ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

大臣と語る 希望と安心の国づくり

2008年01月20日 | 飯田下伊那地域の産科問題

国民対話集会『大臣と語る 希望と安心の国づくり』に初めて参加しました。今回のテーマは「地域医療の充実-医師確保対策-」でした。

まず、舛添厚生労働大臣の医師確保対策についてのプレゼンテーションがあり、その後に、発言を希望する参加者が一斉に挙手して、司会者から指名された者が次々に発言しました。一つ一つの発言に対して、舛添大臣からの丁寧な返答コメントがありました。信大病院長の勝山教授が司会進行役でした。

百人を超す市民の対話参加者の他、国会議員、県知事、県会議員、飯田市長などの周辺自治体の首長なども参加してました。報道関係者も多く来てました。

たまたま私も発言するチャンスがありましたので、県内の産科医療の危機的な現状、国レベルの緊急対策の必要性などについて直訴することができました。

会場内で出された意見等を議事録にして速やかに公表し、政策への反映状況とその理由などを明らかにするとのことでした。

****** NHKニュース、2008年1月19日

産科医不足 緊急対策を検討へ

 長野県飯田市で開かれた対話集会には、市民など120人余りが出席し、舛添厚生労働大臣と地域医療をテーマに意見を交わしました。

 この地域では、中核病院である飯田市の市立病院が、産科の医師が減ったため、ほかの地域に住んでいる人や里帰りをして出産する人の受け入れを、ことし4月から原則として取りやめる方針です。このため出席した人からは「医師が減ることで、残った医師の負担がこれ以上増える。この地域で出産ができなくなったらほんとうに悲しい」といった不安の声が相次いだほか、病院関係者からも「医師が確保できないと病院はつぶれる。医師の配置を、国はもっと真剣に考えるべきだ」という意見が出されました。

 これに対し、舛添大臣は「産科の医師不足については、対策のスピードを上げる必要があり、政府全体として取り組む体制を早急に考えたい」と述べました。

(以下略)

(NHKニュース、2008年1月19日)


現実見据え試行錯誤を

2008年01月13日 | 飯田下伊那地域の産科問題

長野県内の最近の年間総分娩件数は2万件程度で、分娩を取り扱っている産婦人科医が、(1次施設、2次施設、3次施設を合計して)まだ120人程度は県内に残っているものと仮定すれば、産婦人科医1人当たりの年間分娩件数は平均すれば160~170件程度ということになります。

従って、完全に手遅れになってしまう前に、医師を適切に再配置することができれば、県内の主要中核病院の常勤医達が今後も働き続けられる職場環境を、何とか維持できるかもしれません。

例えば、産婦人科医5~6人、助産師30~40人、新生児科医、麻酔科医との連携も緊密で、産婦人科医1人当たりの年間分娩件数が150~200件程度の2次施設であれば、それほど過酷な職場環境ではないので、その施設での医療提供活動を長期的に維持していくことも可能かと思われます。

それぞれの医療圏で産科医療の立て直しのための精一杯の努力をすることも大切です。しかし、各医療圏において、それぞれバラバラに、自力で必要な医師を確保して産科医療の態勢を立て直そうとすれば、結局は、少ない医師を医療圏間や病院間で無秩序に奪い合うことになってしまって、かなりの無理があります。

将来的には、各医療圏の利害関係から離れて公平な第3者的立場から、県全体の医師の配置バランスを勘案して、医師の配置をうまくコーディネートするようなシステムを立ち上げていく必要があると思われます。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月12日

現実見据え試行錯誤を

態勢立て直しの動き

 2005年夏から1年足らずの間に、出産を扱う施設が6施設から3施設に半減した飯田下伊那地方。

 自治体や医療関係者でつくる懇談会の議論を経て、出産を主に飯田市立病院、妊婦健診を周辺の医療機関が担う「連携システム」を打ち出した。妊婦が持ち歩くカルテを作り、どの施設でも対応できるようにするなど先駆的な工夫も取り入れる。

 05年度に年間500件だった市立病院の出産件数は、06年度は約1000件に倍増。山崎輝行・産婦人科部長(54)は「連携システムで外来の負担が減ったので、何とか乗り切れた」と話す。

 だが、そのシステムも順風ではない。

 地域では3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩ウイメンズクリニック)が妊婦健診のみを受け持ってきたが、常勤医の退職などで、常時健診を受けられる所が今春以降、1施設(平岩ウイメンズクリニック)になる見通し。5人いる市立病院の産科医も転科などで減少するため、4月からは里帰り出産の受け入れを休止する。

 「システムがあっても動かす人がいなければどうしようもない」と山崎医師。県内の「モデルケース」と期待される連携システムは、医師不足の「壁」に突き当たり、苦闘を続けている。

飯田下伊那地方の連携システム 飯伊地方では2005年以降出産を扱う施設の減少で約850件の受け入れ先がなくなった。このため緊急的に、出産は主に飯田市立病院、妊婦健診を他の医療機関が分担するシステムを構築。県内の産科医、小児科医でつくる県の検討会も07年3月、広域圏ごとの医師の重点配置を提言しており、飯伊のシステムを「周産期医療を崩壊させないためのモデル」と紹介している。

(中略)

 県内各地で産科医療を立て直す動きが始まっている。「特効薬」は簡単に見いだせない。行政や医療関係者、そして住民が「医師がいない」現実を直視し、試行錯誤を重ねるしかない。

