ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

飯田市立病院 分娩受け入れ制限を一部解除

2009年03月06日 | 飯田下伊那地域の産科問題

コメント(私見):

絶滅の危機に瀕している地域周産期医療の崩壊を防ぐためには、さまざまな対策を同時並行的かつ強力に推進していく必要があります。

まずは、現役の産婦人科医の離職を防ぎ、病診連携を進めて地域の産婦人科の先生方との協力体制を強化し、新生児科医や麻酔科医との連携を密にすることが基本です。医療現場で、助産師や臨床検査技師などの活躍の場を広げることも重要だと思います。

それらの短期的な対策とともに、中長期的な対策としては、産婦人科を志す若い医師を大幅に増やして、彼らをしっかりと教育し、将来の産婦人科医を増やしていくことが非常に重要です。

今年も、昨年に引き続き当院の初期臨床研修医(たすき掛けを含む)の中から2名が地元大学の産婦人科に入局してくれて、大変うれしく思ってます。噂では、同期の産婦人科入局予定者が十人近くいると聞いてます。

また、当科の後期臨床研修医募集に応募してくれて採用が決定した若い医師もいます。若い仲間が増えてくれたら、我々ロートルもがぜんヤル気が湧いてきます。彼らと一緒に、楽しく頑張っていきたいと思っています。

****** 中日新聞、長野、2009年3月6日

飯田市立病院が産科常勤医を1人増

 飯田市は5日、同市立病院の4月以降の診療体制を発表した。産婦人科の常勤医が1人増えて5人体制となり、飯田下伊那地域在住者と里帰り出産をおおむね月90件を限度に受け入れる。

 昨年4月から月70件程度を目安に出産を受け入れていたが、昨年12月は103件など、実際には月平均80件ほどの実績があった。

 新しく着任するのは、静岡県の病院に勤務する30代前半の後期研修医で、インターネット上で募集を知ったという。

(以下略)

(中日新聞、長野、2009年3月6日)


産科医、母親の負担軽減へ 飯田市立病院が助産師外来拡充

2009年01月08日 | 飯田下伊那地域の産科問題

コメント(私見):

昨年の今頃、当地域の産科連携システムにおける連携先の2つの病院(下伊那赤十字病院、西沢病院)の常勤産婦人医が他県に転勤して、常勤産婦人科医不在となりました。また、開業の先生のお一人が、健康上の理由からしばらくの間休診することになりました。連携先が次々になくなって、それまでうまく稼働していた産科連携システムが急にうまく機能しなくなってきた時に、突然、当科の常勤産婦人科医のうちの2人が3月いっぱいで離職する意向であることを申し出てきました。

当地域の産科医療提供体制は再び崩壊寸前の危機に陥って、4月を無事に乗り越えられるかどうかも全くわからない状況となりました。ちょうどその頃、舛添厚生労働大臣が当施設を視察目的で訪問されましたので、産科医療の危機的状況を直訴しました。

窮余の策として、4月以降の『里帰り分娩と域外在住者の分娩の制限』に踏み切るとともに、『助産師外来の大幅拡充』や『メディカル・クラークの業務拡大』など、思いつく限りのさまざまな危機打開策を試みました。

各方面よりご支援をいただき、信州大産婦人科からの医師派遣により常勤産婦人科医数も何とか維持され、分娩制限も徐々に解除でき、昨年(1月~12月)の当科の総分娩件数は計990件で、一昨年の総分娩件数996件とほぼ同程度まで回復してきました。地域の開業の先生からの母体搬送受け入れ要請には、すべて応えることができました。多くの人々に支えていただいて、当医療圏の産科医療提供体制は、今のところ何とか持ちこたえています。

産科や小児科の医師不足の問題は全国的に深刻な状況であり、一つの医療圏の中だけでいくら努力しても限界があると思います。また、 一つの医療圏で産科医療提供体制が崩壊すると、大量のお産難民が発生して、周辺の医療圏に流れ込んでしまうので、産科医療の崩壊が急速かつ波状的に全県的規模で広がってしまう可能性があります。 ですから、「自分の所属する医療圏さえ問題がなければ他は関係ないんだ」というわけにもいきません。全県的な課題として、各医療圏が協調して、この問題に取り組んでゆく必要があると思います。

****** 南信州新聞、2009年1月1日

産科医、母親の負担軽減へ 飯田市立病院が助産師外来拡充 助産師のやりがいアップ

 昨年4月、飯田市立病院(同市八幡町)は産婦人科医が5人から最低1人減少することから、「里帰りと域外出産の中止」に踏み切った。同時に助産師外来の拡充を実施、現在の状況をまとめた。

 出産制限が始まった2008年4月、市立病院では「助産師外来の拡充」を試みていた。助産師外来を外来病棟に移転し、診察室3室と超音波検査を行うエコー室を設けた。助産師3人と検査技師1人が常駐し、正常な経過のみ、助産師と検査技師による妊婦健診を行うようになった。

 一般的に、妊婦は13~15回の妊婦健診を受ける。助産師外来ではこのうち約半分の7~8回を助産師と検査技師が担い、残りの半分は従来通り産科医が行う。異常が見つかったときや助産師だけの妊婦健診に不安があるときは、産科医と提携して対応する。

 市立病院ではこれまで、34週までの妊婦健診は地域の連携開業医で行うとし、34週以降を受け付けていた。しかし、妊婦健診の受診者が連携開業医以外の開業医にも流れ、そこで「待ち時間が長い」「予約が取れない」などの問題にもなっていた。また、市立病院の産科医にとっても、34週以降の妊婦健診をすべて見ることは負担になっていた。

   ◇       ◇

 助産師外来が始まって数ヵ月後、その開業医の負担が減り始めた。椎名レディースクリニック(同市小伝馬町)では、5月に90人だった妊婦健診が、8月には24人に減少。椎名一雄産婦人科医は「助産師外来の機能が整ってきた。市立病院で出産する人の妊婦健診が減り、若干外来に余裕ができた」と語る。

