いよいよ年末の最終週に突入したのだ
若い読者の皆さんは年末年始の前にクリスマスだろうか?
私も若い頃の『甘い記憶』が蘇る・・
人生に
”無駄な時間・・”
など無い
過ごした時間や経験は必ず活きてくる
それを感じられない人、それを活かせない人は自分に非があると思う必要がある
ギターにもいえるような気がする
日々の練習は必ず活きてくる
日頃、聴いている音楽からも多大な影響を受けている
私の知り合いに『偏食』なギター弾きがいるのだ
行きつけの楽器店の常連客なのだ
『スケールおじさん』と呼ばれているのだ
最近は本人も薄々気づいているようだ
「レスポール以外はギターじゃね~わ」
「やっぱし80年代のハードロックだわ」
「アコギとかまったく興味ね~なマジで」
「やっぱし基本はスケール練習じゃね!?」
スケールおじさんの名言集は多々あるが・・
これだけでもおじさんの好みの音楽スタイルが容易に想像できる
他人の好みに横槍を入れる必要はない
まさに余計なお世話なのだ
しかしながら、レスポールの使い方としては物足りない
枯れた音で奏でるブルースもレスポールの美味しい部分なのだ
「えっ? ブルースとか興味ね~わ」
「やっぱし、男はRockじゃねぇ!?」
こういう人には何を言っても無駄なのだ
若い読者の皆さんには常に『柔軟』であってほしいと願う
スポンジのような脳で色々なものを吸収していただきたい
という前置きはこの辺で・・
ギターキャリアの後期に『クラシックギター』と出会えた事を嬉しく思う
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過去にブログでお話したことがあるが・・・
私が最初に触れたギターは家にあったクラシックギターだった
気づけば、床に転がっていたのだ
小学生の頃だったと記憶している
ネックの幅が広かったのか?
すべての弦が張ってあったのか?
詳細は記憶にない
中学生になり、このギターでコードの練習をした記憶がある
チューナーなどない時代
音叉という金属棒を買ったのだ
この汚いギターが無かったならば、今日の私は存在していない
周囲にギターを弾く友人がチラホラといたことも大きいと思う
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それから数十年の時を経て、再びクラシックギターに出逢った
ギターを譲ってくれた知人に感謝なのだ
クラシックギターもピンキリなのだ
下は1万円台から上は数十万円クラスまでラインナップしているようだ
入りとしてどの程度が良いのか?
賛否両論・・
色々な意見があるようだ
「初心者は安いギターでいいのよ」
「先を考えれば良いギター買った方いい」
私はどちらかといえば、後者に賛成なのだ
可能な限り良いギターを買った方がよい気がする
高価=良いギターではないのも難しい部分・・
『精度』という言葉はあまり好きではないが・・
”精度が良いギター”
というのを選択の基準にしても良いと思う
やはり、日本製に勝るものはない
パソコンや家電も海外のブランドに押され気味なのだ
日本製は『価格競争』では勝てない
これは根本的な問題であり物理的な事実でもある
楽器・・
特にギターに限って言うならば、日本製はトップクラスなのだ
とにかく間違いがない
私が譲り受けたギターも数少ない国内生産のギターなのだ
手にとって感じる第一印象は『ピッチの良さ』なのだ
ローポジはもちろんハイポジに至るまで音程が良いのだ
すでにエレキやアコギを弾いてきた私の耳と指の感覚は確かなのだ
クラシックギターは初心者だが・・
ギターに関してはベテランの領域なのだ
平成生まれの読者の皆さんが生まれる前からギターを弾いているのだ
まぁ、諸事情から15年くらいのブランクはあるが・・
そういうことなのだ
特に近年は自ら作曲をするようになりさらに耳が肥えたのだ
公に発信するという責任感だろうか?