(信濃毎日新聞、2008年1月12日)


産科医不足 地域越えた連携望む

2007年12月20日 | 飯田下伊那地域の産科問題

多くの医療圏で里帰り分娩を制限すれば、医療圏外から里帰り分娩で流入してくる妊婦さんの数が減る一方で、本来なら医療圏外に里帰り分娩で流出する筈だった妊婦さん達も里帰り分娩ができなくなってしまうので、結局、プラス・マイナス・ゼロで地域内の総分娩件数は期待通りに減ってくれない可能性もあります。

県全体の産科勤務医数が急減し、どの医療圏でも必要な医師数を確保できなくて困り果てている状況下で、医療圏間の垣根をどんどん高くして、少ない産科医の争奪戦をしているだけでは、現状の産科勤務医不足の問題はなかなか解決できないと思われます。

それぞれの医療圏内の連携・協力だけではもはや解決できそうにない大きな問題だとすれば、今後、各医療圏の産科医療体制が順次崩壊していく危機を回避するためにも、従来の医療圏の枠を超えて連携・協力していく必要があると思います。

産科の勤務で一番つらいのは、勤務医の頭数が少ないと、それだけ当直回数が増えてしまうことだと思います。現在は、悪い勤務環境から逃れるために多くの産科勤務医が離職し、残された者の勤務環境がますます悪化するという悪循環に陥っています。

全体の産婦人科医の数が急減し、当分の間は増える見込みがないということであれば、医療圏の枠をとっぱらって分娩施設をセンター化して、当直業務に関わる産科医の(1施設当たりの)頭数を増やして当直業務の負担を減らすしか手はないと思われます。

しかし、例えば、『人口30万人程度のエリアで産科施設をセンター化する』というような構想を、政策によって短期間のうちに実現するのは並大抵のことではありません。少なくとも、この1~2年では絶対に不可能だと思われます。まだ、現状では多くの人々のコンセンサスを得るのは難しいと思います。

最近は産科施設数がどんどん減っていて、一つの医療圏に一つの産科施設を確保することすら、だんだん危うくなりつつありますから、あと5~6年も経過すれば、自然淘汰的に分娩施設数は適正な数に落ち着いていくのではないでしょうか?

****** 中日新聞、長野、2007年12月19日

産科医不足 地域越えた連携望む

 急転直下で決まった。「飯田市立病院は来年4月から、産科医が1人減る見込みになりました。地域住民の出産を守るため、里帰りや他地域住民の出産を一部制限します」。市が11月4日、発表した。急を要する重要事項ということで、週明けに持ち越さず日曜日の会見で、牧野光朗市長や千賀脩院長らが顔をそろえた。

 飯田下伊那地域では以前から産科医不足が深刻で、出産できる医療機関は市立病院と2つの開業医だけ。医師5人の市立病院に出産約1000件を集中させ、開業医で妊婦検診を担う連携システムを構築していた。

 「ギリギリの状態」(産科医)ながら、従来の年間約1600件出産を維持。全県的にもモデル的な取り組みとして注目されていた。

 ことし8月の段階では、この秋にも信州大から市立病院に医師1人が派遣されて増員。来年4月からは、常勤産科医がいなくなる松川町の下伊那赤十字病院に派遣する構想も浮上していた。

 正直、なんて頼もしい地域だろうと思っていた。

 ところが、上伊那地域における産科医不足の進行が、飯田下伊那にも暗雲をもたらした。予定していた医師は結局、伊那市の伊那中央病院に配属。ある産科医は「飯伊は順調と言っていたせいだ」と悔しがった。

 上下伊那とも危機的状況に変わりはない。飯伊で取材をしていて残念だったのは「上伊那は上伊那で、下伊那は下伊那で」という繰り返し聞いた言葉。

 出産を取り巻く現場はじわりじわり侵食され、厳しい現実に地域の境などない。しかし、行政や医師らが対策を協議する会議室には明確な境界線がある。

 地域を担う人たちが、その地域の医療を優先したい思いは理解できる。ただ、不便を強いられる妊婦のことを真っ先に考えるべきではないだろうか。

 今、多くの自治体が施策に「子育て支援」を掲げている。出産に対する支援とは別なのか。疑問がわいてくる。そして悲しい。

 産科医不足は上下伊那に限ったことではない。どこも制限によって地域の出産を乗り切ろうとしている。各機関の事情はあるかもしれないが、事態が悪化する可能性もある。

 産科医が急激に増えることが見込めない中で、境界線ととらえる視野をより広くもち、上下伊那が互いに手を取り合った”伊那谷連携モデル”は目指せないのだろうか。

 新たな命の誕生のためにも。【石川才子】

(中日新聞、長野、2007年12月19日)


飯田下伊那医療圏の産婦人科医療 里帰り分娩と他地域在住者の分娩の受け入れを中止

2007年11月06日 | 飯田下伊那地域の産科問題

飯田下伊那医療圏の産婦人科医療にかかわっている産婦人科医師数は、最近まで計13人程度(市立病院:常勤5人非常勤3~4人、下伊那日赤:1人、西沢病院:1人、3診療所:計3人)でした。しかし、それが来年4月には計6~7人(市立病院:3~4人、3診療所:計3人)にまで減る見込みとなり、医療圏全体で担う産婦人科医療の業務量を縮小する方向で調整しています。