 妊婦健診を担う助産師にとっても変化があった。病棟師長の松村さとみ助産師は「すごく責任を感じている。若いメンバーは自分も妊娠や出産がまだなので、不安もある。けれどやりがいはある。みんな根本的にはお母さんと話したい。こういうお産をしたい、という思いを大事にしたい」と語る。

 さらに「上の子とのかかわりをどうしたらいいか」「立ち仕事が続いて心配」「周りの人のタバコが気になる」など、もっと身近で具体的な部分でのアドバイスにも力を入れることができるという。最近では、家庭に問題を抱えた妊婦も増えているといい、松村さんは「助産師が早い時期から関わることで何か解決できるのでは。気持ちの面では産婆さんがしていたときと同じようになれるといい。チャンスを与えてもらったので頑張りたい」と語る。

 妊婦健診に訪れた妊娠10ヵ月という下條村睦沢の女性(30)は「同性なので何となく安心感がある。出産経験のある人が話してくれるのは安心できる。何かあったら先生に診てもらえるし」と話した。

 助産師外来の拡充によって産科医や母親の負担が減少し、助産師のやりがいが高まっている。それぞれが役割分担しながら協力することが、飯田下伊那地方の産科医療を守ることにつながっている。

(以下略)

(南信州新聞、2009年1月1日)


働きやすい職場環境

2008年10月17日 | 飯田下伊那地域の産科問題

『病院で常勤医として働き続けるためは、必ず他の医師と平等に当直をこなさなければいけない、退勤時刻になっても仕事が残っていれば職場を離れられない、受け持ち患者の状態が悪くなれば非番でも呼び出されるのが当たり前』、そういう一律の義務を課した勤務に耐えられなくなった者が職場から排除されるシステムでは、もはや病院はこの世の中に生き残っていけません。

滅私奉公の厳しい勤務に耐えられなくなった医師達が、次々に「燃え尽きて」過酷な職場を離れていき、その離職者達の穴を埋めるのが新人医師しかいないという状況が続けば、人材はすぐに枯渇してしまうでしょう。

今後は、多様な働き方を認めて、多くの人が自分なりの働き方を選択でき離職しなくても済む、働きやすい職場環境を作っていく必要があります。

****** 信濃毎日新聞、2008年10月7日

市立病院の人材確保 働きやすい環境模索

 「今のところ対応可能な範囲」。飯田市役所で9月29日に開かれた開かれた記者会見で、市立病院の山崎輝行・産婦人科部長は、4月以降の同病院でのお産の受け入れ状況について、こう述べた。同病院は4月から、地元在住者を優先した上、月70件の目安を超えない範囲で他地域で暮らす地元出身者の出産(里帰り出産)を受け入れるーとしてきた。

 全国で問題となっている産科医不足。飯田下伊那地方の中核を担う同病院も昨年11月、里帰り出産を今年4月から原則受け入れない方針をいったん発表した。その後、信大から新たに医師1人が着任することになり、常勤医4人、非常勤医1人による体制で現状まで制限を緩和した。

 助産師のみによる妊婦健診の拡大が軌道に乗ってきたこともあり、出産は「現在は月80~90件に増えている」と山崎部長。ただ、飯伊地方でお産を扱う医療機関は計3ヵ所と3年前から半減。お産の半数以上は同病院に集中しているだけに、千賀脩院長は「あと1、2人は産科医がほしい」と話す。

 同病院の医師は今年4月時点で90人(研修医含む)。4年前に比べて22人増え、「403床のベッド数に対する割合は、ほかの病院に比べても多い方」(千賀院長)。医師と並んで全国的に不足がいわれる看護師も、パートを含め297人(4月時点)と、2年前から39人増えた。来年には患者と看護師の割合を、診療報酬の上乗せがある「7対1」にまで増やす予定だ。

 人材確保に向け、病院側はこれまで「働きやすい環境づくり」(市立病院事務局)を重視。特に女性の医師や看護師らのため、4月には院内保育所を設置したほか、生活と仕事が両立しやすいよう勤務体系を「可能な限り柔軟にしてきた」(同)。また医師の事務作業を補助する職員を配置するなど、医師の負担軽減にも取り組み始めた。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2008年10月7日)


助産師外来の拡充

2008年10月04日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国的に分娩を取り扱う産婦人科施設数が激減しつつあり、地域の分娩が基幹病院に集中する傾向が顕著となりつつあります。

当医療圏でも、2年前に分娩を取り扱う施設が6施設から3施設に半減し、当科の分娩件数は従来の年500件からいきなり年1000件に倍増しました。数年以内に当地域の分娩取り扱い施設がさらに減少するのは確実な情勢と考えています。

当科の診療状況の変化を分析してみますと、帝王切開の実施件数は従来と比べてほとんど増加してませんし、早産児やNICUの重症患児数も従来と比べて増加してません。要するに、当科の分娩件数が倍増したことは事実ですが、増加分のほとんどが低リスクの経腟分娩であり、高リスク妊娠の管理や異常分娩の件数は従来と比べてそれほど増加してないことが判明しました。

ハイリスク妊娠・異常分娩への対応を中心とした(従来からの)業務内容が、ここにきて大きく変化しているわけですから、新たな局面に対応するために病院内部でもさまざまな工夫が必要となります。病院スタッフの業務分担の見直し(助産師の増員と業務拡大、専属の超音波検査技師の配置など)も必要と考えています。

