今から30年と一ヶ月前にあたる1993年6月21日、大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)で行われた試合結果です。
WBAフライ級戦:
王者デビット グリマン(ベネズエラ/帝拳)TKO8回2分38秒 挑戦者井岡 弘樹(グリーンツダ)
*南米の技巧師グリマンに、アジア人として初の世界王座3階級制覇を目指す井岡が挑戦。どちらが勝利を収めるにしろ、接戦が予想されていた一番でしたが、試合は王者の一方的な展開に。井岡が想像以上のタフネスぶりを見せ中盤戦まで試合を長引かせはしましたが、念願の3階級制覇達成はなりませんでした。
(井岡の世界3階級制覇が期待された一戦でしたが...)/ Photo: sushiproutah.com
この年の前年にあたる1992年11月に、柳 明佑(韓国)との再戦に敗れWBAジュニアフライ級(現ライトフライ級)王座から陥落したばかりの井岡。本来は左ジャブと華麗なフットワークで相手を翻弄するボクシングが身上の選手。しかし意識改革のためか、その柳との再戦から本来のボクシングを忘れ、あえて打ち合う姿勢を見せる試合ぶりが目につき始めました。
そしてこのグリマンとの一戦でも、試合前からあえて左ジャブを捨て強引なボクシングが目立ちました。グリマンは元々一階級上のジュニアバンタム級(現スーパーフライ級)を主戦場にしていた選手。その、元々の体格で上回っているグリマンを相手に、本来のボクシングでない打ち合いを臨んで勝てるものではありません。
接近戦での打ち合いでは体力負けし、持ち前の左ジャブを活かせないまま(この試合では放棄していた)グリマンに完敗を喫してしまった井岡。もし、井岡が本来のボクシングを貫き通していれば、ジュニアフライ級で長期政権を築いたり、世界3階級制覇達成の可能性も高かったことでしょう。
井岡の甥っ子で、現在WBAスーパーフライ級王者(当時のジュニアバンタム級)である井岡 一翔(志成)。体型では劣るも、攻防の技術の高さで大型の選手達を打ち負かし、世界4階級制覇を達成してきました。一翔の成功は、ひょっとしたら弘樹氏の失敗を糧に築き上げられたものかもしれませんね。