****** 南信州新聞、2007年11月6日

飯田市立病院 里帰り出産を中止 来年4月から 産科維持へ苦渋の選択

 飯田下伊那地域の産科医療について考える「第6回産科問題懇談会」(会長・牧野光朗南信州広域連合長)が4日飯田市役所で開かれ、飯田市立病院の産婦人科医が1人減る来年4月から、市立病院の里帰り出産と他地域在住者の出産を中止することを決めた。牧野連合長は「産科医療体制を守るためやむを得ない措置」とし、苦渋の選択に理解を求めた。

 飯伊地域は市立病院と椎名レディースクリニック、羽場医院が連携し、昨年度は約1600件のお産を扱った。ところが来年4月以降、市立病院の産婦人科医が現在の5人から4人に減員。もう1人減る可能性もあることから、出産制限に踏み切った。

 同じく昨年度中に4人いたパート医師も、現時点ではゼロとなっている。

 産婦人科医が増員するまでの間は、出産件数を1300程度に抑える。昨年度の里帰り出産と他地域在住者の出産約300件を差し引いたもので、「若干無理をすれば維持できる」(椎名一雄産婦人科医)という。

 今後、市立病院での出産を希望する場合は、連携する診療所で検診を受けた後、予約を取ることが必要になる。

 また、信州大学から派遣予定だった産婦人科医1人については、昭和伊南病院(駒ヶ根市)の産科休止に伴い、伊那中央病院(伊那市)に派遣された。増員を前提に協議していた、市立病院と下伊那赤十字病院(松川町)との連携は難しくなった。

 赤十字病院は来年3月で常勤の産婦人科医1人が退職。今後は非常勤の産婦人科医1人が木、金曜日の妊婦検診とがん検診に対応していくことになる。

 牧野連合長は厳しい現状を踏まえ、「改めて国や県に対して一層の支援を求める。地域の産婦人科医療を守るため最大限の取り組みをしていく」と強調した。

 懇談会には南信州広域連合をはじめ、下伊那郡町村会、飯田医師会、産婦人科医会など25人が参加した。

(南信州新聞、2007年11月6日) 


助産師の活躍に期待

2007年09月30日 | 飯田下伊那地域の産科問題

現代の産科医療は、産科医、助産師、新生児科医、麻酔医が協力して行うチーム医療が主体となっています。分娩経過中に何か異常が発生した場合には、チームで協力して適切に医療介入する必要があります。

低リスク妊婦の健診や正常分娩の介助では、助産師の果たす役割が非常に大きく、彼女達の貴重なパワーを地域で有効に活用することが重要だと思います。

産科医の激務を緩和するために、今後、助産師業務を拡大していこうという動きもあります。

****** 信濃毎日新聞、2007年9月28日

妊婦 満足いくお産に 助産師外来で「バースプラン」 (飯田市)

(略)

 25年前、飯田下伊那地方では13病院が分娩を扱っていた。しかし、産科医の高齢化や後継者不足で05年には6病院に。現在は同地方最大の総合病院の市立病院と市内の個人医院をあわせて3病院だけとなった。

 分娩を休止する病院が相次ぐ中、市立病院の06年の分娩数は前年比で倍の1000件近くに急増。増えた分はこれまで個人医院で扱ってきた、比較的安全な「ローリスク」の分娩だった。

 市立病院の河野純事務局長は「市立病院は、これまでハイリスクの分娩が中心で『母子とも無事ならいい』という感覚があった。そのため妊婦が産み方を選び、納得してお産をするための態勢づくりが遅れてきた面がある」と省みる。満足感を求めるローリスクの分娩の扱いが増える中、産婦人科の設備や人員の充実とともに、助産師外来を中核とするソフト面での改革が始まった。

 産婦人科病棟の松村さとみ看護師長(44)は「これまで産む姿勢は(あおむけの)仰臥位が100%。だから、それ以外の姿勢は学んだことがなかった」と言う。2年前からフリースタイル分娩について研修を重ね、必要となる介助者のやりくりも研究。現在は半数近くが横向きや四つんばいで分娩に臨むようになった。

 「バースプラン」は05年から段階的に導入。裏面には妊婦自身がお産を振り返る「バースレビュー」も加え、不満や帝王切開などの医療介入によりプラン通りに出産できなかった場合の誤解を解消する仕組みも取り入れた。大半の妊婦が「横向きのお産がよかった」「赤ちゃんをすぐ抱けてうれしかった」と評価している。

     *         *

 初産の検診のため助産師外来を訪れた□□□さん(19)は、36週に入ったのを機に、分娩をやめた個人医院から市立病院に移った。同様に市立病院で出産を経験した母親(45)からは「市立病院は流れ作業だよ」と聞いて不安を感じていた。

 しかし、産むスタイルを選べ、助産師や看護師に気軽に声をかけられる雰囲気も気に入り、当初のイメージは消えたという。「横向きがいいな。自分のペースでゆっくりと産みたい」と語った。

 助産師の藤綱さんは「お産でいいスタートを切れたという気持ちは、その後のいい育児につながっていく。病院任せではなくお母さん自身が産むという意識を引き出しながら、妊婦も私たちも満足のいくお産をできるようにしたい」と話した。

(信濃毎日新聞、2007年9月28日)