****** 信濃毎日新聞、2008年9月30日

飯田市立病院: 「月70件」の出産受け入れ予定

「断った人はいない」 4月以降・助産師外来も軌道

 飯田市立病院は29日、地元在住者を優先した上で1カ月の全出産予約件数が70件を超えない範囲で里帰り出産を受け入れる-としてきた4月以降の対応について状況を発表した。全出産取扱数は「今のところ対応可能な範囲で、断った人はいない」と説明。4月から拡充した助産師外来での妊婦健診についても、全体の3割を超えるほどに増え「おおむね好評」との認識を示した。

 昨年度まで常勤医が5人だった同病院の産婦人科は現在、常勤医4人、非常勤医(週3回)1人。里帰り出産については、出産予定月の5か月前の1~7日に予約を受け付けている。

 この日会見した同病院の山崎輝行・産婦人科部長によると、4~8月の全出産取扱数は月平均約75件だった。医師の負担を減らす助産師外来が軌道に乗り、4月に着任した医師も慣れてきたため、「ここにきて月80~90件ほどに増えている」といい、「今後も可能な範囲で受け入れる」と述べた。

 助産師外来による妊婦検診については、超音波診断装置や専門の検査技師を配置した上で、4月以降は助産師、検査技師のみによる健診と、医師による健診を交互に組み合わせる方向で増やしてきた。8月には全体の33.9%(230件)を占めるまでになった。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2008年9月30日)


”お産難民”発生寸前

2008年07月29日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国的に分娩取り扱い施設は顕著に減り続けていますし、働き盛りの三十代、四十代の医師がお産からどんどん離れています。

次世代の若い人達が入門を尻込みするような過酷な勤務環境を放置したままでは、離職者が増え続けて医療現場の勤務環境は今後ますます過酷となり、我々の後を誰も継いではくれないでしょう。

産科医療を再生させるためには、若い人達が喜んで入門できるような勤務環境を整えて、次世代の担い手たちにちゃんとバトンタッチをしていく必要があります。

分娩取り扱い施設あたりの産科医数は、アメリカが6.7人、イギリスが7.1人であるのに対し、日本はわずか1.4人にすぎず、きわめて小規模な施設で多くの分娩が行われているのが現状です。小規模施設での分娩管理には限界がありますから、各地域で分娩施設の集約化を進め、施設あたりの産科医数を少なくとも諸外国並みの6~7人程度まで増やしていく必要があります。

****** 東京新聞、2008年7月20日

”お産難民”発生寸前 不足する医師 地方で休止続出 「住民票異動が必要」も

 長い間、産婦人科の分娩室だった部屋は、天井の大きな照明器具を残して看護師の詰め所になっていた。今年の3月末で、出産の取り扱いをやめた長野県松川町の下伊那赤十字病院。桜井道郎院長(62)は「お産は無理。もうあきらめた」と視線を落とした。

 発端は2年前の春、男性医師(41)が辞めたことだった。当時、産婦人科の常勤医は2人で、年間3百件のお産をこなしていた。

 「このまま産婦人科を続ける体力も精神力もない。今のうちに興味のある精神科の医師に変わりたい」。医師は前年の秋、桜井院長にそう打ち明けた。

 いつ産気づくか分からないお産。病院の佐藤和仁事務部長は「医師2人でお産をするのは、ほとんど拘束されたような状況。そういうのはたまらんというわけです」と振り返った。

 医師は男性の産婦人科部長(54)1人になり、お産は休止に。同病院で出産経験のある母親たちが中心になり、5万人もの署名を集めて大学病院や県などに医師の補充を陳情したが、実現しなかった。残っていた産婦人科部長も今春、お産のできる県外の病院に移り、完全に廃止になった。

 「どこの地域も産科医不足で、誰かを(他の病院から)抜いて埋めるというのは、相手が駄目になるからできない」。署名を集めた木下由美子さん(35)は有効策のなさに頭を悩ませる。

 2年前に年間約3百件のお産を休止した結果、年に約2億円の減収となり、累積赤字は約6億円へと一気に膨れ上がった。さらに影響は同病院だけにとどまらなかった。

 下伊那赤十字病院がお産を休止する少し前、隣接する同県飯田市の産院や診療所でも、医師の高齢化などでお産が休止になり、飯田市と下伊那郡で年間8百件の”お産難民”が出そうになった。慌てた医師や行政の担当者らが協議し、飯田市立病院にお産を集中させる代わりに、妊婦健診は他の病院や診療所で分担することになった。

 飯田市立病院のお産件数は年間5百件から一気に倍増。4月からは飯田市か下伊那郡に住所か実家のある人を対象に月70件に予約を制限した。それでも予約外の救急の妊婦も多く、年間千件近いお産を5人の産科医で行う。「ぎりぎり何とか持ちこたえているところ」と山崎輝行・産婦人科部長(55)は言う。

 お産を扱わなくなった下伊那赤十字病院。1歳の長女を連れて妊婦健診に訪れた上伊那郡の主婦(21)は「1人目を飯田市立病院で産んだので、2人目も産めると思ったら、『住民票を飯田市に移さないといけない』と言われて驚いた。病院を決めるのはコンサートのチケットを取るみたい。医者がもっといてくれたら・・・」と嘆いた。

(以下略)

(東京新聞、2008年7月20日)


シンポジウム「産婦人科医不足の解消を目指して」、第60回日本産科婦人科学会

2008年07月12日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国各地で分娩の取り扱いを中止する医療機関が続出し、早急な対応が求められています。今回の日本産科婦人科学会総会(横浜、2008年4月12日-15日)では、シンポジウムのテーマとして「産婦人科医不足の解消を目指して」が取り上げられました。

北里大・海野教授の基調講演に続き、6人のシンポジスト(東海大・松林准教授、宮崎大・金子准教授、信州大保健学科・金井教授、岡山大・関医師、亀田総合病院・鈴木部長、大阪厚生年金病院・小川部長)より、各地域のユニークな取り組みが報告されました。

