テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

廉価テレキャスと安アコギで遊んでみた

2022年04月17日 | 楽器
本日は雑用の合間を縫って色々と遊んでいるのだ

ギターを弾く時間は自分で創り出すものなのだ

この考え方にブレはないのだ

少しの工夫で時間など、どうにでもなるのだ

ギターは弾けば慣れるもの

弾かなければ、上手くはならない

私のように弾いていても上手くならない者もいる

ギターという趣味の振れ幅は大きいのだ

誰でも簡単に始められるがギターの楽しさを知ることが出来る人は一握り

読者の皆さんはギターの楽しさを実感しているだろうか?

ギターの楽しさは物欲では満たせない

自分がイメージした音を具現化できた瞬間だけに至福の時間が訪れる

これはすべての楽器にいえると思う

まぁ、スポーツでも何でも一緒だと思う

イメージどおりに体が追従できる快感は代え難い

という前置きはこの辺で・・

今回はアコギとエレキで遊んでみた



先程、アップしたアコギの音源に肉付けしてみた

構想3分の一発録りなのだ

ミスした部分は多目に見ていただきたい

何度か練習して練り直せばもっと良い作品になると思う

私の作曲はいつもこんな感じで始まるのだ

すべてを録った後でボツになることも多々ある

まぁ、何でも良いならば何でもありなのだ

試作音源ながらも少しは拘りを持っていたいと思う

今回は徹底して廉価なギターに拘りたい

2万円のテレキャス(改造費は除く)と1万円台のアコギ

このギターで何が出来るのか?

当たり前の話だがギターをコントロールするのは人間なのだ

それが楽器なのだ

値段が高いギターと安いギターの違いは何だろう?

一言で表現するならば伸び代なのだ

値段が高いギターは天井が高いのだ

ジャンプ力がある人を受け入れる

一方の安いギターはジャンプ力がある人にとっては天井が低い

すぐに頭を打ってしまうのだ

こんな喩えで伝わっているだろうか?

上手い人にとって値段が高いギターは良き相棒になる

下手な人にとってはオーバークオリティということになる

私が無理をして高いギターを買わない理由がそこにある

プロが愛用するようなギターは私には使いこなせない

私は変なところがストイックなのだ

拘りがあるのだ

いつの日かもっとギターが上手くなったなら検討してみたい

その前にストラトなどのフレットが磨り減ってしまう気がする

フレット交換をするか? ステップアップするか?

先のことは分からない

残念ながら私の周囲の人間はギターに冷めてしまっているのだ

辛うじてギターを持っているという感じなのだ

何故だろうか?

ギター熱が冷めてしまっているのだ

他に関心があるという感じでもないようだ

ギターの楽しさを他人に伝えるのは難しい

やはり、ここでもポイントになるのは『気付き』なのだ

ギターの活用方法も楽しさも自分自身で気付くしかないと思う

読者のみなさんはギターライフを満喫しているだろうか?

5月には待望のGWもやって来る

予定がない人にとっては辛い時期だと思う

私は遠出する予定こそないが遣りたい事や遣るべき事が山積しているのだ

いまから入念に計画を立てているところなのだ

まぁ、半分の時間は家族に引っ張り回されると思う

それでも何とかギターを弾く時間を確保したいと考えているのだ

余談だがレッリチが久しぶりにニューアルバムをリリースした

皆さんはお聴きになっただろうか?

