五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

蓮華の上の宝珠

2007年05月23日 | 第9章 愛
大きな水鉢に泥を入れて、めだかを飼っています。元気良く泳いでいるめだかを見ることが、なんとなく楽しい季節です。

今朝出掛けに、その水鉢に睡蓮の花が咲いているのを発見しました。

突然頂いた朝のプレゼント。

蓮の葉っぱは水を弾き、泥の中から生まれた花とは思えない鮮やかな紫色。

「ああ、蓮華の上の宝珠よ・・・」
ふと、マニ筒を回しながら唱えるチベット仏教の「唱え」がよぎりました。

姿勢を正して、呼吸を整えることは、祈りと同じ体感があるようです。
祈りは呼吸そのもののようにも思います。
蓮華の上の宝珠は、滴のこと。

葉っぱの上でころころと走る「滴」は、丸くてしっかりしています。
初夏の日差しを受け、光を放ちます。
でも、葉っぱから転がってしまえば、また泥水に戻るのです。

滴は宝にもなれば、ただの泥水にもなります。

宝珠の可能性を信じなくては、宝珠にすることはできません。
泥水に咲いた蓮華草。
明日も早起きして、光を感じる宝珠に出合えますよう・・・。

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再会

2007年04月22日 | 第9章 愛
この3日間で私は二人の人と再会しました。

一人は高校時代の親友でもあり、同じく美術の道を歩んだ人。
彼女は、ロンドンに住んで20年以上になります。

そしてもう一人は、ほぼ2年ぶりにブラジルから一時帰国した私にとって兄のような宣教者。

私を含めた3人の共通点は、互いに育った「横浜」という場所です。

長年じんわりと気になっていた親友のの安否。彼女からの突然の電話は、長年心の中で溜めていたわだかまりのようなものが、すーっと、抜けたような感覚になりました。
3年前に自ら命を絶った友人に、「ほら、生きていると こんな、良いことがあるよ」と空に向って呼びかけました。「生き抜くことは、生易しいものではない」、確かにそう思うのですが、毎日、毎日、「今日を生き抜いたよ。悔い無いよ。」そうやって自分自身を確かめていくと、ある日、素敵なプレゼントが自分の手元にやってくるのです。
信じる自分に与えられたかけがえの無いものです。

そして、今日、山手で再会した「兄」、言葉は殆ど交わすことはできませんでした。
言葉が出ませんした。
でも、私に差し出してきた手で、握手のコミュニケーション。
2年間の生活が手に取るようにわかりました。
生き抜いている「手」。
ちょっと冷たく、脂肪と水分の抜けたカサカサの手は、いつまでも擦っていたくなるものでした。

山手から元町に下っていくと、商店街は人が行き交い、その雑踏の中で、右手の感触を確かめながら、制服を着て歩いていたこの街を急に懐かしく感じ、「生きている」自分をほんとうに大切にしたいと思うのでした。

生きていると、こんな良いことがあるよ。

天国にいる友人に捧げます。

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感情は川の流れのよう

2007年03月05日 | 第9章 愛
16歳の頃、三島由紀夫の「花ざかりの森」を読みました。
偶然ではありますが、この「花ざかりの森」は三島由紀夫が16歳の頃に書いたものだと記憶しています。
私は、短編小説を読んだときにふと、「いつか私も自分の幼い頃に経験したことを書き綴る機会を得るだろう」という思いが頭によぎったのです。
その機会が訪れたら、必ずこの「花ざかりの森」の一節、「憧れとは川のようなものである」を引用しよう、と心に決めていました。

そのころ、インターネットなどという便利なものはなく、ラジオを聞き、好きな音楽を聴き、本を読み、想像を巡らせて自分の好きな世界を楽しんでいました。
こんなに簡単に自分の想いを綴り、不特定多数の人々に発信するなどという時代になるとは思ってもみませんでした。

この「憧れとは川のようなものである」というくだりが、未熟ではあっても、それなりに色々な経験を積み、子育てと共にカリタス カウンセリングの学びに出合った私にピタリと繋がったのです。

日々起る出来事、そして、朝目が覚めてから眠りにつくまでの時間、私たちは様々な感情で暮らしています。毎日同じ太陽を見ても、空を見ても昨日とは違った心の風景に出合います。
私が見ている川は、数分前に見た川とは違うのです。川という風景は同じでも流れている水は違う。。。その上、気分だけでなく、解釈によっても違ってくるのです。

川は身体。
流れる水は、感情。

他人の心は変えられませんが、自分はいかようにもなります。これは、そのことに気付いた人にだけ与えられる贈り物のように思います。

五感を磨き、身体で感じる本音の体感を大切にしながら、益々学びを深めてゆきたいと思います。

このブログを読んでくださる方々、そして講座で 長年学びを共にしているメンバー、そして四月から新しく加わるメンバーの方々と一層学び深めることができたら幸いです。

この繋がりを大切に、もっともっと心の風景を顕わにしていきたいものです。


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