感覚が研ぎ澄まされているのだ
私は当ブログの読者の皆さんに感謝しているのだ
読者の皆さんに育てられた気がしている
他のプレイヤーやブロガーは知らないが・・
私は気分屋でお天気屋なのだ
気分が乗れば、能力以上のパフォーマンスを発揮できる
一方、気分が乗らない時にはまったく集中力が発揮できない
多くの読者に背中を押されているという実感が私の原動力になっているのだ
練習する励みにもなっているのだ
発表する場があるという幸せを感じているのだ
生身の人間を目の前に演奏するライブも良いと思うが・・
私にはジックリと練り、腰を据えるネット配信が向いている
ダラダラと発信する長文も音源とセットだと捉えていただきたい
話をクラシックギターに戻そう・・
ご存じのようにクラシックギターはギターの原点なのだ
ギターの歴史(エレキ誕生など)については別の機会に・・・
youtubeなどでもクラシックの演奏ばかり検索しているのだ
昨日は『クラシックギターの弦交換』という動画をチェックしていた
微妙に異なるようだ
勉強になる
分からないことは先人や先輩に学ぶなのだ
極端な話・・
ギターが上手い人の話を聞いていれば間違いない
楽器の世界は結果がすべてなのだ
「あのね~ 値段高いけどいい弦だよ」
という件を良く見かけるが・・
その弦の良さが伝わってこない
そもそも、それをジャッジしている人のレベルが分からないからなのだ
「この人のギターって好きだなぁ・・」
「僕もこんな音が出したいなぁ・・」
という場合にはすべて乗ってしまうのだ
私が初心者ならば、迷わずそんな方法を取り入れる
クラシックギターを調べていくうちに重要人物に行き当たった
『フェルナンド・ソル』という人なのだ
youtubeなどで検索してみていただきたい
ギター界のベートーベンと言われていたそうだ
ギターを世に広めた最も偉大な作曲家(ギタリスト)の一人だと言われている
マイナー調の曲が泣けてくるのだ
心に沁みるのだ
もはや耳コピの限界を超えているのだ
近々に素直に教則本を購入することにしたのだ
久しぶりの教則本購入に少々興奮しているのだ
学ぶ・・
という事に飢えているのだ
初心にかえってギターと向き合うのも良いと思う
新年に気持ちをリセットしたい
「クラシックギターが上手くなりたい」
これが目標なのだ
天才ランディ・ローズも愛したクラシックギター・・
昨日の音源のように道具としてクラシックギターを使うことも楽しいが・・
逃げであり、邪道である
生粋のクラシックファンからは白い眼で見られてしまう
やはり、何事も基本が大事なのだ
クラシックの曲が弾けるからこそのプログレなのだ
「鉄弦って指が痛くなるからナイロン弦がお勧めだよ」
これは音楽的にはかなりレベルが低い提案なのだ
スポーツでも何でも傷みや苦痛が伴う
加えて、絶え間ない努力も必要なのだ
痛いのヤダ、努力もヤダぁ~でギターは上手くならない
世の中はそんなに甘くない
趣味のギターを侮ってはダメなのだ
努力の成果はある日、突然に訪れる
『上達の急カーブ』と私は命名しているのだ
自称ベテランでもこのカーブを体感出来る人は少ない
理由はセンスと才能なのだ
時間軸だけではない要素も関係しているのだ
読者の皆さんが自身を『センス有り』と評するならば
飽きることなくギター道を突き詰めていただきたい
基本は自分の能力を信じることなのだ
二つ目は先人の声に耳を傾けることだといえる
一方が欠落している人は頭打ちになる
私の周囲には良いサンプル?が多い
前出の『スケールおじさん』もそんな一例なのだ
「俺が世界の中心だ! 俺って最高だぜ~!」
というタイプなのだ
まぁ、私にも似たような部分はあるが・・
大きな違いがある
私は他人の声に耳を傾ける事が出来る点にある
同時に感謝が出来るのだ
読者であり、ギターを譲ってくれた知人であり
志を同じくする音楽仲間なのだ
それ故にまだ、吸収できるのだ
柔らかいスポンジとは言い難い部分もあるが・・
日々、進化し変化し続けている実感がある
来年の半ばにはかなりの難曲を自在に弾きこなしている自分の画は目に浮かんでいる
ハードケースのギターを入れて、
見知らぬ外国の土地でギターを弾いている初老の自分が目に浮かぶ・・
読者の皆さんがギターに何を求めているかは分からないが・・
目標を持つことをお勧めしたい
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