賛否あるようだ

私は良く出来ていると思っているのだ

看板曲である『Black Summer』はかなりツボなのだ

弾き過ぎないフレーズにジョン・フルシアンテのセンスを感じてしまう

とにかくカッコいい曲なのだ

まだという方は是非ともお聴きいただきたい

私もチクチクとコピーに取り組んでいるところなのだ

とりあえず、コード進行を叩き込む予定なのだ

私のコピーはいつもこんな感じなのだ

何となくモヤーと始めて気づくとコピーが完了しているという感じなのだ

コピーにとって必要な物は『欲』なのだ

「まっ こんなもんじゃねぇ?」

では満足いくコピーは出来ないと思う

限られた時間の中で妥協点を見出すのも自分自身なのだ

実は趣味の世界ほど難しいものはない

ノルマや責任がないだけのグダグダになってしまうことも多い

ダラダラと続ける趣味くらい無駄なものはないと思う

ギターに飽きてしまう原因の多くは其処にあると思う

まぁ、どうでも良い話だが・・・

今回の曲の製作について少々・・・

使用機材は1万円台のアコギ、お馴染みの黒テレキャス

アコギの音は生音を直で録音した

マイクは使用していない

黒テレキャスはブラックスターのアンプで鳴らしてみた


クリーンから歪みまでカバー出来る範囲が広い

この手の小型アンプの歪みは総じて安っぽくなる事が多い


このアンプは違うのだ

同クラスの小型アンプと比較して頭ひとつ抜けている

エレキ弾きの多くはアコギを別扱いすることが多い

MTRなど録音&作曲できる環境があればボーダレスで扱える

今回の曲のようにアコギの音にエレキの音を重ねてみても楽しい

ベースも持っているならば、ひとりバンドも十分に可能なのだ

アコギをピックでガシガシと弾くだけでも楽しいと思う

「アコギって指弾きでしょ? 俺、苦手なんだよね~」

自分でアコギのハードルを上げる必要はないと思う

正直な話、アコギを指で弾けるようになると世界観が変わる

これは事実なのだ

アコギで鍛えた指先はエレキでは無敵なのだ

何時間弾いていても指が痛くなることがなくなるのだ

難点はパソコンのキーボードが滑ること、スマホの画面タッチの反応が悪くなることくらいだろうか?


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一万円の廉価アコギも侮れない

2022年04月17日 | 楽器
”ギターは値段ではない・・”

は当ブログの合い言葉なのだ

ギター弾きの勘違いを払拭したいと思っているのだ

「安いギターってダメじゃねぇ!?」

という言葉を良く耳にする

読者の皆さんも一度くらいは耳にしたことがあると思う

何がダメなのか?

その辺りがイマイチ明確ではない気がする

音が悪いのか?

弾き心地が悪いのか?

音程が悪いのか?

この辺りは実際に買って使ってみなければ分からない

実際のところ、この価格帯のギターを酷評している層の多くは自分で買って使っていないことが多い

何十年も前の遠い記憶と曖昧なイメージだけで無責任に語っているのだ

まぁ、その言葉をどのくらいの人が受け止めているか?は知らないが・・

正直な話、廉価ギターのファンとしてはあまり良い気はしていない

廉価ギターの何が良いのか?

答えはひとつ、コスパが良いのだ

感じ方はそれぞれあると思うが私の個人的な感想であり評価なのだ

特に近年の廉価ギターの品質向上は目覚ましいものがある

廉価ギターにもランクがあるのをご存じだろうか?

言葉は悪いがオモチャレベルのギターが存在するのも事実なのだ

まぁ、値段を考慮すれば仕方がないと思う

「安くて最高のギターをくださいな!」

こんな都合が良い話は転がってはいない

ギター選びは思うよりも難しい

ギターを良く知らないならば、良く知る人に任せた方が良い

自分の好みと予算を伝えるということで良いと思う

プロである楽器店に一任するのが正解なのだ

「俺の友達じゃダメかな?」

まぁ、止めておいた方が良いと思う

結果として予算オーバー必至なのだ

仮に予算内に収めたとしてギターが不仲の原因になる

「お前が勧めたギターって最悪じゃね?」

「金損したわ どうしてくれんだよ~」

まぁ、言葉にしなくても心で思うかもしれない

ギターはそう簡単ではない

何十年、何十本もギターを経験しているにも関わらず進歩しない人も多い

練習を重ねれば誰でも上手くなれるわけではない

練習しないよりは少しはマシなのだ

楽器というものが自分に向いているか?

読者の皆さんは如何だろうか?

ひとつの目安がある

ご自分の手をご覧いただきたい

どんな指をしているだろうか?

グローブのようなようなゴツい手の人はギターに向かない

指が短い人も残念ながらギターに向かない

弾けないということはないが・・・

ギターに向いていない

性格という要素も重要なのだ

飽きっぽい性格の人もギターに向かない

結果を早く求めてしまうのだ

「何で俺って上手くなんね~の?」

トータルでどのくらい練習したのだろうか?

