今から30年前の1993年7月3日、メキシコのヌエボ・ラレドで行われた試合結果です。
WBCストロー級戦(現ミニマム級):
王者リカルド ロペス(メキシコ)TKO2回2分45秒 挑戦者サマン ソーチャトロン(タイ)
*最軽量級の帝王ロペスの7度目の防衛戦の相手として選ばれたのは、タイの強打者サマン。サマンは決して弱い選手ではありません。弱いどころかこの試合が行われた僅か2年後に、米国カリフォルニア州のリングで、当時IBFとWBCの2つのライトフライ級の2つのベルトを保持していたウンベルト ゴンザレス(メキシコ)を大番狂わせのTKOで下し、世界中を驚かせた選手です。しかもサマンはその後、WBC王座の10連続防衛に成功した1990年代半ばの軽量級を代表する選手の一人に成長していった実力者でした。そんなサマンを、ロペスは完璧というか、ロペスからすると普段通りのボクシングを披露し、あっさりと一蹴してしまいました。
(30年前に行われたロペスの7度目の防衛戦、対サマン ソーチャトロン戦)/ Photo: Youtube
2023年現在に振り返ってみると、軽量級を代表する二人の選手が対戦した大一番のように思われるかもしれませんが、1993年の夏の時点でのロペスの名声は母国メキシコとアジア圏に知れ渡っていたのみ。サマンに関して言えば、タイの国外ではまったくの無名選手でした。
そんな東南アジアの刺客を相手に、ロペスは会心のボクシングを披露しました。試合開始のゴングと同時に、まず明らかとなったのがロペスとサマンのスピードの差。突貫小僧サマンは、その強打を当てようと王者に迫りますが、ロペスの軽快なフットワークにまったく追いつくことが出来ず。加えてロペスの方がリーチが長く、パンチの距離が長いため、タイ人が前進してもロペスのパンチを貰うのみ。両者のパンチのスピードも歴然としており、サマンが一発放つ間にロペスはより的確なパンチを二発撃ちこんできました。
初回終了間際にこの試合初のダウンを奪ったロペス。メキシカンが放った教科書通りの左ジャブからの右ストレートを貰ったサマンは、もんどり打ってリングに転がってしまいました。ストップの早いレフィリーだったら、ここで試合を止めていたでしょう。
(ロペスのトレンドマークともいえる高いガード)/ Photo: Youtube
続く2回、サマンも頑張りを見せましたが、ロペスはいよいよギアを加速させていきます。放つパンチは一発で終わらず、ワン・ツー・スリー・フォーと常にコンビネーション。2回後半、左ジャブ、右ストレート、左アッパー、最後は左フックという芸術的なコンビネーションで2度目のダウンを奪ったロペス。その後もう一度同じ連打で3度目のダウンを奪い、試合を終わらせてしまいました。
この年の1月末に韓国で行った6度目の防衛戦では、ロペスからすると少々もたついた末にTKO勝利を収めていました。しかし母国に戻り、再びいつも通りの教科書通りの完璧なボクシングを披露する事に成功しています。
恐ろしい事は、この時点でのロペスはまだまだ発展途上だったということです...。
(この試合が行われたメキシコのヌエボ・ラレド)/ Photo: Guiajero
今回の試合が行われたヌエボ・ラレドは、米国との国境に接した街で、写真のような巨大なメキシコの国旗が掲げられています。その巨大さゆえに、風の強い日にはしばしば近所迷惑になるようですが。
(米国側に位置するカニザレス兄弟の故郷でもあるラレド)/ Photo: Wikipedia
ヌエボ・ラレドから見て米国側に位置するのがラレドという街。元IBFバンタム級王者オーランド カニザレス(米)と、その実兄でWBAとWBOバンタム級タイトルを獲得したギャビーの故郷になります。
ラレドには歴史的遺産物が数多く存在し、中々の観光スポットだそうです。しかしラレドもヌエボ・ラレドも夏はとてつもなく暑く、日中の気温が40度台というのは当たり前だそうです。という事は、この試合も炎天下の下で行われたのですね。