深刻化する産科医不足 助産師の活躍に期待

2007年09月07日 | 飯田下伊那地域の産科問題

今、全国的、全県的に、分娩を取り扱う施設がどんどん減っていて、残り少なくなった生き残っている産科施設に地域の妊婦さん達が集中する状況にあります。

生き残っている産科施設の仕事量はどんどん増えていますし、今後も生き残っていこうとする限り、施設の仕事量がどんどん増えていくのは確実です。従って、将来的に地域で産科施設として生き残っていくためには、今、産婦人科医、助産師、小児科医、麻酔科医などのマンパワーを早急に増強する必要があります。

全国各地の産科施設が相次いで閉鎖される度に、分娩取り扱い業務に関与できなくなってしまう助産師が大量に発生しています。彼女達の貴重なパワーを地域内で有効に活用することが非常に重要だと思います。

事態がここにまで至れば、『いかにして県内分娩施設の総崩れをくい止めるのか?』をみんなで真剣に考えなけれなならないと思います。

****** 中日新聞、2007年9月2日

深刻化する産科医不足 助産師の活躍に期待

 県内でも昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)と県立須坂病院(須坂市)が来年4月からお産休止するなど、深刻化する産科医不足。飯田下伊那地方はいち早く医療機関の役割分担、職能集約化に着目し、独自の連携システムを構築したモデル地域だ。順調に機能しているが、妊婦の希望は「安心安全」と「心のケア」。妊婦と近い場所にいる、助産師の自立と職域拡大にも期待は大きい。(石川才子)

 飯伊地方のお産は、年間で約1800件。かつては13施設で取り扱っていたが、高齢化や医師不足により、2006年からは飯田市内の市立病院と2開業医(椎名レディースクリニック、羽場医院)だけ。医師1人あたりの出生数は、04年の156人から06年は260人に増える見込みで、県内でも突出している。

 連携して地域医療を守ろうと06年、カルテを共有化、お産は市立病院を核にし、妊婦検診は他の産科施設が担うセミオープンシステムを構築。3施設がお産を、松川町の下伊那赤十字病院と市内の3開業医(平岩ウイメンズクリニック、西沢病院、徳永病院)が妊婦検診を担当している。

 お産は順調というが、結果的に検診施設に妊婦外来が集中。医師は休み時間を削り、時間を延長して対応するが、妊婦からは「予約が取れない、待ち時間が長い、検診と出産場所が異なるのは不安」など苦情が増えた。

 市内の開業医で検診を受ける主婦(35)はいう。「命を託す医師との会話が少ないのが不満。忙しそうで、ちょっとした悩みも話せない。医師への信頼度が高い分、話すだけで安心できるのに」

 新たな問題も浮上した。来年4月以降は下伊那赤十字病院の常勤産科医がいなくなり、昭和伊南総合病院の妊婦受け入れも想定される。市立病院は金銭的損失を覚悟で医師派遣を検討するが、関係者は「それ以上は不可能。飯伊のシステム自体が崩壊する」と頭を抱える。

 少ない医師でシステムが機能する背景には、実際に赤ちゃんを取り上げる助産師の活躍がある。各医療機関から引く手あまたで、県内では開業助産師も徐々に誕生。日本助産師会県支部(保谷ハルエ支部長)は「開業助産師が取り扱うお産は年々増え、06年度は158人」という。

 飯田市の水嶋弘美さん(38)はお産施設に悩み、第2子を自宅出産した。「お産は、本当に死ぬほど大変。苦しんでいるときに励まし、支えてくれるのは助産師。医師の医療的なサポートも大切だけど、助産師の心のケアはもっと大切。ひとりの助産師がずっと担当してくれ、安心して産めた。」

(以下略)

(中日新聞、2007年9月2日)


産科医不足 役割分担を急がねば

2007年09月05日 | 飯田下伊那地域の産科問題

最近は、産科病棟閉鎖のニュースがよく報道され、非常に大きな問題となっていますが、今はまだまだほんの事の始まりでしかないと多くの人が考えています。

残り少なくなってきた産婦人科医が、援軍もなく、補給路も絶たれ、少人数づつに分散したままで、各自の持ち場を死守している現在の状況が続けば、どの病院の産科も人手不足で継続困難となっていき、力尽きた病院から順番に産科閉鎖に追い込まれていって、結局は県内総崩れとなってしまうのかもしれません。

一面焼け野原になってしまって、ゼロから再出発して復興への道を模索するのも大変なことです。

県内総崩れへの道を、このまま、まっしぐらに突き進んでしまっても本当にいいのでしょうか?

****** 信濃毎日新聞、2007年9月3日

産科医不足 役割分担を急がねば

(略)

 全国的に産科医不足は深刻で、大学の医局に派遣を求めても、募集をしても医師はなかなか集まらない。国は医学部定員を増員する方針を打ち出したが、効果が見えるのは随分先の話になる。

 これ以上産科を減らさないためには、医師の負担を軽減するよう、役割分担を急がねばならない。

 一つは医療機関の連携だ。飯田・下伊那地区ではお産を主に飯田市立病院で、妊婦健診を他の病院や診療所で分担するシステムを行っている。妊婦にとって複数の病院にかかる負担はあるが、やむを得ない措置だ。地域の実情に合わせて、医療機関のネットワークを整えたい。

 二つ目は助産師がお産にかかわる場を広げることだ。正常産は助産師だけでも対応できる。医師に代わって妊娠の経過を診る助産師外来も広がってきた。

 県は助産師支援検討会を開き、本年度中に助産師対象の研修会を開く予定だ。超音波診断など助産技術の向上を図り、いずれは県内の病院でも助産師の介助で出産できる院内助産所を開設できるようにしたい。数は少ないが、開業助産所と医療機関の連携も大事になる。