ギターの練習は勉強と同じ

時間と比例しない

重要なことは内容と効率なのだ

上手い人は練習のコツを知っている

私が若い頃はあまり勉強が出来ない人がギターを好んだ

消去法的なギターの入り方なのだ

「俺ってスポーツも勉強もダメ」

「顔も悪いし背も低いしさダメ男」

頼みの綱はギターなのだ

実際のところ、ギターが少し弾けるだけで女子にモテる時代があった

若い読者の皆さんも諸先輩に訊いてみていただきたい

「あぁ モテたよ 良い時代だったなぁ・・」

遠くを見つめて感慨に耽ると思う

かくいう私にもそんな夢のような時代があったのだ

ライバルが少なかったことも良かったと思う

私が何となくギターに良いイメージを抱く理由の一つなのだ

ちなみに現在は邪念や雑念など皆無なのだ

純粋にギターの弾き心地と音色に癒やされているのだ

萌えるという表現でも良いと思う

ギターは星の数ほどある

必ず、自分に合ったギターがあるのだ

自分の好みに合ったギターではない

自分の適性に合ったギターという意味なのだ

好みだけでギターを選ぶ人は上手くならない

場合によると上達の過程で嫌になってしまうことも多い

私の知り合いで手が小さい人がいる

無理してネックが太いレスポールを買ったのだ

数年を待たずしてネックを薄く削ってしまった

削って再塗装という流れになる

カスタムショップ製のレスポールなのだ

「一生使うから問題ないぜ」

実際のところ、ギターの価値は下がってしまう

まぁ、ペイジ師匠もネックを薄く削っているのだ

薄いネックだからこその名演でもあった気がする

プロと素人を比べるのはナンセンスだが・・

ギターに求めるものという意味では参考になると思う

欧米のギターは弾き手を選ぶ

ストラトなども体格が小さい人には一回り大きいと思う

体が小さい女子が抱えていると違和感をおぼえる

他に選ぶべきギターがあるような気がする

自分に合うギターを自分自身で決められれば一人前だと思う

意外に難しいものなのだ

ギター命という人もいるだろうがもっと肩の力を抜いた方が良い

ギターという楽器をもっと気楽に考えれば楽になれる

根拠もなくやたらと値段が高いギターを欲する人がいる

所謂、イメージ先行型なのだ

最近の若い世代にはそういう人はいない

時代を感じてしまう

私も年代的にはそんな時代を通過してきた

値段が高い物は良い物・・

海外の製品は良い物が多い・・

根拠はない

あくまでもイメージなのだ

振り返れば、ギターを始めた中学時代のイメージが強い

楽器店で海外製のギターに近づくだけで店員さんに睨まれた時代

乾燥防止の為に水が入ったコップが傍らに置かれていた

今思えば笑えるエピソードなのだ

素人が外国製のギターなど弾いていない時代

弾いていたのかもしれないが私に知り合いには皆無だった

そもそも情報も希薄な時代だった

時代も変わったのだ

特に楽器に関しては形状こそ何も変わっていないように感じられるがすべてが変わった

特に感じるのは工作技術の劇的な向上だと思う

特にフレットの打ち込みを含むネックの品質は劇的に向上した

廉価なギターほど、ライン生産の工程が増える

雑な手作業ならば、高度な機械での生産の方がマシだと思える

機械で作られるギターには品質にムラとムダがない

最終的な仕上げやチェックは人間が行うのだと思うが・・

まぁ、廉価のギターは良く出来ている