****** Medical Tribune、2008年7月3日

第60回日本産科婦人科学会

深刻化する産婦人科医師不足解消に向け勤務環境の整備を

 産婦人科医不足が深刻化し,分娩を廃止する医療機関が続出するなど早急な対策が求められている。横浜市で開かれた第60回日本産科婦人科学会(会長=東北大学大学院発達医学講座周産期医学分野・岡村州博教授)のシンポジウム「産婦人科医不足の解消を目指して」(座長=北海道大学・水上尚典教授,山形大学女性医学分野・倉智博久教授)では,医学部での卒前・卒後教育でいかに産婦人科の希望者を増やし,医療機関での診療体制のなかで離職者の増加に歯止めをかけるか,さらに増え続ける女性医師が出産後も働き続けられる環境づくりをいかに整備するかなど,さまざまな角度からの実践報告が行われた。地道な取り組みの結果,産婦人科医の増加に結び付いた実例が紹介され,産婦人科医不足にあえぐ全国の大学,医療機関に希望を与える内容となった。

年間500人の新規専攻医育成を

 北里大学産婦人科学の海野信也教授は,基調講演で「産婦人科医の減少を食い止めるには,最低でも年間500人の新規産婦人科専攻医を確保する必要がある」との見解を示した。
Photo_4 同教授は,産婦人科医不足の深刻さを,各種統計を交えながらクローズアップした。まず,全体としての産婦人科医の数について,医師数は全体で増えているなか,産婦人科医はここ8年間で10%減少しており,全勤務医師数に占める産婦人科医の割合は1970年代の10%台から3.8%にまで低下。1990年以降,わが国の出生数は10%減少しているが,それを上回るスピードで産婦人科医数が22%減少,毎年約180人の減となり,医師1人当たりの出生数は増え続けるという事態となっている(図 1)。
 また,産婦人科全体に占める女性医師の割合は,日本産科婦人科学会の会員のうち30歳代が50%,20歳代では70%となり,小児科,眼科など他の診療科と比較しても突出している。さらに,経験年数5年ごとの分娩を扱う率を見ると,卒後11~15年目で男性医師は8割が実際にお産を担当しているのに対し,女性医師は経験年数が増えるごとに減少,約52%まで落ち込んでおり,産婦人科医では,男女で働き方に違いが認められた。
 平成19年度の新専門医調査では,女性医師が5年後に希望する就労形態は非常勤かパートと答えた医師が多く,女性医師の増加は分娩を継続的に担う人材の減少につながることを示している。結果として,わが国の分娩施設はここ10年で病院25.4%,診療所で35.3%の減少となっている。
 これらの統計から,同教授は「産婦人科の新専門医が毎年300人以上増えても産婦人科医は減少し続けている。減少を防ぐには少なくとも年間500人以上を養成しなければならない。これをいかに確保するか,今現場にいる産婦人科医が仕事を続けられる環境をどのように整備するかを考えなくてはならない」と述べた。

(中略)

産科医療崩壊の危機を回避

 信州大学小児・母性看護学講座の金井誠教授は,産科医療体制崩壊の危機から脱却し,2008年には長野県として新たに7人の産婦人科医を育成できたことを報告した。
 長野県では,分娩を中止する施設が相次ぎ,帰省分娩を断らざるをえない地域が拡大している。2005年には年間1,800分娩を6施設で対応していた県南部の二次医療圏で3施設が分娩中止を表明,半年後に3施設分850分娩が受け入れ先を失う医療崩壊危機が勃発した。行政,医師会,医療機関関係者から成る「産科問題懇談会」を立ち上げ,対応を検討した。具体的には,分娩数の最も多い市立病院に広域連合から5億円の支援を行って分娩室の増築,助産師の増員などを行うほか,産科をセミオープンシステムとして,紹介状のない初診外来は市立病院以外の施設で対応するよう診療機能分担を明確化した。地域住民に対する周知徹底も行った結果,同院の分娩数は年間552件から1,003件に急増したが,危機回避に成功。セミオープンシステム導入後,外来患者が18.4%減少したため,同院産婦人科医の過重労働感は以前と同等かむしろ軽減できた。
 危機回避後も,女性医師の退職が相次ぐなど産科医師不足が深刻な状況は続いた。対策として,「出産子育て安心ネットワーク事業」に2008年度補正予算で約1,200万円を計上,高リスク分娩の取り扱いに応じて研究奨励金を個人に支給する仕組みをつくった。国立大学病院の医師個人に対して,行政が奨励金を与えるのは全国でも初めての取り組みとなる。
 大学での卒前,卒後教育では,対話や診療に触れる機会を重視。学生には,宿泊実習で分娩に立ち会う機会を増やし,当直医が夕食をともにして語らい,緊急入院や緊急手術の診療を一緒に行うなど,熱意ある指導体制を構築した。研修医には,主体性を重視しながら何でも相談できる上級医を身近に配置して,安心して仕事ができる環境を整備した。
 また,術前,術後臨床カンファランスでは,放射線科医とともに術前画像診断を行い,術後には摘出物から術前診断を振り返り,病理カンファランスでは病理組織標本を自分でもチェックするなど診療に触れる機会を増やした。
 さらに同大学独自の取り組みとして,地域医療人育成センターを設立。医学部1~2年生が妊娠初期から分娩まで1人の妊婦を受け持ち,産科診療の魅力を体験する実習や,インターネットを利用した遠隔セミナー,全国の研修医と医学生を対象に夏期セミナーを開催,信州と産婦人科の魅力をアピールした。こうした努力の結果,2008年には同大学と関連病院に計7人の産婦人科新人医師を誕生させることができた。
 最後に,同教授は「産婦人科医が教育整備の中心的役割を果たすことで,大学全体および産婦人科を活性化する原動力になる。愛情と情熱ある診療と教育,明るく振舞う,あきらめないのAAA(トリプルA)を実践していきたい」と結んだ。

(以下略)

(Medical Tribune、2008年7月3日)


産婦人科の休診・診療縮小が止まらない!