 産科医は女性の割合が高くなっている。妊娠、出産をはさんでも働き続けられるよう、時短勤務やワークシェアといった工夫も必要だ。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年9月3日)


飯田市立病院から下伊那日赤に産科医派遣も 飯伊医療圏の産科体制が新局面に

2007年08月30日 | 飯田下伊那地域の産科問題

全国的、全県的に、地域産科医療体制の崩壊地域がどんどん広がりつつあり、この難局を一病院、一自治体の努力だけで何とか打開しようとしても、絶対に無理だと思います。地域全体で一丸となって、一致団結して、この難局に対応していくことが大切だと思います。

また、地域の周産期医療は、この半年、この1年が何とか持ちこたえさえすればいいというものでもありません。次の世代の10年先も20年先も、持続可能な地域の周産期医療システムを構築していくことが重要です。

そのために、今、最も求められていることは、地域の周産期医療提供体制の新たな担い手として、毎年多くの若い力に加わってもらえるように、地域基幹病院の研修環境を充実させることだと思います。

そもそも若者が全く参入して来ないような世界に決して明るい未来はあり得ません。多くの若者達が安心してこの世界に参入できるように、充実した研修・指導体制、余裕のある勤務体制、楽しい職場の雰囲気、待遇面での十分な配慮など、魅力のある研修環境を地域の病院の中に創り上げていくことが大切だと思います。

****** 医療タイムス、長野、2007年8月30日

飯田市立病院から下伊那日赤に産科医派遣も

~飯伊医療圏の産科体制が新局面に

 飯田下伊那の産科体制について検討する「産科問題懇談会」(会長・牧野光朗南信州広域連合長)は28日、下伊那赤十字病院の産科医師の退職などに伴う新たな産科体制などを検討した。飯田市立病院から下伊那日赤に産科医師を派遣し、下伊那日赤では婦人科外来のみを継続する案などが出され、今後も継続して審議していくこととなった。

 飯伊医療圏では昨年から、飯田市立病院を拠点病院とし、分娩可能な2つの診療所と妊婦健診をなど担当する4つの医療機関が独自の「共通カルテ」による情報の共有化を図り、各医療機関が連携してお産に対応するセミオープンシステムを導入。これまでのところ順調に進んでいる。

 しかし、下伊那日赤の産科医が来年3月末で退職し、産婦人科を閉鎖せざるを得ない状況が明らかになったほか、隣接する上伊那医療圏では、年間500件前後のお産を取り扱っている昭和伊南総合病院が来年4月から分娩を中止することから、現行の産科システムへの影響が懸念されている。

 同日の懇談会では、年に数人の分娩と1日10~20人の妊婦健診を受け入れている下伊那日赤の後医療体制が論点となり、飯田市立病院の千賀脩院長は、「下伊那日赤の産婦人科がなくなることは下伊那北部の妊産婦にとって大きな負担と不安を与えることになる」とした上で、市立病院の産科医1人の増員などを条件に、下伊那日赤に産科医を派遣する用意があると提案した。

 具体的には平日、市立病院から下伊那日赤に医師1人を派遣し、妊婦健診や婦人科外来、がん検診、不妊外来などを行う。合わせて、分娩件数の増加に伴い手狭になりつつある施設を改修、昭和伊南病院の産科休止に伴い、増加することが予想される分娩にも対応していきたい方針を示した。課題となる医師増員について千賀院長は「来年には1人増える可能性が出ている」とした。

(以下略)  

(医療タイムス、長野、2007年8月30日)


産科施設の減少

2007年04月08日 | 飯田下伊那地域の産科問題

必要な医師を確保できず、分娩取り扱いを断念せざるを得ない施設が後を絶ちません。今後、産科医を増やしていくためには、どうしたらいいのでしょうか?

医学部を卒業しただけでは、実際の臨床現場ではまだ何もできません。医学部を卒業して一人前の医師になるまでには非常に長い時間がかかります。若い医学生や研修医が一人前の医師に成長していく過程では、多くの患者さんが集まる一定以上の規模の病院で、指導医のもとで多くの経験を積んで、基本的な知識や技術を身に付けてゆく必要があります。臨床研修病院では、未経験の若者達がだんだんと成長して一人前の専門医になるまで、じっくりと育てていく教育体制をきちんと築き上げる必要があります。

人手不足のため、指導医が日常診療をこなすだけで精根尽き果てて精一杯の状況であれば、若い人を育成するどころではありません。若い人をじっくり育てていくためには、指導医にある程度の時間的余裕を与える必要があります。

要するに、若い人を育てるためには、豊富な症例数、スタッフの人的余裕などの条件は必要不可欠です。人的余裕の全くないような人手不足の病院に、未経験の若者達は決して集まって来ません。

現状では専門医の絶対数が全く足りてないわけですから、専門医を育成することがきわめて重要です。人を育てる体制を確立するという観点からも、産科施設の重点化・集約化は必要だと思います。

****** 個人的経験

同じ病院に18年間勤務していますが、最初の数年間はいわゆる1人医長で、1年のうちで休日は1日もなく、連日連夜病院に泊り込んで働き通しで、夜中の緊急帝王切開でも何でも1人で対処しなければなりませんでした。1日の睡眠は仕事の合間の仮眠だけというような、今から考えると、地獄のような過酷な毎日でした。

