数年前網膜剥離の手術をした。そのときに知った眼の大切さ。それは想像をはるかに超えるものであった。もし失明したら、僕は生きて行けない、とそのときに痛感した。
網膜剥離の手術をすると、白内障の進み具合が速いと聞いていた。そして手術をした右目の白内障は徐々に始まっていた。眼科では定評のある、網膜剥離の手術を受けた某大学病院に通っていたが、白内障の手術は急ぐ必要はないといわれていた。しばらく様子を見ていたが、最近は一段と見えにくくなっていた。しかし様々な理由からその病院へ行くことをためらっていた。
そんな折、ある人の紹介で『平成の赤ひげ』と呼ばれる、小田原にある佐伯眼科クリニックを知った。マスコミや雑誌でも取り上げられ、多くの著名人もここで難しい手術を受けているという。そのクリニックは、小高い丘に建つガラス張りのユニークな建物。エントランスを入ろうとして、一瞬戸惑った。
そこはホテルのロビーを思わせる落ち着いた雰囲気で、病院とは思えなかった。入り口を間違えたと思ったが、そこが外来の受け付けであった。
様々な検査と診察の後、佐伯宏三院長の診察を受けた。「貴方の白内障は、横綱級の重度のものです。リスクを伴う難しい手術ですが、私の腕の見せ所です」と言って、ニッコリ笑った。はっきりとものを言うその口調は自信に満ち溢れ、少しの不安も感じさせない。それは、眼疾患治療の第一人者として知られ、数々の実績に基づいた毅然とした姿勢からも伺える。白内障は早い段階での手術が良いということもはじめて知った。
左目にも白内障があり、右目の手術後一日置いて左目も手術することになった。「貴方の視力は眼鏡を必要としないほどに回復します」と言われたが、長年眼鏡を使用してきた僕には、その言葉を鵜呑みにするほど楽観はできない。右目は視力検査の一番大きな文字も霞んで見えないほどなのだから。。。現状の見えにくさから開放されれば、それだけでも満足できる。入院は約一週間、それまで一ヶ月ぐらいの待ち時間がある。
早起きをして遠い小田原まで出かけ、診察を受けた意義は充分すぎるほどであった。この「平成の赤ひげ先生」といわれる佐伯先生にすべてをお任せして、再び明るい世界を取り戻すことを願っている。
網膜剥離の手術をすると、白内障の進み具合が速いと聞いていた。そして手術をした右目の白内障は徐々に始まっていた。眼科では定評のある、網膜剥離の手術を受けた某大学病院に通っていたが、白内障の手術は急ぐ必要はないといわれていた。しばらく様子を見ていたが、最近は一段と見えにくくなっていた。しかし様々な理由からその病院へ行くことをためらっていた。
様々な検査と診察の後、佐伯宏三院長の診察を受けた。「貴方の白内障は、横綱級の重度のものです。リスクを伴う難しい手術ですが、私の腕の見せ所です」と言って、ニッコリ笑った。はっきりとものを言うその口調は自信に満ち溢れ、少しの不安も感じさせない。それは、眼疾患治療の第一人者として知られ、数々の実績に基づいた毅然とした姿勢からも伺える。白内障は早い段階での手術が良いということもはじめて知った。
左目にも白内障があり、右目の手術後一日置いて左目も手術することになった。「貴方の視力は眼鏡を必要としないほどに回復します」と言われたが、長年眼鏡を使用してきた僕には、その言葉を鵜呑みにするほど楽観はできない。右目は視力検査の一番大きな文字も霞んで見えないほどなのだから。。。現状の見えにくさから開放されれば、それだけでも満足できる。入院は約一週間、それまで一ヶ月ぐらいの待ち時間がある。
早起きをして遠い小田原まで出かけ、診察を受けた意義は充分すぎるほどであった。この「平成の赤ひげ先生」といわれる佐伯先生にすべてをお任せして、再び明るい世界を取り戻すことを願っている。