DAISPO WORLD BOXING EXPRESS

今年もやってるやってる~

あの試合から30年(2団体ヘビー級:1994年11月5日)

2024年11月05日 05時50分39秒 | ボクシングネタ、その他雑談

今からとなる1994年11月5日、米国ネバダ州ラスベガスで行われた試合結果です。
IBF/WBAヘビー級戦:
挑戦者ジョージ フォアマン(米)KO10回2分3秒 王者マイケル モーラー(米)

*この試合については当初から、「これは仕組まれた試合だ!」という根も葉もない噂がありました。40も半ばに入った元世界王者が世界王者に返り咲けばさぞ話題になるだろう。そのような偉業達成を妬むものというのは、何時何処にでも存在するものです。

そんな期待を煽るように、打たれ脆さと強打を兼ね備えたモーラーがフォアマンの強打の餌食になりました。そしてこの試合から僅か一年半後、モーラーはいとも簡単に世界王座へ返り咲くことになります。そして当然の如く「やはりな」、という声が出始めました。しかしモーラーがフォアマンを退け、その後勝ち続けさえいれば、半年後に刑務所から釈放されたマイク タイソン(米)との対戦もあったわけです。タイソンとの一番が決まっていれば、モーラーの懐にはフォアマン戦以上のものが転がり込んでいたことでしょう。

(色々な意味で注目を集めたヘビー級戦)/ Photo: Wikipedia

1987年に10年ぶりにリングに復帰して以来、27勝(25KO)2敗という驚異的なKO率で白星を重ねてきたフォアマン。それを迎え撃つモーラーは、その技術とシャープなパンチでこちらも35戦全勝(30KO)という高いKO率を維持してきました。そしてこの年の4月には、念願の主要団体の世界王座を獲得。それと同時に、ヘビー級史上初のサウスポー(左構え)という名誉ある記録を達成しています。

試合は26歳と、フォアマンより20歳近くも若いモーラーがシャープな右ジャブと、小刻みな機敏な動きでリードしていきます。大柄で大雑把なボクシングを展開するフォアマンですが、こちらもパンチを振り回しているように見せかけ、時折シャープなショートパンチを放つなど負けじと試合巧者ぶりを発揮。モーラーのジャブに対抗する形で左ジャブで脅しをかけ、王者のパンチも老獪に防いでいきます。

(右ジャブでフォアマン(左)をけん制するモーラー)/ Photo: Dailymotion

若さと機動力で順調にリードを広げていくモーラーですが、相手は一回り大きな化け物的な強打者フォアマン。モーラーが懸命に放つ5発のパンチに対し、1発で跳ね返すだけのパワーの差を随所に見せます。モーラーには精神的圧迫感は大きく降りかかっていたでしょうね。

(フォアマンも左ジャブで対抗)/ Photo: Bleacher Report

試合は10回、突如としてフィナンシャルグループを迎えます。このままモーラーがリードを保ったまま試合が終わるのではと思われた矢先、大振りと空振りを繰り返していたフォアマンがショートパンチに切り替え、フォアマンの放ったワン・ツーが見事に炸裂し、モーラーは大の字にダウン。目を開けたまま倒れたモーラーは、カウント内に立ち上がることは出来ませんでした。

(フォアマンの強打の餌食となったモーラー)/ Photo: Youtube

1977年3月にジミー ヤング(米)にプエルトリコのリングで敗れた後、10年もの間リング生活を離れていたフォアマン。1987年3月に再起を果たし、格下との腕慣らしを繰り返しながら2度のタイトル戦に出場。2試合とも敗れはしたものの、イベンダー ホリフィールド(米)とトミー モリソン(米)等強豪を大いに苦しめました。当時、「中年の希望の星」とまで呼ばれたフォアマン。45歳と10ヶ月で何と20年ぶりに世界王者に返り咲くことになりました。

タイソンが収監中で、リディック ボウ(米)は自身のマネージャーと主要団体の確執から蚊帳の外。サウスポーが苦手のホリフィールドはモーラーの軍門に下り、レノックス ルイス(英)は格下オリバー マッコール(米)に足元をすくわれる形で王座から転落。まさに戦国時代だった当時のヘビー級。フォアマンの勝利は、そんな時期のヘビー級の象徴的出来事だったと言っていいでしょう。

コメント
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