仲間が1人増えて医師2人体制になったとたんに、いきなり地獄が天国に変わった感じでした。いつでも手術は産婦人科の仲間と一緒に2人でできるようになったし、1日おきにでも帰宅できるようになったし、交替で学会にも出席できるようにもなりました。

さらに仲間が増えて常勤3人体制になると、けっこう余暇もできて、院内ボランティア活動とか、ホームページとかブログとかにのめりこんだりする時間もできてきました。英会話やピアノのレッスンに通ったりする余裕も生まれました。

常勤4人体制になると、医学生の教育や研修医の教育などに力を入れる余裕も少し出てき始めましたし、1日がかりの癌の手術などを毎週のように実施することも可能な体制となりました。緊急手術を2件同時に実施するようなことも十分に可能となりました。

常勤5人体制になってみると、さらに急に世界が大きく広がった感じがしています。安全性も格段に高まったように感じています。若い女性医師が多いことを考えると、今後は当然彼女ら自身が安心して妊娠・出産・子育てができる柔軟な勤務環境を作っていく必要があり、(何年かかるか全くわかりませんが、)将来的には常勤10人くらいの体制にもっていく必要があると考えています。

助産師の数も最初は1名の体制からの出発で、最初は毎日オンコールという非常に過酷な勤務体制でしたが、助産師数もだんだん増えてきて、現在は助産師28名の体制となり、助産師外来とか、フリースタイル分娩とか、助産師の力を存分に発揮できる体制になってきつつあります。助産師自身の妊娠・出産・子育てとも十分に両立できるような職場の体制になりつつあるように感じています。

やはり、人がいなければ何も始まりません。急には無理にしても、将来的には、産婦人科は大勢のスタッフを擁する病院の体制を中心にやっていくべきだと考えています。何はともあれ、長期的視野に立って、若い仲間がどんどん増えていくような流れを作っていくことが非常に大切なことだと思います。


飯田下伊那の産科体制「やむを得ない」が8割

2007年04月05日 | 飯田下伊那地域の産科問題

地域の産科医療を絶滅の危機から守るためには、地域住民、行政、地域の医療機関などが一体となって、地域の限られた医療資源を有効に活用して、一致団結して対応していく必要があります。

とりわけ、実際に病院内で分娩を担当する産科医と助産師とが一致協力して事に当たる必要があるのは当然です。それもできないようであれば、病院の外部の人達の協力をとりつけられる筈がありません。

地域中核病院の分娩件数が急激に増加する状況であれば、現場で実際に分娩を担当する産科医、助産師などのスタッフの数を大幅に増やさないことには、仕事量の増加に適切に対応できる筈がありません。

緊急避難的な連携により地域の産科体制がかろうじて持ちこたえている間に、何とかして、地域中核病院の産科医、助産師の数を大幅に増やし、診療体制を強化していく必要があります。

手遅れになってしまう前に有効な手を打たないと、地域中核病院・産婦人科の絶滅速度がどんどん加速されていくばかりでしょう。国や県の政策による強力なバックアップも不可欠だと思います。

****** 信濃毎日新聞、2007年4月4日

飯田下伊那の産科体制「やむを得ない」が8割

 産科医不足のため、出産前の健診を診療所、出産を飯田市立病院で役割分担する体制を導入している飯田下伊那地方で、出産を経験した母親の81%が不満を抱えながらも、「やむを得ない」と考えていることが3日、信大医学部の金井誠講師が行ったアンケート調査で分かった。

 現体制を導入した後の昨年2-3月と9-11月に、同病院で出産した399人にアンケート用紙を郵送、238人から回答を得た。回収率は59・6%。

 調査結果によると、現体制について「よくできた体制」は18%で、「即刻この体制を中止すべき」は1%にとどまった。「若干不満があるがやむを得ない」が62%、「大きな不満があるがやむを得ない」が19%を占め、産科医不足の現状を受け入れざるを得ない現実を浮き彫りにした。

 診療所での妊婦健診について「満足」「やや満足」が計47%だったのに対し、「不満」「やや不満」は計26%。市立病院での分娩(ぶんべん)は「満足」「やや満足」が計79%、「不満」「やや不満」は計9%と、健診、分娩ともに満足している人の方が多かった。

 飯田下伊那地方では05年夏から06年春にかけ、出産できる医療機関が6から3に半減。昨年1月、34週未満の健診は診療所、出産は同病院で扱う体制を導入した。

 金井講師は県内の産科医、小児科医を各広域圏の連携強化病院に重点配置することを提言した県検討会の委員も務める。アンケート結果について「母親たちが現状を冷静に受け止め、地域の理解が進んでいる」と話し、「産科医が急に増える見込みがない以上、飯伊の事例は県内の産科医療を崩壊させないための一つのモデル」としている。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年4月4日)


医療資源の有効活用に地域一体で対応を

2007年03月28日 | 飯田下伊那地域の産科問題

今、地域の産婦人科が次々と閉鎖に追い込まれています。朝日新聞の全国調査では、最近1年間だけで105施設が分娩取り扱いを中止したとのことです。

このまま放置すれば、さらに多くの産婦人科が閉鎖に追い込まれていくことが予想されます。

この全国規模のなだれ現象的な産科医療崩壊に対して、一つの医療機関の努力だけで対応することは、到底、不可能です。

地域の産科医療を絶滅の危機から守るためには、地域住民、行政、地域の医療機関などが一体となって、地域の限られた医療資源を有効に活用して、一致団結して対応していく必要があります。

