■■■■■■■■ AERA 2006.5.1-8(No.21)より
アエラの同じ号の85~87ページに、「ナチュラルバースは甘くない」という記事があり、興味深く読みました。
ナチュラルバースを実施している個人医院や助産院などを分娩場所として選択する妊婦さんも少なくありません。そういう施設では、妊婦検診中に低リスク妊婦だけをセレクトしていると思いますが、いくら正常分娩になりそうな低リスク妊婦だけをセレクトしたとしても、分娩の途中で異常が発生するケースは必ず一定の確率であるはずです。
おそらく、そのような施設の管理者は、分娩経過中に何か異常が発生したら、すぐに緊急対応可能な近くの総合病院産科に患者さんを救急車で送りつけてしまえば万事OKと安易に考えているのだと思われます。しかし、救急車を受け入れる立場の総合病院の産科も、今は自分のところの患者さんの管理で手一杯の状況です。『ナチュラルバース志向で、何のリスクの説明もされていない、生命の重大な危機に陥っている妊婦さん』を受け入れる人的余裕など、はっきり言って全くないのが現状です。
あまりに無責任な診療を行っている施設で起こった事故の責任まで、我々が負うことはもはやできません。今後は、個人医院や助産院で、リスクの説明を全くしないで、緊急時の対策も全く考えずに分娩を取り扱い、分娩経過中に何か重大な異常が起こって総合病院産科に緊急搬送した場合には、その搬送元の医師なり助産師なりに診療の結果に対する応分の責任を負っていただくのが当然であると私は考えています。
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Asahi Shinbun Weekly AERA 2006.5.1-8, p.78
医療と司法
医療の現場に警察が介入することが多くなった。
医師を萎縮させ、外科医や産科医などが減少しかねない。
古川俊治
Furukawa Toshiharu
外科医・弁護士
1963年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学法科大学院・医学部助教授として医事法や消化器外科を担当する一方、TMI総合法律事務所に所属。2001年には、大学発ベンチャー「GBS研究所」の代表取締役に就任。
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医療現場への警察の介入が目立ちます。最近では、帝王切開を受けた女性が死亡した事故で福島県の産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の疑いで逮捕され、終末期の患者の人工呼吸器をはずした富山県の外科医の行為については、県警が殺人容疑も視野に入れて捜査を始めたといいます。
福島県の産婦人科医の場合、最初の事情聴取から1年もたってからの逮捕でした。海外逃亡や証拠隠滅の恐れがあるわけではないのに、なぜ逮捕が必要だったのでしょうか。一種の見せしめだたのか、と勘ぐりたくもなります。
手術などの治療には、最善を尽くしても不可避な危険性があります。福島県の産婦人科医の場合も、癒着胎盤など非常に難しい状態で、ほかの医師が担当したとしても、妊婦の死亡は防げなかった可能性が低くはありません。そんな治療で逮捕されるのなら、リスクの高い治療をしなければならない専門の医師は萎縮し、自己防衛として、危ない治療は断るようになるでしょう。
産科や外科、麻酔科、小児科などの医師は今でもすでに不足気味なのに、決定的に減少すると思います。この傾向は、研修医の後期研修の志望先にすでに表れており、産科や外科などを希望する研修医が激減し、リスクの低い科の希望者が増えています。
本来、リスクのある困難な治療を成功させ、病気やけがで命の危険にさらされた人たちを救うのが医師の喜びです。しかしこのままでは、若い医師たちにとっては、そんな治療で感動を覚えるのは昔話にすぎない、という状況になってしまうかもしれません。しかも国民の医療不信が高まり、医療費抑制で給料も低ければ、医師という職業に何の展望も開けず、閉塞感が強まる一方です。
医療事故への刑事介入は大きな問題です。犯罪捜査と責任追及を職務とする刑事司法が、学術的な専門知識を必要とする上に、医師や看護師の技量や患者さんの容体、病院の体制など、様々な要因を考慮しなければならない医療事故に対処することには無理があります。
薬の取り違えといった明らかなミスは別として、医療事故の大半は原因が複雑で、医師の責任の有無や治療の正誤について白黒をつけるのは難しいことが多いものです。ですから民事での慎重な審理がふさわしいのです。民事で医師が悪質であると判明した時には、業務停止や医師免許取り消しなどの行政処分で対応すればよいのです。米国などでは、刑事介入になることはめったにありません。
医療事故が刑事事件として扱われると、担当医も関係した医師や看護師も、長期間にわたって警察や検察に呼ばれ、取り調べを受けることになります。これは、多忙な業務の中での物理的な負担になるだけでなく、重い精神的負担となり、円滑なチーム医療の実施を妨げる原因にもなります。
福島県の逮捕は、業務上過失致死と医師法21条の異状死の届け出義務の違反に問われましたが、どちらも問題です。
「過失」を問うには、予見可能性と回避可能性があるという前提が必要ですが、福島県の事件の場合、そのどちらもなかった可能性があります。
また、今回のケースが本当に「異状死」に該当するのかどうかも疑問の余地があります。本来、警察に「異状死」の届け出が必要なのは、人の死亡を伴う重い犯罪の関連が疑われる場合です。医療事故に関しては、一般的には過失を自覚していなければなりません。福島県の産婦人科医の場合も不可避の合併症だという判断で、届け出なかったのだと思います。
医療の過程で患者さんが死亡した場合、どんな場合に警察署への届け出を要するのか? この問題は7年前の東京都立広尾病院の事件以来、大きな問題となっていますが、現在も明確な基準がありません。
数年前には日本外科学会や日本内科学会などの臨床医たちが、届け出るべき異状死、すなわち警察の捜査の対象となるような事故について「医療過誤の存在が強く疑われるか、過誤が明らかな場合に限るのが適切」という指針をまとめました。治療の合併症などは刑事事件として扱わず、民事の対象とすべきだとしたのです。これは、医療現場で日々、患者さんを治そうと取り組んでいる医師たちの多くが、治療に全力を尽くすために必要な環境だと考えたものでした。
さらに臨床医が当初から強く求めたのは、患者さん側からも医師側からも利用できる、すべての医療事故を審査できる専門家による第三者機関を創設することでした。しかし、財源が必要となるためか、厚生労働省は問題の解決に当たりませんでした。
その後、厚労省はようやく重い腰を上げ、昨年秋から、異状死を調べる第三者機関のモデル事業を全国6都道府県で始めました。しかし週末は休みだったり、5年間の限定付きであったり、これが恒常的な第三者機関の基盤になるとはいえません。政府は今こそ医療事故をきちんと調べる第三者機関の創設に真剣に取り組むべきです。そうしなければ、リスクを伴う治療を行おうという気概のある医師が日本からいなくなってしまう事態になりかねません。
聞き手・編集者 大岩ゆり