考古学者や民俗学者が集まり、怖い話を披露しあう席で、ある学者が「牛の首」に勝るものはないと言った。一同は賛同したが、一人だけその話を知らない学者がいた。しかし、誰に聞いても曖昧な返事をするだけ。執拗に聞くその学者に根負けしたある学者が、研究室に来れば教えてやると言った。約束の日、研究室を尋ねると、旅行に行って留守だという。「牛の首」の話を知らない学者は気づいた。この話は誰も知らないのだと。。。
原発事故以来、毎日のように関係者をはじめとする、物知り顔の輩が原発についての薀蓄を語っている。しかし、原発の本当の姿を知る者がいるのだろうか。誰も知らない話をなぜ安全だと言えるのか。核の本当の怖さを知っている筈の日本なのに、安全神話を信じる愚かさは、牛の首の話に賛同する学者と似てはいないか。
報道ステーションでは「原発わたしはこう思う」と題し、各界の著名人の原発への考え方を紹介している。文化人の多くは脱原発を叫んでいるが、原発推進に携わった面々は、様々な理由をつけて原発の必要性を説く。
その理由のほとんどが、「日本の経済の維持ができない、代替エネルギーでは今の電力を補えない」というが、その根拠も示さず、言葉上の脅しに過ぎない。報道によると、原発がなくとも各企業の埋蔵電力で充分補えるともいう。毎日発表される電気予報も、節電の結果とはいえ、消費電力より供給電力が常にぎりぎりで上回っている。これも数字のマジックか。
原発事故の隠蔽工作についても、パニックを理由にするが、何を根拠にパニックになるというのか。これも言い訳でしかない。実体のないことを、言葉の上だけでいかにもあるかの如く言いくるめ、原発を推し進めた責任も認めず、この事故が起きたことへの反省の言葉すらないことのほうが驚きである。
誰も知らない、経験したことのない現実を、誰が論じることができるのだろうか。これから起こり得る未知との遭遇を誰が予測できよう。「牛の首」よりもっと怖い話である。
原発事故以来、毎日のように関係者をはじめとする、物知り顔の輩が原発についての薀蓄を語っている。しかし、原発の本当の姿を知る者がいるのだろうか。誰も知らない話をなぜ安全だと言えるのか。核の本当の怖さを知っている筈の日本なのに、安全神話を信じる愚かさは、牛の首の話に賛同する学者と似てはいないか。
報道ステーションでは「原発わたしはこう思う」と題し、各界の著名人の原発への考え方を紹介している。文化人の多くは脱原発を叫んでいるが、原発推進に携わった面々は、様々な理由をつけて原発の必要性を説く。
報道ステーション 「原発わたしは こう思う」 与謝野馨 経済財政担当大臣
その理由のほとんどが、「日本の経済の維持ができない、代替エネルギーでは今の電力を補えない」というが、その根拠も示さず、言葉上の脅しに過ぎない。報道によると、原発がなくとも各企業の埋蔵電力で充分補えるともいう。毎日発表される電気予報も、節電の結果とはいえ、消費電力より供給電力が常にぎりぎりで上回っている。これも数字のマジックか。
原発事故の隠蔽工作についても、パニックを理由にするが、何を根拠にパニックになるというのか。これも言い訳でしかない。実体のないことを、言葉の上だけでいかにもあるかの如く言いくるめ、原発を推し進めた責任も認めず、この事故が起きたことへの反省の言葉すらないことのほうが驚きである。
報道ステーション 「原発わたしは こう思う」 小出裕章助教
誰も知らない、経験したことのない現実を、誰が論じることができるのだろうか。これから起こり得る未知との遭遇を誰が予測できよう。「牛の首」よりもっと怖い話である。