「安いギターのフレットって端がチクチクしてるよね」

私はそんなギターに出会ったことがない

むしろ、中間くらいの価格の某メーカーのギターにそんな個体があった

フレットの端をヤスリで丸めた記憶がある

「ロック向きのギターって弦落ちしないように尖っているんですよ」

楽器店の店員さんが苦しい言い訳をしていたことを思い出す

フレットのチクチクは目の中にまつ毛が入るような感じに近い

とても気になる

演奏に集中できるレベルではない

そもそもギター好きは性格が細かい人が多い

性格が大らかで大雑把な人はギターを趣味にしない

間違ってギターの世界に足を踏み入れても秒で退去してしまう

「俺 ギターって向いてね~わ」

私の弟がそんな性格なのだ

頑張ってCとAとDのコードは覚えたがFで挫折した

今では大型バイクとブリブリと乗り回す雑な中年オヤジになっている

私とは真逆な性格であり生き方なのだ

同じ血が流れているとは思えない

親からも良く言われるのだ

人間は環境が作るものなのだと痛感させられる

同じくギター弾きも環境が作り出すものだと思う

幸運にも良い仲間に恵まれた人はギターの楽しさを知り上手くなる

不運にも良くない仲間と遭遇すれば、無駄な知識を蓄えるだけ

「おっさんになったらよ 高いギター買えよ」

「大人買いじゃね? 安物ってダサくねぇ!?」

こんな環境から繊細な音や音楽が生まれると想像し難い

ギターとは細い糸を紡ぐような繊細な作業の積み重ねなのだ

読者のみなさんも徹底的に細かい部分に拘っていただきたい

ギターは拘るほどに楽しくなってくる

悩むほどにやる気が増してくるのだ

私はギターの値段が安いほどに燃えてくるのだ

「安いギターでもカッコいい音が出るんだよね」

何故だか私のツボはそこなのだ

そこそこ値段が良いギターから良い音が出ることは当たり前なのだ

頑張って練習した成果の半分はギターに持っていかれる

如何だろうか?

「そのギターって高いんだろ? 音がいいに決まってるよ」

ギターを良く知らない人の浅い会話なのだ

私の知り合いにもそんな人がチラホラいる

どちらかといえば、コレクターよりはプレイヤー寄りに思える

「これってカスタムショップの限定品なんだよね」

「このギターって数量限定な激レアモデルなんだよ」

私とは何かが違うと感じてしまう

私は話半分で耳を傾けているのだ

おそらく話の半分も入っていない

『このギターを格安で売ってくれないかな?』

心の中でそんなことを思っているのだ

「ギター持て余しているんじゃないですか?」

「良かったら不要なギターを引き受けましょうか?」

微妙にジャブをかましてみるのだ

このようなケースでは毎度微妙な空気になってしまう

共通点はギターを弾いて(持って)いるだけなのだ

まぁ、人生いろいろなのだ

という前置きはこの辺で・・・

今回は1万円台の廉価アコギなのだ

サウンドハウスで買ったのだ

当然ながら現物を見ないでの購入になる

レビューが参考になった

多くは期待しないのだ

それが廉価ギター購入のお約束なのだ

想像よりも良ければ儲けものという大らかな気持ちが大事



ペグは少し動きが硬いが特に問題はない

最近では馴染んできたのだ

意外にもチューニングは安定しているのだ


当初は交換も考えていただが値段との兼ね合いで止めたのだ

指板に関しては大改造を行った

インレイの除去と指板の塗り替え(白髪染め)