****** 医療タイムス、長野、2007年3月26日

医療資源の有効活用に地域一体で対応を

~国の産婦人科検討委で信大・金井講師

 信大医学部産科婦人科の金井誠講師は、21日に東京都内で開いた拡大産婦人科医療提供体制検討委員会で本県の集約化の状況について報告した。相次ぐ産婦人科閉鎖によるお産の危機を医療機関や行政が協力して乗り切った飯田下伊那地区の事例を紹介し、「限られた医療資源を有効に活用するために医療機関と行政、住民が一体となって対応する必要がある」と指摘した。

 本県の産婦人科医はこの6年間で30人近く減少し、4分の1は分娩を取り扱っていない。県内の病院での出産は2004年の68%から05年に73%に増え、高次病院が53%を占めており、多くの施設が分娩を中止することで自然淘汰的に集約化が進んでいる状況だ。

 年間1800件のお産を6施設で取り扱っていた南部の飯田下伊那地区では、05年1施設が取り扱いを中止し、2施設が翌年に中止の意向であることが明らかとなり、800件以上の分娩が宙に浮く医療崩壊の危機に瀕していた。このため、飯田市長や広域連合、医師会などで構成する「産科問題懇談会」を設置。初診から34週までの再診を地域の医療機関、34週から分娩までを地域の2次医療機関である飯田市立病院が担う態勢を整えた。飯田市立病院には広域連合が5億円を支援し、医師と助産師を増員した。

 その結果、月40件代だった飯田市立病院での分娩は06年、98件に急増したものの、外来は逆に1400件から1100件に減少。正常分娩は増えたが帝王切開や多胎分娩はそれほど増えなかったことから、医師の過重労働感はむしろ減少したという。集約化に対する住民の評価について実施直後と半年後の2回尋ねると、「よくできた」18%に対し、「やむを得ない」62%だったが、制度が定着するにつれ満足度が高くなった。医師の集約化には79%が肯定したが、妊産婦の医療機関の振り分けは61%に下がり、「集約化は必要だが、受診制限は反対」という意見が強かった。一方、当直明けの医師が翌日休みがないということについて知らない住民が半数あったことから、金井氏は「こういった面を周知することが必要だ」と強調した。

(以下略)

(医療タイムス、長野、2007年3月26日)


産婦人科の後期臨床研修

2007年03月25日 | 飯田下伊那地域の産科問題

2年間の初期臨床研修で、内科、外科、小児科、産婦人科などを回った研修医達が、来週から、後期研修医として、専門診療科の修業を開始することになります。

現在の研修システムですと、3年目からようやく本当の医者の仕事が始まります。これまでの各科のローテーションでは、お客様扱いのこともあったと思います。しかし、来週からは、五年後、十年後の目標を持ちながら、今は何をしなければならないか?を意識して、大きな目標に向かって頑張っていく必要があります。

3年目から、どこの病院で、何科の専門研修を受けるのか?は、研修医自身の自由選択によって決まります。

今、現場で働いている医師達が、疲れ果てボロボロになって集団で辞めていくような職場環境であれば、最初は産婦人科を志していた医学生、研修医でも、最終的に産婦人科を選ぶのを尻込みしてしまうのは当然のことです。初期研修の開始時には産婦人科志望を考えていても、現場の勤務の実態を見て、2年間の初期研修の間に志望を変更してしまう者が少なくありません。

将来の産婦人科医師を増やすためには、今、現場で働く医師達の待遇・職場環境の改善が急務です。

当科でも、この春、産婦人科後期研修を開始する若手医師が、充実した産婦人科専門研修を続けられるように、研修環境、職場環境を十分に整備していきたいと考えています。また、医学生(5年生、6年生)、初期研修医達の教育も、しっかりやっていきたいと思います。


産科/検討進む医師の集約化

2007年02月16日 | 飯田下伊那地域の産科問題

たかだかこの半世紀間だけを見ても、日本における分娩場所のトレンドは、自宅分娩中心から始まって、何度か大きく変化してきました。トレンドが大きく変わる変革期では、それまでの安定した体制が根底から崩れて、多くの人達が戸惑い、一時的な混乱も止むを得ないことだと思われます。

日本の他の地区と全く同様に、当医療圏においても、自宅分娩が中心で地域の産婆さん達が大活躍した時代のあとに、非常に多くの開業助産所、開業診療所、病院産婦人科(私立、日赤、公立)が共存した時代が続きました。その後、代が変わって、最近数年間は6施設(3診療所、3病院)で地域の分娩を担ってきました。

そして、今また、我々は時代の大きな変革期を経験しつつあり、みんなで暗中模索しているところです。

一体全体、この先、時代はどのように変化していくのだろうか? 我々自身がどのように変化していけばいいのだろうか? いろんな人たちが、各々の立場から、いろんなことを言ってますが、何が正解なのかは誰にもわかりません。これから、誰も経験したことがない新しい時代が始まります。

****** 毎日新聞、長野、2007年2月15日 

産科/検討進む医師の集約化

(略)

 飯田・下伊那地域では05年秋、分娩を扱っていた6施設のうち、松川町の下伊那赤十字病院など3施設が06年春から分娩を取りやめた。この3施設の分娩数は年間800件。大量の「お産難民」が出る可能性があった。地域で懇談会をつくり知恵を出し合った結果、診療所と病院の連携システムが導入された。