2008年06月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

我が国で分娩を取り扱う施設の46%は産婦人科医が1人しか勤務してませんし、分娩取り扱い施設の84%が勤務する産婦人科医数3人以下です。しかも、全国の産婦人科医の4分の1は60歳以上と、産婦人科医の高齢化も急速に進んでいます。

1人勤務の分娩取り扱い施設のほとんどは、今後数年以内に分娩取り扱いが中止されるでしょうし、現在60歳以上の産婦人科医のほとんど全員が10年後には現役を引退していることも間違いないと思います。

今も多くの産科施設が休診ないし規模縮小に追い込まれていて、事態はどんどん悪化し続けてます。このままでは10年後には妊娠しても分娩を受け入れてくれる産科施設が日本中どこにもみつからないような最悪の事態も予想されます。

国、自治体、医療界、医学教育界、法曹界、市民が、挙げて、この問題の解決に真剣に取り組んでゆく必要があると思います。

****** 読売新聞、長野、2008年6月5日

集約化でも医師足りず

(略)

 毎年約1600人の赤ちゃんが産まれる上伊那地域では4月から、伊那中央病院が拠点病院となり、地域内のお産のほとんどを引き受けることになった。信州大医学部から産科医が新たに1人派遣され、同病院の常勤医は5人になった。一方の昭和伊南総合病院では、非常勤の産科医が週3回半日だけ、外来診療を行う。

 伊那中央病院産婦人科の山崎悠紀医師(30)の当直勤務は、3日に1度から、4日に1度に減った。当直の日は、午前8時30分の勤務開始。分娩が重なれば、翌朝までほぼ徹夜で勤務し、そのまま午後5時30分まで病棟勤務を行うことが多い。「正常分娩でも、神経は使う。少しでも家でくつろぐ時間が増えたのはありがたい」という。

 その一方で、同病院での分娩は、毎月70~80件から90~100件に増えた。「3、4件のお産が重なって、てんやわんやになることが増えた。結局、負担は多くなっているかも」と、山崎医師は話す。

 県内で最初に、産科の集約化に踏み切ったのは、飯田下伊那地域だ。飯田市立病院(飯田市)が06年度から拠点病院となり、常勤医は3人から4人になった。07年度には常勤医がもう1人増えた。

 ところが、今年4月、常勤医のうち、後期研修中の若手医師が外科に移り、女性医師が家庭の都合で非常勤を選んだ。拠点病院の常勤医が2人減るという事態に、信州大医学部は急きょ、医師1人の派遣を決めたが、それでも差し引き1人の減。

 今、飯田市立病院は1か月の分娩を70件程度に絞り、それを超えた場合は、里帰り出産や地域外に住む妊婦を断ることにしている。8月については、10件以上断ったという。

 集約化により、地域ごとに、分娩を扱う施設が確保され、“お産難民”が生じるという最悪の事態は回避できている。ただ、集約化してもカバーしきれないほど、産科医不足は深刻になっている。

(以下略)

(読売新聞、長野、2008年6月5日)


地域医療崩壊の阻止に向けて(福島・社民党党首の病院視察)

2008年04月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

社民党の福島瑞穂党首、阿部知子政策審議会長ら同党関係者8人が6日~7日にかけて、長野県(飯田、上田市)を訪問し、深刻な医師不足に悩む産科や小児科などの医療現場の実情を視察しました。

飯田市では、4月6日に地域医療をテーマにした市民集会(約二百人参加)が開催され、4月7日に飯田市立病院の医療現場(助産師外来、産科病棟、NICUなど)を視察しました。病院の講堂で、当地域の医療機関や行政などが一体となって取り組んでいる産科医療の地域連携システム(セミオープンシステム)の現状や今後の問題点などについて、パワーポイントでプレゼンテーションをする機会も与えられました。今のところは、現場の踏ん張りによってギリギリで何とかもちこたえているものの、地方自治体や個々の医療機関だけの努力で実施できることにも大きな限界があり、『国政レベルで、地域医療崩壊の阻止に向けて、強力に働きかけていただくように!』と訴えました。

****** 南信州新聞、2008年4月7日

社民党の福島みずほ党首らが飯田市へ

 社民党の福島みずほ党首や阿部知子政審会長らが7日、同党プロジェクトの一環として、飯田市八幡町の飯田市立病院を視察した。福島党首は産婦人科や小児科医療の現状を見聞きし、「国政のレベルで、予算配分など自治体病院をどう応援するか具体的に質問していく」と語った。

(中略)

 視察後は産婦人科科長の山崎輝行医師が、同病院の産科医療について詳しく説明。将来的に見て、地域の開業医と連携する「セミオープンシステム」の維持・継続が困難であること、産科医の増員が不可欠であることを強調した。一方で、助産師が正常妊娠の健診を行う助産師外来では、新しい健診スタイルを模索しているとした。

 福島党首は「医療機関だけで頑張るのは無理で、行政と医療機関が共に包括的に地域医療をどうしていくかという話し合いと努力が、飯田発で行われていることに感銘を受けた。地域医療を応援する仕組みとして紹介するとともに、政治がどう応援できるかやっていきたい」と語った。

(南信州新聞、2008年4月7日)


飯田市立病院 里帰り分娩受け入れの再開

2008年03月21日 | 飯田下伊那地域の産科問題

この4月から、飯田市立病院の産婦人科医の体制が、従来の5人体制から、2人ないし3人体制まで急減する見込みとなったため、昨年11月に開催された「第6回産科問題懇談会」(会長・牧野光朗南信州広域連合長)にて、4月からの飯田市立病院における里帰り分娩の受け入れ中止を決定しました。