 
12フレットジョイントと相まってオールドな雰囲気を醸し出している

サドルは一回だけ作り替えたのだ

もっと弦高を上げたかったのだ

初心者に向けて低めに調整されている事が多い

エレキの場合には工具一発だがアコギでは作り替えになる


チープな音だがとても鳴りが良い

アコギは箱のサイズなのだ


大きな音量が欲しければ大きなボディを選ぶしかない

大きなボディは音量は大きいが弾き難い

そもそもボディの正面が自分で見えない

右腕も痛くなってくる

音色も繊細さが失われ低音成分が増してくる

そんな音が好みの人にとっては良い

私のようなブルース好きの場合には可能な限り小さくチープなギターを望む

ブルースという音楽のルーツを辿ればそこに落ち着くのだ

当時はギターの弦なども簡単には替えられなかったと思う

そもそも、弦の素材も粗悪だったと想像できる

その辺りのチープな感じを現代のギターで再現したい

高級とは無縁の世界観なのだ

目を閉じてアコギを弾いていると別の世界にトリップしてしまう

何故だかギターを始めた頃のシーンが頭に浮かんでくる

次には先人のブルースマンの思いやそれに影響を受けたジミヘンなどが浮かんでくる

会ったことはないがとても身近な存在に感じられるのだ

アコギの世界は不思議なのだ

右指でビリつく限界まで強く弾き、左指で微妙にチョーキングを加える

音程が微妙にズレる限界まで攻める

まさにブルースの醍醐味なのだ

下手な演奏ながらも自分の音に酔えるのだ

電気を介したエレキではこの感覚は味わえない

「なんかブルースばっかしだね~」

という声も聞こえてきそうなので異なる雰囲気の曲も弾いてみた

ちなみにすべてアドリブなのだ

誰のコピーというわけではない

アドリブとはそういうものなのだ

今まで聴いてきた音楽や弾いた音楽がすべて指と脳に宿っているのだ

好きな音楽やギタリストの演奏に無意識に似てしまう

それはギター弾きとして好ましいことなのだ

良い意味でのマンネリはギター弾きにとっての勲章なのだ

「何を弾いても同じに聞こえるね」

私が尊敬するレイヴォーンも永遠のマンネリなのだ

それで良いのだ

ブルースに人生を賭けた男の音は重い

何でも良いのだ

特化したプレイが出来るギター弾きになるべきだと思う

何でも屋は結局、何にもなれないで終わる

ギターを一生の趣味だと決めたならばそれなりの覚悟で取り組むべきだと思う

私はそんな気持ちでギターと向き合っているのだ


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純度100%のギターブログ

2022年04月17日 | 楽器
昨日は久しぶりに投稿できて良かったと思う

良かったというよりは気持ちが晴れ晴れしたという感じに近い

自分の都合で投稿できない日々に少しだけ悶々とすることがあるのだ

遅い時間に帰宅して入浴と食事をして寝るだけという時も少なくない

まぁ、そんな日々でもギターのチェックだけは怠らないが・・

時に人間は少し乾いた方が良いと感じることがある

ギターに枯渇(飢える)した状態が良いと感じることがある

とにかくギターが弾きたくて悶々としている状態なのだ

読者のみなさんは日々どんな感じでギターと接しているだろうか?

「なんか暇だなぁ だけど何か弾く気が起きないんだよね」

「練習? なんか面倒臭いんだよね なんかダルくなってきた」

こんな感じだろうか?