 妊娠中の検診は診療所、出産は飯田市立病院という役割分担を行うことで同病院の負担を軽減。同病院の医師や助産師、分娩台の数も増やした。同病院の産婦人科長、山崎輝行医師は「システムの開始から1年。トラブルはなく成功したと言える」と話す。  

 県などでは国の方針に基づき、産科・小児科の集約化を検討している。各病院にいる小児科医や産科医を地域の拠点となる病院に集め、そこで治療などを行うという。飯田・下伊那地域の取り組みがモデルケースとされている。検討委員会の関係者は「現状のままでは産科医の負担は増す一方。いずれ、島根県の隠岐島のように、お産が出来る病院が消滅する。余力のある今だからこそ、医療資源を集約化する必要がある」と説く。

(以下略)

(毎日新聞、2007年2月15日)


不足診療科のトップ、産科・婦人科 県民意識調査

2007年01月12日 | 飯田下伊那地域の産科問題

長野県で昨年2月に実施された県民意識調査の結果が報道されました。

調査の時期が昨年の2月ということで、ちょうどその頃、飯田下伊那地域では、3施設がほぼ同時に分娩取り扱いを中止することが市民に知れわたって、『今後、この地域の産科は一体どうなってしまうのだろうか?地域内の妊婦さん達の分娩場所はちゃんと確保できるのだろうか?』と、市民の産科医療に対する不安が一気にピークに達した時期と重なっています。また、上田小県地域でも、上田市産院存続問題で市民運動が盛り上がってピークに達していた時期です。特にこの2つの地域で、『産科・産婦人科が不足している』との回答が飛びぬけて多かったというのは十分に納得できます。

しかし、その後、産科医不足の問題は、その2地域だけにとどまらず、県内の他の地域にも急速に波及しつつあり、全県的な問題となってきています。

もしも現時点で同じ調査を行えば、おそらく、県内の他の地域でも『産科・産婦人科が不足している』との回答がもっと増えると予想されます。

****** 信濃毎日新聞、2007年1月12日

不足診療科のトップ、産科・婦人科 県民意識調査

 県は11日までに、保健や医療の現状に関する意識や今後の要望を尋ねた県民意識調査の結果をまとめた。住んでいる地域に不足していると感じる診療科(3つ以内)は産科・産婦人科が22・8%と最多で、特に飯田下伊那地域では50・0%、上田小県でも41・0%が「不足」と回答。地域によって充足感に大きな差が生じている。

 不足を感じる診療科は、産科・産婦人科に次いで耳鼻咽喉(いんこう)科22・3%、眼科20・8%。産科・産婦人科は上伊那でも31・3%が不足と答えた一方、諏訪(8・5%)、北信(15・5%)、松本(16・0%)などは平均を下回った。

 行政として対策に力を入れてほしい分野(3つ以内)は、がん対策が最も多く51・2%。次いで救急医療43・7%、脳卒中30・8%の順。年代別では、20代は救急医療、30代で小児医療、40代は救急医療とがん対策、50代以上はがん対策がそれぞれトップを占めた。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2007年1月12日)


当医療圏における産科地域協力システムの運用状況

2007年01月09日 | 飯田下伊那地域の産科問題

当医療圏(飯田下伊那地域)では、帰省分娩を含めて年間1800~2000件程度の分娩があり、最近は計6施設で地域の分娩を担ってきましたが、2005年8月に、そのうちの3施設がほぼ同時に分娩の取り扱いを中止することを表明しました。その3施設の合計年間分娩受け入れ件数は800~900件程度でした。

このまま放置すれば、当医療圏の産科医療が崩壊することは明らかでしたので、何らかの対策が必要でした。そこで、地域内で協議を重ね、2006年1月より、産科地域協力システムを導入しました。

すなわち、飯田市立病院で分娩を予定している妊婦の検診の一部を地域の他の医療施設で分担すること、地域内での産科共通カルテを使用し患者情報を共有すること、飯田市立病院の婦人科外来は他の医療施設からの紹介状を持参した患者のみに限定して受け付けること、などの地域協力体制のルールを取り決めました。

今回、本システムを地域に導入する前後の産科の診療状況の変化を調査しましたので、本システムの運用状況を報告します。調査方法は、当医療圏の産科6施設における経腟分娩件数、帝王切開件数、入院延べ患者数、外来延べ患者数などを、2005年3月~8月と2006年3月~8月とで比較し、本システム導入前後における当医療圏の産科の診療状況の変化を検討しました。

飯田市立病院の2006年3月~8月の総分娩件数は513件で、2005年同時期の総分娩件数239件の2.15倍でした。飯田市立病院の分娩件数が地域の総分娩件数に占める割合は、2006年3月~8月では61.5%(2005年同時期:25.8%)でした。飯田市立病院の2006年3月~8月の帝王切開率は22.0%(2005年同時期:36.0%)でした。当科の2006年3月~8月の入院延べ患者数は6585人で前年同時期と比べて40.9%増え、外来延べ患者数は7665人で前年同時期と比べて16.9%減りました。

当医療圏で分娩取り扱い施設が6施設から3施設に半減しましたが、産科地域協力システムを導入して地域内で連携することによって、当医療圏内のすべての分娩に特に支障なく対応することができ、当地域の産科医療の崩壊を阻止することができました。

この問題は、一つの医療機関、一つの自治体だけの努力では決して解決できません。それぞれの立場の違いを乗り越えて、地域で一丸となって、将来にわたって持続可能な地域周産期医療システムをつくり上げてゆく必要があります。