その後、産婦人科医の体制がほぼ従来通りの体制まで復活できる見通しがたったので、6月から里帰り分娩の受け入れを再開することになりました。もともと5月までは里帰り分娩の予約が従来通り入っていたので、結局は、診療規模は従来通りのままで維持されることになります。

いずれにしても、このようなぎりぎりの産婦人科医数の体制のままでは、突然誰か一人が辞めると言い出したとたんに大騒ぎとなってしまいます。現状のような不安定な状況からは、なるべく早く脱却したいと思っています。

****** 信州日報、2008年3月19日

飯田市立病院 里帰り出産の初回予約 6、7月分ほぼ埋まる

 飯田市立病院は17日、里帰り出産の予約受け入れを部分的に開始した。午前8時半から10時半にかけて電話による問い合わせが集中したものの目立った混乱はなく、予約件数もほぼ埋まった。同院は「申し込まれた方には十分対応できる。初回としては無事に乗り越えられた」と感触を語っている。

 里帰り出産の一部制限緩和は、産科問題懇談会(牧野光朗会長)が10日に発表した直後から同院に「早く予約したいがどうすれば良いか」「8月は満杯のため受けられないと聞くが、どうにかならないか」などの問い合わせが寄せられた。

 6、7月分を対象とした17日からの予約受け入れは、飯伊出身の妊婦や家族などから問い合わせが集中したものの当初の2時間でピークをほとんど終えた。

 市立病院は出産予約件数を1ヵ月当たり70件の目安とし、里帰り出産は地元在住者の予約件数が70件を超えない場合に受け付ける。希望者は出産予定月の5ヵ月前の1~7日の間で予約を入れる(土日祝日は除く)。受付時間は午前8時半から午後5時まで。

 6、7月分は24日までを予約期間とするが、8月は既に70件を超えているため受け付けない。9月分は4月1日から7日まで、10月分は5月1日から7日まで、11月分は6月2日から9日まで、12月分は7月1日から7日までの間でそれぞれ受け付ける。

(信州日報、2008年3月19日)


地域産科医療提供システムの構築(飯田下伊那)

2008年03月13日 | 飯田下伊那地域の産科問題

現在、県内のいたるところで地域の産科医療提供体制が厳しい状況に追い込まれつつあり、産科医療を提供する体制を今後も維持・継続していくために、各地域で協力して新しい医療提供システムを構築していく必要に迫られています。

産婦人科医の数は急には増やすことができませんので、行政や住民とも一致協力して地域の状況にマッチした産科医療提供システムを作り上げ、それを迅速かつ強力に実行に移していく必要があります。

それと同時に、若手の産婦人科医を増やし育成していく努力を、今後も地道に継続していくことが非常に重要だと思います。

****** 南信州新聞、2008年3月12日

里帰り出産受け入れへ 飯田市立病院 月70件を超えない範囲で

 飯田下伊那地方の産科医療体制について考える「第7回産科問題懇談会」(会長・牧野光朗飯田市長)が10日夜、飯田市役所で開かれた。飯田市立病院は、昨年11月から原則中止としてきた里帰り出産について、4月以降、全体の分べん件数が月70件を超えない範囲で受け入れることを明らかにした。

 市立病院は昨年、常勤医師が5人から3人に減る可能性があったことから、里帰り出産と他地域在住者の出産を制限。ところがことし4月、信州大学から常勤医師1人の派遣が決まり、別の常勤医師も非常勤の形で残るため、里帰り出産の再開を決めた。他地域在住者の出産は中止のまま。

(以下略)

(南信州新聞、2008年3月12日)


里帰り分娩制限の一部解除について

2008年03月11日 | 飯田下伊那地域の産科問題

地域周産期母子医療センターとして、地域のハイリスク妊娠・分娩を常時受け入れる立場にあり、婦人科診療も行っている関係上、ローリスク分娩の受け入れ数はある程度制限せざるを得ないと判断しています。科の存続を第一に考えて、あまり無理のない範囲内でローリスク分娩の受入枠を設定する必要がある考えています。

****** 中日新聞、長野、2008年3月11日

飯田市立病院の里帰り出産 一部受け入れへ

 飯田市立病院は、4月から里帰り出産の一部制限を発表していた問題で、1ヶ月の飯田下伊那地域内の出産予約件数が70件を超えない場合に限り、満たない人数分だけ里帰り出産を受け入れることを決めた。10日に飯田市役所で開かれた産科問題懇談会で発表した。

 里帰り出産を希望する場合は、出産予定月の5ヶ月前の土日を除く1日から7日に予約する。今年4月と5月、8月はすでに70件を超える出産予約があるため受け付けず、予約件数が五十数件となっている6月と7月は、3月17日から24日まで里帰り出産の予約を受け付ける。他地域住民の出産は、当初通り受け付けない。

(以下略)

(中日新聞、2008年3月11日)


地域の周産期医療システムが崩壊するのを阻止するために

2008年02月22日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国的に産科施設数はどんどん減少してますから、施設あたりの分娩件数は増加傾向にあり、将来的に産科を維持していこうとする施設では、産科医、助産師、新生児科医、麻酔科医などの必要数を確保することが急務となっています。

また、日本では、産科業務だけに専念している産婦人科医は少なく、産科業務以外にも、子宮外妊娠破裂などの産婦人科救急への対応、子宮筋腫・子宮内膜症などの婦人科良性疾患の診断・治療、婦人科悪性腫瘍の診断・治療、不妊治療、中高年女性医学(更年期障害や子宮脱などへの対応)等も同時に行っています。要するに、地域の基幹病院は、周産期センター的機能と同時に、産婦人科の救急救命センター的機能、婦人科のがんセンター的機能なども同時に担ってます。従って、地域から産科機能が消滅する時には、同時に、地域から婦人科機能も消滅することを意味します。