こういう人は自分が悪いのではない

タイミングが合っていないだけなのだ

「俺ってギターに向いてないんじゃないかな?」

と決めつけるのも早計だと思う

ギター以外に興味の対象がないならば、暫定的にギターを趣味にしているのも悪くないと思う

特に無駄遣いしなければ、ギターほどコスパが良い趣味はないのだ

極端な話、ギター本体を買ってしまえばあとは弾くだけなのだ


あとはアンプを買うだけ


ギターの初心者がお試しで買うならばこんな組み合わせで十分だと思う

初心者には廉価な楽器で十分だと思う

ギターに挫折した出戻り組も廉価な楽器から再スタートすることをお勧めしたい

「上手くなったら良いギターに買い換えるだろ?」

という声を良く耳にするが・・・

上手くなったと感じるまでには相当な時間がかかるのだ

読者のみなさんもご存じのようにある程度弾ける技術があるならば廉価なギターでも十分に音楽を楽しめる


私は声を大にして言いたいのだ

とにかく、楽器を手にすることが大事なのだ


「安物って音とか悪くね?」

正直な話、音の差を感じられる人の方が少ない

ギターは値段よりも腕前なのだ

これに尽きると思う

下手な人が弾く高価なギターよりも上手い人が弾く安物ギターの方が良い音がする

私はそれを信じて日々練習しているのだ

まぁ、私の場合には練習という意識は皆無だが・・

とにかく、気持ちと指が欲しているのだ

我ながら中毒指数は相当に高いと感じる

外弾き用にサブのギターを用意する発想が中毒なのだ

エレキの場合には黒テレキャス、アコギは1万円アコギなのだ

ベースに凝っていた時期にはサブベースを用意していた

今はベース熱も薄れたのでメインのベースが一本なのだ

難しいものがある

人間は体がひとつなのだ

ベースに夢中になれば、ギターを弾く時間が無くなってしまう

ウクレレも同様なのだ

同時進行は物理的に無理なのだ

まぁ、朝から晩まで楽器三昧が可能な人ならば大丈夫だろうか・・

貧乏な私は働かなければ生きていけないのだ

人生の優先順位なのだ

優先順位といえば、当ブログも日々の生活の中ではかなり高い地位に位置する

私の気持ちの中では大切に思っているのだ

何でも良い日記ならば、毎日更新も可能なのだ

「今日も仕事が忙しかったけど、風呂入ってから少し弾いたよ」

「やっぱしさギターは楽しいよねぇ 癒やされるよ おやすみzzz」

というブログを誰が求めているだろうか?

私は常に読み手をイメージして書いているのだ

私の記事がすべてのギター弾きに有用であるか?は分からない

まぁ、不要だと感じる人は再訪はないと思う

ネットの世界くらい厳しいものはない

良くも悪くも縛りがないのだ

好きな時にに好きなものを選べる自由があるのだ

以前にも少し書いたと記憶しているが・・・

最近は読みたいと感じるギターブログが皆無なのだ

10年くらい前には結構あったように思う

私も読者の皆さんと同じようにお気に入りに登録して更新を心待ちにしていた

そんなブログも一つ消え・・二つ消えという感じで消滅した

消滅した原因は良く分からない

色々な意味で気持ちが萎えてしまったのだと思う

「こんなに頑張って書いてるのに読者数も伸びないなぁ」

書き手のひとりとしてこの気持ちは理解できる

ある意味で私は恵まれていると思う

日々、1,000人を超える安定した読者数を獲得できているのだ

現在は以前のように2,000人に到達することはないが・・

むしろ、良いと感じているのだ

読者層がより濃厚になったと解釈しているのだ

言葉は悪いが・・

当ブログはギターを理解していない超初心者層をターゲットにしていない

「なんだこれ? コイツが言ってるの良く分かんないわ」

という事になると思う

私はギターが好きだが出口が見つからないような中級者層を意識しているのだ

実際のところ、私にもそんな時期があった

ギターを楽しいと感じれないくらい辛く虚しいことはない

ギターには段階的な喜びがあると思う

第一段階は購入前なのだ

どんなギターを買うか? ドキドキワクワクしている時期

第二段階は待望のギターを買った時

特にステップアップしたギターを買った時の興奮は忘れられない

第三段階はそんなギターで理想の音が出せた時

理想の音という解釈も難しい

どの辺りを理想とするか?

は各々で違ってくると思う

アンプにギターを突っ込んで音が出ればそれで良いという人もいると思う

それならば、話は簡単なのだ

自称中級者だと自覚する人には意識レベルを高く持って欲しいと願う

「初心者と俺って何が違うんだ?」

この部分が明確にならない限りは一歩も前に進めない

ギター弾きとしての価値と活路が見いだせない

逆にそれに気づいた時の爆発力は想像以上のものがある

当ブログに何回も登場するワードだが『気付き』は大事なのだ

ギターを趣味にする人はもっと多くのことに気づくべき

「気付きって何? 良く分からないけど・・?」

そういう人は分からなくて良いと思う

他人に背中を押されて弾くものではない

趣味の世界とはそういうものなのだ

唯一そいう存在があるならば、それは自分自身なのだ

私は何かに気づいた瞬間からギターがより好きになった

好きになれば上手くなるのだ

”好きこそものの上手なれ・・”

嫌々弾いているギター

義務のような感じで弾いているギター

そこに向上心も未来も見えない

「趣味のギターで義務って何?」

希に屈折したタイプのギター弾きもいるのだ

私の知り合いにもそんな人がいる

「なんか趣味とかしね~とな」

「でも何も浮かばね~んだよな」

「まっギター持ってるしよぉ」

「ギター趣味で確定だな!」

読者の皆さんは如何だろうか?

