)

・ 臨床検査技師の超音波検査での異常報告例(31件)
(子宮内胎児死亡:1例、子宮内発育遅延:4例、羊水過少:3例、羊水過多:1例、脳室拡大:3例、心奇形・不整脈:4件、水腎:12例、停留睾丸:1例など)

・ 無記名アンケートの集計(平成20年10月、妊婦80人)
受診所要時間:長い4%、ちょうど良い96%、短い0%
待ち時間:長く苦痛4%、苦痛ではない96%
助産師外来の環境良い91%、普通9%、悪い0%
助産師の対応良い84%、普通16%、悪い0%
保健指導役に立った84% 、普通16%、不要0%
説明わかり易い90%、普通10%、わかりにくい0%
医師診察がないことへの不安:あり6%、なし94%

           【結論】

・ 助産師と臨床検査技師による妊婦健診を導入することにより、産婦人科医の担当する妊婦健診を3割以上減らすことができた。

・ 臨床検査技師による超音波検査によって、異常妊娠、胎児奇形などが早期に発見された。

・ 助産師と臨床検査技師による妊婦健診の患者満足度は高かった。

・ 助産師と臨床検査技師による妊婦健診の導入は非常に有用であった。

****** 講演後の質疑応答

【質問】 一般に助産師外来だと助産師が超音波検査を担当している場合が多いが、どうして臨床検査技師が超音波検査を担当することになったのですか?

【回答】 助産師の場合は、超音波検査自体の経験がほとんどありませんでした。その点、臨床検査技師の場合は、乳腺、甲状腺、循環器、消化器など産科以外の分野で、超音波検査の十分な経験を積んでいて、産科領域の超音波検査に専従すれば、短期間のうちに高度なレベルにまで達してくれることを期待しました。十分な時間をかけて丁寧に検査をし、実際に多くの異常を発見し、期待には十分応えてくれました。

【質問】 助産師外来では、妊婦1人に40分もかけているとのことですが、助産師や臨床検査技師の負担が大きすぎるということはないのですか?

【回答】 当院の場合、幸い助産師が比較的多く在籍し、さらに2人の臨床検査技師が産科超音波検査に専従しているので、今のところ助産師や臨床検査技師の負担増大という点は特に問題になってません。健診を担当する助産師や臨床検査技師に対するアンケート調査でも、『妊婦さん一人一人に十分な時間をかけられるので、やりがいを感じる』との回答が多くありました。

【質問】 医師の負担が軽減して、医師不足の解消につながりましたか?

【回答】 1年前は当院の常勤産婦人科医が同時に2人減ってしまい、止むを得ず分娩制限の方針を表明し、一時期、非常に危機的な状況に陥りました。医師の負担を少しでも軽減しないと産科休止に追い込まれる可能性が高いという危機感から、切羽詰まって、この助産師外来を始めたわけですが、それから1年間かけて結果的には、何とか産婦人科常勤医の数を元に戻すことができ、分娩制限も一部解除することができました。