手遅れになってしまう前に有効な手を打たないと、地域の基幹病院・産婦人科の絶滅速度は今後もどんどん加速されていくばかりでしょう。

地域の周産期医療システムが崩壊する流れを阻止するためには、全県的な協力体制を構築していく必要がありますし、産婦人科医の再配置(集約化)、地域住民の理解、国や県の強力な支援なども必要だと思います。この問題は、もはや、一医師、一病院、一地域で対応できる問題ではなく、国策によって早急に対応すべき、非常に重要な国家的問題だと思います。

****** 医療タイムス、長野、2008年2月19日

県周産期システム 「今は順調、将来は不安」

県周産期医療対策会議

 県周産期医療対策会議は18日、県立こども病院で開き、県周産期医療システムなどについて検討した。同システムは現在のところ、順調に機能しているものの、産科医不足が深刻化していることを背景に、将来的な体制を不安視する声が上がった。

 同システムは、こども病院を「総合周産期母子医療センター」とし、「地域周産期母子医療センター」として佐久総合、長野、飯田市立、信大、長野赤十字の5病院、「高度周産期医療機関」として14病院をそれぞれ指定。地域の一般産科医療機関との連携を強化し、最適な医療確保を目指して、2000年に運用がスタートした。しかし、当初20病院あった「高度周産期医療機関」が、現在は産科医不足により14病院に減少し、転換期を迎えている。

 同日の会合では長野赤十字病院の菅生元康副院長(産婦人科部長)が、「今までのところは、周産期患者が県外から県内の病院に入ってくる事例はあるが、県内から県外に出て行く事例はない」と県内の周産期医療体制を評価。また、長野市、松本広域の両消防局の担当者からも、奈良県で発生した妊婦の受け入れ先が決まらない事例はなく、「非常にスムーズな状況」との報告があった。

(中略)

 このほか、県内の産科医療について飯田市立病院の山崎輝行婦人科部長は、集約化による効果を紹介。同院では集約化によって危険が予測される妊婦の紹介を早期から受けるようになり、その結果、早期からの全身管理が可能になり、早産などによるNICUへの入院患児が大幅に減ったとした。

(以下略)

(医療タイムス、長野、2008年2月19日)


地域産科医療改善への取り組み

2008年02月12日 | 飯田下伊那地域の産科問題

地域の産科医療が危機的な状況に陥っていることは確かですが、これを一気に解決するような方法などどこにも見当たりません。地域のみんなで共通の問題意識を持ち、みんなでいろいろと工夫を重ね、力を合わせ、現場の状況を少しづつでも改善してゆく不断の努力が大切だと思います。例えば、女性医師が働きやすいフレキシブルな勤務体系を取り入れること、職場環境や待遇を大幅に改善して産科医の離職を減らし、1人でも多くの産婦人科の後期研修医を獲得するように努力すること、病院と診療所の連携を強化すること、助産師に従来よりももっと活躍してもらうことなど、少しずつでも、地域の産科医療が改善の方向に向かうよう不断の努力を積み重ねていくことこそが大切だと思います。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月12日

態勢立て直しの動き 現実見据え試行錯誤を

(略)

 05年夏から1年足らずの間に、出産を扱う施設が6施設から3施設に半減した飯田下伊那地方。

 自治体や医療関係者でつくる懇談会の議論を経て、出産を主に飯田市立病院、妊婦健診を周辺の医療機関が担う「連携システム」を打ち出した。妊婦が持ち歩くカルテを作り、どの施設でも対応できるようにするなど先駆的な工夫も取り入れる。

 05年度に年間約500件だった市立病院の出産件数は、06年度は約1000件に倍増。山崎輝行・産婦人科部長(54)は「連携システムで外来の負担が減ったので、何とか乗り切れた」と話す。

 だが、そのシステムも順風ではない。

 地域では3施設が妊婦健診のみを受け持ってきたが、常勤医の退職などで、常時健診を受けられる所が今春以降、1施設になる見通し。5人いる市立病院の産科医も転科などで減少するため、4月からは里帰り出産の受け入れを休止する。

 「システムがあっても動かす人がいなければどうしようもない」と山崎医師。県内の「モデルケース」と期待される連携システムは、医師不足の「壁」に突き当たり、苦闘を続けている。

(中略)

【飯田下伊那地方の連携システム】 飯伊地方では05年以降出産を扱う施設の減少で約850件の受け入れ先がなくなった。このため緊急的に、出産は主に飯田市立病院、妊婦健診を他の医療機関が分担するシステムを構築。県内の産科医、小児科医でつくる県の検討会も07年3月、広域圏ごとの医師の重点配置を提言しており、飯伊のシステムを「周産期医療を崩壊させないためのモデル」と紹介している。

(信濃毎日新聞、2008年1月12日)


緊急課題としての産科医確保対策

2008年01月31日 | 飯田下伊那地域の産科問題

産科では全国的に医師不足問題が深刻化し、全国各地で産科施設が相次いで休廃止に追い込まれています。残った医療機関も限界ぎりぎりの状況にあり、このまま放置すれば、早晩、都会でも田舎でも大量のお産難民が発生するのは確実な情勢です。

この事態は国の存亡に関わる国難であることは間違いないですから、国策として、長期的な医師不足対策とともに、緊急避難的(超短期的)な危機回避策を迅速かつ強力に実施する必要があると考えます。

例えば、医療機関の集約化、病院・診療所の連携、勤務医師の負担軽減・待遇改善、訴訟リスクの軽減、助産師の活用など、完全に手遅れになってしまう前に有効な手を次々に打っていく必要があります。

****** Japan Medicine、2008年1月28日

産科医不足を“実体験”した時

長野県内で進む産科医不足

 産科医不足の問題を抱えている長野県の飯田市立病院を舛添要一厚生労働相が視察する2週間前、筆者も同じ病院を訪れていた。長野県出身の妻の里帰り出産を申し込むためだった。しかし病院職員から、来年度から里帰り出産を原則中止にすると告げられ、医師不足を実体験する羽目になった。県内の別の医療圏では、国立病院機構の1病院が今年8月以降、分娩を休止する可能性も出てきている。