消去法で残されたギターくらい悲しい存在はない

「ギターって金かかんね~しよ」

「マジでさコスパとか良くね?」 

という理由でギターを嫌々続けている人も多いと思う

そういう人が期待することがある

「ギターを買い換えれば上手くなるんじゃね?」

答えはNOなのだ

手持ちのギターが使いこなせない人は何を弾いても同じ

値段だけをステップアップしても意味はない

「俺のそろそろ本物のレスポールかな?」

物欲を満たす目的ならば止めないが・・

技術の向上を目指しているならば冷静になるべき

ネックの形状など手持ちのギターの方が何倍も弾き易いはず

これは私の経験に基づく話なのだ

購入しやすい楽器ほど弾きやすいものなのだ

これに関しては間違いない

ギターはそのように設計されているのだ


「テレキャスはやっぱし三連だよね」


と分かったことを言う人に限って微妙なのだ

ギターを道具として考えれば6連サドルが良い

ギターやパーツを機能という視点で感じられるようになれば良いと思う

ブランドや値段などどうでも良く感じられるようになってくる

世にはギターブログが溢れているが・・・

良質なブログは数少ない

というか私のツボにハマるブログは皆無なのだ

読者のみなさんは如何だろうか?

そんなブログが集うようなサイトを訪れてみていただきたい

読者の皆さんのツボにハマるブログがあれば幸いだと思う

書き手の人も大変だと思う

「ネタがないんだよな・・」

これが本音だと思う

普通にギターを弾いていて何かが起きることの方が少ない

それを記事に起こすことは難儀だと思う

お察ししてしまう

以前はYouTubeなどでも『買ってみた~』動画が多かった

最近では皆無なのだ

まぁ、色々と難しい部分も多いのだと思う

「今回はこんな機材を買ってみたんだよね」

「えっと・・箱が結構デカいね 中身はこんなw」

「まだ弾いてないんだよね 時間が無くてさぁ」

「あれ? まだ開封してない箱が一杯あるわ汗」

何だかみてるだけで苦笑してしまう

楽器はスルメイカのようなもの

噛んでいるうちに味が出てくるのだ

そもそも買ったばかりのギターの良さをすぐに伝えることに無理がある

当時は便乗動画も横行していた

困ったことにギターが弾けない人がギターを買って紹介しているのだ

「なんか人気あるみたいだねこのギター」

「やっと到着したんだよ キレイなボディな」

「キラキラしててさ カッコいいわ ピカピカな」

「あっ 俺、弾けないよ へへへ 練習するかな」

「今日は時間ないんでさ また今度ってことでね」

こんな動画に誰が期待するのだろうか?

色々な意味で微妙に感じられた

良くも悪くも微妙なものは淘汰されるのだ

ネットの世界で生き残ることは厳しいのだ

生き残る為には何が必要なのか?

ポリシーと差別化だと思う

私の場合には純度100%の楽器ブログを目指しているのだ

この際、内容はどうでもよいのだ

素人の私が思いつきで書いているのだ

多くは期待しないでいただきたい

いずれにしても楽器に関することを発信することを心がけている

まぁ、私の日々の生活に興味がある読者など皆無だと思う

差別化という部分に関しても楽器に特化することで活きていると思う

軽く見渡しても楽器だけに関して書いているブログは少ない

私の探し方が悪いのだろうか?

楽器のことだけを書くとなれば、ネタが枯渇するのは当然

「何か投稿したいけど・・ 特に書くこともないや」

投稿頻度が下がれば読者も定着しない

それならばとダラダラ投稿を続ければ良いのか?

これも微妙なのだ

今時の読者は賢明で鋭いのだ

内容がスカスカのブログなど簡単に見破ってしまう

読者の目は侮れない

私は常に緊張しながらが記事を書いているのだ

差別化という意味では私には『音』という武器がある

ギターを弾いているだ

音をお届けするのは当然だと思う

音がないギターブログの多くは何を目指しているのだろうか?

ひとりの読み手として不思議に感じることがある

まぁ、色々と考えると難しい部分も多い

最後に一言・・・

私はギターの楽しさをもっと多くの人に届けたいだけなのだ

そのひとつの方法としてこのブログを開設したのだ

読者のみなさんに私の熱量が伝わっているだろうか?😉 




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