勤勉といわれる日本人にとって、遊びは罪悪と思われた時代もあった。遊ぶために働くのか、働くために遊ぶのか。一生懸命働いて、一生懸命遊ぶ。生業として趣味の分野に身を置く僕にとって、そんな生き方に敬意を表す。我が大辞林によると、遊びとは「気持ちのゆとり」という意味もある。
嫌々入学させられた学校で、不真面目なある生徒が言った、「俺はここには遊びに来てるんだ」。すると先生は言った、「遊びならもっと身を入れてやれ」。
ふと見上げた寒空に聳える街灯に何かがとまっている。な・なんだこれは、と目を凝らす。
なんと、そこにとまっているのは冬の蝉。はたしてこの鳴かない蝉に気づく人が何人いるのだろうか。
人知れず何気なく街灯にとまる冬の蝉。誰が何のためにここに蝉をとまらせたのか。こんな小さな遊び心に、街灯の製作者の「気持ちのゆとり」と「あそび」という「美」を晴れた冬の空に見た。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ
ゆるがるれ
-粱塵秘抄-
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそ
ゆるがるれ
-粱塵秘抄-
嫌々入学させられた学校で、不真面目なある生徒が言った、「俺はここには遊びに来てるんだ」。すると先生は言った、「遊びならもっと身を入れてやれ」。
ふと見上げた寒空に聳える街灯に何かがとまっている。な・なんだこれは、と目を凝らす。
なんと、そこにとまっているのは冬の蝉。はたしてこの鳴かない蝉に気づく人が何人いるのだろうか。
人知れず何気なく街灯にとまる冬の蝉。誰が何のためにここに蝉をとまらせたのか。こんな小さな遊び心に、街灯の製作者の「気持ちのゆとり」と「あそび」という「美」を晴れた冬の空に見た。