 里帰り出産の中止にとどまらず、さらに悪化して地域住民が地元で出産できない事態を避けるためにも、産科医不足への早急な対策が求められている。

 妻の実家がある長野県南部の「飯伊医療圏」(15市町村・人口17万人)は、香川県とほぼ同じ面積に集落が点在している山間地だ。この広大な医療圏で分娩を扱っている医療機関は市立病院と2つの診療所だけ。一番遠い村からだと病院まで車で1時間以上かかり、現在でも地元住民は出産に不安を抱えている。

 ちょうど正月休みで埼玉県から妻の実家に帰省していた時のことだった。妻は5月に出産を控えている。市立病院に話を聞きに行くと、経営企画課の職員は申し訳なさそうに、里帰り出産中止に至る医療圏の医師不足事情を話してくれた。

 飯伊医療圏では2006年度、約1600件の出産を扱った。市立病院には常勤の産婦人科医が5人いるが、うち1人の後期研修医が4月から外科に移ることになった。4月以降は市立病院の産婦人科医4人と診療所の医師2人の計6人で医療圏の分娩を担っていく。

里帰り出産を原則断念

 このため飯田市は来年度から、医療圏の出産件数を年間計1300件程度に抑え、年間300件程度あった里帰り出産とほかの医療圏に住む住民の出産を、原則断らざるをえなくなった。市は産婦人科医師が増員できるまでの間の措置としているが、増員のめどは立っていない。

 市立病院は救命救急センターの指定も受けており、ほかの医療機関で扱えない切迫早産などリスクの高い分娩を24時間体制で対応する。4月から産婦人科医4人が毎月計80人の分娩を扱っていく。このうち、60人が正常分娩、残りの20人はリスクの高い分娩を想定している。限られた医師数で夜勤もあり、訴訟に発展しやすい分娩も扱う厳しい環境だ。

 産科医不足の背景は複合的な問題が重なりあっていると市立病院の職員は説明する。大学医学部の医師派遣機能の低下や、夜勤など病院勤務医の過重労働、医療紛争の増加。さらにこの地域は過疎山村のため診療所で後継ぎがいない。このため高齢化した産婦人科医は分娩を取りやめ妊婦検診のみを扱っている。そのしわ寄せが市立病院にくる。

 また自治体病院のため医師も公務員で給与が定められており、お金をはずむから病院に来てくれということは言えないという。

(中略)

負の連鎖防ぐ対策を

 市立病院の視察の後、舛添厚労相は医師不足対策をめぐり地元首長や医療関係者などと対話集会を開いた。産科医など深刻な医師不足の窮状を訴える声を受け、22日には産婦人科医の実態調査を行うと表明した。来年度予算案で国も本腰を入れて対策に乗り出すが、市立病院のように医療崩壊に一歩足を踏み入れている病院が全国各地に存在する。里帰り出産の中止ばかりか、地域住民でさえもが地元で出産できない最悪の事態へと、負の連鎖が広がるのを防ぐ対策が急がれる。【海老沢岳】

(Japan Medicine、2008年1月28日)


産科医不足対策

2008年01月23日 | 飯田下伊那地域の産科問題

産科医不足が進行し、全国各地の基幹病院でも、相次いで産科部門の休廃止に追い込まれています。

個々の病院や自治体のレベルの自助努力には大きな限界があり、このままではこの先、各医療圏の産科医療体制がどこまで持ちこたえられるのか、全くわかりません。

いったん病院の産科部門が休廃止という事態になれば、産婦人科医や助産師達は散り散りにいなくなってしまいます。そうなってから、また一から人を集めなおし、産科診療再開にまでもっていくのは並大抵のことではないと思います。

現在の産科医療の危機的状況を打開してゆくためには、根本的には、国レベルの有効な施策による後押しが絶対に必要だと思われます。

****** 南信州新聞、2008年1月22日

舛添厚労大臣と意見交換

 舛添要一厚生労働大臣は19日、飯田市追手町の飯田合同庁舎で開かれた国民対話で医師確保について意見交換した。同大臣は「目先の問題も長期的なことも車の両輪でやる。問題は山ほどあるが、世界一長生きできる国を守っていきたい」と語った。

 はじめに、長野県を訪れた理由を「予防医療が優れていて高齢者医療のコストが非常に低い。モデルケースになる」と説明。東京大学の講師時代には同市千代で下宿をしたこともあるといい、「飯田の千代は第二のふるさと」と紹介した。

 国民対話では、厚労省の取り組みについて述べた後、参加者の意見質問に答えた。

 参加者は「無過失保障制度を国として考えてほしい」、「公立病院への(産婦人科に対する)補助金をなくさないで」と要望。舛添大臣は「無過失保障制度は病院や医者に掛け金を払ってもらいどんどん拡大したい」と答えた。

(中略)

 産科医の男性は、基幹病院が次々と閉鎖している現状を挙げ、「今までは大学が(医師を)うまく管理していたが、ここ数年できなくなり全国の産科がなくなっている」と指摘。「厚労省の対策は10年後に結果が出るものばかり。私たちはこの4月をどう乗り越えるかを考えている」と訴えた。

 舛添大臣は厚労省の対策を改めて示した上で「目の前をどうするかは非常に深刻。しかし国が命令して北海道から飯田へ来させるような強制力はない。公立病院だけでなく、開業医の皆さんとの連携が必要」とした。

(中略)

 終了後には記者会見が開かれ、舛添大臣は「次の閣議で総理とも相談し、政府全体として緊急事態の認識で(医師確保の)施策を考えたい」と語った。

(南信州新聞、2008年1月22日)